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2010年1月31日 (日)

NHK龍馬伝(05)黒船と剣:龍馬の青春像

承前:NHK龍馬伝(04)江戸の鬼小町:千葉道場の楽しさ

青春とは愚かしいもの
 青年龍馬の青春期の逡巡や見通しのなさ、世間知らず、短慮など負の側面がよく現れていてよかったです。
 英雄や偉人を引きずり落とす趣味はまったくないし、そういう作品は好みません。

 しかし今夜の龍馬の青春像は気持ちがよかったです。一種の青春の蹉跌でした。どこにでもいる、ちょっと才があって夢があって、人のよい龍馬が、経験不足から、今いる世界のよってたつところの土台をなくして、おぼれかけていました。無神経なようにみえて、異文明異文化に遭遇して人生の根底を揺さぶられてしまう、ぶれのあるひ弱で基礎力のない青年であることを露呈したのです。

 青年とはそういうものをさしているのだと、龍馬の嘆きや驚愕をみていてひとりでうなずいておりました。
 老いていくというのは、青春の負の遺産を隠していく過程にあるのでしょう。
 いやもちろん「青年」とひとくくりにできないことは承知の上です。ただ青春に蓋をしていくのが老成の過程であって、蓋をしなくても、なんの感性も、初々しい知性も、そもそも青春自体をもたない人も多くいるのが実情なら、今夜の龍馬は「あっぱれな、愚かな青年」だったわけです。
 黒船の巨大さの前に北辰一刀流坂本龍馬の「剣の道」が敗北したのです。

 人間が老成してまるくなっていくのは反語的に単に「すりきれた」だけとも申せますが、これからの龍馬の場合は本当に自らがまるくなっていって、自分自身にも他人にも、ますます力強い存在になっていくのだと考えています。今夜はその龍馬の本当の出発点だったはずです。天然の資質のよさが、外界から与えられた強烈な衝撃によって、みるみる骨組みを再構成しだした予感がします。天然自然の人の良さや善良さが、衝撃によって強い構造を生み出すのか、あるいは溶解してなくなってしまうのかと考えると、龍馬の場合は強くなる出発点を得たのだと思いました。

鬱になるほどの衝撃
 勝海舟や佐久間象山や吉田松陰らの識者は別にして、当時の青年(そして幕府も武家も町民も百姓も)にとって黒船との遭遇とは、おそらく東京や京都の上空に浮かんだ直径20kmの宇宙船に出くわしたショックだったと想像できます。それまでの人生や体験の中になかったこと、そして世間常識にもなかったことに遭遇したなら、龍馬や桂のように混乱し、目に隈をつくって憔悴することでしょう。

 一方、このころ江戸や長崎で外事を担当した関係者の様子は、ときどき目にしますが、おおむね「しっかりしていた」ようです。浦賀奉行は何度も「ともかく、長崎にお回りください」と米艦隊に、さらりと言い返しました。結局、一隻が江戸に回ってむりやり「アメリカ大統領の親書」を押しつけてしまいました。一年後の返書を待つというのですから、当時の外交は猶予期間が長かったようです。

土佐の様子
 この頃は江戸幕府開府以来260年くらいたっていました。幕府が初めて諸侯に開国か攘夷かを相談しました。土佐の山内公はさらに藩士たちに意見をつのり、吉田東洋と武市半平太の考えに興味を持ちました。吉田東洋は現代でも有名人ですが、それはまだ後日のこととしておきます。私は山内容堂の役・近藤正臣さんが気になりました。

まとめ
 つまり、坂本龍馬は江戸留学中にショックをうけて尻餅をついてしまったのです。立ち上がることもできなくなって剣の道を忘れ、あろうことか、千葉道場を追放されてしまいました。
 剣の道という自己修養から、姉がいった世間、龍馬にとっての本当の「世界」に直面してしまったわけです。さて、どんな風に成長していくのでしょう。

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2010年1月30日 (土)

小説木幡記:2010/01/30(土)年度末

 今日は土曜日だったが7:40に葛野着、一息入れて、9:30~16:00まで会議だった。余もわずか10分だったが発言せざるをえなかった。おわったら頭の中がキーンとして約2時間研究室で横臥しておった。余は身体も心も脳も、日頃使い慣れておらぬので、たまの激務はこたえるのう。

 木幡に帰還しても気力がわかず、さっきまでベッドに横臥しておったが、突然がばっと起きて、「島図書館」をオンにした。そうなのだ。ジオラマの調整だけで時間を湯水のように使う。この年度末に手を加えておかぬと、春からの授業に鉄道図書館列車の提示をできなくなる。だから来週は片手で採点し、片手で石膏塗りをすることになる。ともかく忙しい脳。

 がばっと起きて、列車の運行を眺めていたら、以前と同じく図書館列車のイメージがふつふつとわいてきたので、今夜は安心して眠ろう。ときどき、これまでやってきたことの多くが、イメージできなくなる恐怖に突かれる。いろいろなことが、断片的に、断続的に、それぞれが波状的に生起し、脳を刺激するので、刺激しているオブジェクトには安心するのだが、それ以外のものの存在の安否に不安を味わってしまう。だから、つねにタイムシェアリングちゅうのか、パラレルちゅうのか、なんかかんか考えていないと日常のよしなしごとに、大切なイメージ喚起力が押しつぶされてしまう。おそらくそれは前頭葉なのだろう。そう、でこ、おでこのことだ。余のデコは猫の額のようなものだが、それでもおもしろいことを次々とイメージして、脳の後頭部あたりにある大スクリーンに投影してくれるので、余は毎日映画をみておるようで、楽しい。

 ではまた。

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2010年1月28日 (木)

小説木幡記:2010/01/28(木)今日の出来事

終日の、おっとり日より
 小雨。7:30葛野研入室、湯を沸かし珈琲を入れて一息。屯所を解錠し部屋の様子を確認。このごろ、働き者の隊員たちが大抵は最後に帰ることになるので、余はその直後か翌朝点検。直後の点検は嫌みに映るのでこっそり。翌朝の場合は無意味に思えるが、それでもミスなどチェックして、あれば局長に連絡。ここ一年は、ミスがない。

 今朝は屯所の窓を一時的にあけて空気入れ替え。その後、暖房をいれてしばし着席。物思いに沈む(苦笑)。そのままにして研究室にもどり、朝のお勤め「上級・上海」。一度で完了したが、時間は4分を超えてベストテンには入らなかった。まあ、それでよし。次にメールやblogコメント確認。

 あっという間に8:30になった。再び屯所に寄った。今度はメモ筆記具も用意した。5名の隊員がそろっていた。
 機関誌「Truth」31号の第一回編集日だった。編集長の新・副長が、レジュメを6人分用意してくれていた。編集方針&目次が2ページ、3月末までのスケジュールが1ページ分あった。
 テーマは「教材としての機関誌」だった。
 話が進んだ。

 新・書記局長、新・一番・三番隊長が執筆者担当編集員になるようだ。余は年一の巻頭言を1ページと、新しい科目の説明に2~4ページ、この3月卒業する旧幹部の「送る話」を一人あたり0.5~1、合計2~4ページ書くことに決められていた(笑)。
 あと、余は「ご隠居」局長2008の玉稿を編集担当することになる。バックアップは新・書記局長になっていた。

 などと書いていて気づいたが、31号は少し硬派だと感じた。これは編集会議でも漏らした。「おまけ」記事が少なくなることに、編集長以下皆の意見が集約された。それでよいだろう。ただし、表紙を部分カラーする案がでた。これは印刷インク代が高くなり、印刷時間もかかるので、フルカラーは無理だ。だが、表紙だけでもカラーにすることで、特に新一年生は、「読んでみようかな」という気になるかもしれない、と新局長が発言した。他にも聞いてみたら、ひとりが「若い女の子の気持ちは分かりません」と答えたので、余は笑った。この席にいたのは全員20歳以上だから、この四月に入ってくる18歳の入学生は、遠い世界の「女子」に思えるのだろう。

 11時になったので余は席を立って研究室に戻り、メールを確認した。めちゃくちゃ重いメールが合計4通もあった。すべて即答できない内容だったので、一旦閉じて、茶を飲んで財布をとって、また屯所に戻った。11:25分に、皆で食事にでた。
 どこに行くかで意見が分かれた。刺身がだめな人一名、ここしばらく油物がだめな人一名、日頃通う学食や「めしや」がだめな人一名、この三名はいずれも近所の「百円回転寿司」を好まぬので、ここも行けない。残り二名は「どこでも行きましょう」だった。結局新局長が阿弥陀を造った。その結果、近所の「弁慶うどん」になった。

 余はB定食(素そば、漬け物、かやくご飯)にトッピング(きざみあぶらげ)を選んだ。他のものは適当にしたようだ。ご飯とカレーうどん、B定食すっぴん、散らし寿司、B定食すっぴん、おぼろうどん、だった。この記憶は不正確だが、その場をイメージで再現した。余は比較的、ページ面や写真、その場のイメージ、ようするに画像や動画で記憶するタイプだ。

重い仕事
 余は隊員たちよりも食が速いので先にでた。
 研究室に戻り、昼前のメールをにらみつけだした。一つずつ答えたが、最後の案件は過去書類や冊子を引っ張り出して、照合した上で答えた。送付と同時に、二人から電話があって、メール内容の確認をした。メールして電話してと聞くと、「無駄な」と思うだろうが、実は、お互いに不用意な解釈をすると後でやり直しがものすごく面倒になる案件だったので、二重チェックとなった。

