自薦・Mu桜2009年(京都の桜)
承前:都の春・桜花ベスト3:平成十七年自薦柳桜写心
承前:自薦・Mu桜2007年 (京都の桜)
四月も下旬になったので、「桜2009」の中から数葉をえらび今年のMu桜として記録します。気になって過去を見たのですが、2006年と2008年の「自薦」記事が見つかりませんでした。書かなかったのでしょうか()、と独り言つぶやいても朧です。本年からはあらためて表記タイトルで毎年残していくつもりです。
第一席→大覚寺の大沢池と塔:心経宝塔
←親記事:大沢池(大覚寺)2009/04/06(月)大沢池の桜・塔と堂
この写真を第一席に選んだ私をみて、知友たちはきっと「やれやれ、単純なMuさんだ」と思われることでしょう。いや、きっとそうです。しかし、今も記事しながら写真を眺めているのですが、どうにも私の原点はこういう単純な古典的な分かりやすい風景にあるのだと、本心から思いました。これこそMu流の「写心」そのものです。堂々胸張ってこの大覚寺は「大沢池の塔と桜写心」を一席といたします。
第二席→京都平安郷の桜
←親記事:空間に伸びる枝垂れ桜:2009/04/03(金)広沢池畔・京都平安郷
第二席にしておいて、「実はこの写真が一番強烈でした」と書くのはレトリックを操りすぎる悪癖ですが、しかしなおこの「無人感」「ジオラマの極致感」に痛切に心惹かれたのも事実です。なにかしら桜や山が、絵に描いたような、精密な模型・ジオラマのような、無人なのにそれが人為であるという点において「人」の極みだと感じたのです。それが私をものすごく惹きつけました。(おそらく背景の山:遍照寺山が一種のだまし絵効果を出しているのでしょう)。素晴らしい桜ですし、この写心は大切にしたいです。
第三席→桜見る人
←親記事:墨絵のような佐野桜2009:2009/04/03(金)佐野藤右衛門邸
常ならば、この佐野桜を筆頭にあげていたことでしょう。そして一席でなくて三席である必然性はまったくないと思います。たまたま先の二つが日頃にないものなので、こうなったに過ぎません。
私は桜を見上げるオジサンがお腹を突き出している所で、何度見ても笑えてくるのです。今年選んだ桜で人が人として印象深く写っているのはこの「桜見る人」だけになりました。
こういうちょっと笑えそうな写真もまた、私の写心と言い切ることができます。
番外1→御香宮本殿東側の桜
←親記事:桜のおわり:2009/04/11(土)伏見港・弁財天長建寺桜と御香宮桜
一応、枝垂れ桜と山桜と判定しておきます(笑)。「御香水」という石碑が偶然はいっていたので、番外として記録することにしました。おそらくなんということもない普通の桜なのだと思います。しかし御香宮の御香水石碑横に咲いていたので私の記憶に残ったわけです。世の中全般、何を見ても「おお」とか「綺麗だ」「すばらしい」と感動ばかりしている私が、なにかを選ぶとするなら、ちょっとした背景によって左右されるのでしょう。それもまた私の写心なのです。
番外2→坂本龍馬、中岡慎太郎銅像
←親記事:坂本龍馬と桜:2009/04/05(日)祇園八坂神社~円山公園の桜
桜が光で飛んでしまって、これを自薦桜にいれるのはおかしいと思う方もおられるでしょう。しかし京都には幼稚園に入る前から住んでいるのに、著名な坂本龍馬さんや彼の友人の中岡慎太郎さんが、こうして春の桜を添えて都を眺めている姿は、恥ずかしながら今年始めて写真にとったわけです。これまでも何度かみたことがあるはずなのに、意識・記憶にはまったく残っては居ません。つまり、何度も「写心」と上述した中身は、こういう写真にも現れているのです。
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