小説木幡記:2010/02/11(木:建国記念日)雨の葛野と木幡
今日は午前中から葛野は雨になった。それまでグランドでテニスをしていたJK達が知らぬ間に消えて無くなり、2~3名の生徒だけがネットをはずしていた。茶を一口飲んで、もう一度バルコニーから覗くと、無人だった。
朝から、いささかややこしい仕事をし、昼過ぎから休憩・昼食を取り、午後おそくからはまた午前の続きをし、夕方5時にやっと屯所の邪馬台国周遊図書館ジオラマに手を入れだした。今夕は90分工作者になれた。
このジオラマは内周に、HOタイプの、全長25cmある「二階建て図書館列車」を連結して走らせるので、半径36cmのカーブで構成したトンネル・聖山・運河の上を上手に走らせるには、地形の緻密な成形を必要とする。外周にはNゲージでエンドレスとループを使っているので、HOとNとが近接する部分の調整に気を配った。要するに2種の列車が行き違うとき、両タイプ(16.5mm、9mm)の線路配置を考えないで敷設すると、片方がカーブ上にある時、必ず引っかかってNタイプ車両が横転しHOタイプは脱線する。
邪馬台国周遊図書館ジオラマで一番難しいのは、中央図書館をどうするかにある。中央以外の図書館は「駅図書館」(巻向駅、三輪駅)とするので、比較的楽だ。中心となる図書館を「高床式古代神殿風図書館」にするには、いろいろ手間暇がかかりそうで、胃が痛む。なにもそこまでする必要はない、と時々内奥がうずくが、しかしモデルとは「なにかを一目でわからせる」機能がないと、意義が半減する、……。
ところで。雨の木幡で考えた。今日は建国記念日なのだ。
TVニュースでは、賛成派、反対派、いろいろいるようだ。
さて、余の考えは、……。
建国と建軍は一義のもので、双方がばらばらではうまくいかない。建国だけならたちどころに「国」はなくなる。また建軍だけならたちどころに「民」は逃亡する。
「国民」ということばは、国と民、と考えている。
平和とは、建国と建軍のバランスの上で恒常的に安定する。
神話上神武天皇が、いずこの土地からか大和の磐余に進み、国を建てた。もちろん大伴や物部の祖先がその「軍」の中核だったのだろう。今から1800~1700年も昔のことだ。
大昔のことなので、建国の年月は正確には分からない。だから、某年(今年は皇紀2670年になるよし)2月11日と、後世の者が決めた。当時の碑銘があれば、それに従っていたことだろう。
これは祝いたい。
我が祖国の誕生なのだ。
なぜなら、国も民もその頃から確実に祖国に定着し、小さな政変はやまのようにあったが、革命は無かった。日本での革命は神武建国と同義と考えてよかろう。
そして、余は革命とは破壊と人道の喪失と考えている。そのような痛みは、神武建国一度でよかろう。
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