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2009年11月29日 (日)

纒向宮殿紀行(4)他田坐天照御魂神社(おさだにいます あまてるみたま じんじゃ)

承前:纒向宮殿紀行(3)纏向遺跡第166次調査現地:建築物遺構

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(他田)天照御魂神社正面

 纒向宮殿遺跡紀行・同行のJo翁と、この度の大型建造物発掘現場(巻向駅北西隣)を去ろうとしたところ、南側に古墳と見まごうばかりの森が見えました。さっそく立ち寄ったところ、小さな神社でした。
 古墳でないことの驚きのまま、すぐに参拝しました。この時は祀られている神さんを知らないままでした。
 数百年は超えそうな巨木の森に佇むと、時代の古さが感じられました。
 (後の調査では、神社自体は明治期に近所の辻から遷ったようです)。

 小さなお社なのですが、地場関係者が大切にしているのか、本殿の周りは頑丈な塀に囲まれて、中はうかがえませんでした。歴史的になにか事件があったのか、あるいは強烈な神さんのための結界なのか、塀の外周りの鉄柵には鍵もついていて、これ以上はないほどに堅固な様子でした。

 境内を歩いていると石碑が二つありました。一つは、薄々「明治神宮遙拝」と読めたように思えましたが、自信はまったくないです。もう一つは新しくて、明瞭に「天照御魂神社」と読めました。そこでJoさんは「天照」の名称から、日本書紀の崇神紀の、トヨスキイリ姫が天照大神に付き従って宮中から外にでた話をし始めました。なるほど、とうなずきました。

 そこから私の疑問が次々と生まれだしたのです。Joさんの話を聞いている間中、頭の中では「ヌナキイリヒメ、大国魂、身が細り髪が抜けて、ホケノ山古墳、鏡、……」と渦巻いていたのです。この、「地図にもない」小さな社がもしかしたら、崇神紀の神々に直接関係しているのかも知れない~と、謎が次々とわき起こってきたのです。

 纒向宮殿遺跡紀行が終わってから、木幡研の書斎でどうにもこの神社のことや、崇神天皇のことが気になって、肝心の纒向遺跡の後始末も手に付かず、数日を経てしまいました。

天照御魂神社
天照御魂:石碑
天照御魂:石碑
天照御魂:厳重な囲い
天照御魂:巻向駅発掘場所から遠望

 そこで、最初に正史で崇神天皇時代の神さんがどう記録されているかをまとめてみました。

崇神紀の神々
 奈良県・大和の神々の大本は日本書紀の崇神紀に現れています。まず、崇神六年に天皇は神威を恐れられて、宮中の同殿共床する二柱の神さんに皇女をそえて宮中から外に出されました。

 天照大神(あまてらすおおみかみ)→皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめ・のみこと)→笠縫邑:檜原神社か?
 倭大国魂(やまとのおおくにたま)→皇女・渟名城入姫命(ぬなきいりひめ・のみこと)→大和神社か?
 
 この皇女の役割は神さんの世話をする巫女さんと思えば間違いはないでしょう。また天照大神は、一般には、神武天皇以来崇神天皇にいたる皇家が外から持って来られた神さんで、天津神(あまつかみ)と考えられます。倭大国魂や後述する大物主神さんは、大和の三輪山近辺の地場の神さん、つまり国津神(くにつかみ)と言えます。

 天照大神は後日の垂仁天皇時代に、倭姫命(やまとひめのみこと)が代わって仕え、各地を巡行し鎮座地をはるばる伊勢に求められました。要するに大和から東方に離されたわけです。皇祖神とされる天照大神が宮中から遠くに鎮座したとは、不思議な話です。なお、豊鍬入姫命のお墓は、ホケノ山古墳とする伝承もあります。

 ところが、宮中そばの倭大国魂は、激しい神さんでしたのでしょうか、そばの渟名城入姫命はすぐに、みるみる痩せて髪も抜け落ちていかれました。崇神天皇は娘さんの苦しみがさぞおつらかったことでしょう。さらに疫病もやまず、国内も乱れたままです。そこで崇神七年に叔母さんの倭迹迹日百襲姫命(やまと・ととび・ももそひめ・のみこと)に依頼して神さん達の神意を探られました。すると「大物主神(オオモノヌシ)」が姫の夢枕にあらわれて「吾をあがめよ」とのお告げがあったのです。

 今度は大物主神を齋き奉ったのですが、その効き目はすぐに現れず紆余曲折の果てに、
 大物主神→大田田根子(おおたたねこ)を祭主(神主さんと思えばよいでしょう)
 倭大国魂→市磯長尾市(いちしの ながおち)を祭主
 とされたところ、疫病が止まり国が治まり五穀豊穣となったわけです。
 そして、倭迹迹日百襲姫命は大物主神の神妻になりましたが、神さんと諍いがあったのでしょうか、やがて奇妙な亡くなりかたをします。そのお墓が箸墓だという伝承が残りました。

先代旧事本紀:天照御魂とはニギハヤヒの命
 石碑に刻まれた天照御魂神社は各地に数カ所ありました。近所ではすぐ西の鍵・唐古遺跡近くに、鏡作神社があってこの正式名称が「鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにいます・あまてるみたま・じんじゃ)」だったのです。
 
 それで、天照御魂神社も含めて近所の神社でお祭りしている神さまを調べたところ、いろいろいらっしゃるのですが、共通して「天照国照彦(日子)火明命(あまてるくにてる ひこ ほあかり のみこと)」神が多かったのです。この「ヒコホアカリノミコト」とは、神武天皇が大和に入る前に、その地(トミといって、一説に茶臼山古墳のある鳥見山付近)を統治していたという饒速日尊:ニギハヤヒノミコトだという伝承がありました。この神さんは不思議な方で、実は三輪山に祀られているという伝承もあります。すると、ニギハヤヒとオオモノヌシとの関係が気になってきました。

 しかしここでニギハヤヒのミコトを「先代舊本紀(せんだいくじほんぎ)」によって詳細に分析するのは私には荷が重いので、簡単な結論にしておきます。
 今ある他田坐・天照御魂神社は「おさだにいます」というように磐余の訳語田(おさだ)に似ていて、もともとは茶臼山古墳近所だったかもしれません。またネットでは巻向駅北へ200mほどのJR線東側の辻にあったともありました。ともかく数度場所を変わったようですが、この度発掘現場の真西すぐに鎮守の森を発見し、なにかしら奇縁を感じました。

 ニギハヤヒの尊は天も国も照らすという名称があるわけですから、太陽神だと想像できます。そして太陽神というと天照大神が伊勢・皇大神宮に祀られています。この二柱の神さんはどういう類縁があるのでしょうか? 謎は一層深まります。

まとめ
 Jo翁とともに、現代のJR巻向駅北西の大型建造物発掘現場へ行ったはずなのに、天照御魂神社に遭遇して、話が太陽神・ニギハヤヒにまで飛んでしまいました。
 
 さて、この話の状況証拠として。

 ☆今回の纒向遺跡発掘現場近く真西に「天照御魂神社」があり、一見して天照大神を祀っているようですが、もともとの祭神は「あまてるくにてる ひこ ほあかり のみこと」、即ち饒速日尊です。
 ☆纒向遺跡とその周辺には、ニギハヤヒをお祭りした神社が多いです。
 ☆崇神紀には、天照大神や倭大国魂や大物主神が描かれています。
 ☆天照大神は伊勢へ行ってしまわれて、大物主(大神大社(みわ))、倭大国魂(大和神社(おおやまと))、そして天照国照(天照御魂神社)が纒向周辺に残りました。
 ☆ここで天照国照彦(日子)火明命とはあまねく世界に光をもたらす太陽神であり、神武天皇以前の統治者・ニギハヤヒの尊だという伝承があります。
 ☆私は、三輪山周辺に現れたこの四柱の神々は実は同一神・大物主神という名で呼ばれた神と想像しました。それが個性によって名を変えて残ったのではないでしょうか。
 ☆崇神紀でアマテラスとオオクニタマとを宮中から分けて離して祀ったのに、夢枕に現れたのはオオモノヌシでした。天津神と国津神とを分けたはずなのに、国津神らしいオオモノヌシが現れて、オオクニタマとオオモノヌシとの入れ替わりのように思っていました。
 ☆またアマテルクニテルもオオクニタマを媒介にしてオオモノヌシと同一と思えたのです。
 ☆アマテラスもアマテルクニテルを媒介にしてオオモノヌシと同一と思えました。

 以上から、おそらく三輪山周辺におられる神々は大物主神の別の顔で、伝承によれば天照国照日子火明命とは、ニギハヤヒのことであり、それは崇神紀にあらわれたヤマトトトビモモソヒメノミコトを神妻とされた大物主神でした。
 このように古代の神々のことは、時が経つと、現代人の見る目によって様相を変えるのだと、まとめておきます。

参考
 日本書紀(岩波書店、上下)
 崇神天皇/肥後和男(秋田書店、1974)
 大和・紀伊寺院神社大事典(平凡社、1997)
 先代旧事本紀訓註/大野七三(批評社、2001)
 古代物部氏と『先代旧事本紀』の謎/安本美典(勉誠出版、2003)
 日本の神々『先代旧事本紀』の復権/鎌田純一・上田正昭(大和書房、2004)

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2009年11月27日 (金)

小説木幡記:2009/11/27(金)西向く士(さむらい)

 あと数日で11月も終わり師走に入る。四条川端の南座にも勘亭流のマネキが上がったと耳にしたが、未見。いろいろな事件も、人の噂も75日、知らない間にTVニュースや新聞誌面から消えていく。

 十一月は30日までしかないと、小学生頃からいままで間違ったことはない。{2、4、6、9、11}月が太陽暦の小月で2月以外は全部30日。ところがGoogleのカレンダーで見ると2012年の2月は29日まであって、この歳は四年に一度の閏年(うるうどし)。他の月{1、3、5、7、8、10、12}は31日間あって、給料日が遠のく。

