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2009年11月 1日 (日)

NHK天地人(44)治水と伊達政宗

承前:NHK天地人(43)兼続の弟・大国実頼

 あまり気にしたことがない政宗の治水について、百科事典(小学館)を見てみると、仙台の貞山堀(運河)、北上川の石巻流出などがリストにあがりました。つまり伊達政宗は運河を開いたり、河川の流れを変えて、水運、灌漑、治水などを積極的に治世に取り入れたのでしょう。

 今どきは土建業やダム工事がものすごく評判悪いですが、昔の名君は「水を制御」することが政治の根本にあったのだと思います。よく制御された宇治川沿いに住む現代人のMuには水の恐ろしさが想像付かないのですが、水を侮ると文明・そして生活が根こそぎ流されてしまいます。死者も出、家屋も流され、田畑も収穫できないことになって、再建に手間取り、それが毎年のようになると、人が住めなくなりますね。そのかわり、運河や河川の流れや、灌漑池をきちんと調えると、産業や農業が栄えたのだと想像できます。

 今夜の最後にその政宗が米沢まで出向いてきます。兼続が婿(政重=勝吉)をつれて政宗に会いに行ったとき、政宗は「後日に、治水に手慣れた者を送るかもしれぬ」と伏線がありました。治水に詳しい男とは、米沢で育った伊達政宗のことだったのでしょう。その政宗は、「米沢は小さいながらも、一つの天下と言える。」と兼続にいいました。川の流れ、寺社仏閣、武家屋敷、道の配置などを見ただけで、政宗には優れた都市造りとわかったのでしょう。

 さてドラマの中心は婿の本多政重と流行病で亡くなった娘の話になります。
 この婿殿は自分自身明確に「徳川、その重臣である父・本多正信の意向を受けた上杉監視人」であると自覚していました。しかし兼続はその婿殿に上杉の内情を次々と漏らしていきます。娘が死んだ後、勝吉が「自分は無用の者となったから、実子に家督を譲ってくれればよい」と言った時、兼続はわざわざ鉄砲を造っている所まで見せます。政重=勝吉の方が面食らっておりました。兼続は「身内だから、見せた。正信殿にはなんと伝えてくれても良い。ただ、上杉は自国を守り、他の誰とも組まないことだけは、覚えておくように」と言ったのです。

 この本多政重=直江勝吉のことは、ネットで少し調べました。父親の本多正信に焦点があって、次男の政重情報は多少曖昧でした。一般的な百科事典では徳川幕府を初期に支えた本多正信は詳しく項目にありましたが、次男になると情報が無かったです。
 ドラマに限って言うと、婚礼の酒さえ毒殺を用心して断るくらいですから、上杉や直江が対応に苦慮した以上に、本人は親父の命令で、決死の覚悟で米沢に婿入りしたとも言えます。なんとなく、アメリカの日本駐在大使が「自分はCIAである」と名乗って日本政府と懇談するような、いやいや一昔前なら、「自分はKGBだ」と名乗ってソ連大使が首相官邸でご飯をたべるような、……。なんとも難しい局面を味わいました。

 ところで。NHKのサイトを見ると、次の回を含めてあと3回で天地人も終わりになります。そろそろMuBlogでも最終章への心構えをたてる時期になりました。
 今夜言えることは、政宗が「小さいながら、一つの天下」と誉めたところに、上杉謙信公の気持を引き継いだ景勝や直江兼続の気持ちがよく通じてきました。天下取りや権勢争いからは身を引いて、自分の領国を丁寧に仕上げていく、侵略しない、義は曲げない、そういう謙信公の遺訓が、越後から会津、出羽米沢に移っても生きていると感じました。信長、秀吉、家康の強欲派手さは無いのですが、日本の一つの良い性質を表した物語だと思ってきました。

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