小説木幡記:2009/12/02(水)複合的な相反条件:RAID仕様のWinPC(XP)とubuntu
以前に比べててきぱきと判断できない今日この頃である。知恵が付いたのか優柔不断なのか、それとも近未来の結果を透観する力が衰えたのか、あるいは単純に決断力が無いだけなのか、……。そこここで立ち往生する。
TVドラマ一つ見るのでも、迷いに迷って結局、両方あるいはトリプルで捨て去ったり、読書も元気な時は章単位、節単位で交互に数冊読むこともできるが、ここ数日はがっくりして、読まない状態が続いている。がっくりして、と記せばその理由は? と自問自答するのだが、よく分からない。単純に気分が乗らないと言えば、分かった気にもなる。
素早い判断が出来ない事例を以下に記録しておく。
1.RAID仕様のWinPC(XP)にubuntu(Linux)を導入することの失敗談
註:RAIDとは、ハードディスクを複数台組み合わせて、あたかも一台の記憶装置にまとめあげ、内部ではデータの保全を保つためや、高速にするための工夫がしてある。
木幡研にある別の古いWinPCではUSBでubuntuを起動して上海を楽しむことが多い。しかし意外にも、そのUSBで葛野研の涼夏2007を立ち上げた記憶がなかった。一度くらいは試したはずだが、覚えがない。なにか無意識に葛野マシンは、そういう趣向に使うものではないと、感じていたふしがある。
数日前に、2.5インチの空きハードディスク(60GB)が木幡の机下で見つかったので、これにubuntuをインストールして涼夏2007でも本格的に使いだそうと思った。60GB あれば常設Linuxマシンとして面目を保てるだろう。
で、翌朝その60GBを涼夏マシンにUSB接続して、ブートし、あれこれ充分楽しんだ。
話はそこから始まる。
途中で、もとから涼夏にあるハードディスクが3台と認識されていることに気付き、「おや?」と思った。つまり日々WinXP上では、マザーボードの拡張機能とWinXPのRAIDドライバーを組み込んでいたので、(3台のディスクのうち2台がRAID仕様(鏡)にしてあるので)XPを使っている限り、RAIDと非RAIDをあわせて2台しか目に入らない。なのにubuntu上では、はっきり3台が見えた。まるっきり同じ内容(使用済み量他)のハードディスクが2台見えて、非RAIDと合わせて3台と見えていることに気づいたわけだ。
2.要点をまとめると
ここまでの話は、PC自作をしている人しか意味不明だと想像する。
単純にもうすと、余はデータの安全性のために、涼夏2007PCに特殊な仕掛け(RAID1:鏡記録)をかけて2007年以来つかってきた。ところが、余はその仕掛けを余自身が、少なくともこの一年間は認識していなかったことに愕然としたわけである。物事はトラブルが生じないと空気の様になってしまって、当初苦労したことも忘れてしまうものだ。
それが、この度ubuntuを使うことで、「ああ、そうだ、WinPCではRAIDにしていたのだ」と気付いた。
WinXP上では2台のハードディスクを1台とみなして、相互に同一データを鏡のように重複記録していたのが、別のOSからみるとまるで2台の独立したハードディスクとしか見えない。……。これは実は大変なことで、2台あわせて1台なのに、その1台だけにデータ変更をしたら、どうなる!