ニシムクサムライ
 {2(平年は28日まで)、4、6、9、11}月が30日までしかないと知っている余は余程の文明国で教育を受けたのだろうと自画自賛。京都市立嵯峨小学校では、当時先生が黒板に「ニシムクサムライ:西向く士」と書いて、最後の「士」はサムライと読んだらよいと、教えてくださった。漢数字の「十」+「一」に見える。この一句あればこそ、その後の半世紀以上にわたり、余は小月をまちがったことが無い。まこと師恩は海よりも深い。

閏年(うるうどし)
 ついでに閏年だが、これは4で割り切れた西暦年の二月が29日になる。余の余生はこれで済ませられるが、実は別の補足付きで、たとえ4で割れても、100年で割り切れる年は普通年(平年)で、2000年は平年になりそうだ、……。ところが第二補足もあって、400で割り切れる年は閏年だから、やっぱり西暦2000年の2月は29日まであった! Google カレンダーで日付をジャンプさせると一目で分かる。

 数字オンチの余がかくまで拘るのは単純な日常生活の故である。

何故余は大小月を熟知しておるか(笑)
1.若い頃に始めてプログラミング(つまりアルゴリズムのたたき込み)練習をしたとき、どの教科書にも、大小月と閏年の条件をプログラムに組み込んで、カレンダーを作る課題があった。
 楽しかった。
 このうち、大月(31日)と2月以外の小月(30日)は、直接計算するというよりも、メモリーの中に表を作って大月(31)、小月(30)の月とを記憶させておいて、それと照合する方法(表引き)をとった。閏年だけは単純な整数割り算で余りがゼロかどうかで判定した。
 だから余の「大小月」記憶が20代に増強された。

2.余は古い男なので腕時計はアナログで、表示文字は1~12と決まっておる。おそらく中学入学祝いにもらった腕時計以来、ローマ数字はなかったし、ディジタル世界に入っても時計だけは頑強にアナログに拘ってきた。
 よってアナログ・カレンダー付き時計になってからの数十年間、小月は自分で設定しないと31日のままで狂ってしまう。
 (アナログ時計で、大小月を自動表示するほどの高級時計は使っていない)
 だからこそ、今にいたるも今年の11月が30日までしかないと、明快に覚えておる。

3.話変わってローマ数字の教育課程
 余は情報図書館学で時々目録に言及する。図書の頁付けだが、大抵は目次部分が別立てでローマ数字表記がしてある。これを算用数字に変換する話を授業でするのだが、毎年毎年、多くの学生がコケる。
 どうも、習った記憶がないようだ。初等教育では教えないのだろうか?
 ところが、余自身もいつ習ったか覚えがない。
 カソリック系の学校とか、古典英語を必須にする高校(そんなのあるんかいなぁ)なら、確実に教えないと、文献図書を読んでも意味が通らない。
 参考までに、表引きのための対照表を作成しておく(暇だね)。

 Ⅰ→1  Ⅵ→6  XI→11
 Ⅱ→2  Ⅶ→7  XII→12
 Ⅲ→3  Ⅷ→8
 Ⅳ→4  Ⅸ→9
 Ⅴ→5  Ⅹ→10

今夜の結論
 というわけで、暦法は数字が多くて難しい。マヤ歴によるとそろそろ世界が滅びるらしい。困ったものだ。
 その難しい天文暦法を安倍晴明さんのようにしっかり勉強しないと、西暦247年や248年に日本の大和地方で皆既日食があったのかどうか、心から納得できないままに終わる。その西暦年月は卑弥呼の死亡時期と重なる可能性もあるので、余の古代史漫遊における推論も、予断を許さない。
 最後は一挙に難しい話になってしまった。
 そう言えば、余は理科大好きの少年だったが、暦法だけは苦手だったなぁ。

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2009年11月26日 (木)

小説葛野記:2009/11/26(木)ネット文章印刷<DEP無効

件名:WindowsXP上での古いプリンターを、新しいブラウザで支障なく印刷可能にする方法。
症例:IE8やfirefoxで閲覧する文書やメルや添付ファイルを、ブラウザから直接に印刷出来なくなった。
   つまり、ブラウザがコケてしまう。

はじめに
 夏頃から葛野研のPCで、校務メルや文書を触っていて、印刷しようとすると「あきまへん! Windowsから拒否されましたで」というメッセージが出て、IE8であれfirefoxであれ、ブラウザがコケてしまうようになった。普通なら技術者に聞いたり、あれこれ勉強して治すものだが、その時は夏期論文に専念していたのでゆとりがなかった。
 会議前のついちょっとの書類とか、倶楽部例会のリストだったので、しかたなく画面内容をコピーして、別のソフト(ワープロやエディタ)に貼り込んで、そこから印刷して、なんとかこなしてきた。

Windows系症例の治療方法を探索
 最近、急にマシン系に没頭したくなって、そのメッセージをまじまじと見るようになった。要するに、遺跡も倶楽部も読書感想文も鉄道図書館列車も、校務書類処理も、……すべて頭痛がするようになってくると、最後はマシン系に逃げる悪いクセじゃね(笑)。
 メッセージから得たキーは「DEP: Data Execution Prevention」の「無効」だった。この二つをGoogleに入れて分かりやすそうな記事を幾つかみた。(参考1、2)

解があった
 もちろんWindows をしっかりまともにシステムレベルで勉強したことはないので、参考記事内容は何を言っているのかとんとわからない、そう宇宙語みたいなものだった。しかし、なんとなくうっすらと、ヒープとかスタックとか、オバーフローとか昔懐かしい用語に遭遇して、結局馴染みにであった気分になって、いわれたままに調子よくWindowsに手を加えたら、あっけなくインターネット・メール等をブラウザから印刷するようになった。めでたし。

1.原因A
 おそらくIE:インターネットエクスプローラのバージョン8に更新したときに、自動的にWindowsの一部が書き換えられたのだろう。→ c:\boot.ini のオプション1行分。

2.原因B
 余の使っているプリンターが10年ほど昔のモノクロ・レーザーなので、デバイス・ドライバが古すぎて、WindowsXPがDEPせざるを得ない条件を引き起こしてしまっているのだろう。

3.対策
 c:\boot.ini をエディタで開き、テキストの最後にあるオプションを修正し上書き保管し、再起動した。
 /NoExecute=OptIn (デフォルト設定で、普通はこれで障害は出ないが古い機器を使っているとコケる)
 →
 /NoExecute=AlwaysOff (DEP:データ実行防止機能をオフにする)

まとめ
 それまで動いていたプリンターがブラウザから使えなくなったのは、十中八九は、IE:インターネットエクスプローラを8仕様にあげたとき、IE8が勝手にDEP関係のオプションを設定したのだと想像。昔からIEはOSの一部といわれるほどに、Windowsの性格を変えてしまう。それに気付かないまま、「おかしいな」と言いつつ別の方法で印刷していたのだから世話ないよ。

 ただ、なまっていたシステム系感覚を少し取り戻せた。
 つまり、Windowsからのメッセージがある限り、その説明文からキーワードを見つけ出し、インターネット世界で検索すると、よい解が見つかる。普通は、最近のエラーメッセージは詳細で対処方も書いてあるのだが、上記件に限っては、袋小路に入り込んでしまった。つまり、AlwaysOffといような乱暴で簡単な方法の使用を、MS社は嫌っているのかも知れない。
 しかしDEP無効にしても、今のところ心配はしていない。なぜなら、これまでずっとDEP無効状態だったし(プリンターが動いていた)、これからも、もしもアタックされたときはDEP有効でも無理なんだろうな、というぼんやりとした想像からだ。

参考1:XP SP2のデータ実行防止(DEP)機能を無効にする→今回実際に適用した方法論が分かりやすく書いてあった。
参考2:解説:Windows XP SP2で採用されたDEPの仕組み→DEPの勉強に適している。

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小説木幡記:2009/11/26(木)

 現在、タイトルと主要写真と数行を含んだ記事元本が4つ記録されていて、書いておかないとと思う記事種が脳内に3つある。
 ところがどうにも先に進まない。
 理由の一つは、記事あたり小説葛野記や木幡記以外は数時間かかっている。遅筆と言ってよかろう。
 次の理由は、葛野でも木幡でもやたら横臥している。幾度か言うたが、病身なわけではなくて、ただただ脳が横臥を要求する。だから横臥瞑想だけが長くて、筆が進まぬ。
 さらに日常はやたらと人の出入り、会議、打合せが多くて、MuBlog構築に専念できぬ。MuBlogは余の実験室なので、これが進まぬと惚けたようになる。

 と、朝から洒落た一句もしるさず、しだり尾のながながと前置きが続いてしまった。
 そろそろ夜があけてきた、午前6時。
 今日も授業が早朝からある。
 貧乏暇無し。
 脳だけが夢想にひたり、現身は教室を彷徨う。
 影絵の世界なり。

 今朝はそんなところだ。
 生き生きて、MuBlogに世の脳内を射影して、別の将来の余がかつてあったMuの脳内を探索するプロジェクトの、先は長い。

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2009年11月24日 (火)

纒向宮殿紀行(1)崇神天皇・山辺道勾岡上陵 (すじんてんのう:やまのべのみちのまがりがおかのへのみささぎ)

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 写真は2009年11月23日の午前9時ころでしたが、朝靄がたっていました。周濠のある御陵(みささぎ)は神韻縹渺(しんいん・ひょうびょう)として、私には墓には見えず、古代の神社に思えました。
 京都に都があった時代には、朝廷から御陵に使わされた官吏は、しばらく出仕に及ばず自宅にこもったようです。つまり墓を穢れとして、清浄になるまでの禊(みそ)ぎが必要だったわけです。
 しかし前方後円墳が出来た時代に、そういう風習があったとは思えません。おそらく後円部円頂に眠る大王級の人は「神さま」として遇されたわけで、前方部ではいろいろな祭祀、賑やかなお祭りもあったと幻視しています。

