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2009年12月15日 (火)

小説木幡記:2009/12/15(火)文学{芸術、政治、技術、宗教}

1.すめらみことについて
 晩秋から師走にかけて胸の痛むことが多い。悲憤慷慨して、高山彦九郎翁のごとく、御所に向かって土下座してもその意味や意義を互いに理解する世界ではない。
 すめらみことはたっとい立場である。
 かつて作家三島由紀夫は「などてすめろぎはひととなりたまいし」と、『英霊の聲』で痛切な言葉をはいた。そしてこの意味を世間で理解されたとも思えない。理解しようがないほどに長い歴史が背景にある。いつのころからか、すめらみことは至尊の御立場として待遇されはじめ、それが日本国の歴史の根幹となった。

 人麻呂は、大君は神にしませば天雲の雷(イカヅチ)のへに庵せすかも、と歌った。この神は明治以降の神格化とは異なる。それを三島は知っていたはずだ。だから三島が「何故、人になられたのですか?」と語りかけたのは、神格化された立場から降りられたことへの憤怒ではない。明治政府の付与した神格とか機関の始まる以前から、「至尊」であらせられたのだから、その神格からの降下はさして問題ではない。それよりも、至尊のすめらみことであることを止められ、赤心もって蹶起した青年達を憎まれた点に、三島は「人」であることの弱さを味わったのであろう。すめらみことは、人々が持つような自分や自我を大切にする「人」では、そもそもない立場であった。それをして「神」と呼ぶ者もおろうが、それは単に制度をさしているにほかならない。
 イワレヒコ以来は諸説あるも、少なくともみまきいりひこいにゑからかぞえて1700年、だれしも肯うおおどのすめらみこと以来の1500年間、すめらみことは至尊であらせられた。至尊とはただ斎き祈る立場であり、誰にでもなれるものではない。

 歴史的にみて、このことが危機に陥ったのは、諸説あるも大きくは、壬申の乱、承久の変、南北朝分裂、江戸幕府による禁中並公家諸法度「天子諸芸能ノ事、第一御学問也。」の条、明治維新、そして大東亜戦争における日本の敗戦であろう。その間、すめらみことの唯一専権は祭祀である。それが国体そのものである。わかりやすく申すと、ひたすら日本に祈ることである。もって、その継承である宮中祭祀は、あらゆることをさしおいて、唯一最高度に大切なことである。ひとびとはその祭祀をもって、俗世でのはかない生を我利にいき、享楽をえ、道にはげみ、社会に精勤し、ついには争うことの無意味を知る。

 日本はこれだけの優れたシステムを千年以上かけて作り上げてきた。たとえ今ある神社が、中世吉田神道以来姿をかえたとしても、なお現代の神社にその片鱗をしることができる。それは今や空気のようなものとなり、人々の注意すら引かない。しかしそれは無意味なのではなく、中国の古典をひけば「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」の姿といえる。なにかしら精妙なシステムを人々が忘れて空気のように思ったとき、そのシステムは完璧な働きをしているという諺である。しかし忘れることと、神社の神木を切って売り払ったり、あるいは神主を呼びつけて自らのために祭祀を執り行うことは、別である。後者をもって、涜神(とくしん)という。

 千数百年間、日本の俗世の為政者は至尊の立場を念頭におき、まつりごとに勤めた。敗れるときは、常に朝敵となった。これが、違えようのない現実歴史であった。

2.日々の情景
☆Mini-ITXマザーボード
 やむにやまれずMini-ITXマザーボードだけを入手した。価格は9000円もした。しかし今年の初めにそれは2万円前後の値がした。17cm四方のボードに、CPUとヒートシンクとが最初から付いていて、メモリーを差し込めば形になる。
 あとは2GBメモリが4千円、2.5インチハードディスク2台で1万円、電源6千円、DVDドライブ6千円程度を予備予算から追加する必要がある。ただし、今はしきりに小さなマザーボードを眺めているだけで、気持が安定する。
 ケースはホームセンターで1500円のポリエチレン製透明ツールボックスを買っておいた。ドリルで穴をあけて、ITXを固定したところ、よい出来だった。

☆毎日の宿題
 本当に師走だ。ありとあらゆる課題が発生してくる。教学、委員会書類、倶楽部。現状では大きな宿題が4つ残っておる。明日になればまた増えるだろう。今日は二つこなした。とめどなく断片的な時間が生まれてまた過ぎていく。

☆JR巻向駅北方纒向遺跡
 紀行文として、残るは一つとなった。埋蔵文化財センターでの知見をまとめることになる。写真だけで60枚程度ある。全分野は難しいので、纒向遺跡関係だけに止める予定。

☆ubuntu
 ポータブルubuntuをとても気に入っている。PCに向かいながら、MuBlog書きながら、上海を起動する。最近は初級レベルで4分12秒~6分の間が多い。昔は3分間だったのに、と思い出す。

☆新古今和歌集
 余にてごろな参考図書がまた増えた。しかしときどきふっと歌心を探してしまうことがある。日常が乾いているせいかもしれない。

☆DCC
 来年はDCCをITXマザーボードPCで制御したい。できるかな? EH500がカシオペア形図書館列車を牽引し、自在に走る姿が目に浮かぶ。

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コメント

またパソコン作る気やね

 マザーボードを眺めて、ニタニタしてる風景が手に取るようです。

 周りには電動機関車がぐるぐる回り、纏向遺跡を考えながら、新古今和歌集に想いを馳せる。

 至福の時ですね。

 この支離滅裂のように見える、不思議な世界と共存する世界、これがMuの旦那ですね。

投稿: jo | 2009年12月15日 (火) 23時22分

Joさん、こんばんわ
 今度のPC自作は、気持の上では初心にもどった感じです。数年前からミニITX(17x17cm)の規格が気になっていましたが、躊躇してきたのは、流通が京都では少なかった(店頭にない)。能力の割りには高価だった。実際、役に立ちそうになかった。そして小さいマザーボードのわりにはケースがどれもこれも大きかった。

 今回、パーツ屋を歩いているとパッと目に入ってきました。値段も1万円以下なので、一種の衝動買いをしました。もちろん傍には同じITXで2万円を越えるものもありましたが、私に衝動買いできる額は1万円以下なので、安い方にしました(笑)。

 それから、時間もゆとりもなくて捨て置いたのですが、ホームセンターで買ったケースを工夫し、少年時代のラジオと同じく、ルールを無視して、その透明ケースに組み込む決心をしたのです。

 まだ端緒ですが、気持がよいです。どうしてPCは自作も市販品も、つまらない似たような金属箱につめこむのでしょうかね(電磁波も原因)~。

 さて、支離滅裂じゃないです。
 工学技術・理屈系と、文学・感性系とは数十年間同居してきましたから、融け合っています。記事にしたり、他人と話すときは、意識して分離するから(でないと、通じない)、それが交互になるから、支離滅裂に見えるだけです(笑)。

投稿: Mu→Jo | 2009年12月16日 (水) 02時10分

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