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2009年12月14日 (月)

NHK坂の上の雲(2009-3)国家鳴動:日清戦争開戦前夜

承前:NHK坂の上の雲(2009-2)青雲:若者の志

1.正岡子規
 子規は憲法発布(明治22年,1889年2月11日)の年に喀血し、結核とわかりました。松山に一旦帰省し静養します。ドラマでは秋山真之も江田島から正岡家を訪れました。
 子規像はいろいろ噂に聞きますが、このドラマでは本当に剽軽なネアカとネクラの入り交じった、躁鬱が繰り返される面白い青年に思えました。俳優の「香川照之」さんは以前から好ましく思っていましたが、彼の子規役は他に変えられないだろう~と、感心して見ています。

 妹の律との少年少女のようなふざけあいは、当時の家族愛を想像させてくれます。子規のような秀才は郷党の誉れとして東京に行ってしまうわけですから、残された家族にとって、彼の突然の帰郷は望外切実な再会だったのでしょう。まして病をえての帰参ですから、母親も律も気持が深かったはずです。
 妹は、二度目の結婚をしていましたが、「兄(あに)さん」の事が心配で、一日おきに実家に帰って兄さんの面倒を見ていました。

 静養して再び子規は東京に戻るわけですが、すでに想いは文芸(俳句)に凝り固まっていました。新聞「日本」の社長・陸羯南(くが・かつなん)に「勉強中も、俳句が(頭に)のこのこ、のこのこと出てくるので、帝大を退学したい。この新聞社の社員にしてほしい」と頼みます。東京帝國大学は官吏・官僚養成大学(キャリア促成栽培)ですから、子規や秋山真之の気風とはズレが大きかったのでしょう。

 こうして新聞「日本」の社員となった正岡子規は給料15円で松山の母と妹を呼び寄せ生活していくことになります。妹律は二度目の離婚をして上京しました。このころ子規は満25歳前後だったと思います。結核を、鳴いて血を吐くホトトギスと連想して俳号「子規(しき:ほととぎす)」と付けたわけですが、このころから十年後に、満35歳で亡くなります。その間脊椎カリエスとなり病床にうずくまったまま、ずっと妹律の世話になるわけです。

 引っ越しを手伝っていたのが漱石でした。小説はお金になるとか言って子規をさそったり、部屋を猫まねして這いずり回り、母や妹を笑わせるオプションもありました。すでに結核が不治の病であることはみんな承知したうえでの笑いですから、痛々しくも思えました。

2.秋山真之(弟)
 帰郷したとき、以前の松山藩が水練のために造っていた神聖な池(プール)で泳いでいると、広島鎮台の陸軍兵二人が全裸で飛び込んできて、少年達に乱暴狼藉を働きます。彼らは「鎮台」と少年達に呼び捨てられたことに激高します。
 真之はふんどし一つのまま、高所から、珍妙な踊りで揶揄しました。
 よく覚えていないのですが、この歌詞はその後も伝統的に残ったようですね。
 つまり、「鎮台さんが兵隊さんなら、蝶々や鳥も兵隊さんだぁ、ああこりゃこりゃ」そういう内容でした。
 また録画を確認したとき確かめておきますが、それよりも、真之は本当に暴れん坊というか、喧嘩好きだったようです。

3.秋山好古(兄)
 結婚しました。結婚しても風変わりな日常生活に変わりはなかったのでしょうか。上司や母親の薦めで旧知の娘さんと、照れくさい見合いをしたとき、
 「まだ、お茶碗や箸は一つですか?」
 「いや、母が来ているので、二つにしました」
 「ほほほ」
 「三つにしても、よいですなぁ」
と、茶碗の数で結婚を承諾した好古のおもしろさがよく表れていました(事実かどうかは不明(笑))。ついでに結婚披露宴で、陸軍大学校第一期卒業生達が、好古の敗戦(結婚を男子の敗戦とみなす)によって、我ら一期生は全滅だぁ、といって座敷にひっくり返る情景が、おもしろかったです。

4.伊藤博文(いとう・ひろぶみ)、陸奥宗光(むつ・むねみつ)、川上操六(かわかみ・そうろく)
 朝鮮半島で内乱が起こったとき、時の李氏朝鮮は、宗主国中国の清王朝に助けを求めます。当時の清王朝は漢族からみると北方女真・満州からの征服王朝で、弁髪などの風習でよく分かります。清朝は要請に応じて兵2000を朝鮮半島に差し向けます。が、川上の得た情報では清朝が兵5000を追加投入する予定だったようです。
 伊藤首相は、陸奥・外務大臣、参謀本部次長・川上の提言をうけ派兵を決断しました。明治27(1894)年のことで、当時の満年齢では伊藤53歳、陸奥50歳、川上46歳でした。若かったです。(ちなみに明治天皇は42歳)

 この場面は後の日本を象徴的に表していました。
 陸奥外務大臣は欧米諸国との不平等条約を解消させた著名な方です。ドラマでは川上参謀本部次長の軍事情報の微妙な操作の前に、結果として伊藤首相に嘘をつくことになってしまいました。派遣兵数2000で決まっても、実際に有事になればその運用はすべて軍の裁量でなされるというシステムを川上は使ったわけです。それが分かった後も、伊藤首相は山県有朋(やまがたありとも)元帥・陸軍大将が日清の開戦を決意している事実を覆すことは出来なかったわけです。

 このあたりのドラマ内容は現代の一つの解釈として見ておりました。
 幕末、明治から現代にいたる様々な政治、軍事のことはまだ歴史の判定を仰ぐのが難しいと思っています。想像としては、現代日本の政治家達の考えや動きと、中国、台湾、韓国、北朝鮮、米国との動きとが重なって見えることがあります。歴史は似たようなパターンをいつも発現させます。ほとんどのことは過去の政治史、戦史に埋もれています。歴史教育は、事項名を暗記させることを捨てて、各時代民族の「動的関係」のパターンについて考察する方向へ向かうのがよいでしょう。
 ある程度の確率で、こうすれば、ああなる、……。もう、歴史の上では自明のことです(笑)。

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