 奈良県天理市柳本町の国道169号線沿い東側に、第10代・崇神天皇陵があります。古代史では行燈山古墳(あんどんやまこふん)と呼ばれ、全長が242mある前方後円墳です。日本書紀には「山邊道勾岡上陵」と記されています。古墳の歴史では、すぐ南の第12代・景行天皇陵(渋谷向山古墳:310m)と合わせて、柳本古墳群に分類されています。

 下の地図をクリックして下方(南)にスクロールすると、纒向遺跡のJR巻向駅や箸墓や、三輪明神(大神神社)がすぐそばの国道沿いにあります。

 次の写真は国土交通省の提供している航空写真に、古墳の名称を追加したものです。古墳の形状がよくわかります。
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↑国土交通省国土計画局:国土情報ウェブマッピングシステム:奈良県天理市柳本町(昭和50年撮影のもの)


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2009年11月23日 (月)

20091119→晩秋の助勤会:伏見桃山「和こう」

承前:20090924の月例会と秋季助勤会:倶楽部組織図

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↑特大のジョッキ烏龍茶、長大な手羽先黒焼き、一杯280円の焼きホタテ貝伏見桃山の和こう)←撮影・経理局長2009

ご隠居の来訪
 話は複相しますが先週末に北陸から経理局長2008が土産をもって葛野屯所に来てくれました。最近機関誌に消息文をもらったので、おおよその様子は知っていましたが、約10ヶ月ブリにまみえる姿はまばゆかったです。在学中から、NHK大河ドラマ篤姫の主演女優に似ていると、噂の「ご隠居さん」でした。aries
 そこで現役隊員の経理局長2009、副長補佐兼務三番隊長2009と計らって昼食を駅前の寿司店でとり、再会を祝った次第です。

 話は社会人「お勤め」のことに始まり多岐にわたりましたが、数日前に「晩秋の助勤会を伏見桃山の和こう」で催したことが話題にでました。実は2008年次の助勤達とは昨年末に和こうへ行った記憶があるのです。もう忘れていたと思いきや、経理局長2008はその記憶をまざまざと再現し、話が弾みました。

助勤会とは
 そこで「助勤会」ですが、助勤職はなかなか困難な内容を含んでいるので、半期に一度は外にでて懇親を深めることがこれまでもありました。それを助勤懇親会と名付けています。
 ここで助勤という役割の困難な条件を説明しておきますと、その一つに、4年生という経験の積み重ねがないと科目内容や共同作業の指導アドバイスが出来ないという前提があります。ところが4年生は、まず就職活動、そして卒業論文という難問を抱え込む回生で、大抵の一般学生は昨今「就活」で大学に出てくることも稀になってしまいます。もちろん卒論については、一年かけて原稿数十枚の「論立て」をじっくりこなすのは、優れた学生ほど困惑するものです。

 そういう悪条件の中で、助勤達は毎週早朝から授業に出て巡回します。
 そして受講生が発表するときは事前に数日掛けて提出されたレジュメを熟読し、周辺情報を集め、質問などを考案します。受講生の発表が終わるとその評価をまとめblogなどに公開します。これが半期に四回ありますから、まことに労力知力を要する役割です。

 なかなか苦労の多い役割ですが、例年助勤にあたった倶楽部員は「倶楽部員最後の責務」としてそれを無報酬で果たしてきてくれました。有難いことです。もちろん、久しぶりに葛野を訪れた経理局長2008も、昨年一年間その責務を無事果たした、いわば歴戦の勇士なのです。

 さて、助勤懇親会は参加者が助勤だけですが、一応倶楽部公式行事に数えています。ですから行き先も内容も、例年定まった雰囲気で行われてきました。夏は木屋町ないし祇園で、他の季節は伏見桃山となっています。そこで今回も昨年の晦日月と同じく同地の炭火焼き「和こう」を選んだわけです。

記念写真
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 このお店は「牛タン塩焼き」が名物と思っていましたが、海鮮やひものの炭火焼きが沢山メニューにあって、価格も手ごろで量もあり満足しました。助勤たちは物もいわずに巨大な鳥手羽先黒焼き(30㎝近い大きさ)にかぶりついていました。この食姿は鬼神と思うばかりのワイルドな写真もあったのですが、このたびは座標の写真(0,2)程度に抑えました。

 座標(0,0)はホタテ貝をそのまま貝殻の上で焼いた(昔の炉端焼き風)ものですが、焼くときの付けダシがよいのか良い味わいでした。座標(1,3)は最初に出された牛タン塩焼きでしたが瞬時になくなり、遠慮の固まりが最後に残りました。これを箸にした人が誰かは知りません。座標(2,3)はこのお店ならではのアジの干物焼きでした。現代大学生とは言っても古典的な日本の食事記憶があるのか、さっさと骨についた身までかじっていた助勤もおりまして、感心。このアジ干物焼きの話は、週末に上京した経理局長2008がたいそううらやんでおりました。この方は在学中からアジとか鯖が好きな学生でした。座標(2,1)はマヨ付きの焼きチャーシューでしたが、一種の照り焼き風なのでしょう、甘味と焦げ味が微妙に舌にからまり美味でした。おそらくこういう食べ方は私も始めてだったと思います。

 というわけで、私は酒を一滴も飲まずに水だけ2杯でこれだけの料理を一箸ずつ口にしました。局長が巨大な麦飯を延々と、もりもりと、数十分かけてじっくり食べる姿が印象的でした。冷めてしまったカルビ焼きをほぼ一皿おかずにして食す姿は、いまどき珍しい健康な若者の姿でした。意外だったのは日頃好き嫌いを激しく標榜している書記局長が、一般に若い女性が嫌う焼き魚を骨までしゃぶってけろりとしている姿でした。他方、好き嫌いを滅多に顔にださない経理局長は味のよいクセになりそうなキュウリ漬けに始まり、総ての料理をまんべんなく高速大量に処理していました

 葛野図書倶楽部2001は、年次の変化が激しい組織ですが、昨年も今年もこと食に関しては見ていて楽しくなるような食べっぷりで、私はそこに現代若者の芯の強さを知り、将来の日本に明るい展望を味わっております。つまり、人間とは上手に食べないとやせ細り、衰亡していくという永遠の真理があります。私には、食をもりもりと深く味わうことは脳を活性化し、よい未来をもたらすと言う確信があるのです。

 あと二年を残すばかりとなった倶楽部の2009年晩秋。
 葛野図書倶楽部2001、万歳。

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2009年11月22日 (日)

NHK天地人(47)最終回

承前:NHK天地人(46)大坂の陣

走馬燈を見る。
 こうして今夜無事最終回を迎えました。NHK大河ドラマはこれまでのところ、主人公の死をもって終了します。一人の人間の誕生から死まで、つまり私からすると「他人の人生」を一年間かけてじっくり味わうことになります。
 「天地人」では、御館乱(おたてのらん)が一つの分かれ目でした。この戦いをへて直江兼続は越後・上杉景勝を謙信公の後継者としてもり立て、兼続自身も、お船の婿となり直江家の名代を嗣ぎ、主君景勝から家老に取り立てられました。

 もう一つの分かれ目は石田三成との友情と、その結果として天下分け目の「関ヶ原の戦」でした。上杉景勝は徳川家康に敗北し、名門上杉はここに会津120万石から一挙に出羽米沢30万石に減封されました。直江兼続は表だった敗北の責任を求められもせず、執政のまま上杉家の再起に力を尽くしました。おそらく、この敗北は兼続に深い自責をもたらしたと思います。直江家は兼続の死後、所領屋敷を上杉に返し家名は断絶しました。これは兼続やお船の意志でもあったはずです。

 走馬燈を見るように一年間を振り返ると、兼続は上杉謙信と出会って以来、信長、秀吉、家康、徳川秀忠と直に渡り合う人生を過ごしました。その間常に無口な主君景勝の代弁者として、執政の役目を果たしました。関ヶ原が1600年で、亡くなったのが二代将軍秀忠の治世下1620年でした。60年の生涯だったわけですが、私が一番感心しているのは、関ヶ原以降の20年間、直江兼続は懸命になって上杉家の再起に力を尽くしたことです。米沢に学問所禅林寺(禅林文庫)を作ったのですから、執政として民政の文化面にも強く関わった兼続の威徳が偲ばれます。

さて最終回の見どころ。
 臨終に近い75歳の徳川家康に、伊達政宗とともに招かれた兼続の、セリフの少ない場面が心に残りました。最後は駿府城の一室で、家康と兼続だけの対面になりました。家康は兼続を前にして、息子の秀忠の冷たい眼差しについて愚痴をこぼしました。「秀忠の目は、愛も信義もなかった父上の人生は一体何だったのです、と言っている」と。
 兼続は家康に「その秀忠様に後をたくされた。だから、聡明な秀忠様ですから、お心の内は理解しているはずです」と答えました。
 関ヶ原の戦いをへて20年近く経ち、兼続の晩年には徳川という私人がすでに公人となっていました。日本を統一し安定した政権を打ち立て、二代将軍に治世が引き継がれたことで、徳川は「公」となったわけです。その中で、兼続は家康から「義と愛」という精神を秀忠に伝えることを頼まれ、引き受けることになりました。この場面の事実はどうであれ、晩年の兼続が秀忠から厚遇を受けたことからも、最後を飾る名場面と思いました。

