NHK坂の上の雲(2009-2)青雲:若者の志
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はじめに
昨夜は秋山兄弟や正岡子規が東京でそろそろ生活に慣れはじめ、新たな転機を迎えた一夜でした。三人はそれぞれの志を模索して、道を選ぶ岐路に立っていました。
好古の道
秋山好古は陸軍大学校でドイツ人の教師の指導のもとエリートへの道が明瞭になってきたのですが、旧松山藩の家令に一夜江戸屋敷(東京の屋敷)に招かれ、主君の息子と一緒にフランスへ行ってくれぬかと懇願され、最後はそれに従うことにしました。
ドラマで説明がありましたが、当時は普仏戦争(プロイセン=ドイツとフランス戦)がプロイセン(後のドイツ)の勝利により、世界の趨勢は圧倒的にプロイセン流だったわけで、日本の陸軍大学校教官もはるばるドイツからメッケルという知将を招いたわけです。
つまり当時の日本帝国陸軍はプロイセンの軍制を主流とし、その最中に大本営参謀候補の秋山好古がフランスに渡ることは、傍流への道を意味していました。好古は家令の涙ながらの依頼になかなか答えません。突然呼び出されて、老人から懇願される様子からは、重い緊張がうかがえて、双方の痛々しさを味わいました。
瞬時に自分の進路を決定するのはなかなかの決断が必要だったと思いますが、好古は旧主君の息子の面倒を見ることに同意しました。つまりこの時点では、帝国陸軍参謀としての光輝をすてて、敗戦国への派遣を選んだわけです。
私はこの時の好古を見ていて、「どちらの道を選んでも君の人生!」と深く味わいました。好古ほどの人物なら、ifを自在に使ってよいと考えているのです。おそらくこのような人は、意地と気力と才能があるでしょうから、外界の変化に対して独立した「なにか」があって、どんな道を選んでも人生を全うしたと感じているのです。
十数年前の、私の恩師の言葉に通じるのですが、99の努力錬磨があれば、わずかに1%のチャンス(機会)をがっちり握りしめることができるという、そういう意味の言葉を思い浮かべました。おそらく好古もそうだったのでしょう。
だからこそ、来週(のドラマで)渡仏しても、負け戦後のフランスが当時の機動部隊「騎兵」について並々ならぬ練度と伝統と新工夫を持っていることに、新たな目が向いたのだと思います。努力を怠り、怠惰に流れ、なにごとも運や他人や外界のせいにする人なら、見える物も見えないわけです。心しましょう、自戒です。
真之と正岡子規の道
当時の東大予備門とは、現在の東京大学教養部に該当するようです。学制が明治、戦前、戦後とは著しく異なるので雰囲気が掴みにくいですが、昔は大学を卒業すると二十四、五になったようですから、旧制高校は六年間くらいあった勘定になります。つまり予備門とは旧制高校に等しいわけですか? (日本の教育史を知らないので、すみません、推量です)
ともかく秋山真之と正岡子規とはこの予備門に入学し、がんばったわけです。正岡は旧松山藩の奨学金を受け、真之は兄からの援助で学生生活を謳歌したようです。兄の好古はすでに中尉から大尉ですから、陸軍大学校学生というよりも、エリート職業軍人ですから、給与は充分あったと想像できます。それにしても、東大入学ですから、現在の東大生は知りませんが、当時は本当に頭脳明晰な若者達だったのでしょう。
教室風景では、えらい優しげな風情の男がおるなぁ、と思ったら山田美妙だったので笑いました。随分ヤサ男として描かれたものです。そうだったんでしょうか? 手塚治虫先生のマンガで昔「武蔵野」の一節をヒゲ親父がつぶやきながら歩く作品がありました。これは国木田独歩の小説ですが、山田美妙も「武蔵野」を書いています。だから微妙な人だと思っておりました。独歩と美妙は完全に同時代人でした、……。
さらに、西郷さんのようなクマさんのような青年がいると思ったら、これが夏目漱石。いやはや、面白かったです。
紀州の南方熊楠(みなかたくまくす)も超絶に濃い学生として前後入学しているはずですが、姿が見えません。顔を出せば良いし、もう出演しているのでしょうか? 南方さんは一人でドラマの主役をはれるほど、世紀の日本怪物・快男児なのにねぇ。
そうそう、肝心の真之ですが正岡の兄妹とは随分仲良しに描かれておりました。妹とはお互いに遠くから好意を持っていた雰囲気でした。まあ、ドラマですからね(笑)。真之は試験があっても傾向と対策がしっかりしていて、いつも成績は最優秀だったそうですが、多少粗っぽくも描かれていました。
どちらも実像だったのでしょう。
正岡子規は野球にも狂っていましたが、いよいよ俳句に人生を掛ける日常になってきました。真之が試験優秀、体力あって、粗っぽく、戦術戦略に優れたちょっと理系の男なら、正岡子規はなにかしら、一見明るく見える好男子ですが、「反応のずれた、ねちゃっとした」、真之と比べると文系そのものですね。
ある日突然、真之は下宿から消えました。
正岡子規に「俺は自分の道を行く。君も独立自存でやっていけ」という雰囲気の手紙を残しました。真之は東京の海軍兵学校に入り、数年後広島の呉に兵学校が移り当然秋山真之も東京から離れました。この後、真之と正岡子規が対面することがあるのかどうか、どうなんでしょう?
