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2010年3月21日 (日)

NHK龍馬伝(12)暗殺指令:負の心うずまく

承前:NHK龍馬伝(11)土佐沸騰:下士と上士の因縁劇

 ドラマなので史実とは違いもあり、あくまで脚本と演出と俳優と、そしてプロドューサー、あるいはNHKの世界観だと、断りを入れた上で、今夜の龍馬伝を思い返してみます。

攘夷とは
 「攘夷」を理解したく、そして生来の好奇心、放浪癖も重なって、龍馬は武市半平太に相談し、長州の久坂玄瑞(くさかげんずい)を訪ねました。久坂は24で自刃しましたが、このころは22歳前後だったはずです。とすると龍馬は26歳のころでした。ちなみに、武市半平太は33歳でしょうか。

 みんな若かったです。久坂は故・吉田松陰門下の秀才で、若くとも考え方がしっかりしていたのでしょう。ドラマでは多少戯画化されていて、ことあるごとに久坂が松陰先生の死を思い出し号泣する姿に、龍馬があっけにとられている場面が印象的でした。

 昔風に言うと龍馬は「ノンポリ」のイメージを付与されています。つまり政治的な関心が少ない青年と位置づけられています。だから、なぜ土佐で武市半平太が攘夷を叫ぶのか理解しがたいわけです。「アメリカは大砲もぶっ放していない。ただ、商売をしたいだけに思える」と、久坂に言います。
 久坂はそれに対して、不平等な条約内容を小判一枚と銀5枚でしめし、実際には小判一枚は銀15枚に等しいと、言います。商売っ気というよりも、バランス感覚の強い龍馬はこれによって、攘夷の必要性、その理屈をある程度納得します。
 次に久坂は、幕府も朝廷の臣下にすぎない。一君万民こそが正しい。その日本の美風を、幕府は破り、勝手に不平等条約を飲み開国した、……。と言います。
 今夜の龍馬は、久坂がもどかしく言った、一君万民、それは尊皇攘夷のうち「尊皇」部分ですが、この点では理解できなかったと想像します。

 土佐勤王党の勤王と、尊皇攘夷の尊皇とは、日本政治思想的にはいろいろ専門家がおって、定義はされていますが、難しい内容だと思います。中古では北畠親房『神皇正統紀』、古代では『萬葉集』にまで立ち返り、それを精密に現代語に翻訳しないと、理解しにくいことです。いずれにしても、尊皇とか勤王という言葉を政治的にあつかうかぎりは、スローガンであって、別の真意は抜け落ちていくものだと思います。武市も久坂も、「実行」という言葉が優先し、政治的に動くために、合い言葉として使っていた部分があると思います。

 ただし、武市や久坂が、そういう言葉の真意を知らなかったとは思いません。知っていたから、感得していたから、人々を動かす原動力、核になり得たのだと想像しています。しかし、我らが坂本龍馬は、その真意が分からなかったのではないでしょうか。事情は、若い頃にそれほど勉強したとは思えません。過去の歴史はそれなりに学ばないと心底まで通じないものです。尊皇や勤王、一君万民の実情は歴史観に根ざしたものであり、遠く建国時までさかのぼらないと、そういう切実さは理解できないものです。人柄のよさや、日々の付き合いや、日常の起伏の中では考えにくいものです。

 だから。
 坂本龍馬は、日米条約のアンバランスを久坂から教えられ、侵略を知り、「攘夷」の妥当性を理解しました。しかし龍馬は内心、その均衡をもとにもどすには、武力ではなく、国内が手を結び、新しい政治形態を引き寄せ、世界とつきあえる別の独立国にまで変えることを目指したのだと想像します。これは、尊皇も勤王も抜け落ちた、ひとつの道だと、私は感じています。それは現代用語だと、自由人だともいえますし、放浪癖、根無し草とも言えます。言えることは、龍馬だからこそ、真実あり得た生き方だったと思っています。
 龍馬でなければ、ただの精神的浮浪者に過ぎません。なぜ、龍馬だからこそだったのかは、年末までのドラマが証明してくれるはずです(笑)。