思いで深い役者達。
☆お船:常盤貴子さん
 姉さん女房の役を上手にこなされました。画面に派手さはなかったのですが、兼続とは独立して様々な役割を果たしたと思います。兼続の不在中は自家を守り、主君景勝の奥方菊姫が京に上ったときは同行しずっと世話をしました。今夜は、江戸屋敷に一人住まう玉丸(景勝の後継者)の養育に力を尽くします。裏方の役割を常盤さんがこなしていく姿はいつも心の片隅に残っていました。

☆上杉景勝:北村一輝さん
 最初からお気に入りでした(笑)。関ヶ原のころまでは本当に無口な役回りでしたが、その無口な姿がまるで北村さんの天性の役割と思えるほどでした。老境の姿が良かったです。

☆直江兼続:妻夫木聡さん
 後述する小栗さんと同じく最初は気に入らなかったのです(笑)。理由は単純で今風のかっこよい若者を体現している雰囲気だったので、軽いというか「つまらぬ」と言う気持が先行してしまいました。ロートルから見る若者への嫉妬と思われそうですが、それとはまた違います。(私は日頃、若者達を頼もしく思っています)
 要するに馬鹿馬鹿しく思えてしまうわけです。女性にもてる若い男性像は、同性からみると「口も聞きたくない、目も当てられぬ馬鹿馬鹿しい色男」となってしまうものです。

 ところが。案に相違して天地人を毎回見ていました。それはつまり、すこしずつ「うん?」「なかなか」「よいなぁ」という気分が積み重なってきたわけです。
 小栗三成と同じく、妻夫木さんは太閤晩年のころから口髭を蓄え出しました。そこからのっぺりした色男という印象が私の中で大転換をきたしたのです。よく考えてみると、セリフ廻しに渋みが加わってきました。特に終盤の家康との対峙場面はどの場合も、セリフが重厚でした。
 というわけで、妻夫木さんは私の中で「これからますます輝く役者」となりました。おそらく後年の大河ドラマに出られたときは最初から期待をこめて、見つめることでしょう。

☆石田三成:小栗旬さん
 感想はほぼ妻夫木聡さんと同じです。ただ役回りの上もあって、敗軍の将、斬首という運命がより私の気持ちを惹きつけたピークがあったと思います。懐かしく思い出されます。家康に「人はお前に付いていかない」と面罵された時の三成の気持ちが、小栗さんの表情によく表れておりました。

☆伊達政宗:松田龍平さん
 後述する城田さんと同じく、顔立ちが日本人的でないのが違和感としてありました。役回り上、景勝や兼続への態度も横柄でした。しかし徐々に兼続に言葉少なく態度で好意をあらわしていく姿をうまく演じておられました。
 家康が兼続を問責している場面で、つつーっと現れて家康の肩を揉み(政宗は家康の娘婿)、兼続にむかって「じゃまくさい男や、はよ出て行け!」という馬鹿にしたセリフをはきます。いかにも兼続を子供扱いした迫真の演技でした。ところが家康から「お前は、兼続を買っているようだな」と言われます。(兼続の窮地を救うために、家康の前から去らせたわけです)
 要するに、政宗は兼続を評価しているわけですが、その態度が複雑で、そのややこしい所を笑顔もなく演じる松田さんが好ましく思えました。

☆真田幸村:城田優さん
 現代日本人はモンゴロイド的な風貌を無くしていっている雰囲気を城田さんに味わいました。最初はまるで慣れない欧米の巨漢が、浴衣を着て現れたような、苦笑を漏らす情景でした(笑)。しかし、最後の大坂夏の陣の前に、兼続と語らった情景ですべてが解消されました。特に男優は芝居の中の人生時間で、ある程度歳を経ないと駄目なんだ、とも思った次第ですcat

☆初音:長澤まさみさん
 いや実は、この女優さんは数年前の「功名が辻」でのクノイチ役以来、お気に入りなのです。今夜は随分加齢のご様子でしたが、亡き真田幸村の姉として、亡き三成の恋人として、そして兼続に一時的に惹かれた女として、よい味をだしておりました。

☆他にも一杯
 上田衆の綿々、兼続のお父さん、弟、淀殿、……。ものすごく思いで深いです。これが大河ドラマの醍醐味なんでしょうね。家康や秀吉でさえ、今夜はすべて許せましたし、気に入った名場面を幾シーンも思い出せました。

というわけで。
 今年の天地人は途中何度か「うん?」ともおもいましたが、つまりは、「若さ」「義と愛の一本調子」「屈託の少なさ」「明るさ」「多少の剽軽さ」で一年間を乗り切った作品だったと思いました。
 最大の収穫は、直江兼続という男のことを知ったこと、上杉謙信公亡き後の上杉家の、歴史上での生き残りの苦労を充分知ったことでしょう。
 そして最終回では、やはり意外なものいいですが、「私も兼続のように義と愛で余生をすごうそう」と思った次第です。お笑いになるかも知れませんが、そういう強い影響をもたらした大河ドラマと思いました。やはり死する時は兼続のように、「よう、頑張った」と仏顔をしたいもんです!taurus

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卑弥呼の墓(014) 水の都・水上宮殿:纒向遺跡の全貌

承前:卑弥呼の墓(013) 纒向遺跡の宮殿跡

1.謎の古代都市は邪馬台国か
 2009年11月16(月)の午後7:30~8:00に放映されたNHKクローズアップ現代「謎の古代都市は邪馬台国か?」(参考1)はおもしろく、特に現地を未見の人々には纒向遺跡の全体像がCGで容易に分かるようになっていた。一番の特徴は、纒向遺跡の全体および今回発表された宮殿跡や、280mの巨大前方後円墳「箸墓」の周りが、河川と運河で取り囲まれた情景がCGで再現されているところだった。それと符牒を合わせたように翌日の朝刊には「纒向遺跡中枢域は“水の宮殿”」という記事(参考2)が一面にあった。

2.水のイメージ
 二つの情報から一定の確率以上の確度で、纒向遺跡が「水の都」だったと想像できる。このことについては、巨大河川も海もない三輪山近くになぜ「水」が昔から縁深く記憶されてきたのか、自らの深奥で疑問に思ってきた。

 一つは奈良盆地が太古には湖だったという説がある。縄文期~弥生期の今から6000年ほど昔、奈良盆地が大和湖といってよいような巨大な湖だったという説である。山辺の道付近にある遺跡が海抜60m以上の地点に点在することが傍証となっている。昔からこの説は頭に残っていたが、最近ネット情報を見てみたところ(参考3)それほど大きな進展が無いので、今回の纒向遺跡とは話が違ってくると、時代も異なっている。ただ、三輪山や箸墓が湖に接していたというイメージは私の中から消えることはなかった。

3.磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)

崇神天皇磯城瑞籬宮跡(石碑)
 もう一つは三輪山の西南麓(纒向の大型建造物発掘現場から2~3km南)に崇神天皇宮跡という伝承地がある。ここは訪れたことがあり、写真付きで以前記事(参考4)を公開した。この瑞籬(みずがき)という意味には「水垣」の意があると記憶に留めたのは、高城修三さんの解説による「「水垣」は初瀬川(大和川)と纒向川に挟まれた三輪山西麓を指していたようである。」(参考5)からのイメージが記憶に焼き付いた。

 古事記(新潮日本古典集成)中つ巻によれば「御真木入日子印恵(崇神天皇:みまきいりひこいにゑ)の命、師木(しき)の水垣の宮に坐(いま)して、天の下治めたまひき。」とある。

4.三輪王権と邪馬台国
 今回の新聞報道(参考2)では、10・崇神天皇(磯城瑞籬宮:しきのみずがきのみや)、11・垂仁天皇(纒向珠城宮:まきむくのたまきのみや)、12・景行天皇(纒向日代宮:まきむくのひしろのみや)と紹介がある。垂仁天皇と景行天皇の宮跡は纒向地域の北東にあたり、崇神天皇の宮跡は三輪山の西南麓にあたる。そして水垣という想像はクローズアップ現代のCGで明瞭に現れていた。この三代の天皇は三輪山をぐるりと取り囲んでいるので、古くは三輪王朝と呼ばれていたが、王朝の定義変更があるので現代なら三輪王権と呼べばよいのだろう。記紀伝承とはいえ、現実に三輪山があり箸墓があり、巨大な前方後円墳がいくつもあり、そしてこの度は巨大建造物の遺跡が発掘されたのだから、三輪王権が実在したことは確実と考える。

 問題は今回の発掘と従来から言われてきた三輪王権との関係になる。従来は纒向遺跡の実体が分からなかったので、三輪王権と(仮称)纒向王権との関係は密ではなかった。ある程度明かなことは、三輪山の近くに纒向型と分類された古墳(参考6)が多く、それが箸墓に徐々に結びつき、箸墓の近くが三輪山麓の三輪王権宮居伝承地である、という地縁関係である。そこには、王権継承の実体については蓋然性が残るが、絶対的な地縁関係がある。仮に今回の大型建造物をXという宮殿とするならば、そのXは地縁において、

 三輪山麓{纒向王権{X}、三輪王権{磯城瑞垣宮、纒向珠城宮、纒向日代宮}}

という関係式に表せる。この式の意味内容が全体として邪馬台国なのか、あるいは三輪王権だけが原始大和王権なのかは今後の調査や研究で明らかになってくるだろう。

 そしてそこには川があり、大溝(運河と想像)跡もあった。おそらく、CGで表現されたように、このあたりは水で拠点が結ばれ、遠く難波まで水路があったと想像した。そして水都・邪馬台国が私の脳に定着した。事実の幾つかを断片的に知っていても、それがイメージに結ばれるのは何かの引き金が必要で、今回はクローズアップ現代の纒向CGと、翌朝の新聞記事がもやもやした考えに焦点をあわせてくれたようだ。

