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2010年3月14日 (日)

小説木幡記:2010/03/14(日)地上ディジタル放送などの著作権保護機能の醜悪さ

奇っ怪な著作権保護機能
 地上ディジタル放送(地デジ)など、どうして国を挙げてするのか、それも実質、強制的に、……。そこについて回るのが家電メーカーや放送局が一体となった「著作権保護機能」で、それを一手に扱うのがB-cas社という奇っ怪な株式会社らしい。つまり、B-cas社のカードを器具に挿入しないと、TVも見られない。録画に至っては、1回か10回かはしらないが、それ以上はコピーできないらしい。「ムーブ」という言葉があったが、PCでわかりやすくいうと、記録した内容をDVDなどに録画すると、元のファイルを自動的に消すらしい。
 ここで、余は怒髪冠を刺し貫いた。
 まるでウィルスソフトを購入させられるような仕様ではないか。勝手に人のファイルを自動消去するとは! 
 しかしどうも、現実はそうらしい。

ディジタル放送:PC内蔵チューナー
 らしい~、と書いたのは余はまだ地デジなどみたこともないし、量販店ではあえて薄型大型TVや青い録画機の前をうつむいて通り過ぎる。これは経済的な問題も多いが、なんとなくそういう世間がばかばかしいと感じる年齢なのだろう。
 先頃WinXPからWindows7に入れ替えたら、カノープス社のよくできたアナログチューナーが動かなくなって、しかたなく、はやりのディジタル放送をちっこいPC画面で見ようと思って、内蔵チューナーをネットしたら、????。
 大ショックだったのは、マザーボードを変えたり、チューナを変えると、記録した動画はすべて無効になるという、ホラーのような実話が、まさに現実が、怪奇現象としてあることだった。こういう仕様を、まともで正しい日本国メーカーや技術者達が本当に受け入れたとは、信じがたい。
 そこまで墜ちたか技術者魂!
 政治力や金に魂を売ったのか!

B-CAS社って、一体何者なんだ?
 放送界とかB-casとか、日本国全体が発狂しているように思えた。
 人のPCに録画したものを勝手に消すとはなにごとぞ。
 B-CAS社貸与のカードなくしては、公器電波を受信も録画もできぬとは~。
 複製ができないディジタル・コンテンツなど、この世に存在する値打ちはない。
 いまさら、そう思った。

 ネットをあれこれよくみると、動きは10年昔から始まっていたようだ。勝手に公器電波をコントロールするB-Cas社がどんなものかは大体想像できたが、法治国家日本で、こういう会社が存在して家電メーカーに指図して、電波を自由に操れるとは、恐れ入った。
 なんだか、日本が恐くなった。

発想が信じられないのだ
 そういうセンスの者らが日本を動かしてきているのは、理屈ではわかっていても、身近に1万円程度の内蔵地上ディジタルチューナーを買う算段をして、初めて身の毛がよだった。
 実感だ。
 寒気がした。
 (他国からの謀略とさえふと思った)
 電波を複製できない? 
 まともにPC上で編集できない? 

 それが、ここ数年の実態で、そんなへんちくりんな記録機器を、技術者魂をすててまで、営々とメーカーも、唯々諾々つくって高く売ってきたのかい! あと数百日で、日本の家庭TVのすべてを発信者だけの都合で醜悪な保護機能付きで強制的にディジタル化するのか、それを日本国は許してきたのか、奨励しているのか~。
 想像を絶する悪行だ。
 未来を捨てるような愚策ではないか。

錦旗が泣いておる
 お為ごかしの、著作権をまもるためというのが彼らの「錦旗」なのか。
 幕末の薩長よりもたちが悪い。
 著作権と書いて著作権法と書かないのは、叙述トリックみたいで一層たちが悪い。
 無法国家だな。
 著作権者たち、著作人格権保有者たちへの始末は、発信者が責任をもってなせばよい。その尻ぬぐいを日本国国民の電波享受への掣肘とするくらいなら、番組を造らなければよい。TVがなくても短波ラジオでよい。紙の新聞でよい!
 この方式(悪しき著作権保護機能)のディジタル放送一辺倒になるなら、それは世界や人類に向けての、日本国の恥となる。
 恥を知れ。どれだけのセンスの悪さか、分からぬのだろう。
 まさに、余は悲憤慷慨するなり。

