小説木幡記:2010/02/21(日)今日は日曜日
気がついたら日曜の夕刻になっていた。そろそろ夕風呂に入ろう。
なにか記憶がちりちりと錯綜している。
1.ご苦労さん
あるとき、お茶を飲んでいた。相手は忙しい人だった。その人はまだ自宅で古い仕様の一太郎を使って仕事をしていた。ぼろぼろのマシンだ、と言っていた。たぶん、PC9801世界のような時代だったのだろう。
「ところで、Muさん、私のファイルのパスワード、想像つきますか?」
そのころ私は自分のパスワードを失念してしまい、しかたなく一太郎ファイルのパスワードをプログラム解析していた。結果はうまくいった。当時のパスワードは、ファイルのある箇所にコードが埋め込まれていて、その文字情報の値を桁ずらしの上で、掛け算しただけだったので、解読が楽だった。
「いえ、想像もつきません。まさか、誕生日じゃないでしょうね」
「あはっ! そこまで単純じゃないですよ。ふふ。ただし、忘れっぽいので全ファイルを共通にしています」
「うーん」と、私はまったく他人のパスワードを想像できなかった。
「じゃ、教えましょう。どうせあなたなら、解読するんだから!」
茶を飲みながら、私はパスワード解析の講釈を得意げにしていた。つまりすっぴん空白のパスワードなしファイルとパスワード付きファイルとを、比較して、違いのあるところが「パスワード箇所」と分析できて、あとは自分の入れたパスワードがどんな風に変換されているかを、いろいろ想像して、ルールを見つけ出すという単純作業。いまだと、そんな単純なものではない。
「ええ、どんなのですか?」
「ごくろうさん」
「?」
「わざわざ自宅で仕事をするときは、PCにむかって、ごくろうさんと挨拶をするわけです」
「……」
「どうですか? わかりませんか?」
「ええ、わかりました」
そんな記憶が不意によみがえった。その人はすでに亡い。
2.フランソワの昼下がり
今日は「日曜だ」と午前中に気づいて、不意に思い立つことがあった。鉄道モデルをディジタル化することに、猶予ならない時代になったことを、思い出したわけだ。これはもちろん、余だけの問題であって、世間がどうのという話ではない。要するに、プログラマブルに対象を動かす知力、気力、体力はあと数年で失せる、そんな喪失感に襲われたわけだ。たぶん数年後には完全に文系化して、漢文とか和歌しか詠まなくなる自分を想像した。
いまのうちにがんばっておかないと、数年後にはPCはおろか、ハンダごてもテスターもPC自作も、ロボットも、石膏塗りも、なにもかもが嫌になってしまう予感がした。DCCのPC制御などという魔法は、もう使えなくなる。
とるものとりあえず家捜しして、やっと万札を数枚手にした。自分も忘れたふりする隠し金が自動車に1枚あったのまで、取ってきた。その薄い万札を握りしめて京阪特急のダブルデッカー車1階に乗り込み、祇園四条駅を目指した。
寺町通りに入ったとたんに空腹がつのり、怪しげな地下喫茶店のようなところで、700円の日替わり定食をとった。なんとなく昔の小説にでてくるような雰囲気だった。じじばばと、若い女性と、若い男性二人とが、それぞれ別々の席で、もくもくとランチしていた。味は悪くなかった。
目指す物は目指したショップの上階にあった。想像以上に安価だったので、帰りに電子パーツ屋にも寄り道して、「子供の科学」の部品セットも買った。DCモータを制御する電子回路セット、2300円。
DCCの入門セットは、やたらに重かった。15v/2Aほどの電気を造るには機器が重いようだ。それを抱えてまた四条小橋まで戻り、不意にフランソワに入った。珈琲550円。余はこのレトロな喫茶店をいまだに愛好しておる。高校の山岳クラブの帰りに、クラブ顧問の英語の先生が(KINKAセンセ)連れて行ってくださった。師恩は深い。それからうん十年。いまだに、案内してくださったことを感謝している。青年時には、機械物など全く買わず、お年玉をためては紙の本を山盛りかって、フランソワで読んでいた。
帰路は京阪ダブルデッカーの2階窓際に座った。空いていた。
3.そして夕風呂
風呂ができていた。女性の声で「お風呂がわきました」と伝える変な風呂だ。なぜ男性の声ではないのだろうか。あるいは、何故じじばばの声をつかわないのだろうか。これからは、メッセージも自由に選択できるオプションがあればよい。若い女子の声を聞くと、まるで大学で仕事をしているような気分になる。今日は日曜なのだ。
さて。一風呂浴びて、小説でも読もう。うむ。人生はよいのう~。
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