5.まとめ
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↑卑弥呼誕生/金関恕、大阪府立弥生文化博物館.東京美術、1999 p65 図版165より引用
 今回の記事のまとめをどうするか迷っていたところ、手元にあった1999年の図書に思いも寄らない地図が小さく掲載されていたことに気付いた。すでに20世紀末に今回の大型建造物発掘地や、河川や運河(大溝)にかこまれた纒向遺跡の全貌を表す地図があったことに驚いた。

 地図では北から5本の川が点線で「旧河道」と表現され、箸墓の南に現・巻向川がある。そして発見された「巻向大溝」はクローズアップ現代でも最初に「纒向小学校の校庭の端近くで大溝が発掘された」と説明があった。この地図では石塚と矢塚古墳の間に小学校がある。それはたしかに、川と川とを結ぶ直線的な人工の運河だと想定できる。

 図書刊行から10年を経てJR巻向駅北方で大型建造物が発掘されたが、それに合わせてこの地図はさらに詳しくなっていくと思う。奇しくもというか地図の「柵に囲まれた建物」とは、今回発掘現場そのものを指している。これだけの河川や運河跡があり、さらに箸墓古墳は280mの長大な外縁を二重の周濠が取り囲み、その大きさは400mを越すという発掘結果(参考8)も発表されている。まさに、纒向は「水の都」だったのだろう。

6.課題のメモ
 いくつか気になっていることがあるが、以下はすべて私には実証できない典拠不明のメモである。

 ★3世紀ころ、日本の半分くらいが連合国・倭国として存在し、その首都・邪馬台国に倭国女王・卑弥呼がいたとする。おそらくそれは纒向遺跡だったと考えている。その倭国と、記紀に残った神武天皇や三輪王権との質的な違いが、まだ私にはよく分からない。後者は男王が中心になり、祭祀が背後に隠れたということは想像できる。

 ★3~4世紀ころの王が居た地域は現・桜井市の中の隣近所で、歩いて動ける範囲だが、どのような経緯でイワレや橿原の神武天皇即位、あるいは後に茶臼山古墳のような巨大・大王墓(前方後円墳)が作られていったのかは、謎のままである。一般に神武天皇は架空と言うのが礼儀のようだが、私は記紀というフィクションは魏志倭人伝よりも正確に本質を描写していると考えてきたので、今回の纒向遺跡・大規模建造物と、約4km南にある茶臼山古墳とが、リンクすることを心待ちにしている

 ★それにしても、金印・親魏倭王印はどこにあるのか。魏が滅びたなら返還先がないから国内にあると想像する。どこかの井戸に投げ込まれた事例は、アッシリア滅亡の時にはあった。もし放擲されたなら、卑弥呼・トヨ政権と三輪王権に政治的断絶があったとも想像できる。

 ★昨日TVクイズ番組で、日蝕と卑弥呼の死とを丁寧に描いていた。後日言及する予定だが、西暦247と248年の二回にわたり、日本で日蝕があったようだ。そのことと卑弥呼の死亡時期とを合わせて説明があった。

参考
 参考1:NHKクローズアップ現代(No.2817)謎の古代都市は邪馬台国か?
 参考2:(インターネット:MSN産経ニュース)纒向遺跡中枢域は“水の宮殿”
 参考3:(インターネット)日本の古代史がつまった奈良(PDF)(JAXA衛星利用促進サイト:宇宙航空研究開発機構
 参考4:(MuBlog)磯城瑞籬宮跡
 参考5:(MuBlog)神々と天皇の宮都をたどる/高城修三
 参考6:(MuBlog)桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(0)
 参考7:卑弥呼誕生/金関恕、大阪府立弥生文化博物館.東京美術、1999
 参考8:(MuBlog)卑弥呼の墓(008) 箸墓古墳の大規模周濠確認

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2009年11月20日 (金)

小説木幡記:2009/11/20(金)週末の決算:相棒や助勤会や、その序詞

 しばらくMuBlogをお休みした。倒れていたわけではなくて、木幡に帰還すると、夕食はいただくのだが、あとのことが記憶から消える。つまりすぐに眠って朝になる。本当にこまったものだ。
 いくつかメモしておこう。

1.決算と精算
 男女関係がなくなるとき、世上では「精算する」と以前は言われていた。週刊誌のタイトルにもあったように覚えている。これがなぜ精算であって、決算じゃないのか、ふと考え込みだして心が路頭に迷った。実は、経理にうとく、精算と決算の言葉の違いは知らない。なんとなく、〆を入れるような雰囲気だが、まさか「あの人とは、決算した」だなんて用法は日本語にないだろうな。あれば、なんらかの違いもわかってくるかもしれない。

2.リベラル
 最近新聞やニュースで「リベラル」という言葉が、どうにも余の使ってきた用法とは異なることに気付いた。余は、リベラリズム、リベラルを英国の「伝統的保守本流リベラリズム」ととしてとらえてきたのだが。世上では、社民党や民主党の少し左派がかった、社会主義に傾する風潮をさして「リベラル」と言っているように感じられる。日本での「リベラリズム」とは吉田茂の<自民党における基本態度・保守本流>だと青年時に覚えた余には、どうにも混乱してしかたない。言葉は変化するものだから、「間違い」とは言い難いが、世間がおかしいのか、余の記憶や学習が間違っていたのか、いずれ確かめておこう。

3.じょことば:序詞
 言葉の基本的な使い方に迷うことがある。なにげなく使ってきた言葉が、その定義内容をしっかり把握しようとすると、急に宙をつかむような、豆腐に釘を打つような、わけのわからなさに呆然とすることがある。
 ラジオで「じょことば」と「まくらことば」との違いが耳に入ってきた。熱心に聞いていたわけじゃないので、結論部分を聞きそらした。

 数日前に教授会があって、となりに日本語学の専門家がすわっていたので、「センセ、序詞ってなんでしょう?」と伺ったら、突然椅子ごと後ろに身をうつし、さらに右手の専門家をさして、「Mu先生、そういうことは私よりも、こちらの専門家にどうぞ」と、別の方を紹介して下さった(笑)

 「あー、先生、お見それしました。先生が序詞の専門家とはまったく気付きませんでした」
 「いえいえ、Mu先生、どうぞ質問内容をおっしゃって下さい」
 「ええ、あのひつこくながながしい序詞とは、一体何なのです?」
 「それは、奈良時代でしょうか、平安時代ですか? どちらの<じょことば>でしょうか」
 「え! 時代によって異なるのですかぁ~。それじゃ、奈良でどうぞ」
 「はいはい分かりました。奈良時代の序詞は、一般に「植物、花や木」になぞられて比喩的につかわれることが多いですね」
 ~
 「はあ、なんとか分かりました。ありがとうございました」

 大学とは実に有難い世界じゃ能(cat)。
 さて。ことは歌謡に深く関係するのはわかったが、序詞は枕詞(まくらことば)にくらべて何句にわたってもよいことも分かったが、なぜ日本語の中には、このような長々しい用語連糸が使われるようになったのか、少し勉強する必要を感じた次第。教授会開催まえの数分ではそこまで伺うことはできなかった。
 あとで調べてみたら、用例があった。
 足引きの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかもねむ

 「長々し」に先の3句がかかってくる。この3句が序詞で、長いを表現するのに長い序詞がつかわれている。そしてこのうち「山」にかかる枕詞は「足引きの」となる。序詞と枕詞とは似ているようで違っている。どこがどう違っているのかは、今の余には分からない。いや、まことに楽しく不思議な世界だ。

4.相棒
 水曜日の夜だったか、TVドラマ「相棒」を見た。見るつもりはなかったのだが、江戸から突然指示があって「相棒をみないと、呪われる」という風な意味を味わったので、みることにした。
 言葉としては単純に「Jin仁もよいが、相棒もおもしろいよ」だけなのだが、余の研ぎ澄まされた感性ではこれを「相棒を見ないとどうなるか知らないよ」という強烈な呪詛に聞こえたわけじゃ。変換効率が高すぎる余は、ときどきこれで病気になる(aries)。
 さて。どうだったか。

 うむ、面白かった。関東の話で、第二関越高速道路(フィクション?)を造るのに際して、5年前に国交省の若き官僚が自殺した。ところが、日本の鉄道廃線を題材にした車窓DVD(つまり鉄ちゃんが、車窓の移り変わる風景だけを大型ディスプレイで見ながら、弁当を食べるという趣向)を見ていた右京は、5年前に撮影したそのDVDの「間宮駅(フィクション?)」に佇む人影が、その自殺した官僚三島であることに気付いた。自殺が発見された当日の午後3時頃かな?