 これだけで、気がつくと午後2時を過ぎていた。このごろの大学教員は教授と事務官を兼務しないと日々をこなせない。そのうえ最近はあたかも生活安全課のような、保健室の先生のような、おお、パニック症候群に対処する医師のような、檀家の相談相手になる和尚のような~、ありとあらゆる役目をひととおりこなす必要がある。
 で、余自身のメンタルヘルスケアは、……。まあ、自分が心療内科の医師になったような気分で自己観察。

軽い話
 このごろずっと採点が続いている。採点することと、それをきっちり登録してチェックして印刷して判をおすまでの工程は同量だな。
 その続きを午後半ば以降やった。
 ……。
 なにもいうまい語るまい。みんな、学生達は苦労しとるのうぉ~あははは。

 で、研究。
 とおもったら、外が暗くなっていた。もう、やめた。
 というわけで、屯所をのぞくと年長の新局長と若い新三番隊長が仕事の引き継ぎをしておった。馬鹿話をひとしきりすませて、余は帰路についた。

木幡の夜
 さて。
 夕食もすんだ。研究(Delphi で造った過去のテキストマイニング・プログラムを改良)しようと思ったが、眠くなった。ついちょっとMuBlog記事を書いてみたが、キーボードに触るのも飽きた。
 やはり、年齢とともに、研究は難しくなるのう。
 そろそろ、眠りましょう。

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2010年1月27日 (水)

伊勢参り(1)「楽」近鉄ビスタカー20000系・二階建て車両

 2010年1月下旬に伊勢初詣にでむいた。その、人の波にもまれた伊勢神宮のことは後日にまとめておこう。
 このたびは、行き帰りに乗った近鉄二階建て電車の記録とする。

 車両名は近鉄ビスタカー20000系「楽」といい行楽用の二階建て電車である。調べると時速120キロのスピードが出るらしい。実際の、体感では極めて静粛で、自動車なら時速40キロほどの安定した走行感覚だった。何故かと思って車窓を眺めながら思ったが、近鉄のこの伊勢路はとにかく直線が長く続く。後に地図で区間区間を眺めると延々とした直線が続く。定規で決めたような線路だった。

 それだけではない。
 つくづく近鉄・特急車両の快適さを知ったのは、帰路京都駅でJR奈良線に乗ったときだ。桃山駅と六地蔵駅の、比較的直線が続く箇所を走る様子が、いまでも笑い出すくらい、車両が分解するような過激な走行騒音だった。息を切らして走りに走るという様子だった。この点では、さすがに私鉄・近鉄のビスタカーだけのことはあると、感心した。もちろんJR車両の乗り心地をけなしているのではない。その過激な走りっぷりと、ビスタカー「楽」の音も振動もない滑るような走りの、落差ににんまりしたわけだ。

 横揺れもない。
 新幹線以上に静粛だった。と、かけば新幹線は時速300キロ、「楽」はせいぜい時速100キロの違いを指摘されよう。ただしかし、私の想定する「二階建てトロッコ図書館列車」が時速300キロで走る必要もないし、せいぜい時速40キロ程度のゆるゆるとした雰囲気で音もなく滑空するように走れば、それで要求項目をパスしたことになる。おそらく新幹線よりも「楽」の方が建造費は安いだろう。

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↑4号車の階段状展望席
 往路は近鉄・京都駅で、最後尾車に乗った。4両編成の4号車で、帰路はこれが先頭車になった。車両編成の前後どちらからでも運転できるのは便利だ。蒸気機関車だと回転させる必要があり、難儀なことだが、マニアにはそれがたまらぬのだろう。
 驚いたのは正面運転席に向かって階段状の座席になっていることだった。映画、シアターの雰囲気を満喫した。特に帰路は夜だったので、行き交う電車に見とれていた。図書・雑誌を閲覧するよりも、前景を眺める方が楽しいというのが実情だった。しかし毎日乗っていたら、やはり快適な席に座って読書するだろう。

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↑4号車の運転/車掌席

Mus_img_2950 ↑本来、二階建てトロッコ図書館列車の考究に、全面ガラス張りの運転席を論評しても意味がないともいえようが、しかし開放感ということでは、左右の窓だけよりもこの天井に至る透明度が外界を透かして見せる趣向は捨てがたい。そういう雰囲気を捨て去ったなら、なべて人間のすることなすことは、起きて半畳、寝て一畳ですんでしまって歌も色気もない。
   (右写真はサンダーバード→)
 よく見ると正面の一部は貫通するドアに見えた。どういう状況を想定したのかは知らないが、車掌や運転士は側面の出入り口を使っていたから、この正面ドアから出入りするとは思えない。以前、長浜に行ったとき、北陸線のサンダーバードが、確かに正面同士でくっついていた。電車というものは、そういう使い方をすることもあるようだ。

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↑4号車の一階席
 目当ての1階部分だが、広い「多目的サロン」があった。このまま図書館列車に応用するなら、ここを雑誌や新聞を読む軽読書室、あるいは談話室としてよかろう。↑写真はその隣の座席で、包み込まれるような感触は重読書室としての機能を十分に果たす。
 問題は、書庫をどこに置くのかだった。1号車と4号車とはそれぞれ階段状座席になっているので、その一階部分がどうなっているかの判断ができなかった。単純にデッドスペースなのか、何かの用にたてているのかは、後日の調査を待たねばならない。要するに、書庫スペースがない。2号車、3号車はハイデッカーなので工夫すれば床下書庫を造作できるかもしれない。一番よいのは、書庫車の新造となるが、これは新造よりも他の車両を改良する方が現実的だ。特急車両でなくてもよかろう。
 もうひとつは、私の気のせいかもしれないが、走行中に2階よりも多少振動があったということだ。一般に重心の低い方が安定しているように思えるが(京阪ダブルダッカー車両の1階)、車両の設計によってはそれが異なるのかもしれない。ただし、その揺れはわずかに感じられたので、偶然ないし気のせいかもしれない。

近鉄20000系(00)4号車:運転席全景
近鉄20000系(01)4号車:階段展望席
近鉄20000系(02)4号車:走行中
近鉄20000系(03)4号車:走行中
近鉄20000系(04)4号車:運転席
近鉄20000系(05)4号車階段(2F)
近鉄20000系(06)4号車階段(1F)
近鉄20000系(07)4号車階段(1F~2F)
近鉄20000系(08)4号車1階席
近鉄20000系(09)4号車1階席
近鉄20000系(10)4号車1階席から見たホーム
近鉄20000系(11)4号車1階のラウンジ
近鉄20000系(15)4号車外観正面
近鉄20000系(15)4号車外観「楽」
近鉄20000系(16)4号車外観側面「楽」
近鉄20000系(17)帰路・近鉄宇治山田駅
近鉄20000系(18)帰路・運転席
近鉄20000系(19)帰路・山々
近鉄20000系(20)帰路・夕日の伊勢路
近鉄20000系(21)帰路・行き交う近鉄電車

参考
 近鉄20000系電車 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 鉄路の名優「20000系 楽(RAKU)」

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2010年1月26日 (火)

小説葛野記:2009/12/28(火)大臣、ほか日々

1.国会の生中継
 今日午前中というか昼前に、ほんの20分ほど国会中継をみていた。役者を見ているようでおもしろかった。
 民主党も社民党も、まして自民党も共産党も、公明党もそれぞれ好ましく思ってはいない。ただし政治家のキャラクターでおもしろいと思った人は多々いる。

 昔でいうと田中角栄さん。その声がよかった。浪花節を聴いているようで。
 最近だと、小泉首相のベートーベンみたいな風姿がよかった。
 それで、高額クラブに通ってたたかれた麻生さんも好ましい。失言はほとんど気にならなかった。
 意外に、病気引退した安倍首相もよかった。
 そうそう、桝添さんも好みだね。
 防衛省時代の小池さんもよろし。
 防衛省時代の石破茂さんもよろし。
 
 現職大臣の好き嫌いははばかりもおおいので、止めておこう。ただ、民主党出身閣僚の中でもまともな政治家は、中継を聞いていて、気持ちがよかった。党、パルタイというのは個人の能力や資質に関係なく、数で左右されるので、大抵は嫌いだ。余の判断基準は簡単で、正しくしっかり受け答えする政治家を好む。右顧左眄、朝三暮四のばかばかしさや、朝令暮改の優柔不断は、どんな理想を掲げていても、よく思わない。またヤクザ世界のように、恫喝や罵声や裏工作が巧み過ぎる、いや、やりようがあざとすぎる人も、好きになれない。余はしごくまっとうな庶民であると、自覚した。

2.大臣とはおおおみです、臣です
 日本史や世界史をきっちり教えないのは、政治や経済、国防や道徳をきっちり判断できない国民や政治家や官吏や衆生を生んでしまう。
 余の最近の、じゃなかった、ずっと数十年もの持論は、すべては過去にあるということ。いやはや公務員試験の8割が過去問にあるという話ではない。人類は言葉を持ったとたん、進化も退化もなく、ひたすら人間だった。それほど言葉をあやつる人類の脳は上等だということだ。
 すべて過去に埋もれている。先端科学技術も思想も道徳も、経済法則も。ただ時代時代に、見えないだけだ。見えなくするのが時代の要請なんだろう。時代の要請とは、古くは宗教であり、近代はひたすら進歩するというマルクス主義と、ひたすら儲けようという資本主義だった。そして現代は、仮想的に儲けることに快感を味わう時代なんだろう。

 そういうことを幼少から歴史の流れの中で知らずに現代の一刻一刻を刹那的に生きることしか知らぬ臣民を多数抱える国は亡国が眼前に迫る。日本史・世界史を把握していない人には被選挙権を与えるべきではない。自らが衆愚政治を演じてしまう。民がおろかであるよりも、旗振りが愚かであるほうが、被害は大きい。日頃、馬鹿馬鹿しい上司にこづき回されているサラリーマンやOLなら、この話が通じるはずだ。

