NHK天地人(46)大坂の陣
承前:NHK天地人(45)休講
大坂冬の陣、大坂夏の陣といえば、豊臣家滅亡の歴史として幼少から耳にしてきました。織田信長の姪として、豊臣秀頼の母として、淀君は無念だったでしょう。
この間、信長、秀吉、家康というあっという間の出来事でした。今夜の兼続はまだ数えで55歳でした。しかしそのわずかな時間、歴史的には大変動の時期だったのです。
55年の間に越後から会津、米沢に移った上杉家、直江兼続の人生は波乱に満ちていました。そして今夜は、兼続と二代将軍秀忠との因縁浅からぬ交誼を、これまでとは違った視点で描いておりました。つまり、秀忠の娘、家康の孫を大坂落城から救いだした一夜でした。
感動が深かったです。
余話:ところで、千姫は、淀君からすると姪になります。つまり二代将軍徳川秀忠の奥さまは、淀君の実妹ですから、叔母さんになり、となると夫の豊臣秀頼とはイトコです。
余話:ドラマとしての千姫救出は本当によくできていました。しかし私などは昔から映画やドラマで、必ず坂崎出羽守が登場していたので、ドラマに没入するまでに数秒間のタイムラグがありました(笑)
今夜の見どころは沢山ありました。
将軍秀忠の依頼をうけて、伊達政宗が上杉景勝と兼続をおとずれて、「家康に、豊臣家を攻撃しないように言ってくれ」と伝えます。話を聞いて兼続は駿府の家康を訪れて、「豊家との約束を反故にした」ことを家康自らに言わしめます。そのことで、次世代を束ねる秀忠に「義を棄てることは、二度とないように」と、暗黙の忠告を与えたことになります。ドラマでは、二代将軍は直江兼続の頑固なまでの「義」に心酔しているようでした。
大坂夏の陣の前に、真田幸村と兼続とは密かに出会って、互いの心懐をひっそりと語り合います。幸村が「おさらばです」と背を向けたとき、兼続は千姫救出を頼みます。豊臣家が千姫を道連れにするよりも、豊家の最後の慈悲心を世に伝えて欲しいという気持からでした。
幸村は千姫を井戸に隠したとき、「直江様以外には、けっして返事をしてはいけません」と伝えます。千姫の質問に答えて、「唯一、直江さまだけが信じるに値するひとです。わたしは、あのお方から総てを学びました」と。なかなかよいセリフでした。そういう風に人生を送った兼続を、高野山で10年以上逼塞していた幸村は、ずっと遠くから眺め、思い出していたのでしょう。
秀頼と淀君が地下道を通って死地に出向くとき、千姫が後を追います。それを止めようとして幸村が千姫を抱きかかえます。淀君は千姫に「生きぬいて、家康に豊家の意地と、この最後を伝えよ」と言った場面でした。そこで、画面に美しい火の玉が見え隠れするシーンが、とても心に残りました。ただの火焔ではなく、透き通ったような人魂がイメージされていたのです。
最終回に向けて
ドラマとして、関ヶ原の戦い以来、上杉も直江も苦難の道をたどりました。大坂夏の陣まで15年間の長きにわたり、けっして安穏と領国治世に励むだけではなかったと想像します。逆に、関ヶ原の戦いで西軍が敗れたことと豊家の滅亡には15年の時間があったのです。その間、家康は豊家を速攻で攻撃できなかったいろいろな理由があったのでしょう。それはドラマでは描かれませんでした。
ただ、終盤に向かうにつれて、上杉家は直江兼続をとおして、二代将軍秀忠と交誼を結んでいたという事実の片鱗をいろいろ味わいました。このことと、上杉家が幕末まで続いたことを合わせて考えると、兼続の偉大さが偲ばれます。要するに、景勝と兼続の「義」や「愛」は、秀忠や幕閣に信頼するにたる「米沢」という印象を植え付けたのでしょう。
その意味で、ハッピーエンドだったと思いました。
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