 NHKも民放も公器と思ってきたのが、余の甘さであり、うかつさだった。ネット時代、ディジタル時代の革命を前にして、死にものぐるいの往生際の悪さをさらけ出しておるではないか。もはや公器たるをえず、野合集団といえる。

まとめ
 と、憤怒を記したあとで冷静にまとめを書こう。
 そもそも、電子計算機が1945年前後(説によって変化)に生まれて、記憶媒体、メモリーなどを使い出して以来、そして1990年前後にWebを中心とするインターネット利用が誕生して以来、「ムーブ:移動」とは異形の作法だったのだ。コンピュータを使う限り「コピー:複製」が自然だったと余は断言する。ムーブとは、複製して元を消すという二重手間であって、自然ではない。DNAだって複製が基本ではないか。そういう自然に逆らってムーブを地上ディジタル時代に、技術者達に押しつけたTV業界の者達は、圧倒的なセンスの悪さだと考える。しかも、どのような約款をもとうとも、国をあげてディジタル放送一本化する強硬措置の中で、民間団体一社がその悪しき作法を最終的に国民に押しつけるなどとは、天に向かってつばを吐くような悪行である。

 余が余の購入した図書や雑誌を余のために複製したなら、勝手に図書や雑誌が燃え上がるようなものだ。
 どう考えても、おかしい。
 つまり、まともではない。
 関係者達は秀才だから頭はよかろう、まるで某カルトのように、手をかえしなをかえて屁理屈をいうじゃろうが、天網恢々疎にして漏らさず、……。

追伸
 余の冷静な判断を疑う者もおろうから、少し追記しておく。
 余は、たとえばDVD映画を海賊出版して荒稼ぎする者は泥棒だと考える。しかしそれを取り締まるのは法にもとずいて警察がすればよい。民間団体が自警団を組んで泥棒の家に押し入り、元のハードディスクを消すのは、西部劇の時代だけに許される。

 が、鑑賞代を払って映画館で個人がディジタルビデオ撮影するのを取り締まるのはおかしい。個人が記憶補助装置としてメモするのまで、警察権が介入するのは、いずれ法の乱用と見なされるだろう。そのビデオを海賊出版し出したら、明確に著作権者に無断で営利行為をするのだから、自然法に反する。余の写真を勝手に撮って、断りもなく勝手に売るようなもんだ(爆)。
 あるいは余がサイボーグ化して目をディジタル機器に入れ替えたら、余は映画も見られなくなるのか?

 コンビニや書店で長時間の立ち読みを見かける。これは取り締まればよい。なぜなら、本や雑誌は形があるから、不特定多数の者が手垢や汚い息や鼻くそをつけた商品は、傷物だ。そういう行為を放置するのは、購入する客に対して不利益をもたらす。
 また、学生や社会人のコピペは、これは犯罪だと考える。人のものを自分のものと詐称するなど、著作権者の人格を無視し、踏みにじる行為である。

 なら、放送。
 ディジタル放送を複製して余の記憶補助にするのは、当然のことだ。余にとってネットやPCやハードディスクは文房具であって、単にメモするだけのことだ。ましてNHKには受信料を払っておる。余は記録物を慎重に、RAID1で記録し、重ねて他のハードディスクの方々に記録する。
 これを余が偽って売れば余は監獄に入ってもしかたない。
 ただし利益はなくとも、それをネット配信するとなると、制作発信者の利益を直接損なうから、勝手にしてはいけない。だが、近頃は発信者自身が認めている所もでてきた。

 しかし、余のチューナーでハードディスクに複製記録できず、場合によっては削除されるとなると、そういう仕組みを強制した関係団体は、別の法で裁かれるべきだ。

参考
 ディジタル放送関係は、猫の目のように右往左往しているので、以下参考記事の有効性がどこまであるかは確証できぬ。いまごろ、件のB-CAS社は消えているかもしれない(笑)。関西弁だと「カス」とは言い得てみょうじゃね。