 過去の歴史にすべての政治状況は潜んでいる。戦史もそうだ。

 大臣はおおいなる臣と書くから、臣吉田茂とおっしゃった著名な政治家がおられるように、なにかに仕える人なんだろう。日本では、昔はすめらみことだったが、その後の歴史の状況変化で、今は「国民」となっている。国の民(たみ)に仕えるのが大臣である。大臣になるまでは政党、徒党に仕えているだろうが、任命されたとき一挙に立場が変わる。こういうことをわきまえるのが政治屋とは異なる政治家の真骨頂だが、残念ながら大抵は、個人の損得を超えた悠久の大儀に、現実観を持って生きる政治家は殆どいない。ただし、国会の受け答えを見ていると、与野党にもそういう資質がある方が一割、二割おるので安心する。勿論悪貨は良貨を駆逐するからだんだん悪くなっていくのだろう。

 とは言いながら、国を守る英雄が裏で犯罪に手を染めていたとき、どう判断するのか。余は現実主義だから英雄の罪一等を許す。ただし英雄とは国賊ではない。そういう違いを瞬時に判断するのは、過去の歴史のパターンを想起することでしか、分からない。十五代将軍徳川慶喜は英雄でもなかったが、結果的に国賊ではなかった。そう判断している。決して好いてはおらぬが(笑)、まだましだ。

3.といいつつも、宮部みゆき
 最近枕辺に置いてある図書二つ。
 一つは松本清張の「邪馬台国」(清張通史・講談社文庫)。大抵1頁を読むと闇に溶け込み朝になる。その一瞬に清張時代の邪馬台国や現代の邪馬台国を比較しながらまぶたをとじる。

 一つは宮部みゆき「孤宿の人」(新潮文庫上下)。これは目が覚めている日曜の昼間とか、食後すぐに読む。今は上の後ろあたり。いよいよ「ほお」が悪霊・加賀様の屋敷牢に住み込みをはじめた頃。なかなかおもしろい。なぜ、どうして? が多いから、余は時代ミステリとして読み始めている。結果はどうなるのだろうか?
 映画になれば観てみたい。「ほお」は子役で難しいが、宇佐という女性岡っ引き(引手)が、女優によっては結構評判を呼ぶだろう。

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2010年1月24日 (日)

NHK龍馬伝(04)江戸の鬼小町:千葉道場の楽しさ

承前:NHK龍馬伝(03)偽手形の旅:

忘れぬうちにメモ
 おもしろかったです。
 1.鬼小町の撃剣、打ち込みのはげしさと龍馬に見せた涙
 2.千葉道場のリズム太鼓
 3.黒船はゴジラの襲来
 4.桂小五郎のひげ
 5.武市半平太の道場、真剣居合い抜き

 その前に、
0.幕末青年達のたしなみ
 「おもいだすなぁ、於玉ヶ池の千葉道場かぁ~」という台詞は三波春夫さんの「大利根無情」で平手造酒(ひらてみき)がつぶやいた言葉です。平手はその千葉道場を千葉周作から破門されてヤクザの用心棒になった剣客ですが、龍馬伝には時代が合わないので、登場しません(笑)。で、今夜の龍馬が入門したのは、その於玉ヶ池ではなくて、弟の千葉定吉・京橋桶町道場でした。
 坂本龍馬の流派は北辰一刀流で、今夜登場した長州の桂小五郎(谷原章介)は神道無念流です。さらに2003年ころの新選組で谷原さんが演じた伊東甲子太郎は別の道場で「北辰一刀流」でした。新選組の山南敬助は於玉ヶ池の北辰一刀流でした。

 この時代の青年はどこの道場にいたかで閥のようなものができて、行動に微妙な影響があるようです。新選組には北辰一刀流の幹部・伊東や山南がいましたが、天然理心流の近藤勇局長、土方歳三副長、沖田総司一番隊達とは、思想がどうのというまえに、同門同郷だったかどうかで気持ちのずれがありました。

 さて、ふと思いました。当時の武士階級の青年達は剣術道場に行くことが(心理的)義務であり、また地方から江戸へ出向く大義名分となったようです。江戸の剣術は隆盛だったわけです。またそれだけでなく、学問塾にも幼少から通ったわけです。学問塾は現代の義務教育や入試予備校とか学習塾に照応してわかりやすいのですが、江戸時代の剣術道場が今はどうなのかは、わかりにくいです。現代のスポーツクラブとは少し雰囲気が異なったことでしょう。

 と思った矢先に、道場に子供達や娘さんが集まり、竹刀を振っている姿ににんまりしました。踊るように指導する千葉重太郎(渡辺いっけい)がなかなかスマートでした。この渡辺さんは、NHK義経の時、奥州の藤原泰衡役が光っていました。恩人の義経を裏切り、その後で慟哭する姿が印象に残っています。今夜の、後の龍馬の恋人佐那の兄役としてよかったです。

1.鬼小町の撃剣、打ち込みのはげしさと龍馬に見せた涙
 土佐から登ってきた龍馬の太刀筋を観るために、鬼小町・千葉佐那が激しい打ち込みを仕掛けます。剣道の経験が無いので、あの動きにはあきれました。だれでもあんな風に打ち込めるのでしょうか(笑)。あれでは防ぐしかないですし、すれ違いざまに佐那の竹刀が龍馬の胴を打っていました。真剣だと龍馬さんはおだぶつでしょう。すさまじいものです。佐那の両手首が手品のようにくるくると回転しているように見えました。確かに、日本では室町時代から剣豪が輩出してきましたから、江道時代になって千葉佐那のような女性が生まれていても、不思議ではないです。しかし、それにしても、ものすごい気合いです。

 ただしかし。
 真剣は竹刀と違って相当に重いものですから、体力が続くのかどうか。あるいは、昔観た映画では剣聖・上泉信綱の弟子だった室町幕府13代将軍足利義輝が、松永久秀の謀反で襲撃されたとき、屋敷にある名刀を次々と畳に刺し立て、刃こぼれ、血糊で切れなくなるたびに、新しい刀を引き抜いて戦った様子を見て以来、「戦場は、きれい事じゃないなぁ」という妙な醒めた気持ちになったことがあります。とはいうものの、佐那のあの勢いで打ちかかられると、一、二度の振り下ろしで、私なんぞは腕や首を切りはね飛ばされてしまうことでしょ(怖)。

 そんな佐那が涙をながしました。
 「私は強い。ただ、坂本様が強すぎるだけです」、この台詞はよかったです。重太郎は修行に励む龍馬に「四方八方を見よ。つまり何も見ないことに通じる」と言って、道場に豆?をまき、「すり足で動け」と言います。まるでお能の世界ですが、こういう練習を積んだ龍馬は数ヶ月で腕を上げたのでしょう。

2.千葉道場のリズム太鼓
 龍馬は土佐から千葉定吉の道場に訪ねるやいなや、大道場に案内されて、そこで千葉重太郎が少女達を指導している場面に出会います。重太郎が軽やかなかけ声でリズムをつけて、踊るようにレッスンをしているのを見て感心します。で、龍馬は「太鼓を使ったらどうでしょう」と武士らしくない提案をしました。これがうまく行きました。太鼓のリズムに合わせて竹刀を振り下ろす場面になったとき、練習が実に楽しく力がみなぎって見えてきたのです。リズムに乗っている限り、竹刀と身体が一体になるような気がしました。
 太鼓が乱れうちになったときも想像しましたが、それはどうなるのでしょう(cat)。

3.黒船はゴジラの襲来
 演出にそういう意図があったかどうかは分かりませんが、浦賀に黒船が姿を見せたときの江戸の様子が、まるで東京湾にゴジラが立ち上がったような気がしました。これからのっしのっしと上陸し、山手線の高架を踏みつぶし、スパークをまき散らし、口からは火炎を吹かせて千代田城を破壊するのでしょうか。
 話が逆でした。
 名作ゴジラは、幕末の外傷が後遺症となって昭和に復活したトラウマだったのかもしれません。米帝黒船はゴジラだったのです(苦笑)。

4.桂小五郎のひげ
 以前に天地人のコメントで、「そういえば、今度の桂小五郎は谷原章介さんで、この方は「新選組!」では新選組に斬殺されるし、「風林火山」では信長に桶狭間で首をとられるわで、いつも悲劇的でしたが、こんどこそ明治時代まで生き残る役でした。よかったよかった(笑)」と書いておりました。

 しかしですねぇ、よりによって今回は、当時の風俗店で龍馬と谷原章介(桂小五郎)さんが出会うとは思ってもいなかったです。聞き取れなかったのですが、あの場面は「吉原」だったのでしょうか? 

