NHK龍馬伝(04)江戸の鬼小町:千葉道場の楽しさ
忘れぬうちにメモ
おもしろかったです。
1.鬼小町の撃剣、打ち込みのはげしさと龍馬に見せた涙
2.千葉道場のリズム太鼓
3.黒船はゴジラの襲来
4.桂小五郎のひげ
5.武市半平太の道場、真剣居合い抜き
その前に、
0.幕末青年達のたしなみ
「おもいだすなぁ、於玉ヶ池の千葉道場かぁ~」という台詞は三波春夫さんの「大利根無情」で平手造酒(ひらてみき)がつぶやいた言葉です。平手はその千葉道場を千葉周作から破門されてヤクザの用心棒になった剣客ですが、龍馬伝には時代が合わないので、登場しません(笑)。で、今夜の龍馬が入門したのは、その於玉ヶ池ではなくて、弟の千葉定吉・京橋桶町道場でした。
坂本龍馬の流派は北辰一刀流で、今夜登場した長州の桂小五郎(谷原章介)は神道無念流です。さらに2003年ころの新選組で谷原さんが演じた伊東甲子太郎は別の道場で「北辰一刀流」でした。新選組の山南敬助は於玉ヶ池の北辰一刀流でした。
この時代の青年はどこの道場にいたかで閥のようなものができて、行動に微妙な影響があるようです。新選組には北辰一刀流の幹部・伊東や山南がいましたが、天然理心流の近藤勇局長、土方歳三副長、沖田総司一番隊達とは、思想がどうのというまえに、同門同郷だったかどうかで気持ちのずれがありました。
さて、ふと思いました。当時の武士階級の青年達は剣術道場に行くことが(心理的)義務であり、また地方から江戸へ出向く大義名分となったようです。江戸の剣術は隆盛だったわけです。またそれだけでなく、学問塾にも幼少から通ったわけです。学問塾は現代の義務教育や入試予備校とか学習塾に照応してわかりやすいのですが、江戸時代の剣術道場が今はどうなのかは、わかりにくいです。現代のスポーツクラブとは少し雰囲気が異なったことでしょう。
と思った矢先に、道場に子供達や娘さんが集まり、竹刀を振っている姿ににんまりしました。踊るように指導する千葉重太郎(渡辺いっけい)がなかなかスマートでした。この渡辺さんは、NHK義経の時、奥州の藤原泰衡役が光っていました。恩人の義経を裏切り、その後で慟哭する姿が印象に残っています。今夜の、後の龍馬の恋人佐那の兄役としてよかったです。
1.鬼小町の撃剣、打ち込みのはげしさと龍馬に見せた涙
土佐から登ってきた龍馬の太刀筋を観るために、鬼小町・千葉佐那が激しい打ち込みを仕掛けます。剣道の経験が無いので、あの動きにはあきれました。だれでもあんな風に打ち込めるのでしょうか(笑)。あれでは防ぐしかないですし、すれ違いざまに佐那の竹刀が龍馬の胴を打っていました。真剣だと龍馬さんはおだぶつでしょう。すさまじいものです。佐那の両手首が手品のようにくるくると回転しているように見えました。確かに、日本では室町時代から剣豪が輩出してきましたから、江道時代になって千葉佐那のような女性が生まれていても、不思議ではないです。しかし、それにしても、ものすごい気合いです。
ただしかし。
真剣は竹刀と違って相当に重いものですから、体力が続くのかどうか。あるいは、昔観た映画では剣聖・上泉信綱の弟子だった室町幕府13代将軍足利義輝が、松永久秀の謀反で襲撃されたとき、屋敷にある名刀を次々と畳に刺し立て、刃こぼれ、血糊で切れなくなるたびに、新しい刀を引き抜いて戦った様子を見て以来、「戦場は、きれい事じゃないなぁ」という妙な醒めた気持ちになったことがあります。とはいうものの、佐那のあの勢いで打ちかかられると、一、二度の振り下ろしで、私なんぞは腕や首を切りはね飛ばされてしまうことでしょ(怖)。
そんな佐那が涙をながしました。
「私は強い。ただ、坂本様が強すぎるだけです」、この台詞はよかったです。重太郎は修行に励む龍馬に「四方八方を見よ。つまり何も見ないことに通じる」と言って、道場に豆?をまき、「すり足で動け」と言います。まるでお能の世界ですが、こういう練習を積んだ龍馬は数ヶ月で腕を上げたのでしょう。
2.千葉道場のリズム太鼓