  B-CAS社の罪は「退場」では消えない
  録画人間の末路
  地デジ録画対策 CPRMを攻略
  地デジの利便性を損ない、普及を妨げる原因となっている謎の私企業「B-CAS社」に行ってきました 
  DPA:社団法人デジタル放送推進協会  

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コメント

旦那さん この話は難しい

 放送局も映画会社も著作権は持っていない所に原点があります。
テレビ局もテレビで一度ブロードキャストするだけの権利、映画会社もフィルムで映画館で放映するだけの権利、ビデオ販売やその他のメデイアに関しては権利を持たない。

 昔、松下さんが映画会社を買収する事業をやりました、けど、何も権利を持たない事に気がついた、ジューイッシュ連中は頭がよい。

 そんな中で、デジタルをやらねばならない、妥協の中で出来たシステムなんだと思います。

 私は、現在のテレビなどはブルロードキャストの世界で生きていた業界、これからは本当にコンテンツの権利を持つ人が日の目を見る世界が来ると信じています。

 従い、今はお上に頼る世界かもしれないが、何れはコンテンツを持つ主権者が日の目を見る世界が来ると思います。

 過渡期として認識すればどうでしょうか、どうせ、今のテレビ局なんて明日はありません。

投稿: jo | 2010年3月16日 (火) 22時40分

Joさんの著作権談義は、少しわかりにくいところがありますが(笑)、問題は、著作権や著作隣接権、(人格権や財産権)を誰が持っているかにあるのではないのです。

 人の聖なるコンピュータシステムに入り込んで、勝手に消去したり、勝手に機能を損ねる(ファイルのコピーができなければPCシステムは壊れたとなる)ことを、公器(もう、この言葉は皮肉に過ぎないですが)がおおっぴらにやり出したことにあります。

 個人使用の複製を1回とか10回とか、できるできないの問題ではなくて、そこまで人のシステムに強制的に入ってくるという、そういう感性に怖気だつのです。まるで、ウィルスソフトを無制限にばらまいているのと、変わりがないです。

 ディジタル化することで、オリジナルとそっくりの物が無限に生産されるから、制作者、関与者達の生活を奪うとか、なんだかとんでもない理屈を並べていますが、そんなこと、私は知りません。

 何度でも申しますが、人の著作権や著作人格権、財産権などなどを侵害するのは、法律が無くても犯罪です(例外はありますが)。しかし、それを取り締まるのは法であって、他人のシステムを勝手に改竄したり(消去)、勝手に機能低下させるのは、これは、新たな明白な犯罪です。ウィルスソフトを売り出すのと違いはまったくないです。

 出版社や著作者が、複写機憎いといって、複写機を壊すようなものです。例外的に、カラー複写機は紙幣の複製を禁止しているようですが(笑)、それとこれとは別問題ですよ。

 著作権保護機能、こんなことを許してしまうと(もう、走り出しているわけですが)、特定政党の番組は画面に映らないとか、特定思想犯のニュース放映は記録できないとか、あるいは私的システムのハードディスクでも、ネットで監視して、不都合が生じれば即削除とか、……。もう、1984世界のゆりかごを造ったようなものです。

 ただし。
 現実問題として、昔からwowoでしたかな、特定のチューナーを用いてお金を払わないと見られないシステム(よう、知りません)。あれは、wowoが勝手にそうしているのだから、見たく無ければ見ないですみます。課金制度全体は、これからも必要です。

 今度のディジタル化は、アナログを地上から消して、日本全国、TVを見るには特定カードが必要で、しかも私的複製をするのにも、他人のシステム内を改竄するような、想像を絶する破廉恥きわまりない方式です。これじゃ、犯罪国家ですよ。
 過渡期現象とは思いません。

皮肉
 未来のディジタル世界や、未来の著作権を真に考えない、よほどセンスの古くさい人たちが造ったシステムです。
 たとえば、私がubuntuやMacやwinを組み合わせて、RAIDシステム下での、独自の記憶構造を持たせたシステムは、私の作った組み合わせによる新しい創作物です。そのシステムに無断で介入(ファイル構造を改竄する)するなど、犯罪ですよ。

 ということで、日本のディジタル革命は100年後退する、というのが今夜のまとめです。

投稿: Mu→JO | 2010年3月16日 (火) 23時56分

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