纒向宮殿紀行(5)葛城一言主神社(かつらぎ ひとことぬし じんじゃ)
この日(2009/11/23)は朝から崇神天皇陵、桜井市埋蔵文化財センター、巻向駅北方纒向遺跡、天照御魂神社(あまてるみたま)と訪れたものですから、私は疲労と空腹で、一息つきたくなりました。それで資産家のJo翁を大神神社(みわ)のそばの「千寿亭」へ案内しました。このお店は人気があって、先回の茶臼山紀行の際もつかいました。午前11時開店(定休金曜)なのですがあっというまに混み合って帰りは入り口の待合室が人で一杯でした。
そこでいただいたのは、その店で最高級のお膳でしたなぁ(笑)。まことに友を選ばば、……。の思いしきり、至福のひとときでした。
さて当初予定では、纒向遺跡の建造物跡を見たなら、奈良県葛城から一挙に大阪府高槻の今城塚古墳(確実な継体天皇陵)へ飛ぶことにしていたのですが、さすがに前半の桜井紀行が濃すぎて、さらに等しい重厚さの継体天皇関係史跡前方後円墳を巡ることに躊躇しました。それと祝日(新嘗祭)に、あの茨木とか高槻市近辺の国道171号線を走る困難を想像し、あっさりJo翁に告げたわけです。「Joさん、今から名神の茨木ICまで行って降りるのはしんどいな」と。
「よろしで。継体さんはまた今度でも」と、Jo翁。
「けど、まだ時間もあるしな。どうやろか、葛城山行ってロープウェイに乗るか?」
「ほぉ、葛城。近いわけですな? ほな、そこまで案内しとくれやす」
「ガッテン。あそこ、一言主神社もあるし、よろしでぇ」と、私。
話はまとまりましたが、それから一言主神社まで行くのに約40分かかりました。途中、ロープウェイの看板も見えましたが、なかなか神社に着かないことに苛立った私は、看板に気がつかない振りをしてハンドルを握っておりました。ただし事実は、橿原を越えた頃から道が空きだして、葛城山系を右手に見ながらの異界に入ったドライブは、青年時を思い出して、実に気分がよかったのです。
さてなぜ纒向遺跡を彷徨したあと三輪素麺を食べながら葛城や一言主神社が突然ひらめいたのか。実はこのあたりは、30代前半に「幻の古代王朝」(京都編は記事を書きました)というSONY-SMC70用のアドヴェンチャーとRPGが融合したようなソフトを開発していた前後であり、葛城山上へロープウェイで登ってロッジで一泊したことがあるのです。同シリーズの2が吉野編だったわけですが、吉野と葛城は想念の中では一体でした。(実際は離れていても、頭の中では近所なのです)
さらに一言主神社自体はそれ以前にも訪れた記憶があります。
20代から二上山と三輪山とはペアで想念にあり、葛城山系はその親戚でした。だから葛城は三輪山・二上山と同じく私の中で一つのまとまりを持っていたのです。もちろん、そのころ1980年代の世相もなにかしら「葛城」に染まっていたことも事実です。
たとえば、
☆ 1980年代に栗本薫さんが長編シリーズ『魔界水滸伝』を書かれました。私はこれに異様に熱中し、当時の仕事ができなくなるくらいにカンカンになって夢想していました。登場人物達の名前に葛城秌子とか葛城天道がでるたびにワクワクした記憶があります。もともとは葛城山系での事件やその太古神話時代の原住民達が現代に躍り出る話ですから、小説に熱中すればするほど葛城山は私の中で幻想の異界じみてくるのでしたぁ(笑)
☆ 同じく1980年代半ばに五木寛之さんが『風の王国』を出されました。これは私の中でも名著に属し、いまでも読み返すことがあります。もちろん五木さん風の、当時の当世風青年たちのちょっと垢抜けした、「いかにも」という雰囲気はそれほど好みじゃないのですが、この作品には骨がありますね。で、骨に相当するものが、国家の枠を外れた、らち外の影の人達を描いていることです。そこに、葛城哀という謎々しく美しい女性や、葛城天浪というカリスマ・ジサマが出てくるわけです。舞台はもちろん、二上山、葛城山、金剛山と、……。私の記憶からすると、葛城山系そのものを密かに走り回る独特の「サンカ」じみた集団が現代に居るという伝奇じみた、それでいて実に現実的な作品でした。ああ、小説って素晴らしい世界を見せてくれるものなのです。
話がなかなか本題にたどりつかないと思われている読者諸氏へ。実は以上のようなぼんやりとした1980年代の葛城模様を書きたかったわけです。それが本題なのです。葛城に関わるいろいろな詳細な事実や推論は、参考にあげたJoさんの記事を御覧下さい。
ただここでもまた古い挿話を添えておきます。
1.葛城一言主神社の祭神