武市半平太と吉田東洋
 門前で土下座して、土佐藩一体としての「攘夷」を説く武市を、吉田東洋は土佐勤王党の若者達の前で、足蹴にしました。実際に激しく打擲したのは、甥の後藤象二郎でしたが。
 東洋は武市の痛いところを突きました。

 「朝廷が、攘夷を求めていると言ったが、なぜ貴様にそれがわかる?」
 三条家に入った加尾から情報は得ていますが、天皇の異国嫌いは周知でも、朝廷全体が実力攘夷を求めているという確証は、武市自身持っていなかったわけです。

 「山内容堂公が攘夷を求めていると、貴様になぜわかる。山内家は関ヶ原の戦いで家康公から土佐一国を安堵され、それを恩義に思っておる。その徳川幕府にたてつくことなど、あり得ぬ」
 そこで、武市は反論を試みますが、最後に東洋は武市の人格をずたずたにします。
 「貴様は自分の考えだけを正義と思い込み、他を認めようとも考えようともしない。そういう貴様とは二度と会いたくない」と、言い切りました。

 傷つき自宅に戻った武市は長い懊悩のあと、もう一人の冷徹な半平太に心をゆだねました。
 あわてて駆けつけた龍馬に向かって、
 「わしは、これほど、簡単なことに気づかなかった」
 「……」
 「吉田東洋を斬れ、龍馬、斬ってくれ、斬るのだ」と、鬼の形相で爆発強要しました。

岩崎弥太郎と後藤象二郎
 弥太郎は美しい娘さんと結婚しました。さすがに、三菱財閥の総本家の初代花嫁ですから、人選に苦慮されたよし。しかし弥太郎が鼻下を伸ばすのもよく理解できる映像美でした。これで三菱関係者諸氏も多少は、気持ちが落ち着いたことと想像しました(笑)。

 しかし、後藤象二郎。
 吉田東洋は、下士の分けのわからない坂本龍馬を象二郎の眼前で褒めそやします。今の象二郎にはどうしても、オジであり先生である東洋の真意がつかめません。もしかしたら、東洋は自分よりも龍馬を高くかい、自分の上に龍馬が立つかもしれない、という疑心暗鬼に襲われます。

 難敵・土佐勤王党の盟主武市半平太と龍馬を比較して、東洋は「龍馬は武市の下で終わる男ではない」と言い放ちました。後藤象二郎も俊才でしたから、これにはこたえたことでしょう。夜半、岩崎弥太郎を訪れ、弥太郎の首根っこをつかみ、「龍馬を殺せ」と、鬼になって弥太郎に強要しました。

みどころ
 一杯ありましたが、
 武市が龍馬に「東洋を斬れ」と鬼があらわれ、それに同期して、後藤象二郎が弥太郎に「龍馬を殺せ」と二匹目の鬼が現れる場面、これは秀逸でした。古来嫉妬とは男女間でよく言われますが、同性、特に男子の嫉妬とは「死」や「組織失墜」にまで追い込む陰惨さと激しさがありますね。やはり、なんですなぁ、脳ある鷹は爪隠すというのは、必要なのでしょう、……。しかし、龍馬の才能は天然に属しますから、観ること聞くこと素直に解釈し、遠くへ駆け抜けていくという、別種の異能もついています。だから、おそらく「嫉妬の罠」からも、なんとか逃げてくれることでしょう。

 岩崎弥太郎がドラマのように生きたかどうかは分かりませんが、心身、あそこまで汚れ役というのも、これはこれで香川さん、役者冥利につきると思います。あそこまで、嫌みたっぷり、卑怯たらたら、いじましく振る舞うのは、しかもそれが画面一杯に大手を振って動き回るのは、これはもう、千両役者といっても過言ではないです。
 香川さん、最後までお人好しや善人にならずに、がんばってください!

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