小説木幡記:2010/03/03(水)長い年月の水垢かな?
ここ数日間MuBlogを休講した。気疲れしたようだ(いつものこと)。つまり、非日常的なことがあると、日常的なことができなくなり、当然日々これ好日、日次のMuBlogも書けなくなる。記憶があるうちにメモしておこう。
3月1日(月曜)のことじゃった。
8:45~14:30、某国立系の病院へ行った。遊びに行ったわけでもないが、水杯を交わして出かけたのでもない。好奇心一杯で、冒険に出かける気分だった。
掛かり付けの医師と先年から相談していて、そろそろ長い人生の身体の垢を「まとめて落としましょうや」、ということだ。病院の担当医師は、掛かり付けの医師の後輩にあたるらしい。
「腕はよいから、心配しなくてよいです」とのこと。なにかしら笑えた。
余も難しい調べ物を頼まれたとき、もし後輩の関係者にまかせるなら、きっと「紹介した後輩がもしかして頼りなく見えても、ちゃんとしていて、調査する腕はよいですよ」というだろう。まさか、「どうしようもない後輩でね、客がよりつかないから、あんたちょっと彼の常連になってよ」とは言わない。
ということで、まず検査室A、次に検査室B、さらに検査、……。検査好きだね、現代医学は。黙ってすわればぴたりとあたる名医はおらんようじゃ。血圧、体重、血液検査、心電図、エコー、レントゲン、……。いやはや、盛りだくさん。
ということで、一通り済ませて、やっと件の名医に面会した。40代半ば、賢そうで穏やかなドクターなのでほっとした。
医師と一緒に検査データをひとつひとつ点検していった。ふむふむ。30代ころから、かならずひっかかる、やれ中性脂肪、コレステロール、肝臓、腎臓、心電図、……。その全てをクリアしていた。すごい。社会に出て以来、もっとも正常な状態のようだ。
これは、逆に異様な話だ。
むろん、それで「サイナラ」ではない。実は年末に、あらかじめ64カ所を一時に照射するCTスキャンを別の病院でつかって、完全なデータがDVDに収まっておる。掛かり付けの医師から託されて、当日最初に渡したのが、DVDと紹介状だった。
だから、ネタは割れておる。つまり、余の掛かり付けの医師の専門分野と余の実情がぴたりとあったわけじゃな。普通の医師なら、「データはすべて正常だから、大丈夫です」と、なっておったろう。眼前の担当医も、余の表層的データよりも、DVDですべて見てしまっておる。
「では、ここの脈を診ましょう」
「はい」
「!」
「どうしましたか?」
「おお、脈がない」(爆)
まあ、わかりやすく申すとそういうことじゃ。脈がない、なのに余は生きておる。不思議。正確にいうと、他の箇所に比べて脈が弱いという文脈なのじゃが、余と医師はすでに一定の文脈を保って話しておるから、他のものが聞けば「脈がない!」としか、文法的には聞こえない。
「それじゃ、この日に一泊しに来てください」ということで、いろいろ書類をもらった。
(治ると必ず別の箇所が目立ってくるから、この一泊が何度かあるとのこと)
どれもこれも必ず、「まれに死亡することもある」という意味が婉曲に書いてあって、それでも「サインしろ」が結末じゃ。そりゃ雑煮をたべても死亡するし、工作していても死亡する。授業をしていても、教壇でひっくり返って頭蓋骨骨折もあるしなぁ。ハンドルを握るのが好きだから、これこそ日々死亡する危険性と隣り合わせ。
まあ、悪い医師や看護師がかねがね余の命を狙っておらぬ限りは、大丈夫じゃろうと、自分に言い聞かせておる。世の中がミステリでないことを祈ろう。
ところで担当医や看護師には安心したが、当日は病院が受け付けシステムを変更した初日で、「やばいなぁ」と思っていたら、案の定複合脱線というか、余の名前の読み方が一字だけ異なっておった。「と」が「よ」じゃった。それを告げると、さあそれからが大騒ぎ(本当)。結果としてシステムにIDが二重発生して、最初のIDを消せなくなって、検査に行く先々で大混乱(だって、旧IDでよばれたり、新IDで呼ばれたり。そのたんびに方々へ電話しておった)。
一体どこの会社がシステムに関係しておるのかとみると、なんと昔のガリバー。普通は旧国立系システムにはあまりないのだが、この大病院は外資系のシステムのようじゃった。だから総時間6時間滞在して、普通なら2時間程度で済んだことが3倍かかった。
もちろん誰も余に、正式なわびはいれなかった。看護師ひとりが、「もうしわけないです」を連発してくれたが、看護師のせいじゃないからなぁ。最後の支払い窓口で、そばにたっておった職員に「こういうこと、こまるんだけど(支払い窓口には百人以上待ち行列)」と言ったら、「もうしわけないです。みなさん、ご迷惑のようで(言外に、あんただけじゃない)」とのこと。
あはは。
やっぱり、旧国立系じゃなくて、現在も親方日の丸のようだね。
(ただし、システムを変えた初日の混乱は、赤子が泣くようなものだから、そういう日にあたった余の不運と、あきらめておる)
さてと。
というわけで、今年は全身ドックに入ったつもりで、つもりつもった長年の垢を落とそう。最後の最後は勢いで、なんとなく、心の診療科に追い込まれそうで、いやだね。昔「あんなもの占いだから、余の方がよっぽど腕が良い」というと、知り合いの関係者は以前、余を憎悪の目で見て、怒った(爆)。
まあ、お互い様かな。
今でも学生達は、余の図書館ジオラマをみて「それって、センセの趣味でしょう」と、さらりと言いよる。腹が立つ脳。
ついでに昨日2日と、今日3日のメモも残そうとしたが、疲れてきたので眠ろう。またな。
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コメント
画竜点睛を欠く?
タイトル名につらされて始めから終わりまで読みましたです。
水垢が何でどこにあってどうなりそうなのか、結局な~んも分かりまへんどしたなあ。
分かったのはどこぞの病院いかはって6時間ほど滞在したこと。
それだけのようでありました。
内科なのか外科なのか形成外科なのか神経外科なのか精神科なのか。
はたまた、末世科なのか永代供養科なのか・・・。
せんせ~、殺生でっせ。
衆生迷わしたらあきまへんえ。
投稿: ふうてん | 2010年3月 4日 (木) 01時10分
ふうてんさん
あははは。担当医の診断名は、平城京遷都に来られたとき、紙に書いてお渡しします。難しい漢字でしたので、空では言えないし書けません。
内科じゃないし、外科でも、形成外科でもないし。
神経外科、精神科でもござんせん。
癌科、心臓外科、耳鼻科、眼科、歯科、口腔外科、小児科、No! No!
ましていわんや、産科・婦人科おや。
その病院には、末世科や永代供養科は無かったです。
というわけで、数年前は年金のことで生まれて初めて社会勉強をしましたし、今回は「現代医療」ということで視野が広まりそうです。中学校の時に盲腸炎(虫垂突起炎?)で一週間入院して以来、絶えて医師とまともに接したことは無かったので、いろいろ興味深い日々です。
投稿: Mu→ふうてん | 2010年3月 4日 (木) 02時31分