 おお。なにか変だ、おかしい。その事件は5年前に警視庁の二課が三島を官製談合の容疑で追いかけ回したばっかりに自殺したという、警視庁にとっては蓋をしたい忘れたい自殺事件だったのだが~。
 三島に当日会っていないと言い張っていた別の官僚が、実は会っていたというのも、このDVDによって中盤で明確になった。余はそのミステリ趣向に溜飲を下げたほど、感動した(笑)。
 ほんま、この相棒は上手だね。
 ところが。
 それはまだ40分経過のころの話。てっきり、その別の官僚が犯人とおもいきや~。
 いやはや、驚きました。実は~。
 ヒントは、木に毎日水掛けしても、「花が咲かない」という半分朦朧とした高齢女性のつぶやきなんだなぁ、これが!
 (あとでDVDで見る人からは、このMuBlogに火を点けられるかも知れないが、いや、本心からおもしろかったので、ネタバレも勇み足とおもって、ゆるしてつかーさいsnow

 ドラマ「相棒」って、ほんまに上質なミステリだねぇ。見ておいて良かった。となると気になるのは裏番組の「浅見光彦(内田康夫先生原作)」。それを思うと夜も眠れなくなる。一体どちらを見ればよいのか、身を引き裂かれる思いがする脳。これで再度「浅見さんも面白いよ」とでも、呪詛が耳にはいったなら、余は「現代TVドラマ、引き裂かれたロートルの呪殺死」となってしまう。

5.秋の夜長の助勤会
 昨夜助勤たちと、伏見で助勤会をおこなった。夏の助勤会は余の欠席で、そのリベンジでもあった。
 余、会議で15分遅れたが間に合った。みんなワイルドなくらいに食べておった。感動的な食べっぷりをみながら、昨日午前の演習発表評価の終了を無事言祝げたことに安心した。別途写真を交え正式な倶楽部行事として記録もしようが、実はこの<5>が今日の記事の本旨。あとはすべて序詞・枕詞となる。
 だから、こうとも言える。

 足引きの山鳥の尾のしだり尾の長々し演習「中間発表」終了を言祝ぐ記事をこうして描いたぞよ。あとは完成まで一ヶ月。それが済めば住の江の岸に寄る波夜さえも考え続ける労苦も無くなるのう。いやはやその間本当に日々受講生たちの難儀をそばで見、陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れむ心を幾夜も抱き続けたことでしょうが、昨夜の焼肉やアジの干物やクセになりそうなキュウリ漬けで、くつろいでいただいて重畳至極。

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2009年11月17日 (火)

小説木幡記:2009/11/17(火)秋の雨:勉強一杯忙しい

1)昼食は久しぶりに蕎麦とおにぎりを食べた。絶妙の味なり。

2)朝日文庫かな、松本健一さんがこの五月に、司馬遼太郎さんの「街道を行く」、全60篇ほどに各章・原稿4枚程度の解説を載せて、それをまとめた文庫を読んだ。一気に半分読んだ。幾分ミステリ調で、「さて、このことを司馬さんはどのように描いているでしょう。そしてその根拠は?」という風な感じで、肝心の謎の解は司馬さんの原典を読まないと謎のまま~。報知的&指示的抄録と思えば納得。(情報図書館学の用語ですcat

3)性懲りもなく雑誌というかMookというか「LinuxPerfect v4」を入手した。1380円、高いと言えば高いし、知識の宝といえばそうも言える。キャッチフレーズは「デュアルブータブルDVD:2大人気Linuxがインストールなしですぐさま起動:Fedora11&Ubuntu9.04」とな。まだまだ余も若いねぇ~。こういう惹句や付録DVDにすぐ欺されるsnow。ただ初心者には、いちいちネットでダウンロードして、解説断片をネット中で家捜しするよりは、一式まとめた冊子を手元に置く方が気が楽になる。おまけに綴じ込み付録で「初心者歓迎!Linux入門講座」まである。~もっとも、Linux入門書だけでもこの十年間に10冊ほど買っている。なんというか、この世界は人を引きずり回す蠱惑に満ちておる能。

4)昨日午後7時半のNHKクローズアップ現代では、幻の邪馬台国を放映しておった。突然のことなので記録もできず、まずはじっくり大御所、専門家たちの話に聞き入った。わずかに30分の間に、CGを使った纒向の全貌ジオラマ的画像が次々と現れて、余は目をまるくして食い入るようにみておった。しかたなく木幡漫画博士にたのんでテープを買いにいってもらって、深夜零時すぎのBS2で録画してもらった。ところで、近所のコンビニでも、もうビデオテープは売っていないらしく、シャッターを閉じかけの電気店でようやく入手したとのこと。余もそろそろ世間にならってDVDに記録するとかいう最新鋭の世界sunを経験したくなったが、~、いやいや無駄遣いはしないでおこうと、決心した。ビデオデッキは葛野にも木幡にも一台ずつ古いのがあるから、まだ大丈夫。

 CG纒向は、箸墓を含めて、今度の宮殿か神殿・その大きな建物も、幾本もの運河にかこまれて、まるでシュメール時代のウルの古代都市のように見えてきた。これは凄まじい景観じゃ。ビデオと解説とをしっかり頭にいれて、現地に行ったときの幻視体験に備えよう。

 しかし今度の建物中央に柱がある様式は出雲大社に例があるそうで、居室や神殿の間取りを持っていたという解説があった。ふむふむ。梅原猛先生の「隠された十字架」を不意に思い出した。法隆寺のことも含めて、柱が中央にあるのは怨霊封じ込め説でもあったなぁ(ちょっと笑)。いやしかし、古代の建築家は、工法として安全な中央柱を意識していたのかも知れぬ能。やがて、諸説あらわれて、また楽しくなる。

5)今夕は屯所に3年生達が遅くまで残って明日の授業の準備をしてくれておった。精勤なり。余は眠くなったので先に帰った。ふむ。

6)上述の2)には、司馬さんが本郷を歩いていたとき「助勤」という言葉が、「新選組副長助勤」以外に、歴史的にないことを気付いて、そこから、推理が始まったと、松本健一さんが書いておられた。その解の一部は、新選組前身の新徴組(このあたりは余・要調査)に関与した清河八郎が、土方さんや近藤さんに伝搬させたという説だった。
 となると、葛野の助勤職とは、これは実に意味深い能(taurus)。

7)順番
 CG纒向や関連新聞記事のこと。
 リーマン予想のこと。
 ポアンカレ予想のこと。
 いろいろ勉強することが一杯ある。
 今月号の情報処理特集は「クラウドコンピュータ」やった。
 なかなかに、長生きしないと、全部理解できない、うむ。

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2009年11月16日 (月)

小説木幡記:2009/11/16(月)一杯 {天地人、リーマン、Jin仁、纒向遺跡、無線LAN}

 昨日日曜から今日にかけて一杯ありすぎて、脳がつかれ、肩が痛くなってきた。身体もだるい、熱でもあるのだろうか(笑)。

1.天地仁リーマン
 NHK天地人のことは昨夜掲載したが、来週は最終回となる。熱狂はしなかったが、特に昨日の回はよかった。ようするに妻夫木さんの演技が円熟してきたからだと思う。役者は目の動きにあるな。それと、伊達政宗や真田幸村もよかった。一応昨夜も記したが、淀殿の無念さがやけに胸にせまった。

 石原良純(よしずみ)さんの福島正則が、家康に諫言(豊臣を攻めるなという)したばっかりに足蹴にされて、亡き太閤を偲ぶ場面も、月並みの名場面として心に残った。余は「月並み」「お約束」というものを大切に考えている。まさにあそこで正則は、15年前にうかうかと家康の甘言にのって、小憎たらしい三成に矛を向けたことの浅慮を味わい、涙するのが正しい役割だった。なかなか、よい能。

 Jin仁のオペ(手術)は、胃潰瘍穿孔の穴塞ぎだった。興味深くみた。一体なぜこの「Jin仁」に惹かれるのかと、眠りにつく時に考えておった。江戸時代と現代の風景を交互に見せるところがよい。
 女優がみなさんお美しく、しかも、たとえば野風のヘアスタイルをしげしげと見たが、あれは芸術そのものだな。日本髪がよいと思ったこともないのに、野風の髪形、そして妖艶さにはちょっとまいったまいったぁ(笑)。
 あるいは、咲さんだが、仁が刺客に襲われる危険を野風の手紙で知って、単身仁をおいかけ、無事刺客が去った後、仁と同じく膝の手の震えが止まらなかった。この時の、咲の手の震えが実に迫真というか、この人「上手だなぁ」と思った次第。

 内野さんの演技はますます磨きがかかってきて、唾振りまきながら、顔しかめて大音声で演説をぶるところ、現実の龍馬もかくや、あるいは「この人、龍馬だ」と思うくらいの「凄さ」だったなぁ。龍馬が眼前のTVの中で走っているような気分になってきて、背筋がひんやりした。憑依の内野聖陽さんだ。
 セリフふたつが気になり気に入った。
 一つは、漢方医に仁が身元不詳で責められたとき、「何事も、お上が知っている」という龍馬の不思議なセリフだった。幕府上層部やあるいは龍馬は、仁が時間旅行者であることを知っているどころか、管理している予感がしてきた。
 もう一つは龍馬の肉声として、土佐弁で仁に向かってがなり立てた「おまはんは、欲ちゅうもんがない。それは生ける屍や」という所。前後のコンテクストからみて、この脚本、上等だなぁ。

 さて、仁と同時刻のNHKは、リーマン予想について小一時間あった。
 今朝ほんの少し5分ほどみたが、始めて素数{1,3,5,7,11,13,17,19,23,29・・・}の不気味さに気がついた。長い整数の階段があって、素数(1と自分でしか割れない数)のところだけ白くなっていて、そこを昔のヨーロッパ人(リーマンさんかな?)が登っていくアニメっぽい画面で、宇宙の未知の恐怖を味わった。これは楽しみだ。いつかちゃんと記事を書こう。もしかしたら、宇宙創造主のDNAというよりは遺伝情報コード(暗号)なのかもしれない。こんなものの全貌を人類が理解したら、宇宙は破壊される危険性すらある、……。それほどに、興味がわいてきた。

  ○●○●○●○●●●○●○●●●○●○●●●○●●●●●○~

2.葛野のことや纒向遺跡のTVや新聞記事や無線LANや~
 一杯ありすぎて整理できないので、今夜はこのくらいで止めておこう。要するに毎日があっというまに過ぎていき、ますます心の時間旅行が加速する。夕方になると、葛野で心身が痺れるような毎日だ(笑)。

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2009年11月15日 (日)

NHK天地人(46)大坂の陣

承前:NHK天地人(45)休講

 大坂冬の陣、大坂夏の陣といえば、豊臣家滅亡の歴史として幼少から耳にしてきました。織田信長の姪として、豊臣秀頼の母として、淀君は無念だったでしょう。
 この間、信長、秀吉、家康というあっという間の出来事でした。今夜の兼続はまだ数えで55歳でした。しかしそのわずかな時間、歴史的には大変動の時期だったのです。

