纒向宮殿紀行(1)崇神天皇・山辺道勾岡上陵 (すじんてんのう:やまのべのみちのまがりがおかのへのみささぎ)
写真は2009年11月23日の午前9時ころでしたが、朝靄がたっていました。周濠のある御陵(みささぎ)は神韻縹渺(しんいん・ひょうびょう)として、私には墓には見えず、古代の神社に思えました。
京都に都があった時代には、朝廷から御陵に使わされた官吏は、しばらく出仕に及ばず自宅にこもったようです。つまり墓を穢れとして、清浄になるまでの禊(みそ)ぎが必要だったわけです。
しかし前方後円墳が出来た時代に、そういう風習があったとは思えません。おそらく後円部円頂に眠る大王級の人は「神さま」として遇されたわけで、前方部ではいろいろな祭祀、賑やかなお祭りもあったと幻視しています。
奈良県天理市柳本町の国道169号線沿い東側に、第10代・崇神天皇陵があります。古代史では行燈山古墳(あんどんやまこふん)と呼ばれ、全長が242mある前方後円墳です。日本書紀には「山邊道勾岡上陵」と記されています。古墳の歴史では、すぐ南の第12代・景行天皇陵(渋谷向山古墳:310m)と合わせて、柳本古墳群に分類されています。
下の地図をクリックして下方(南)にスクロールすると、纒向遺跡のJR巻向駅や箸墓や、三輪明神(大神神社)がすぐそばの国道沿いにあります。
次の写真は国土交通省の提供している航空写真に、古墳の名称を追加したものです。古墳の形状がよくわかります。
↑国土交通省国土計画局:国土情報ウェブマッピングシステム:奈良県天理市柳本町(昭和50年撮影のもの)
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