小説木幡記:2010/02/27(土)身柄拘束と新世紀瞑想
今日は土曜だが、やはりというか、葛野着7:30無人なり。
珈琲飲んで、グヌム上海で気勢をあげて、気づいたら上海のランキングは上級上海で、最速は2分台が二つ。あとの10位までは、3分十数秒がならんでおった。月曜日に正確なリストを記録する。つまり、「うまくいったな、3分36秒だ」、と思ったのにランキングに入らない。よくリストを見ると、以上の通り、10位でもすでに3分30秒を軽くきってしまっておる。
~
で、本題は、9時~14時まで、休憩時間は足して30分で、ずっと身柄を拘束されておった。の話。いや、大学にはそういう仕事があるわけだ。もう少し具体的に申すと、監督さん1回と、面接官さん2回。なかなか、ロートルにはきつい拘束やった濃。
したが、もう良かろう、終わったことだ。
読書話も一つ。
最近、夜の読書は短縮傾向だ。以前はベッドに入って数ページ読んだら、あっさーだった。しかるに、近頃は数行に過ぎない。疲れているわけじゃなくて、どうも、睡眠がかつての「瞑想」に変わったようだ。余は日に一時間程度瞑想しないと心身がもたない。身体というよりも、心がささくれてくる。
瞑想方法は簡単で、部屋を暗くして、ただじーっとうずくまっておる。考えるというよりも、感じることは暗黒星雲の中に余が一人ぽっかり浮かんでいて、それをうずくまった余が見つめている。その状態で小一時間過ぎると、心が解きほぐされて、楽になる。
解きほぐされる前の、その心とは。
大抵は、焦り、失意、焦燥感、(龍馬ではないが)何者にもならずただ浮き草のようにふわふわと物語の中に埋没してきた半生の反省と、そして意外にも充実感。その核に対して日常の責務感、追われる気持ち、うしろめたさ、悔恨、希望~。要するに充実感と悔恨とが相互に入り組んで、夢と現(うつつ)が解け合って、笑いながら怒り、怒りながら泣く、そういう狂躁におそわれるわけだ。なかなか激しい状態だ。
おそらく身体の一部である脳の疲労なんだろう。
だが、これが毎日あるから、余がせっせと早起きして日課的読書や書き物や思考を早朝にこなす意味もある。夕方頃になると生ける屍だね。だから余に夕方大切な相談はせぬ方がよいぞ。狂乱状態を隠して平静を保つだけの、生きるかつかつの老獪さは身につけてきたが、それでも脳内は氾濫。
で。
瞑想すると不思議に治る。
そして。
その瞑想がこのごろは就眠儀式じみた読書5行と約6時間程度の熟睡、という話だ。
そこには、暗黒星雲すらなくなり、真空的闇が詰まっておる。夢も見ぬ。
追記
1.瞑想が必要になるのはもしかしたら早朝の内にすべてやり終えるから、脳がアイドリングしだして、そこで別の負荷が午後からかかって(爆:会議とかぁ、校務とかぁ)、こうなるのか脳。
2.肝心の読書内容はしるさなかった。これはまた後日にでも。
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