 父の禁止命令で龍馬は「江戸で女色におぼれるな」と強い戒めを持っています。二階に上がれば美しいおなごはんが添い寝してくれるという誘惑を断ち切って食欲を満たしていると、そばの客が「偉い! お父上の言葉を守るとはぁ~」といって龍馬の席に寄ってきます。しかし、その谷原、じゃなかった桂さんの顔にはひげが書いてありました。龍馬も気になり、私も気になったのですが、問いかけると、桂さんは「そんなことを気にする場合ではない。日本の外にでっかい世界があって、日本を狙っている。坂本君、君はどうするのだぁ~!」と蛮声をあげます、いわゆる壮士風。

 実はそのひげは、おなごはんと二階で野球拳(当時はなんといったのでしょう)に負けて墨で塗られた×ゲームでした。私は笑いました。うかつというか、まるっきり桂小五郎の髭の意味に気づかなかったのです。

5.武市半平太の道場、真剣居合い抜き
 土佐の武市さんは、たしかに岩崎弥太郎にののしられるぐらいに、龍馬の江戸行きに気持ちが揺れていたのでしょう。もし龍馬が帰国すれば、江戸帰りの剣客として龍馬の立場がぐっと大きくなり、それまで青年団長だった武市の立場がなくなります。いや、それ以上に武市は後の事件で分かってくるのですが、優れた男だったわけです。ただ、どれほど優れていても、郷士であり、その上、江戸帰りのハクも無いのだから、単なる若者達のお山の大将として埋もれてしまう必然が見えていました。
 こういう鬱勃とした気持ちは優れた男子ほど強く持ちます。みんなが仏陀やキリストのような気持ちになれるわけがないです。
 武市の人柄や能力を慕ってその道場には青年達が集まってきます。これが後日の土佐勤王党になるのでしょう。
 
 今夜の見所は、武市さんを中心として、皆が道場に座り、真剣で居合抜きをしている様子でした。またまた剣の道に疎いのですが、居合抜きは練習でも真剣を使うのでしょうか。画面全体に千葉道場とは違った静かな激しさがありました。怖いですね。練習を見ているだけで、あっけなく即座に速攻で惨殺される気になりました。二十名近くの青年が一斉に、座ったまま剣を抜き振り下ろし、返す刀で後ろの敵を刺し貫く、そんな鬼気迫る雰囲気が画面全体を覆いました。後の武市半平太の激しさの、これは伏線だと感じました。

まとめ
 いやぁ、龍馬の明るさと武市の暗さ、間で自分一人のことを叫びまわる岩崎弥太郎。ドラマの陰影がくっきりと浮かび上がった日曜の夜でした。

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2010年1月22日 (金)

桜井茶臼山古墳の被葬者:壹与(近藤喬一説)

承前:水銀朱:桜井茶臼山古墳石室の情景

破鏡断片
 奈良県桜井茶臼山古墳から大量の鏡片が出土していたニュースは2010年1月8日に新聞紙上で知った。このことの解説記事は、畏友のJoBlogにも詳しく、ネット上でも詳細な情報がある。私は事情が重なってこの鏡片についてはまだ一つもコメントを公開していない。古鏡問題は苦手(笑)だと思っている。一枚入手すればもう少し愛着が持てるかもしれないが、三角縁神獣鏡のことがいまだによく理解できていないので、もう少しまじめに勉強すれば、後日にでも触れてみたい。

被葬者は壹与(いよ)か
 さて、それから十日前後たって(実は、ネットで情報が得られると思って、新聞切り抜きの日付を亡失した)、産経新聞の記事で「桜井茶臼山古墳/近藤喬一(こんどう・たかいち:山口大学名誉教授)」を目にした。副題には「鏡で推測 被葬者は壹与(いよ)か」とあった。卑弥呼の後を継いだ男王の治世が乱れたので、壹与が卑弥呼の宗女(本家筋・本家と血縁のある女性、つまり普通には卑弥呼の姪や従姉妹や姉妹)として13歳で共立(男王と祭政を分けたのか?)し、国は立ち直った。女性の力である。卑弥呼は独身だったろうから、血縁を持つ娘や孫はいなかったはず。卑弥呼の年齢は不詳だが70数歳の長命だったと推定できる(史書に残っている出現時と死亡推定時から)。仮に75歳とすると、死亡時に壹与は10歳前後か。とすると年齢差が60以上になり、妹とか従姉妹、姪とかの関係も不明瞭になる。要するに、「遠縁の娘さん」が妥当だろう。

壹与(いよ)と臺与(とよ)
 まず壹与と書いて「いよ」と読ますのか、壹(壱の旧字)という文字は臺(台の旧字)の誤記で「とよ」と読むのかは説がいろいろあって、私にはわからない。後者だと、トヨと付く豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと:崇神天皇皇女)や伊勢神宮の外宮:豊受大神宮(とようけだいじんぐう)との関連で邪馬台国問題が錯綜してきた事実がある。付加するなら、逆に邪馬臺(台)国の台も壹の誤記で、邪馬一国と読む説もある。

纒向遺跡と茶臼山古墳に道がついた
 つまり先年の纒向遺跡を卑弥呼宮殿跡と仮定し、そこから南南東4kmの地点にある桜井茶臼山古墳の被葬者を壹与とするなら、ここに、纒向遺跡発掘と茶臼山古墳・再発掘とが、「邪馬台国問題」という視点で重なり合うことになる。もしもその仮説の検証が堅いものとなると、謎だらけの古代3世紀日本の様子が明瞭になる。だから、桜井茶臼山古墳被葬者「壹与」説は、日本にとっても私にとっても軽いものではない。

近藤説について
 本題に入る。
 近藤先生が被葬者を壹与と推測した要点が9つあって、その総合として「桜井茶臼山古墳被葬者壹与説」が導き出された。浅学私は、その一つ一つのことがどういう意味を持つのかは理解できなかったが、興味深く読んだので、メモしておく。

 記事引用:産経新聞2010年1月中旬
 ①崇神陵や景行陵に指定されている巨大前方後円墳群からなる大和(おおやまと)古墳群より少し距離をおいた磐余(いわれ)の地にあること
 ②壺形埴輪の初現的出現
 ③後円主体部を方形に囲む密集した柱列
 ④天井石の内側まで壁体を含めてびっしり塗布した水銀朱
 ⑤控え積み(Mu注:補強石組)のほとんどない竪穴式石室
 ⑥三角縁神獣鏡のほか後漢を中心とする中国鏡10種、内行花文鏡と鼉龍鏡(だりゅうきょう Mu注:ワニのような龍の文様)の国産鏡2種あわせて13種81面という多種、大量の鏡の存在
 ⑦三角縁神獣鏡の中に、邪馬台国の魏への朝見を示す正始元年(西暦240年)の鏡の存在
 ⑧玉杖と、顔を覆った布に綴(と)じ付けられた綴玉(てつぎょく)覆面の一部と思われる葬玉の存在
 ⑨鏡は主として頭部近く、木棺の内外に置かれていたと推定されていること

推理解釈
 ①は、実は現在の私にはおぼろげにニュアンスはつかめるが、理屈を述べることはできない。崇神天皇を代表とする三輪王権と邪馬台国が明瞭には結び付かないのだから、壹与の陵墓が箸墓よりも南の磐余にあることの方がなめらかに思えた。(MuBlogとして古墳群の位置付けを勉強しなければならない
 ②は壺形埴輪というスタイルの始まりが、この古墳で出土したことが重要なのか? これも埴輪の形態学を勉強しないと、壹与とのリンクを理解できない。つまり単純に王権の象徴なのか?
 ③古墳の上に造られた柱列については、以前感想を述べた(MuBlog)。 結界、社、要するに鎮めの御魂屋という覆屋かと想像したが。
 ④この水銀朱(MuBlog)は莫大な経費がかかっているから、単純に豪族クラスではなくて、大王、大女王の墓でないと施工できない。大女王とすると時代的に壹与が該当する。
 ⑤は石組みの勉強が必要になる。おそらく、補強しなくてもよいほどに丁寧で正確な造りということか?
 ⑥⑦⑨は鏡問題なので苦手だ(taurus)。つまり魏と密接な従属的同盟関係を結んだ卑弥呼、および魏滅びて西晋に朝貢した壹与、この二人に直結する鏡が桜井茶臼山古墳から大量に現れたという事実の重大性。
 ⑧は上記と密接に関係するが、中国と密接だった故にこそ、当時中国で皇帝クラスの葬祭に用いられた様式が時を経ることなく直輸入されたという事実。このことから、被葬者は中国と非常に関連の深い倭国大王→時代的に女王、すなわち壹与という結論が出る。

私のまとめ
 桜井茶臼山古墳の副葬品(主に鏡)や水銀朱つくりの豪華な石室、当時倭国では最新の葬祭方式、玉杖、なにをとってもなまなかの大王クラスを超えた陵墓だという印象が強い。しかも微妙だが、卑弥呼が被葬者と考えられる箸墓が280mの前方後円墳で、かつ450mに近い周壕という卑弥呼当時の巨大さに比較して、200mクラスに押さえたところに意味が読める。壹与も優れた巫女女王だったろうから、亡き卑弥呼には気兼ねしつつも、内実は国力を傾けるほどの豪華絢爛な墓を提供されたのだろう。

 今回の近藤喬一先生「桜井茶臼山古墳被葬者壹与説」をうまく消化しきれなかったが、こんご纒向遺跡も茶臼山古墳も、桜井市教育委員会や橿原考古学研究所から次々と成果が発表され、研究図書も刊行されていくことだろう。ゆるゆるとそれを読めば、やがて全貌がつかめると思っている。

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2010年1月20日 (水)

小説葛野記:2009/12/28(水)日々とブッダ

京都は少し暖かい
 今日は漸く心理的な切迫感が薄まった。午前六時過ぎの桃山・明治天皇陵のそばで外気温が1度c、京都駅が見えるころに2度c、そして葛野研に入室してエアコン設置の室温が16度cだった。あるていどの暖かさは心を楽にする。

GNOME上海でリハビリ(の準備) 
 入室が7時過ぎで、早速GNOME上海で指先と脳のリハビリをしたら、都合3回挑戦して4回目に4分台で、ベストスコアではなかった。ベストスコアは数日前の上海上級で、3回目くらいに3分10秒だった。これ以上は出せないだろうな、とその時も、今日も思った。

 3分10秒、22秒、23秒、25秒、29秒、30秒、32秒、34秒、36秒、45秒
 これが正月明け以来「春霞2010う」での上海上級のベストテンである。精進しよう。

