伊勢参り(2)伊勢神宮とトポスとしての「おかげ横丁」
承前:伊勢参り(1)「楽」近鉄ビスタカー20000系・二階建て車両
注記:タイトルにある「トポス」という言葉はギリシャ哲学以来重要視されてきた。現代ではなんらかの、新しい想念を生み出す「場所」という考えがあり、私はその意味で使っている。ある歌人は即時・単刀直入に「聖地」と答えたので、それで十分ともいえる。伊勢神宮、内宮前の門前町の一角がトポスと感じられた。
伊勢神宮のことは歴史も古く、一知半解のままでは意を尽くせない。ここでは、平成22年の初詣に京都府宇治市から近鉄電車に乗って伊勢に参ったと、記しておく。西行が残した、なにごとのおはしますかは知らねども 、かたじけなさに涙こぼるるの歌は、そうでもありそうでもなかった。想像をこえる人波のなかでは涙よりも笑みが多かった。誰も涙していない。私も心中「こんにちは、お伊勢さん」と笑顔で挨拶していた。
伊勢神宮の名称は、外宮、内宮、摂社末社をすべてあわせて「神宮」であり、格別に「伊勢」の場を強調して「伊勢神宮」と呼ばれてきたらしい。神話に近い話では、いまでも三輪山の麓に元伊勢(もといせ):檜原神社(ひばらじんじゃ)が残っているので、倭建命(やまとたけるのみこと)の叔母さん倭姫命(やまとひめのみこと)が伊勢に落ち着いたという意味で、「伊勢」は大切な言葉だと想像している。
さて写真の外宮は神宮のサイトによれば「内宮と同じく、正宮と呼ばれますように、建物やお祭りはほとんど内宮と同様ですが、両宮は決して並列されるものではなく、あくまで内宮が神宮の中心なのです。」とあるが、これについては現代の神宮司庁の解釈であり、歴史的にはいろいろあって、私は先に外宮にお参りした上で、何事かつぶやいていた。たしかに内宮の千木が水平(内削:うちそぎ)であることに比較して、外宮は千木先端が垂直(外削:そとそぎ)という区別はあるが、ありがたさに変わりはない。もしかしたら、伊勢土着の人は外宮に親しみをもっているのではないかと、ひっそりと想像して、お参りした。
内宮:皇大神宮(ないくう:こうたいじんぐう)
内宮の賑わいは想像を絶するものだった。すぐそばの岩戸屋という食堂で昼食をとったが、数十組、数百名の団体客をあっというまにかたづけてしまう巨大なシステムを門前町(もんぜんまち)として備えていた。また岩戸屋の横に細長く赤福餅の販売店があったが、昼頃には行列で満ちていた。その場で床几に腰掛けて茶と餅を食べる人や、土産に持ち帰る人でごった返していた。ところが、赤福餅の販売店は他にもあり、本店は別にあった。
↑大きな写真は、五十鈴川にかかる宇治橋を遠景で撮ったものだ。何名もの人が巨大な三脚や、上等なカメラを構えていた。私は恥ずかしくなって、五十鈴川にずり落ちそうな場所でこそこそと撮った。
正宮に至る参道は長かった。宇治橋だけでも50m以上ある。しかし人にもまれてうやうやしく、心に大神を描きながら歩くのは楽しいことだった。こういう崇敬の気持ちはトポスで味わう限りなく宗教的なものなのだ。日本には宗教がないという人は西欧的、東洋的な意味での宗教を指しているからそう思うのだろう。宗教という言葉の定義も無駄に思えるほど、参道を歩むうちに気持ちが楽になっていった。まさに、かたじけない森の空気があった。
おかげ横丁:トポス
おかげ横丁まで歩き、途中で人波にもまれ、喫茶店で休憩した。店名も写真もないが、本当の地元の珈琲店だったので記憶は鮮明だ。観光地などでは珈琲店に入るべきではないという持論が崩れ去ったひとときだった。(一般に、観光地では大抵は、うすいうすいインスタントコーヒーを出される)
そうそう。
おかげ横丁に出かける前に、宇治橋鳥居の前で嬌声があった。「きゃー、石原良純さん、赤いマフラー」。私はその方のことを知らないので、人混みの中ではまるっきり判別できなかったが、帰路近鉄ビスタカーに乗車前、駅で茶を飲んでいるとそばの席にご家族らしい人をみかけ、男性の横顔もどこかで見覚えがあった。いやはや、有名人というのはつらいものだ(笑)。ちなみに、後で知ったのだが御父君は都知事・石原慎太郎さんらしい。その日は同席されていなかった()。
そうでした、おかげ横丁。
「ものすごかった」の一言につきる。日本は平和だ、という日頃の皮肉が私の心中から消え去っていた。観光であれ、参宮であれ、初詣であれ、巨大なエネルギーをひしひしと感じた。それと、急に現実感を記すと、赤福餅の隆盛も心に残った。ただの土産物店という立場を超えていた。数年前の事件を思い出したが、聖俗の中に「食」という大切なものがあると、伊勢の人たちも思っていることだろう。私は赤福餅と地酒を宇治の木幡に持ち帰った。
まとめ
伊勢へ参るなら断然近鉄ビスタカーの思いが深まった。電車はよい。しかし調べていると、近頃の近鉄車両は二階建てが新造されなくなったらしい。これは、残念なことだ。名にし負う近鉄特急が歌心を無くして、起きて半畳寝て一畳の輸送効率思想に染まるのは、よくないことだ。
帰ってから気づいたのだが、川村二郎先生は伊勢に執心されていた。『伊勢の闇から』が手元にあり、そしてまた西欧的な『懐古のトポス』もあった。この二著は、めぐりめぐってトポスとしての伊勢にたどり着くかもしれない。また、勉強したくなった。忙しいことだ(自笑)。
参考サイト
伊勢神宮
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