ubuntuの画面インターフェースは非常に洗練されていて直感的に扱える。だからMacOSXとかWinXPとかと、それほど違いを感じない。
そのubuntuで全体システムを眺めたとき、二つのまるっきり同じハードディスクをアイコンでたやすく弁別できて、そこではじめて「ああ涼夏は、RAIDにしていたんだ」とつぶやいた。ということは重ねて申すと、すでに涼夏2007PCではそういう特殊なRAIDをセットしたことも忘れ、気にもかけず、2年以上快適に使ってきたことになる。
「これは、うーむ。ubuntuを本格的に涼夏2007PCに内蔵HDレベルで主OSにするときは、……、どうする!」と考え込んで、「まあ、宿題も多いから本日のLinuxはこれまで」と、とりあえずシャットダウンした。そして再び今度はWinXPでブートして、残りの仕事をしようと気楽に考えた。
ところが(笑)
結論を言おう。一回目は駄目だった。日頃の立ち上がりの五倍はかかった。それでもまだ原因に気づかなかった。「あれ?」程度だった。
しかし。
しばらくしていつもの背景を見てほっとしたのも束の間、愕然とした。画面下に「RAID修復が出来ない」と出たのだ。「おおお、おいおい、困る!」慌てて設定を見てみると、RAIDの片方のハードディスクが赤く×になっている。
冷や汗がぞわぞわと身体にわき上がってきた。
どうする。
(困った、ubuntu上では本体HDには指一本ふれていないのにぃ~、どうしたんだ、おい!)
「WinXPのRAIDを諦めるか。片肺で、ファイルが残っていたら、よしとしよう。しかたない。気合いもいれずに新しいことをした報いだ。いやいやRAIDは精密だから、片方が普通の条件で壊れたならRebuild したはずだ。それに失敗とは~。まずくすると両肺やられたか。あああ、あああ、ため込んだ動画や写真はどうなる、~~」
数分間、深い深い悔恨、地獄に突き落とされたような気分になった。
おまけに、カーソル、マウスがフリーズした。
「ぎゃ、どうした! 死んだかXP! ああ、悪かった悪かった、ubuntuなんかに気持ちを移したから、おお、おお、許せ」
ともかく、数分単位とはいえ、心中がぐちゃぐちゃになってしまった。
要するに、ここでは、あっさり涼夏2007PC のデータを忘れるという決断ができなかったわけだ。
以前なら、さっそく算段し始める。ツールをつかって掘り返すとか、ネットHDに入っている核データを取り戻すとか、木幡PCと調整するとか~。そういう算段がまったく出来ず、数十秒間、頭の中が真っ白になってしまった。
3.なんとか冷静に
パニックは数分で収まった。
諦めた。
(2年間、なんの故障もなく、やってこられた。ここでXPのRAID仕様を無視したのが運の尽き)
空(天井)を仰いだ。
ともかくマシンがフリーズ状態だったので、リブートを押した。
BIOS状態にした。
Ctrl+IでRAID状態を観察した。
「おや?」Rebuildマークが入っている。「うん? 続行する気か?」
先に進んだ。
相変わらず時間がかかった。しかし二回目はWinXPが起動するのに、普通の2倍程度だった。
WinXPが姿を現した。
画面下を眺めた。
祈った!
「RIADを修復中です」と、でた。
そこで気分替えしに手洗いに立って冷たい水で洗顔した。
冷や汗で身体が冷えていた。
もどった。
「冗長ファイルを修復中です」と、メッセージがでていた。
そして。
メッセージが消えた。RAID仕様をXPレベルで確認した。「RAID運用中」だった。
4.まとめと課題
Linuxでの設定RAIDと、WindowsXPでの設定RAIDとは、相互にどう考えれば良かろうか。まずubuntuで簡便にRAID設定できるのかどうか、要探索。
なにかしら技術的には危うい考え方だ。2年前の印象として、マザーボードとかRAIDドライバの制限は相当に強かった。たとえばもし数台のハードディスクでRAID10を構成したなら、その数台のハードディスクの素性はすべて同一でなければならなかった。
まして、同一RIAD構成されているハードディスクを別のOSから同じように扱えるのだろうか?
わからぬ。
ここで、さっさとネット探索でもすればよかろうに、決断ができない。~(笑)
解を知れば試そうとする。最初はうまくいくわけがない。すると時間を湯水のように使う。それだけならまだよい。数百GBのデータを簡単に「バックアップしておきましょう」などとお題目が書いてあるが、そんな暇も余力もない。余はここ10年、バックアップとは別のHDに保管することと考えているが、それだけのリソースを用意していない。だからこそ貧乏人の工夫、RAID1の鏡でしのいできた。
もしその鏡が、破鏡だなんてことになると。
ここで思考が止まった。
また後日の事にしよう。
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