 工夫としては、画面の大きさをubuntu上で、方形・親指と中指の間くらいにする。小さいと文字が読みにくく、フル画面だとマウス移動に手間取り、かえって全体を見通すことが難しい。自分で決めたルールとして、「新ゲーム」は次々と選ばす、今眼前に出た画面で試みる。
 この方法で早朝一回、午後一回、おおよそ30分試みると、脳が活性化する。疲れていると洞察力がなくなることに気づく。4枚同時に画面にあるとき、どの位置の牌をペアで取るかは、3回目くらいから先が読めて、手詰まりにならない。

上海のアルゴリズム
 この上海のアルゴリズムをときどき考えてみる。必ず解けるようになっているのか、ルート一本が通っているのか、あるいは、すべてランダムなのか、分からない。おそらくランダムならば、4層にわたって4枚の同一牌が積まれ、最初から手詰まり状態もあり得る。その経験はないから、優れたアルゴリズムによって牌パターンを創出しているのだろう。あるいはハイブリッドか。

楽しい会議cat
 会議があった。まあ、なんとなく。宿題がでた。別の宿題「電子図書館」の十年目のまとめは先日に完成し、東京に送付したので気楽だった。月末に、今日の宿題をプレゼンテーションして論議するらしい。余ひとりではないので、安心(爆)。たった一人で恥をかくのが、最近は疎ましい。

余の敬愛するゴータマ・ブッダ
 本日の最後は著名学内教授の仏教哲学、ゴータマ・ブッダの話を拝聴した。学内でそういう教職員向けの研修会がある。印象に残ったのは、念・定・慧についてだった。念は念仏ともいえるが、瞑想に入る様子だと理解した。定はその状態が定まること、すなわち専心の状態。すると智慧、インスピレーションが湧いてくる。そのように理解した。そういえば余は毎日、部屋を真っ暗にして瞑想に入っている。ただし、その後が続かない。妄想が跋扈する。余はブッダと違って、衆生であるな。

 ただ、そのお話は学生に向かって、「念」をどう伝えるかと言う点に眼目がある。事例として挙げられたのは「好きな本を読むこと」だった。それを見つけ喜んで読んでいる状態が「念」。それに熱中したとき「定」。そして、新たな文化創造を伴った智慧を得る。昨日までの学生が、一皮むけて輝き出す。そういうたとえ話だった。余は大いにうなずいた、……。

古神道はいま?
 余はそれとは別に、心中、古神道とすめらみことについて深く考え込んでいた。すめらみことはある時代から無所有、無我が伝統として生まれた。天武天皇の御代以降だと想像している。勿論、後白河法皇や後鳥羽院や後醍醐天皇さんは、いささか個性が強く、この伝統とは別の系譜を持つ。ただしいずれも形式、実質的に「院」すなわち天皇位を去られた後に個性が強く表れたと推察している。後醍醐天皇は南朝としてあったとき、自由だったのではなかろうか、……。

その他
 桜井茶臼山古墳の鏡のこともあるが、最近識者が被葬者を「トヨ」という説を新聞に掲載された。後日にでも~。
 葛野の春霞2010うマシンでは、LazarusというPascal系言語、つまりDelphi にうり二つの開発システムを無償で入手した。ubuntu内のソフトウェアセンターからダウンロードしてセットしたところ、なんと主要部分は日本語化してあった。これはよい。また後日にでも~。
 最近、学生が2名別々に大阪府の二つの市で、司書の専門試験を受験し、問題を寄こしてくれた。これも解説を書いてみたい。後日に~。

 後日、後日が一杯になって、またしてもアパシーになるのかも。
 それにしても、木幡研のRAID-Windows7は、よう走る。古いペンティアムのDualCoreが8000円でこれほど走るとは思っても居なかった。そのうえVT(仮想技術)まですいすい。やはりメモリーを4GBもつかった効果なのか~。
 あ! そうだ。
 今日、局長2009の内諾をえて、今月末に研究室の「邪馬台国周遊図書館ジオラマ」畳一枚物を屯所に運び、石膏塗りや色塗りや、色粉まきに専念する話がついた。歴代倶楽部員たちは、余が屯所を汚すといって、ジオラマ製作に使うことを拒否しておる。2月に入れば受講生も出入りしないから、まあ、良かろう。このままだと、研究室がさらに汚れるぅ~。

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2010年1月17日 (日)

NHK龍馬伝(03)偽手形の旅:

承前:NHK龍馬伝(02)大器晩成:泥と告白と江戸へ、江戸へ~

気にして観ると
 カメラですね。
 光や埃や加尾の着物の柄も含めて、普通のTVドラマでは見られない映像美を味わいました。武市半平太が、(後の人斬り)以蔵をほめるのに「精進すれば龍馬を超える」と言った後、半平太が歩いているとカメラが斜めになって半平太の屈折した心境を表現しますね。龍馬が江戸へ昇竜したことへの、鬱勃とした心理、羨望と嫉妬を表現するのに台詞じゃなくて、カメラで見せてくれました。こういう表現の巧拙まではわかりませんが、一目でそれがうなずけたのだから、成功したのでしょう。
 旅をしているときの望遠効果もよいです。旅人たちが山の中の道を行き交いしている情景が、手に取るように浮かんで見えたのです。「映像が浮く」のは、相当な長い望遠レンズなのでしょう。龍馬伝からは、TVドラマの映像を好きになりました。

龍馬の素直さ
 いい歳こいたオジキが「恵まれた家庭に育った」と話すと、なんだか地獄に落とされたような嫌みというかバカバカしさを味わう昨今ですが、今の龍馬ならすくわれます。
 龍馬は岩崎弥太郎のように屈折していないわけです。岩崎は朝に起きてみると家族が餓死しているかもしれない不安の中にそだったわけです。20歳前後の若者が、お互いに「貧しい」とか「お坊ちゃん育ちの馬鹿息子」とののしりあったり、「君はねじくれている」と批判しあうのは、客観的にみて「よい」ことだと思います。

 このドラマのファンの中には「龍馬はかっこいいけど、30代に見える」とか耳にしました。もちろん「岩崎は40代に見える」わけですが。それは大河ドラマの弱点でして、場合によっては50代の女優さんが10代の娘役を演じることもあるわけです。

 ただ、龍馬の素直さは、まるで20前後の青年のように、すっきり味わえました。特に親父様の掟三つがよかったです。さっきのことなのに忘れましたが、剣術に励め、贅沢するな、色道に迷うな、でしょうか?(笑) この戒めを「父の愛」と大切に思う龍馬の雰囲気は素直でよかったです。だいたい、物事は単純な中に真理があります。目的を忘れるな、衝動買いせずに金を大切に、異性に沈没するな! この三訓を守ればほとんどの人間は聖人君子になれますよね。
 その単純な道理を、龍馬は父親が言ってくれたことに感謝しているわけです。好青年です。

付録:岩崎弥太郎の生家
 高知県安芸市に弥太郎の生家があるそうです。
 驚いたのは駅を下りて30分かかるということです。相当な田舎ですねっぇ。(私は駅をおりて徒歩3分なので!)。こぎれいな茅葺き農家でした。弥太郎は鳥かごをいくつも背負って、鳥を売っていたという設定ですが、ちょっと想像がつきません。昔の人は餓死すれすれで生きていた人が多かったようです。
 いや、なに。
 財閥でなくても、年間数億円の仕送りがなくても、餓死せずに元気で生きていられる現代に感謝しているのです。

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2010年1月15日 (金)

小説木幡記:2009/01/15(金)窓7の中の窓XP:Delphi6

 今日はオフ、終日木幡研究所でまどろんでいた。その代わり土日は出かけることになる。日曜日は年に一回の大学行事で、斎戒沐浴して出かけ、失敗は許されないので気が重い。blogのサイドバーカレンダーを眺めるとずっとMuBlogが休講だった。いささか疲労もある。いつまでたっても慣れない会議(笑)や、慣れない授業(aries)に年末年始気疲れしたわけだ。

1.葛野図書倶楽部2001の人事決定
 昨夕の月例会で第九代局長から人事発表があった。これで2010年次・第十代局長の時代が始まる。
 忘れぬようにメモしておく(snow)。

 新局長は新潟県出身、2年生から在籍。前三番隊長。趣味はカメラ、ほか系譜としては話好きの八代局長に通じる、との噂あり。ちなみに八代局長は話し嫌いの無口が個性だった。
 副長は宮城県出身、昨年(2008)夏に入部。前二番隊員。趣味は旅行。甘味を嫌う。系譜は書記局長2003に通じる。笑い話を好む。情報サービス科目テーマは「花魁」。
 経理局長は大分県出身、昨年夏に入部。前経理局員。趣味は携帯カメラ他多様。系譜は経理局長2009に通じる。苦労人。
 書記局長は京都市出身、昨年夏に入部。前書記局員。趣味不明。系譜不明。ただしクリスティを読み、古仏を好む情報は得ている。性格的な濃度は化ける可能性あり。
 一番隊長は京都市出身、昨年夏に入部。長浜研修旅行に参加。病気話を好み、趣味は点滴。系譜は二番隊長2002及び三番隊長2003、二番隊長2005に通じるが、まだ「濃い世界」の片鱗は見ず。
 二番隊長は副長兼務。
 三番隊長は兵庫県出身、昨年夏に入部。分類科目テーマは「軍艦の分類」。趣味は1Q84など現代文学。副長2006の一部を継承するも、軽度。

2.木幡2010マシンやWindows7
 安かろう悪かろうと思って安いインテルCPUを入手した話はしたかな?
 軒並み2万円~するCPUの中で、8000円のがあり、名称も「ペンティアム」と二昔前のものだったので、余にぴったりと妙な愛着を持った。
 迷った末に新機種はWindows7を定番OSとし、これがグラフィックスボードを増設もしないのに、奇妙なほどに快適な動きを見せた。もちろんRAIDも新OSの下では一瞬に構築された。インテル社マザーボード「DG45ID」の安定した実力か(実は一昔前のものtaurus)、Windows7の新機軸なのか、good!