みどころ
真之や正岡子規や漱石が大挙して、女義太夫(だとおもうのですが)を観に行った場面がとても興味深くおもしろかったです。あの時代の学生達は、ああいう楽しみがあったのでしょう。私なども、女浪曲師や女性河内音頭でもあれば、行きたくなるから、まあそれほど不思議ではないのでしょう。
90分という時間のゆとりがあるせいか、毎年の「大河ドラマ」にくらべるとおっとりじっくり描いていると思いました。ただ、真之や正岡子規が、旧制高校(予備門)の学生を演じるのは多少無理もありましたね。これからみんなヒゲをはやして男一匹生きていく場面になっていくので、予備門時代の学生生活はお笑いととらえておきます。
当時の下宿での勉強ブリをみていると、現代は極楽だと思いました。シャワーはあるし、冷暖房もあるし、カップ麺もあるしで、~。
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コメント
先生こんばんは。
90分あっという間に楽しく見ていました。長男(中1)もおもしろい、と一緒に見ました。
本は読んでいなかったのですが、実家にあるみたいなので今度帰ったときに借りてきて読もうと思いました。
歴史ヒストリアで正岡子規の生涯をやっていたのも見て、すごい人だなぁと思いました。俳優さんがそっくりです・・正岡子規さんの役を理解するのに20キロくらい痩せたとも聞きました。
>99の努力錬磨があれば、わずかに1%のチャンス(機会)をがっちり握りしめることができる・・
そのような大切なことを少しでも子供に話していけたらいいな。。と思いました。
投稿: yuyu | 2009年12月 8日 (火) 17時37分
YuYuさん、こんにちわ。
中1少年が坂の上の雲をおもしろがるって、日本の未来も明るいです(笑)。
歴史は向き不向きもありますが、ドラマなんかをみて「ほぉ、そうだったんだ」という興味が積み重なっていくと、いつのまにか、日本や世界の来し方行く末がぼんやり見えてきます。勿論ドラマは現代人が現代の視点で描く物がほとんどですから(そうでないと、理解しづらいです)、歴史の事実とは異なると思います。けれど、どういう解釈が成り立つかという可能性の幅は広がります。
教科書で「徳川家康」という単語を見ても、どうにもなりませんが、ドラマで幾種類もの家康をみているとイメージがわいてきますね。それが事実だったかどうかは、分かりません。嘘でもイメージがあれば、別のイメージを豊かに持てる可能性が高まります。
タイムマシンが無い限り、歴史の事実は永遠に藪の中。常に現代人は、「真実」をつくりだすのでしょう。だから、現代人がそれをどんな風に解釈していくかで、実は未来も変化すると思います。
いやはや、つい気難しい話になりました。
歴史には総てが含まれていると思います。
文学から科学の先端まで。痴情怨恨に狂う人々から、聖人君子の生涯まで。これまで人類史に存在した人間という「脳」の数は無限に近い量だと思います。そういう脳が考えた思いや思索や感情がすべて歴史には潜んでいます。
可能なかぎりその時代の思考にあわせて現代に甦るような、そんなドラマを見たいですね。
このドラマ、明治という時代の雰囲気が、だんだん味わえてきました。
投稿: Mu→YuYu | 2009年12月 8日 (火) 18時18分
南方熊楠は、「鎌倉無銭旅行」に同行しています。実際は旅館にも泊まった記録があります。普段から、真之とはよく落語に通っていたようです。原作の方も脚本の方も、その事は知らなかったのでしょう。漱石も熊楠とは入魂であったのですから、当然真之ともよく遊んだ事は間違いの無い事実です。熊楠の母方の実家が、私の祖父の家になります。
投稿: 山中吉宏 | 2010年6月 9日 (水) 22時43分
山中吉宏さん
貴重な情報、ありがとうございました。
つまり、この時代、南方熊楠、秋山真之、夏目漱石、正岡子規達は同じ席でご飯を食べていたと考えて佳いわけですね。
熊楠はエピソードの多い方ですから、限られた時間のドラマに登場させるのが難しかったのかもしれません。
また原作の司馬遼太郎さんが、南方熊楠にほとんど言及していないのは、事情が分かりません。
投稿: Mu→山中吉宏 | 2010年6月 9日 (水) 23時35分