一般には、一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)と、幼武尊(わかたけるのみこと:雄略天皇)の二柱となっているのですが、肝心の前者が「事代主命(ことしろぬしのみこと)」となっている文献もあります。コトシロヌシは出雲神話では大国主の息子さんで、天津神の国譲りの強要に「分かった」と言いつつ、イメージとしては壮絶な逆さ自殺をなさった神です。一言主と事代主とは読みがにているので、同一神の多重神格を表しているふしもありますし、出雲神話は葛城近辺の実話とも耳にしました。私のなかではまとまりが付かないので、いろいろ謎のある神さまが祀られているということで、この件終わります(笑)。
2.葛城王朝
三輪王朝の前に葛城王朝があって、ずっと並立していたという話を始めて知ったのは、大学卒業してからのことでした。『神々と天皇の間:大和朝廷成立の前夜/鳥越憲三郎.朝日新聞社、昭和45年(1970)』という図書を熟読したことがあったのです。つまり、一言主神社のある一帯、現代の御所市が三輪王朝よりも古い日本神話の源流地だったという説なのです。神武天皇から9代までの天皇が実在し、神々は葛城に王朝を構えていたとなります。今、纒向遺跡を見てきた目からすると、弥生時代に源・邪馬台国が葛城山中にあったというような、壮烈な話が頭の中で燃え上がってしまいます。
実は困っています。この鳥越さんは専門家なのですが、この興味深い葛城王朝説を最近のいろいろな事象に当てはめると、私の中では時代が前後錯綜してうまくまとまらないからです。……。この件も今日は終わりにしておきます。
3.日本の古代王朝交替説
さて私が葛城世界に没頭していたころ、一冊の学術図書を読んでみました。故・栗本さんの小説は面白いのですが、なにしろクトゥルー神話が入り交じった魔界水滸伝ですから、ときどき正気に戻りたく思ったわけです。
『古代王朝交替説批判/前之園亮一.吉川弘文館、1986』
この図書の面白さは、これまで謎謎しい古代史で話題にあがった総ての王朝への批判が述べられているからです。葛城王朝、崇神(三輪)王朝、近江王朝、河内王朝、継体王朝、と。その批判の結論はよくおぼえていないのですが(笑)、私が当時感心して読んだのは、各王朝説の要点と、その問題点が分かりやすくまとめてあったことでした。たとえば、葛城王朝には、王朝といえるほどの遺跡が見つからない! とか。もちろんこの批判はそれから20年後にはなにやら遺跡も見つかりだしたので、今後どうなるかは分かりませんが、「問題点」をきっちり書いてくれている学術図書は有難いものです。
まとめ
ということで、今回のJo翁との「JR巻向駅北方纒向遺跡」紀行は、終わりとなります。あとは伏見大手筋に戻って夕方美味しい珈琲を飲んだくらいです。
(紀行1、3~5とあって、2がないですが、これは後日ゆるゆると)
参考
(JoBlog)葛城 一言主神社(ひとことぬしじんじゃ) その1
(JoBlog)葛城 一言主神社(ひとことぬしじんじゃ) その2
(JoBlog)葛城の古代の記憶
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コメント
Muさん 御苦労さまでした
長い距離の運転お疲れ様でした。毎回、中身の濃い旅となりますね。日本の歴史を辿る旅は簡単ではなそうです。
纏向遺跡では他田坐天照御魂神社に遭遇するし、葛城では一言主神社を訪問しましたが、葛城の謎を探る旅はドアを開けた程度ですね。今度は高鴨神社や極楽寺ヒビキ遺跡あたり、そしてマクロ的に金剛山、吉野あたりを探らないといけませんね。
葛城は明らかに4世紀末の応神天皇の時代即ち葛城襲津彦あたりからの大活躍は歴史書と考古学両方で詰める事が可能そうですが、それ以前の歴史についてはこれからの考古学に期待したいです。
色々と謎があってこれからも楽しみですね。宜しくお願いします。
投稿: jo | 2009年12月 8日 (火) 15時26分
Joさん、ご無沙汰です。
心身快調なんですが、繁忙繁忙師走のまっただ中、すべてにおいて遅れております。
さて、しかし、葛城。
三輪邪馬台国はすでに隠れていた(笑)専門家や、ジャーナリズムの手でどんどん開拓されていくことでしょう。
JoMu同行二人としては、継体王朝はもとより、次のターゲットは葛城・金剛でしょうね。
おっしゃるように、マクロな目をもって次のステップを踏みましょう。
地図で見ると河内側から、千早赤阪城あとを経由して、金剛山に登坂するロープウェイもあります。次が高槻市か、葛城・金剛深山幽谷「山の民」の道の旅かは、また相談しましょう。
なにがでてくるか楽しみですね。
再見
投稿: Mu→Jo | 2009年12月 8日 (火) 16時55分