 一太郎はじめ、ほとんどのアプリケーションはそのまま再インストールしたら、Win7で変化なく動いた。一つ一つ確かめるうちに、何となく葛野の涼夏2007よりも素早い動きを見せることに気がついてきた。おかしい?
 もちろん、TV録画用のカノープス社MTVX2004は動かなかった。これはあきらめた。こういうハードとソフトとが渾然となったシステムは、OSが変わると難しい。

 そして、なんと「Turbo Delphi for Windows(2006)年」もWin7下で新鮮な動きを見せて走った。
 ところが、肝心のDelphi6(2001年)が、なんとしてもWindows7では動かなかった。TurboDelphiとDelphi6と、二つの名称は似ているが、Delphi6の開発環境を余は好んで使っておった。システムが単純明快だからである。これが、木幡2010で動かないとなると、またややこしい工夫が必要になる。2001年に入手したのだからすでに足かけ10年前のシステムとはいえ、気に入ったものは手放せない。
 さて、どうする。

3.Windows Virtual PCとCPU
 マイクロソフト社では、旧XP環境保護のために、Windows7下で仮想マシンを動かし、そこにWinXPをOSとして走らせる仕組みを用意していた。より親和性をたかめるために、「Windows XP MODE」とのペアで動かすことになる(MS社ガイド)。これらは無料でダウンロードできたが、実はCPUの問題があった。VT(仮想処理支援技術)仕様のCPUが必要になる。

 余が安かろう悪かろうと思って買った昔のペンティアムはだめだろうなとあきらめて、それでもひつこくネットでCPUの素性を眺めたみた。すると、なんとなんと、それはまだ昨年の夏に発売されたばかりの、性能的には上物だった~。たしかに世代交代はし始めているが、それでもペンティアムブランドとしては最良の一つだった!

 インテル社、Pentium Dual-Core:E6500、クロック2.93GH, VT仕様。安かろう、よかろうCPUだった。
 それで、WinXP in Win7に早速励んだ。
 うまく行ったgemini
 当然だが、Delphi6 Professional(2001)も、斬新に新鮮に、昔の息吹を取り戻した。これで余の自製KT2システムが何度でも再コンパイルでき、今後の余を助けてくれる。ふむふむ。

Vtwinxpinwin7

追伸
 木幡2010マシンはwin32仕様なので搭載メモリーは4GBにとどまり、しかも実際は3GB程度しか使えない。
 それで、仮想WinXPは初期には512MBメモリーしか割り当てられていないので、これを1GBまで割り当て直すと、すいすいと走るようになった。Win7:WinxP=2GB:1GBのメモリー配分となろうか。これだと両OSはほとんどシームレスに並行稼働している。

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2010年1月11日 (月)

小説木幡記:2010/01/11(月)Windows7やRAIDが人生さ

成人の日は昨日だったのか?
 月曜が祝日なのか代替日なのかよくわからぬ。さっそくGoogleカレンダーをみてみると、本日が成人の日のようだ。昔は1月15日だったはずだが、いつの間にか変わっている。世間にはついて行けぬ脳。
 TVニュースで新成人達が写っていたが、感性にぴったり収まらぬ風情であった。余はあきもせず大学教員をしているのだから、もともと若者には寛容だし(笑)、近いところもある。だが、なぜかTVの中で着飾った彼ら彼女らは自分の欲望しかかたらぬ。幸せになりたいとか、彼氏や彼女らとうまくやりたいとか〜。
 そんなことは初詣の折に、神や仏の前で、心の中で願えばよいのに。余なんかもそのレベルならこっそりと心中で「どうか、お金が空から降ってきますように」と欲望まるだしの願いをとなえておったが、それは人に言うものじゃ〜無い!

 日本を憂うとか、人類に役に立ちたいとか、(自分じゃなくて)人々の平安を祈るとか、どうしてもっと大きな気持ちになれぬのじゃ。
 きっと、親が悪い。
 親たちが楽して儲けよう、楽してとるものだけはむさぼりとろう、人からむしり取ろうなんて人生観で生きてきたから、それが遺伝しちょる。
 よう、ない。
 まあ。
 よい。余は連中より先に消えるから、無惨な日本を、未来社会を見ることも無かろう。
 さて。

Windows7事始め
 木幡マシンがすでにして自壊した話はもうしたかな? (くどい、という声が空耳)
 簡単に経緯を記しておこう。(飽きもせず)
 要するに正月に完全に自壊した。昨年12月にブートディスクが徐々におかしくなり、最後はマザーボードが死んだ。電源を入れてもディスプレイにBIOSはでないし、肝心のビープ音も出なくなった。MSI社のマザーボード(MBと略)も6年目に入ってお釈迦になった。

 正月三日にギガバイト社のMBを丁寧に選んで、旧式の受け口を備えたものにした。ところが三日の夜に、まるっきり同じ状態を見せた。呪われているな。
 翌日にあわてて店に出向き、テストを依頼した。木幡と同じ状態が再現された。内蔵表示装置死亡、全域死亡。しかたなく、インテル社のMBを5千円追加して購入しなおした、12000円。

 ところが、これがIDEが無くて(旧式ハードディスクを付けられない)、ディスプレイ装置のソケットが新式だけ。……。結局、5日に葛野に再度出向いて、いろいろ用意した。葛野研にはあらゆる事態に対応できるように、ストックがある。それに葛野ではすでに「春霞2010う」が完動しておるから、これを持ち帰りハードディスクを入れ替えれば、うまくいくのはわかっていた。
 ……

 と、ここで魔が差した。つまり、ことが12月初旬からのことだから、内心うんざりしていて、すべてを捨てたくなっておった。
 それで、急遽500GB のSATA3ディスクを二台調達し(合計1万円)、これでもってインテル社のMB上にてRAID1にすることに決めたわけじゃ。CPUはすでに3日に、一時代昔のペンティアム4:Dual-Coreとかいうのを8千円で調達しておいた。最新のだと1万6千円から数万円もするので、あきらめた。
 OSは5日に大学からアカデミーライセンスのあるWindows7をかり出していた。大学と自宅に一台ずつインストールできるらしい。

PC結論
 Windows7は新鮮だった。おお〜、とにんまりした。
 はじめてMacに入ったときや、あるいは初めてWin95に対面したときの感動が蘇った!

 途中短命のWindowsVistaをまったく知らないままに使い出したから、多くの点で満足した。これならubuntu(最新の9.10)やTiger(MacOSXの旧式OS)に比べても遜色ない(爆笑)。
 余の木幡新マシンの性能は、スコアが3.6だった。低い性能といえるが、これは内蔵表示装置を使っているからとわかった。ギンギンのグラボを数万円投資してセットすれば、おそらくスコア5以上になるじゃろう。ペンティアムCPUは古いと思っておったが、Dual-Coreタイプだとそれなりになるもんだ。
(注:スコアと書いたのは、性能指標のことでVista時代からそういう仕組みがWindowsに組み込まれたようだ。これを上げるのが趣味の人もおるようじゃ)

Delphiの課題は残った
 開発言語のTurboDelphi6が動かなくなった。ハードディスクを新品のRAIDにしたので、再認証を必要とし、これがだめだった。それにいつのまにか、ボーランド社が消えていた! 
 いろいろ手は打ち出したが、最後の手段は最近のDelphiを諦めて、10数年昔のバージョンを確かめるか、あるいは「潮時」と考えて、別のシステムに変える算段もしだした。
 ところで。
 WindowsもDelphiも、再インストールがややこしい、がんじがらめのガードをつけたアプリケーションは、やがて消えるのじゃないかと想像しておる。昔からそういう経験がよくある。
 正当な利用者が難儀するくらい堅いガードをしなければ、立ちゆかなくなっているのが実情なんじゃろう。世間では無法コピー者をなじるが、それはもとから犯罪だから、警察と泥棒の関係が成り立つ。しかし普通の市民が、なにかするたびに(食事するとか、旅行する)捜査をうけて、書類がちょっと間違えたら、即逮捕だなんて、おかしい。

 もとからあったWinXPのハードディスクは健在だから、これを春霞2010に接続すればなんとかなるじゃろうが、〜。退嬰的やね。

EASEUS Partition Master
 古いハードディスクが6台あって、これに、あちこちに動画が納められておる。これを調べたら、300GBのドライブが100GB単位でパーティション・分割されておった。5年も使っているとこういうことになる。それを整理するために、EASEUS Partition Masterというソフトをダウンロードして(無償)使い出した。よいソフトだが、最終調整するのに数時間かかっておる。100GB単位のデータを右に左に動かすのだから、旧タイプのHDをUSB外付けでセットしての作業だから、しかたなかろう。

RAID 
 書く必要もないほどに、Windows7では単純だった。MBがインテル社の「DG45ID」でRAIDが使える。これをBIOS設定でRAID可能にして、2台のHDを指定し名前をつけて、それで終わり!
 機能選択はRAID1におとなしくしておいた。
 あとはWindows7が無意識にやってくれた。おお、楽な世界になったものじゃ。
 そのうえ、MBのマニュアル(日本語)を読む限り、RAID構成に昔あった制限はなくなっておる。要するにどんなハードディスクでも(1台でも)、きっちりRAIDを組んでくれるようだ。同一規格のHDに限定なんて、どこの国の話? と、なっておった。