龍馬は土佐から千葉定吉の道場に訪ねるやいなや、大道場に案内されて、そこで千葉重太郎が少女達を指導している場面に出会います。重太郎が軽やかなかけ声でリズムをつけて、踊るようにレッスンをしているのを見て感心します。で、龍馬は「太鼓を使ったらどうでしょう」と武士らしくない提案をしました。これがうまく行きました。太鼓のリズムに合わせて竹刀を振り下ろす場面になったとき、練習が実に楽しく力がみなぎって見えてきたのです。リズムに乗っている限り、竹刀と身体が一体になるような気がしました。
太鼓が乱れうちになったときも想像しましたが、それはどうなるのでしょう()。
3.黒船はゴジラの襲来
演出にそういう意図があったかどうかは分かりませんが、浦賀に黒船が姿を見せたときの江戸の様子が、まるで東京湾にゴジラが立ち上がったような気がしました。これからのっしのっしと上陸し、山手線の高架を踏みつぶし、スパークをまき散らし、口からは火炎を吹かせて千代田城を破壊するのでしょうか。
話が逆でした。
名作ゴジラは、幕末の外傷が後遺症となって昭和に復活したトラウマだったのかもしれません。米帝黒船はゴジラだったのです(苦笑)。
4.桂小五郎のひげ
以前に天地人のコメントで、「そういえば、今度の桂小五郎は谷原章介さんで、この方は「新選組!」では新選組に斬殺されるし、「風林火山」では信長に桶狭間で首をとられるわで、いつも悲劇的でしたが、こんどこそ明治時代まで生き残る役でした。よかったよかった(笑)」と書いておりました。
しかしですねぇ、よりによって今回は、当時の風俗店で龍馬と谷原章介(桂小五郎)さんが出会うとは思ってもいなかったです。聞き取れなかったのですが、あの場面は「吉原」だったのでしょうか?
父の禁止命令で龍馬は「江戸で女色におぼれるな」と強い戒めを持っています。二階に上がれば美しいおなごはんが添い寝してくれるという誘惑を断ち切って食欲を満たしていると、そばの客が「偉い! お父上の言葉を守るとはぁ~」といって龍馬の席に寄ってきます。しかし、その谷原、じゃなかった桂さんの顔にはひげが書いてありました。龍馬も気になり、私も気になったのですが、問いかけると、桂さんは「そんなことを気にする場合ではない。日本の外にでっかい世界があって、日本を狙っている。坂本君、君はどうするのだぁ~!」と蛮声をあげます、いわゆる壮士風。
実はそのひげは、おなごはんと二階で野球拳(当時はなんといったのでしょう)に負けて墨で塗られた×ゲームでした。私は笑いました。うかつというか、まるっきり桂小五郎の髭の意味に気づかなかったのです。
5.武市半平太の道場、真剣居合い抜き
土佐の武市さんは、たしかに岩崎弥太郎にののしられるぐらいに、龍馬の江戸行きに気持ちが揺れていたのでしょう。もし龍馬が帰国すれば、江戸帰りの剣客として龍馬の立場がぐっと大きくなり、それまで青年団長だった武市の立場がなくなります。いや、それ以上に武市は後の事件で分かってくるのですが、優れた男だったわけです。ただ、どれほど優れていても、郷士であり、その上、江戸帰りのハクも無いのだから、単なる若者達のお山の大将として埋もれてしまう必然が見えていました。
こういう鬱勃とした気持ちは優れた男子ほど強く持ちます。みんなが仏陀やキリストのような気持ちになれるわけがないです。
武市の人柄や能力を慕ってその道場には青年達が集まってきます。これが後日の土佐勤王党になるのでしょう。
今夜の見所は、武市さんを中心として、皆が道場に座り、真剣で居合抜きをしている様子でした。またまた剣の道に疎いのですが、居合抜きは練習でも真剣を使うのでしょうか。画面全体に千葉道場とは違った静かな激しさがありました。怖いですね。練習を見ているだけで、あっけなく即座に速攻で惨殺される気になりました。二十名近くの青年が一斉に、座ったまま剣を抜き振り下ろし、返す刀で後ろの敵を刺し貫く、そんな鬼気迫る雰囲気が画面全体を覆いました。後の武市半平太の激しさの、これは伏線だと感じました。
まとめ
いやぁ、龍馬の明るさと武市の暗さ、間で自分一人のことを叫びまわる岩崎弥太郎。ドラマの陰影がくっきりと浮かび上がった日曜の夜でした。
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