小説木幡記:2010/03/20(土)研究と文芸、そしてノンレム~レム睡眠
ノンレム(熟睡)とレム(軽睡)の狭間に立ち尽くす日々
昨夜午後9時就寝、今朝1時過ぎ起床。4時間強熟睡したことになる。
寝覚めが良い。
余の場合、睡眠時間は4、6、8と偶数時間が多い。ここ十年は4時間か6時間かのどちらかになる。睡眠周期は年齢に応じて変化するようなので、合計2ないし3時間が「ノンレム睡眠(深い眠り)」で、残り2~3時間が「レム睡眠(浅い眠り)」なのだろう。就寝直後のノンレム睡眠(深)は大脳を休めているらしく、この時間帯域がうまく作用して、寝起きが良いと想像しておる。
たぶんリズムとして、就寝>深→浅→深→浅<起床、となっておるのだろう。想像にすぎぬが。
そういえば。ドライブしていて、睡魔に襲われると、道幅あれば路肩、高速道路ならサービスエリアに直行して、そのまま眠る。約10分の熟睡(ノンレム睡眠)で、脳がさえて視野が広がるから、これは短時間居眠りの効用なんだろう。
この一週間は気持ちが落ち着かなかった。
昨夜8時頃に「疲れたな。なんでだろう」と思ってカレンダーを見てみると、会議や掃除や公務や図書館見学下見(2回!)、各種打ち合わせ、卒業式、……。と、いろいろあった。全般に非定常的な仕事が多くなると、気疲れが強くなる。今朝の寝覚めがよいのは、そういう非定常性というストレスが続き、昨日一旦終わったからだろう。日々、判を押すような、決まり巾着、毎日が日曜日生活に慣れていると、ちょっと変わったことがあるだけでアドレナリンが全身を駆け巡り活性化を急ぎ、それが終了したとき、どっと疲労がでる。
まことに、蒲柳の質(ほりゅうのしつ)とはよくいったもんだ。
眠る前に二つ考えておった。
いずれも今年の夏期のことだが、授業は無くなるが諸行事が山積みし、定常の授業期間以上に拘束時間が長くなる。これは今から調整しないと大変な事になる! という危機感だ。それに純粋の身体拘束時間が会議や祝典やで長時間に及ぶと、血流が悪化し心身に負担がかかる。余が社会に出て以来、必ず廊下を熊のようにのそのそ歩き、机上に閉じこもり、またうろうろし、巡回の多い授業になるのは、一種のエコノミー症候群を避けるためだったと、今更思い返すなり。
一つは、純粋学術としての夏期論文。これは明日の日曜日を再開日とする。
一つは、純粋文芸としての日曜作家。これは、今朝から再開する。
夏期論文も日曜作家も、一挙に完成するものではないので、日々定常的な営みとするのが良策だ。しかし日常異変に気疲れしやすい質なので、時間をむりやり作って専念しないと、今年の夏はうまく行きそうにない。その要点は「熟睡」にある。
1.夏期論文
保田與重郎『後鳥羽院』の論考。古典文芸の視点からは、新古今和歌集そのものへの言及よりも、「物語と歌」について、現代の目でよく考えて、日本の古代~近世にかけての文学を思い返す必要がある。これは、先年夏に考えた『芭蕉』から逆戻りすると理解が深まる予感がする。歌枕現地の原風景と人が幻視した歴史との二重の想念が物語りと歌の関係を解きほぐすように、今から想像しておる。
2.日曜作家
これは小泉佐保探偵司書シリーズの第四作目にあたる。もう、3年以上手が掛かっておる。これくらい手離れが悪いと、完成させるのが惜しいような気がしてくる。もちろん専念しすぎて構想が膨らみ長期に及ぶケースとは逆で、日常がごった返しているので、物語世界になかなか同期がとれないのが実情だ。
ただし。
日曜作家という概念は、目に見えないものを文章で定着することにおいて工作の一種である。日曜と限っているのは、実情は土曜日もあるのだから休日作家といえばより正確だが、「物語」創作工作への耽溺を戒めている意味が強い。24時間、日曜作家になると、一種の心神喪失を来たし、他のおもしろいことができなくなる。余は文芸するときはその中で身命削る覚悟もあるが、他のこと、たとえば邪馬台国周遊図書館ジオラマを創作しているときは、まさにその世界に埋没しておる。多重人格を維持するほど強靱ではないので、相互に入れ替えていかないと、心身が壊れる。
それで。
実情は、現在500枚ほどやっと書き上がっておる。それをずっと読み返して、昨夜も考え込んでいた。実はあと500枚追加して背景情景を念入りにし、それを700枚程度に圧縮すれば最良のものとなる。しかし、この2年間は心中、次の最終回『嵯峨野編』が待ち遠しいので、『近江編:湖底宮』は、あと300枚書き継いで、その合計800枚程度の作品を、600枚ほどに圧縮する算段である。
とはいうものの、たかが500枚や600枚の中編小説を作るのに四苦八苦している余を顧みて、さすがに平日作家の村上春樹さんや高村薫さんは、りっぱだなぁと、感心する(爆)。しかし、村上さんや高村さんは、邪馬台国周遊図書館ジオラマを造る根気は無いじゃろう~。神様は、やはり平等だ、と思った。
3.三島由紀夫四部作『豊穣の海』
この新春に、やれDelphi のPascaltの、と木幡記に書いておった余がおった。これは今夏の『後鳥羽院』、来夏の『戴冠詩人の御一人者』という保田シリーズを一区切りして、21世紀初頭に4年間かけた『豊穣の海』を、統合して分析するために、新たなシステム造りをする必要性から出た想念であった。
気持ちとしては、この壮絶な物語世界をなんとかかんとか、余が得心できる多次元地図としてメディア変換し尽くしたいという思いである。これまでの手法は、単一地図だったが、この世界に入ってこの段階で、新境地を得たい。
今年は保田與重郎生誕100年の節目だ。その101年目にヤマトタケルノミコト論考(戴冠詩人の御一人者)で自分の中のもやもやを解消し、次に現代「物語」(豊穣の海)そのものを理解し尽くしたい。
それが余の今朝の想いである。
想いは実行することで、形となり、それがまた後の世の余の想いの種となる。
流転はしても永劫回帰。
それで、余(の)生の決着がつく。
呵々大笑。
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