今後のMuBlog
 もう自作PCの話はええかげんに止めようと、おもっておったが暫くは顔をだしそうだ。
 葛野のubuntu専用マシンのことや、木幡のWin7の話や、パーティション操作ソフトのことや、Pascal系言語のことや、あれこれ、書くネタが増えてきた。
 日記じゃから、しかたない。最近の余の脳内は、OSやCPUやハードディスクではち切れんばかりになってきておる。
 うむ。

余録
 さすがに休日。
 今日は先月の17日以来、ひさしぶりに本格的な日曜作家をつとめた。8時間がんばって風呂に入って夕寝して、今にいたった。よき日々であるのう(笑)。

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2010年1月10日 (日)

NHK龍馬伝(02)大器晩成:泥と告白と江戸へ、江戸へ~

承前:NHK龍馬伝(01)上士と下士:カーストのような

今夜の見所
 村の堤防造成の現場監督(差配人)になったことと、幼なじみの平井加尾(広末涼子)の告白と、江戸へ江戸へ心がはせる龍馬青年期の一コマでした。

辛口一つ
 一回目の、三菱(郵便汽船~)の創立記念パーティで岩崎弥太郎が、世間に忘れられた龍馬のことを聞かれ、悪口たたきながらも涙ににじんだ横顔のプロローグは秀逸でした。「さあ、ムーサよ、語ろう、龍馬伝を」の雰囲気があって、私は一気に引き込まれました。

 しかし二回目の今夜は、雰囲気が低調になりました。
 一番の原因は、時間配分だと思いました。NHK大河ドラマは長い行程ですから、いくつかの伏線がちりばめられて、それが徐々に開かれて、小爆発を起こし、やがて一気に天にまで火炎が登る、そういう「時間芸術」だと思ってきました。
 今夜のように45分間の中で、準備もなく差配役になり、村人たちの争乱に巻き込まれ、最後に雨中にどろんこになって「わしゃ、なにもわかっておらんぜよ。わしにはむりじゃ」とのたうち回り土嚢を一人で運び、気がついたら諍いをしていた農民たちが戻ってきて、「龍馬さんのためにもどったのじゃない。命がかかっている仕事じゃけん~」と、農民合奏・農労演的芝居になるのですから、いや、ちょっと(笑)。それに輪をかけてサウンドトラック的テーマが朗々と流れる、こりゃないぜよ!

 基本的に、わかっていても泣かせる場面(義理人情とか、復讐)なら、わずかな時間で盛り上げて、切り上げることも可能ですが、昨日まで次男坊カラスの居候が、「江戸へ行きたい」と言ったとたんに、兄上、父上さまから「堤防を作る差配役」をせよと迫られて、その訓練指導もないままに、あっという間に泥の中での土下座ですから、みている私は「定番カットをこなしているのかな」、と感じてしまいました。
 ただ。
 私は龍馬伝の主題は別にあり(それがなにかは、徐々にでてくることでしょう)、こういった青年期の出来事は、どんな大河ドラマでも辛くみてしまうので、やがて僻事言った本人も忘れてしまうことでしょう。

 龍馬が大きすぎて、分けのわからない青年だった、という印象はあまり残らなかったというのが、本音です。いまのところ福山龍馬さんは、ノリはよいですが、狂気は見せていませんね。
 父親が息子のことを、剣術師範に聞きますが、この答える師範の台詞がよかったです。なにかしら対話にずれがあって、「坂本龍馬は、いままでみたこともない弟子だ」という部分だけが明瞭に残りました。それにしても、龍馬の変さ加減は今ひとつ浅いですaries

甘口いくつか
 導入部のCGはよいですね。
 なによりも、主題歌がいいです。気に入りました。押井守監督のイノセンスを思い出しました。
 上士と百姓に挟まれた郷士・下士は、犬の糞と同じで役立たずという罵声が百姓から飛び出しました。リアルです。元・愛知県人(上士)は、土着・土佐侍を出来損ないの士分(下士)として温存し、百姓の怨嗟をかわしたのでしょうか? この上士下士対立構造は、先回に続きよくわかりました。

 福山雅治さんの着物が、雨と泥とでなめし革のように見えたのが「おお」と思いました。新しい上等なカメラを使っているようですが、私は主に遠景画面で、今までにないTVドラマを味わいました。つまり「映画」ですね。ということは、これまで私はTVドラマも映画も一緒くたに見てきた軽さに気づきました。たしかに「映画」は画面に奥行きがあります。そして「龍馬伝」も、ぐーんと奥行きのある映像です。これはすばらしい。

期待しましょう
 龍馬は結果だけを見ていると、信じられないほどの天才肌だしヒーローだし、超人です。
 しかしなぜ龍馬がそういう結果を今後もいろいろ出すのかという点で、今回の大河ドラマに期待が大きいです。
 龍馬は江戸千葉道場で、北辰一刀流の免許皆伝でした。彼がなぜそれほどの腕を上げたのかを、ドラマで納得できればよいのですが。転じて、ピストルを懐に忍ばせていたと聞きます。ピストルという飛び道具に対して、どういう考えで、剣からピストルに変えたのか、知りたいです。

 細部としてもっとも知りたいのは、一介の脱藩浪人が、幕末の諸侯や有名人(西郷さんとか、桂さん)とどうやって意志を疎通させていったのかです。
 ……
 器が大きく見えたのは事実でしょうが、それがどうやって如何に『龍馬』に変身していったのか? 小さな伏線がやがて爆発して、タツノオトシゴが昇竜に変じる、その積み重ねを今年の大河ドラマに期待したいです。 

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2010年1月 7日 (木)

小説木幡記:2010/01/07(木)木幡2010マシンの誕生

 今日あたりようやくMuBlogに普通の記事を投稿できる気分になった。年末年始の約2週間ほど気持が離れていた記憶がある。毎晩毎晩マックの日本語入力や、旧Winマシンのハードディスクと格闘し、ほとほと疲れ切った。珍しく連日深夜(午前1時とか2時)まで実験と作業をしてきた。その経緯は語りたくなれば正確に詳細に書いてみるが、なんとも言いようのない泥沼だった。

倶楽部員のお土産
Mu091229_172657 葛野図書倶楽部2001も新年早々活動を始めていた。余も簡単な挨拶と連絡を一斉メールで送った。すると返事の代わりに写真を送ってきてくれた。昨年の夏にもローカル線の鄙びた様子を送ってくれた記憶がある。今度のは地元ではなくて、旅行した時に、思い立って写してくれたようだ。

 この小さな蒸気機関車は、明治村で観たのとは違っているはずだ。なにかの記憶では、実際に蒸気で動かしているのではなくて、ディーゼル機関を積んでいるようだ。現代、薪炭水をメンテナンスするのは、労力も経費もかかりすぎると想像する。だから、きっとディーゼル機関車なのだ、これは!

 もっとも、この世界に親しんでいないと、動力機関が蒸気だろうが、ディーゼルだろうが、電気だろうが、原子力だろうが、オリハルコンだろうが、あんまり関係ないだろうな。

Mu091229_172637_2 こういう列車に乗ってみたいと思うことがある。しかし根が出不精だから、そういう経験は滅多になかったし、これからもないだろう。10年ほど昔に岐阜で会議があったとき、明治村に立ち寄って本当の蒸気機関車に乗った記憶はゆらゆらと霞んでしまっている。観光であれ通勤であれ、こういう列車が地元にあると、ほのぼのとする。

 ああ、そういえば嵯峨野トロッコは、あれはDE10というディーゼル機関車だった(笑)。1200馬力ほどだなぁ。と、モデル世界と現実世界がごっちゃになって、余はついさっきまで、保津峡を走るトロッコ列車をモデル(鉄道模型)の範疇で考えておった。

 倶楽部の人達は、遠隔地から来ている学生が多い。往き帰りに途中下車していろいろ各地を巡る人もいるようだ。平成21年度だと、宮城県、新潟県、愛知県、京都市2名、大阪府2名、兵庫県、岡山県、大分県。平成20年度だともっと広域で、秋田県、岩手県、千葉県房総、富山県、新潟県、静岡県、愛知県、岡山県、大阪府2名だった。残念なのは、お国訛りを聞きたいのだが、あまり聞かせてはくれぬ。

非文学的な二週間
 葛野では毎日が校務の嵐で、まだまだ続く。こうご期待のほど、ねがいたてまつるぅ~(だれもそんな話はききたくなからう)

 その合間、隙間をねらってまんまとMini-ITXタイプのubuntu専用マシン、「春霞2010ウ」を製作運用し出したのは、すでに記事断片として記録し始めた。末尾の「ウ」はubuntuのウである。なぜ「まんまと」~書いたかは、あまりに労苦が少なかったからである。ミスなし、思い違いなし、快調に走っておる。(上海!)