 55年の間に越後から会津、米沢に移った上杉家、直江兼続の人生は波乱に満ちていました。そして今夜は、兼続と二代将軍秀忠との因縁浅からぬ交誼を、これまでとは違った視点で描いておりました。つまり、秀忠の娘、家康の孫を大坂落城から救いだした一夜でした。
 感動が深かったです。

 余話:ところで、千姫は、淀君からすると姪になります。つまり二代将軍徳川秀忠の奥さまは、淀君の実妹ですから、叔母さんになり、となると夫の豊臣秀頼とはイトコです。
 余話:ドラマとしての千姫救出は本当によくできていました。しかし私などは昔から映画やドラマで、必ず坂崎出羽守が登場していたので、ドラマに没入するまでに数秒間のタイムラグがありました(笑)

今夜の見どころは沢山ありました。
 将軍秀忠の依頼をうけて、伊達政宗が上杉景勝と兼続をおとずれて、「家康に、豊臣家を攻撃しないように言ってくれ」と伝えます。話を聞いて兼続は駿府の家康を訪れて、「豊家との約束を反故にした」ことを家康自らに言わしめます。そのことで、次世代を束ねる秀忠に「義を棄てることは、二度とないように」と、暗黙の忠告を与えたことになります。ドラマでは、二代将軍は直江兼続の頑固なまでの「義」に心酔しているようでした。

 大坂夏の陣の前に、真田幸村と兼続とは密かに出会って、互いの心懐をひっそりと語り合います。幸村が「おさらばです」と背を向けたとき、兼続は千姫救出を頼みます。豊臣家が千姫を道連れにするよりも、豊家の最後の慈悲心を世に伝えて欲しいという気持からでした。

 幸村は千姫を井戸に隠したとき、「直江様以外には、けっして返事をしてはいけません」と伝えます。千姫の質問に答えて、「唯一、直江さまだけが信じるに値するひとです。わたしは、あのお方から総てを学びました」と。なかなかよいセリフでした。そういう風に人生を送った兼続を、高野山で10年以上逼塞していた幸村は、ずっと遠くから眺め、思い出していたのでしょう。

 秀頼と淀君が地下道を通って死地に出向くとき、千姫が後を追います。それを止めようとして幸村が千姫を抱きかかえます。淀君は千姫に「生きぬいて、家康に豊家の意地と、この最後を伝えよ」と言った場面でした。そこで、画面に美しい火の玉が見え隠れするシーンが、とても心に残りました。ただの火焔ではなく、透き通ったような人魂がイメージされていたのです。

最終回に向けて
 ドラマとして、関ヶ原の戦い以来、上杉も直江も苦難の道をたどりました。大坂夏の陣まで15年間の長きにわたり、けっして安穏と領国治世に励むだけではなかったと想像します。逆に、関ヶ原の戦いで西軍が敗れたことと豊家の滅亡には15年の時間があったのです。その間、家康は豊家を速攻で攻撃できなかったいろいろな理由があったのでしょう。それはドラマでは描かれませんでした。

 ただ、終盤に向かうにつれて、上杉家は直江兼続をとおして、二代将軍秀忠と交誼を結んでいたという事実の片鱗をいろいろ味わいました。このことと、上杉家が幕末まで続いたことを合わせて考えると、兼続の偉大さが偲ばれます。要するに、景勝と兼続の「義」や「愛」は、秀忠や幕閣に信頼するにたる「米沢」という印象を植え付けたのでしょう。
 その意味で、ハッピーエンドだったと思いました。

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2009年11月14日 (土)

小説葛野記:2009/11/14(土)怒りっぽい爺さまや切れる若者

 土曜日で、午前中は買い物と書店に寄ろうと思ったが、時間がもったいなくて昼過ぎには葛野に着いた。
 日曜作家は芳しくないが、それでもなんとか休日の極早朝にはこなしている。なかなか完成しないのう(cat)。

(1)高齢者は怖いなぁ
 ハードディスクと、無線LANの受信機(Mac用)、フラッシュメモリー、車掌車ワフ28000(500円くらいだった)、と以前から必要と思いながらも、これまで店に行く気力もなくて、今日やっと揃えた。葛野もイーサネットのワイヤーが煩わしくなってきて、その上、無線の転送速度が速くなったと知ったので、買った。まだ、セットしていない。マシンに直に触るほど余力がないのが実情だなぁ。

 肝心の書店だが、実は数年後に本職の方の教科内容も大変化するので、そろそろさび付いた脳を活性化しなければならなくなった。手頃な図書を探そうと思っているが、書店へ出向けばきっと最新ミステリやジオラマ関係図書に目移りして、肝心の専門書なんかさがしても「無いなぁ」で、済ませるような悪い予感がして、結局書店には行かなかった。また、ネットで丁寧に探して、入手しよう。えてして、本職が一番おろそかになるのは、どこの世界でも共通じゃわい。

 で、やっと本題。
 店で支払いを済ませようとしてカウンターに立つと、横から怖い顔した爺さまが突然割り込んできて、単品をカウンターに投げつけるようにして、「これ、なんぼや」とキツク言った。余も店員も驚いた。というのも、余の後ろには何人もいて、その爺さまは、別の角度から足早に来たわけだ。
 店員「すみません、こちらの方に並んで下さい」
 爺爺「なんや、そうなんか。ちゃんと、並ぶように指示を書いておかんのが悪い」と、叫んで、まあ後ろに回った。
 で、じゃ。
 それで済んだら、MuBlogには書かない。払い終わろうとしたら、またしても別の似たような爺さまが走り込んできて、買い物籠をドサリとカウンターに置いた。
 ~
 ともかく、二人の爺さまとも、笑顔一つ無くこわばった怖い顔をして、カウンターに走り寄ってきた。そして、似たような捨て台詞をはいて、一人は列にならび、もう一人は離れた別のカウンターに肩を怒らせて去っていった。

 このごろの爺さまは、なにか知らぬが、怒りっぽい。それに顔の相も良くない。もともと高齢になると節々が痛くなって、笑顔が少なくなると余も理解しておるが、それにしても、今日の体験は異常だったのう。

(2)切れる若者が多いのは
 これは新聞種だ。と、若者と言っても余の目からすると、10代から30代までは若者だから、世間とはちと違う。
 しかし、あれこれ書くと胸くそが悪くなるので詳細は省くが。
 本当に、めちゃくちゃな、発狂しているような若者が多い。いや、新聞やニュースがそういう猟奇的ともいえる事件を大々的に報じるから、そう感じるとも言えるが。

 そういえば。
 政府関係の仕分けとかいう、公私どちらかわからないようなTV中継も、なんだか若い(く見える)男女がキーキー声をあげて叫んでおった。衆目の中で、糾弾、つるし上げするのが流行りのようだ。こういう時、鶴田浩二が存命なれば、いい声でぴったりの歌をきかせてくれるのになぁ。
 と、半分うなだれて、その一部を目にした。そう、怒りを通り過ぎて、がっくりした。これが、日本なのだ。

 ところで。
 若者とは関係ないが、科学技術の先端や基礎なんて、無駄と言えば大無駄。数パーセントしか有効にならない。そういう世界に対して、「意味なし。無駄」と切り捨てる日本は、まさしく文化果つる世界となってしもうた。
 ああ、嘆かわしい。
 新政府がどれほど良い「見かけ」の成果をあげたとしても、この「科学」に対する暴虐は、日本をただの消費国、そして破綻国にしてしまうだろう。
 いっそのこと。
 マニュフェストにリストした、総ての事項も徹底的に無駄を省き、やめてしまえば、国債を40兆円も出すこともなかろう。そう、お金が無いときは、余のように、じっとしておれば最低限の基礎経費で人生すごせる。なじょう将来「切れる子供」に手当を出して、車を持たない者から税金とって高速道路を無料にするのか。分からぬ。ふむふむ。

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2009年11月13日 (金)

九十万アクセス(90万/全体157.2万):MuBlogの分析

承前:八十八万アクセス(88万/全体153.4万):MuBlogの分析(2009.10.05)

観測日時:2009/11/13(金) 15:20確認
MuBlog累計アクセス数: 900016  1日当たりの平均: 435.42
  (開設日2004/03/07 記事数 1,885 件 コメント 4,340 件 トラックバック 1,389 件  )
サイト全体累計アクセス数: 1571820  1日当たりの平均: 760.44

↓解析対象期間: 2009年10月14日(水) ~ 2009年11月12日(木)

(0) MuBlog90万アクセスの感想

☆この一ヶ月間のPC・MuBlog単体アクセス対象の傾向について(1-1)

 タイトル別では、「桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行」、「Macでウブントゥ:ubuntu(Linux)」、「丕緒の鳥・十二国記/小野不由美」が、先頭に立っています。これはカテゴリーに直すと、{遺跡、PC自作、読書余香}で、いいかえると「古代日本史・PC・文学」がMuBlog三本柱というか、三大(馬鹿)話というか、つまりはMuBlogの基調をなしているものです。肝心の「鉄道図書館列車」は、八番目に「自作鉄道模型」というカテゴリー・アクセスがようやく顔を出しています。

 今回は特別とも言えます。世間ではまず奈良県桜井市の茶臼山古墳が「水銀朱」で話題になり、次に松本清張の「点と線」がTVで新規再放映、さらに桜井市纒向遺跡(邪馬台国の卑弥呼話)からは宮殿跡遺跡が発掘されました。それにつられて、MuBlogのアクセスが好調になったと言えます。つまり、blogは、MuBlogに限っても世相に同調しているという面が大きいと痛感しています。

 MacでのウブントゥLinux利用は、意外すぎます。この記事は本当に未完成なのですが(わずかに30分間の実験報告なのです)、なにかしらApple社で新たな方法論が発表されたのかも知れません。実に急激なアクセス増加が続いています。これからのMacはLinuxマシンになる! という予兆でしょうか(笑)。嘘でしょうねぇ。一体どうしたことでしょう。

