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2010年3月 8日 (月)

小説木幡記:2010/03/08(月)詩(うた)とか人生とか

 原詩はそらで言葉に出して言えるのだが、漢字がわからぬので、意訳して記しておこう。こんな詩があった。

 長雨が空の塵や花粉を落ち着かせ、地を潤している。
 わらぶきの軒に水がしたたり、屋根も青々と雨に映えている。
 さて、友よ。雨があがった。
 君に勧める一献。
 君、杯をあけ西に旅立てば、はやなし。
 君の席に換わる者なし。換わる者なし。

 漢詩であれ日本の詩歌であれ、ひとつの芸ではあるが、心と言葉はお互いに絡み合っているから、良い詩がうまれればよい心映えにもなる。その逆もある。心を写す鏡は言葉や行いや、日常おりおりの風姿に現れる。だから詩ある人生を歩むには功利を求めぬ方がよい。黄泉路を照らすのは利ではなくて、詩情なのである。
 詩情は利に疎い。だから、詩情なのである。

 一つの詩や物語を心に描くだけで豊かになる。それを言葉に記すのは芸事、技術でもあるから巧拙がある。しかし心の中は手技よりも、ゆとりが大きい。だから、詩を心の中で詠えばよい。心の中で大きな声を出せばよい。多少の拙さは広い心が包み込んでくれる。
 それでも巧拙がある。だが妙なうまさは味わいが落ちる。きつい味付けに飽きるのと同じ。だから昔の人が歌った歌の、心に響くものを歌えば良い。

 余はときどき昔の詩や物語を心で読み返している。すると、気持ちが楽になる。
 故人なからん、なからん。

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