 二週間の間に10種のIPアドレスをそれぞれ再割り振りした。外部への出口が4つあって、この一つを余の業績蓄積サーヴァーとすることを目論んでおる。その片鱗はあったのだが、1990年代に造り出した物なので、老朽化が激しい。

 いくつものマシンの画面を眺めながら、時々マックマック(複数形)のハードディスクを取りだして、入れ替えながら、眼前の涼夏2007はびくともせずに、重くって長ったらしくて断片的な校務に黙々と動いておった(ああ、もちろん、余が様々な書類を編集しているわけ。ロボットや助手がしているのではない)。今回のPC災難の中、ひたすらRAID1ミラーリングの涼夏だけが悲鳴も上げず、アラートも出さずに動いてくれたのは、これ僥倖というべきか、あるいはそのようにシステムを設定した2007年の余の慧眼(気恥ずかしい!)というべきや。仕事は堅実でなければならぬ、諸君。

Muimg_5694

さてそこで木幡PCの問題。
 もう、今はあれこれ書けない。要するに、5台のハードディスクと、一台のIDEタイプDVDとを、とっかえひっかえ、インテル社のマザーボード上で、データ更新して、やっと旧マシンの破壊を回復したという、血と涙と汗と嗚咽と慟哭の物語が、この二週間続いた。ただ、それだけの話。

 その間の代替マシンが、MacBookで、これは最後にはなんとか動き出したが、日本語入力が最悪の状態になっておってな。一時期はメル返も書けない、ああ、そうそうネットも見られない~。ライフラインが停まったようなものだった。カーソル、ぴょこぴょこ、みぴょこ、ここの世界で日本語をマシンに入れるのは、もう、至難の技というか拷問じゃった。

 ああ、そうそう。MacBookに限って言うと、その調整はあっけなかった。
 要するにノートタイプやから、マシンにパッドがついていてこれがマウスの代わり。で、マウスを同時に使うと、この2008年末マシンは半ば発狂するようだ。だから、マウスを使ったときは、パッド機能停止、というオプションに気付いてこれを直した途端に、あら不思議、カーソルはきっちり所定位置で文字入力をしだした。これに気付くまでに三日三晩なやんだ(本当話)。

 で、winマシン。
 これが、結論をいうと、最初のギガバイト社のマザーボードがうんともすんともいわずに、お亡くなりになった。しかたなく4日早朝に追加料金を支払って、もうすこし上等な(1.2万円)インテル社に代えて、いそいそと木幡に帰ったら。おお、ミステーク、神仏。

1.ビデオ出力がディジタル口しかなく、木幡には、昔風のRGBタイプのディスプレイケーブルしかなかった。
2.IDEタイプのハードディスクが2台とDVDがあるのに、このインテルボードには、SATAコネクターしかなかった!

さらに災難が続いた↓。
Muimg_5696
3.SATAハードディスクの一台は、物理的というか、コネクター差し込み口が破損していて、普通のSATAケーブルでは、なんとしても接続できなかった。
4.思いあまって、昔買った「三本刺し」とかいう、SATA、IDE(2.5、3.5両用)変換装置を使った。これでもうまくいかなかった。(物理的には接触を可能とした)
5.winのディスク管理ユーティリティーで調べたら、接続はしておるが、オフラインになっていた。これを再オンラインにした。
6.やっと動いた。
ああ~

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2010年1月 4日 (月)

NHK龍馬伝(01)上士と下士:カーストのような

今夜の見所
 プロローグ画面がよかったです。明治の15年ころでしょうか、岩崎弥太郎が新聞記者にインタビューを申し込まれて、坂本龍馬の話題になったとき、弥太郎の顔が歪みました。

 明治のこの頃には、幕末の龍馬はまるっきり知られていなかったようです。
 龍馬が薩長同盟の周旋をおこなったとか、明治維新政府の枠組みを作ったとか、……。新聞記者さえ知らないのですから、明治時代の中頃までは、関係者をのぞいて、土佐の坂本龍馬は未知の人だったようです。
 龍馬の暗殺のあと、戊辰戦争は一年くらい続いたのでしょうか、多くの人が戦死しました。維新政府ができたときは、みんな大忙しの状態になって過去を振り返る余裕もなくなったのでしょう。龍馬の活動を知る多くの人達は、いろいろな事情で龍馬を語ることをしなかったのです。
 西郷隆盛も、西南戦争で明治10年に亡くなっていますし、長州の木戸(桂小五郎)さんも、ぱっとしないまま気鬱状態で同年病死しました。
 〜
 ともあれ、岩崎弥太郎は憎しみに燃えた目で「龍馬は、脳天気でぼけぼけで、わがままで、自分の好きなようにし、そのくせ友達に愛され、女性からも好かれた。いやな奴だった」と唾棄します。
 なのに、龍馬を思い出すその目に涙が浮かんでいました。

 岩崎役は香川さんですが、このプロローグの回想場面は、心が躍りました。そして、龍馬を嫌いと思ったことはないのですが、私も岩崎弥太郎と同じように、龍馬の過去を回想し、涙ぐみました。
 それにしても、岩崎父子の汚れようはすさまじいですね。以前、風林火山で山本勘助も小汚いなぁ、と思いましたが、その数倍の極限の汚れようでした。とくに、香川さんの歯の色、髪の毛、着物、匂い立つような汚さでした、…。NHKの大河ドラマもリアル指向のようです。私は気に入りましたけど。

何も考えていないような男
 土佐の青年時、龍馬にたいして、思慮ふかく見えて何も考えていない子供のような男、というセリフが何度か出てきて、思い出し笑いをしていました。昔いた、またりんという猫が本当に思慮深くみえていたのです。「一体、なにをかんがえているのだろう」と私は毎日考えてきました。
「何も考えていない」というのが一つの答えだったのですが、どうだったのでしょう?
 <なに思うのか、またりん君
 
 目くそがでるのに、なぜ目頭(めがしら)というのか?
 龍馬はまわりに、自分はこういうことを考えていると答えます。
 これは難問です。
 この難問を龍馬から聞かされた俊才の武市半平太までが、深刻に悩み始めました。

 岩崎弥太郎が上士と喧嘩したとき、龍馬が身代わりになって上士から下駄で殴られて、弥太郎は後で龍馬のふがいなさをなじります。
 「おまえの剣は一流でも、おまえはそれを使って何もできない。ふがいない奴」という悪たれ口でした。
 それに対して龍馬は「長い間、上士と下士という差別がなくなるような世界をどうやれば作れるかを考えてきたが、まだわからない」と答えます。龍馬は身分差別による理不尽な世界を変革しようとおもっていたようです。

 ドラマでは、当時の土佐が苛烈なまでのカースト制で、上士(関ヶ原の戦い(1600年)のすぐ後、山内一豊や千代と一緒に土佐に住み着いた武士:名古屋近辺の人たちかな?)、下士(それ以前から土佐にいたネイティブ)の違いは歴然としていたようです。龍馬の坂本家はもともと商家だったわけですが、数代前に郷士の株を買って郷士になりました。郷士とは下士ですが、裕福な下士と思っておきます。

龍馬のトンデモ話
 以前にもどこかで触れたのですが、坂本家は明智光秀の子孫であるという話があります。いろいろ否定されてはいるのですが、なかなかすてがたい伝承です。

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2010年1月 2日 (土)

小説木幡記:2009/01/02(土)PCとくずきり

1.早朝から夜まで木幡PCのお守りをしていた。掃除機で埃を吸い込んで、CPUの空冷装置を掃除して、電源を入れたら完全にお亡くなりになった。

2.MacBookでなんとか日本語がうまく入らないかと、工夫した。
 結局、GoogleのChrome(クローム?)Mac用ブラウザと、Google日本語をダウンロードして、カーソルの飛び跳ねが、少し落ち着いた。しかし、依然としてカーソルの位置決めに不都合が生じ、ときどき無意識に改行すると、行単位で削除されたりする。

3.明日、しかたないのでマザーボードとCPUとメモリーを買いにいく。ハードディスク合計1テラバイトを温存するために、Win想定マシンにした。葛野のITXマシンは非力なので動画を編集するのは無理なのだ。あれはウブンツ専用にしておく。CPUがペンティアムやセレロンだと5000円で買えるが、うむむ。もちろん最新のCore-i7はどれも2万円〜3万円するので、やめた。WinXPでいくのだから贅沢はやめよう。

4.昨夜「相棒」を見た、2時間以上あったなぁ。
 千利休が残した茶壷が信長、明智光秀、秀吉、とどういう関係だったのか? それが現代の殺人事件とどうかかわるのか? あるいはiPS細胞の研究者、若い女性の主任研究員〜。
 いつもと一味違う相棒だった。

5.この記事に年末のくずきりの写真を載せようと、MacBookで読み込ませたら、手違いで(笑)過去の400枚をすべて読み込みだした。一枚あたり4MBほどあるから、延々と転送しておる。ソフトやマシンが変わるとなにもかもが未知の世界!

6.森博嗣先生が新しいblogを公開していた。
 鉄道記事だけでなく、新居普請のカテゴリーに興味を持った。 

7.写真
  今ようやく写真の処理が終わった。さっそく、 
1
↑鍵善のくずきり

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↑鍵善の天井

1_3
↑八坂神社

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↑八坂神社境内

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2010年1月 1日 (金)

小説木幡記:2009/01/01(金)謹賀新年

 MuBlog読者の皆様
 今年もお引き立て下さい。

 抱負はいろいろありますが、簡単に記しておきます。

1.古い世界を大切に
  
  読書
  友人
  旅行
  大学
  学問
  日曜作家
  なにかしら旧世界を大切に

2.新しい世界を
  いろいろな新しい波に乗ってみたいです。
  といっても、ちょっと〜

 ☆木幡のWinPCが本日壊れました。2004年自作だから7年目に入るマシンです。あきらめました。
  膨大なデータ、文章、写真、動画……これらをどう回収するか、元日から額に縦皺をたてています。 
 ★本年は、鉄道模型をディジタル化するつもりです。
  苦労するだろうな、と予想しています。しかし、図書館間を行き来する図書館列車をモデルにするのすから、避けられないことです。

3.変化無き人生 
 世の中の人が一般に変化をもとめるのは、現状に飽きたか、 
 あるいは苦痛からでしょうか。私は今年も大きな変化がないことをねがっています。

4.この記事はMACです
 木幡マシンの様子が変だったのでもちかえっていました。
 どんな方法をためしても、MACににほん語をいれることが、めちゃくちゃになっていました。
 ことえりも、 Aの飛ぶですTOKもかーそルがpよんp四
 なんだか、仕様変更があるたびに、おかしくなります。
 この記事、朝から夕方まで かかりました
 
ではことしもよろしく

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