小説木幡記:2010/03/27(土)無為の良さ・日常放念
今日はこのまま眠ってMuBlogにも手を触れないつもりだったが、終日を思い出してみると実に心地よかったので記しておこう。
起床は6時ころだったか、よい寝覚めだった。することもなくPCを触っていたら、TVが見たくなって、「復活の日」という小松左京原作、角川春樹さんが造った30年前の映画をみてしまった。草刈正雄さんが主役で、オリビア・ハッセィとかいう女優さんも出ていて豪華だった。最後まで見てしまったが、感動が深かった。
見終わって、また映像を見たくなったので、バジリスクという借り物の甲賀忍法帳の8と9とを見た。全12枚のDVDだ。伊賀と甲賀の10人ペアの忍者合戦だが、今日で残りはそれぞれ確か3人ずつになってしまった。死んでも生き返る忍者もおるので、この計算は当てにならぬ。
それが終わって午後遅くなったので、読書しようと思ったが、寝入ってしまった。夕方になって「大仏開眼(上)」がBS-hiで放映されていたので、それも小一時間みたら、グルニエドールのショートケーキと紅茶が用意されたので、そのまま録画して、久しぶりのグルニエドールをいただいた。ストレートティーと味がよく合っていた。
すぐ後で夕食だったので、夕刊を眺めていた。
なんとなく眠くなったので、そろそろ眠るとしよう。
と、これが無為の一日だった。ただ、なにをもって無為とするのか、いま考えながらPCに向かって木幡記を書き終えようとしている。
無為といいながら、結構愉しんだ一日だった。「復活の日」は原作よりも映画の方がよいような気がした。多国籍の人たちが南極に取り残され、人類最後の日々を送っているという設定は、徐々に国境感、人種感を溶かせていく。公用語は英語だったが、映画を見ている間に、それでよいと思っていた。一つでも共通の言語があれば、なにかしら意志を通わせることができるのだと、実感を持った。
バジリスクは戦闘場面にだいぶ慣れてきたので、奇っ怪さは薄まってきた。あとは12巻目で、伊賀と甲賀の跡取り達がどういう戦いをし、どういう決着を付けるのかが楽しみとなった。
大仏開眼は、大伴家持がちらりと顔を出したのでおもしろく思えた。まだ「上」の後半はみていないが、「下」とともにまとめて見直すつもりだ。
ところで桜。
最近はMuBlogアクセスのうち、桜が多くなったが、余はいっかな木幡を出ずに無為に過ごしている。ただ、その無為とは名ばかりで、要するにビデオ三昧といった方がよいかもしれない。明日の日曜日も似たような終日になるのだろう。余の無為とは日常の放念を意味しているとようやく分かってきた。毎日がビデオ三昧なら、それが日常となって、責務感から映画やドラマを見る羽目になってしまう。
ああ、良い無為であった。
また、それが訪れるのを楽しみにしよう。
桜。
さて~、どうしようか。悩むところだ。
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