☆携帯MuBlog単体の一ヶ月動向はどうでしょう(1-2)

 10位までを再掲して考えてみます。

解析ページ 訪問者 アクセス
1 ミホミュージアムの秋 549 549 8.8% 8.8%
2 トップページ 519 519 8.3% 8.3%
3 点と線/松本清張(新潮文庫) 149 149 2.4% 2.4%
4 小説木幡記:2009/10/16(金)ドラマ「不毛地帯」と対話した 137 137 2.2% 2.2%
5 丕緒の鳥(ひしょのとり)・十二国記/小野不由美:雪のような音 108 108 1.7% 1.7%
6 NHK篤姫 101 101 1.6% 1.6%
7 小説木幡記 97 97 1.6% 1.6%
8 NHK風林火山 82 82 1.3% 1.3%
9 卑弥呼の墓(011) 卑弥呼の宮殿発掘?:奈良県桜井市纒向遺跡 78 78 1.2% 1.2%
10 NHK天地人 75 75 1.2% 1.2%

 携帯アクセスの圧倒的な読者は、女性であると先回(88万アクセス)でも分析しました。今回も、その確信はますます高まりました。ただ先頭の「ミホミュージアムの秋」がこれほど突出しているのは、データ処理の観点からいうと、疑問が残ります。トップページ・アクセスと近似ですから、この利用者の方達が、なんらかの事情で「ホームアドレス」に指定されているのでしょう。(なお携帯統計では、純粋アクセス数しか分かりません)

 3位~10位までみていると、ドラマが多いです。繰り返しになりますが、昨年と一昨年と今年のNHK大河ドラマがそれぞれ上位にあるというのも、これは歴女群支援アクセスに相違ないと考えてしまいますね。おまけに7位の「小説木幡記」は、まず一般不特定多数の方が読むような内容ではありません。

 結論を急ぎましょう。MuBlog携帯はおそらく、私の関係している職場、つまりは女子大生の方達とか、あるいは卒業生の方達によって読まれていると推論する次第です。となると、文言にはもっと気をつけていく必要がありますmoon1。いささかMu文体は野卑で品格にかけまする。もっと、上品に小説木幡記を書こうと思いました。

PC・MuBlog単体の「検索ワード」一ヶ月動向はどうでしょう(3)

 検索ワードの分析は殆ど行っていませんでした。 10位までを再掲して考えてみます。

検索ワード 割合
1 桜井茶臼山古墳 711 6.7%
2 地図 682 6.5%
3 丕緒の鳥 394 3.7%
4 京都 332 3.1%
5 ubuntu 309 2.9%
6 十二国記 298 2.8%
7 mac 286 2.7%
8 天地人 229 2.2%
9 自作 226 2.1%
10 実頼 165 1.6%

 卑弥呼宮殿が新聞公開されたのは四、五日前(2009.11.10)ですから、まだその関係は上位に出ていません。(17位に「卑弥呼」で101件のアクセスがありましたが)ですから、おそらく先頭の「桜井茶臼山古墳」には纒向遺跡や卑弥呼は内包されていません。純粋の茶臼山古墳を指していると想像します。

 2位の地図という一般用語よりも多いですから、この「桜井茶臼山古墳」は世間の興味を強く惹いたようです。ただし今回の様子を(2)のフレーズ分析でみると、「地図」は茶臼山古墳と対語になっています。

 3位と6位とは「丕緒の鳥(ひしょのとり)・十二国記」が単語に分割されただけで、この二語は強い共起というか、つまり対用語ですね。似た物として、8位と10位とは、NHK天地人の大国実頼(直江兼続の弟で、兄によって高野山に追放された)で、天地人・実頼は対語となっています。

 で、5位と7位も、MacでubuntuというLinux-OSを動かす話ですから、対語です。

 以上を考えてみると、4位の京都、9位の自作(多分PC自作、ほんの少し鉄道模型自作)が独立して上位に入っています。ここに、{京都、自作}という二つの柱が見えてきました。上述したタイトル分析をさらに抽象化すると、MuBlogは京都で自作記事を書いているblogと自動要約できます(笑)

(1-1)PCページ別アクセス数:1ヶ月分:MuBlog のみ

アクセス数: 16,356
訪問者数: 12,920
解析ページ 訪問者 アクセス
1 トップページ 665 1,238 5.1% 7.6%
2 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(1)桜井茶臼山古墳の発掘調査現場 426 616 3.3% 3.8%
3 Macでウブントゥ:ubuntu(Linux)、ついでにフラッシュメモリーで軽々 546 612 4.2% 3.7%
4 丕緒の鳥(ひしょのとり)・十二国記/小野不由美:雪のような音 433 496 3.4% 3.0%
5 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(2)箸墓と三輪山遠望 295 409 2.3% 2.5%
6 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(0)はじめに:初期・前方後円墳 215 329 1.7% 2.0%
7 涼夏2007PCの自作 (8)RAID設定(WindowsXP)とグラフィックスボード 176 247 1.4% 1.5%
8 自作鉄道模型 193 242 1.5% 1.5%
9 NHK天地人(27)兄・兼続と弟・実頼 188 205 1.5% 1.3%
10 涼夏2007PCの自作 (1)アクリルケースとファン、電源 113 172 0.9% 1.1%
11 桜井・茶臼山古墳の後円部構造物、結界(玉垣)、神社? 133 170 1.0% 1.0%
12 水銀朱:桜井茶臼山古墳石室の情景 94 156 0.7% 1.0%
13 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(3)ホケノ山古墳 124 151 1.0% 0.9%
14 Prius(日立製ノートパソコン)のハードディスク交換 126 146 1.0% 0.9%
15 小説木幡記:2009/10/16(金)ドラマ「不毛地帯」と対話した 125 144 1.0% 0.9%
16 NHK天地人(42)上杉(武田)菊姫の死 119 141 0.9% 0.9%
17 源氏物語・大沢本のこと 111 132 0.9% 0.8%
18 NHK篤姫(32)勝海舟と桜田門外の変 101 109 0.8% 0.7%
19 神々の乱心/松本清張<感想文 その1:上品な吉屋特高係長> 92 107 0.7% 0.7%
20 地図の風景 81 100 0.6% 0.6%
21 卑弥呼の墓(011) 卑弥呼の宮殿発掘?:奈良県桜井市纒向遺跡 77 98 0.6% 0.6%
22 自動往復運転の実験:サロ124形「二階建てトロッコ図書館列車・あたご2号(HOゲージ)」 66 93 0.5% 0.6%
22 落照の獄・十二国記/小野不由美:柳国のたそがれ 73 93 0.6% 0.6%
24 小説木幡記:2009/10/20(火)コロリと輸液:それ仁なり 82 89 0.6% 0.5%
25 嵯峨野鉄道図書館ジオラマ(04) 塗り、川と池と滝 53 85 0.4% 0.5%
26 卑弥呼の墓(008) 箸墓古墳の大規模周濠確認 61 83 0.5% 0.5%
27 卑弥呼の墓(012) 箸墓築造は240~260年か? 国立歴史民俗博物館の放射性炭素(C14)年代測定 54 81 0.4% 0.5%
28 若冲の秋:ミホミュージアム200910 62 80 0.5% 0.5%
29 浦沢直樹の「20世紀少年」は「21世紀少年」で終わったのか 71 79 0.5% 0.5%
30 卑弥呼の墓(009) 卑弥呼の館周辺を発掘開始:奈良県桜井市纒向遺跡 59 75 0.5% 0.5%
31 点と線/松本清張(新潮文庫) 70 72 0.5% 0.4%
31 小説木幡記 63 72 0.5% 0.4%
33 NHK天地人(43)兼続の弟・大国実頼 56 71 0.4% 0.4%
34 姑獲鳥の夏:うぶめのなつ(映画) 57 70 0.4% 0.4%
35 CPU空冷装置・換装のお勧め・SAMURAI-Z 39 67 0.3% 0.4%
36 NHK天地人(28)交渉人・直江兼続は伊達政宗と同時代 59 64 0.5% 0.4%
37 卑弥呼の墓(010) 『三輪山と卑弥呼・神武天皇』笠井敏光、金関恕、千田稔、塚口義信、前田晴人、和田萃(あつむ).学生社、2008.8 51 63 0.4% 0.4%
38 時間の習俗/松本清張(新潮文庫) 61 62 0.5% 0.4%
39 てらまちどおり:私の京都・寺町通{四条→三条} 59 61 0.5% 0.4%
39 昭和の鉄道模型をつくる(11) ポイントマシン(電動化の磁石)とDCフィーダー(送電線) 38 61 0.3% 0.4%
41 NHK天地人(44)治水と伊達政宗 43 60 0.3% 0.4%
41 スマート珈琲店(京都・寺町)のホットケーキ 45 60 0.3% 0.4%
41 嵯峨野鉄道図書館 52 60 0.4% 0.4%
44 邪馬台国 48 59 0.4% 0.4%
45 昭和の鉄道模型をつくる(03) 駅舎(面影橋駅) 47 58 0.4% 0.4%
45 じょうしょうこうじ:常照皇寺 47 58 0.4% 0.4%
47 ノート・パソコンのハードディスク交換、取り扱い処方 50 57 0.4% 0.3%
48 登喜和(ときわ)のステーキと春の京北周山町 35 55 0.3% 0.3%
48 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(8)まとめ 40 55 0.3% 0.3%
48 NHK天地人(38)関ヶ原と山形・長谷堂城 51 55 0.4% 0.3%
51 NHK篤姫(40)篤姫と和宮、家茂を挟んで写真を撮る 47 54 0.4% 0.3%
51 自作ロボット 48 54 0.4% 0.3%
53 室町和久傳(むろまち・わくでん) 40 52 0.3% 0.3%
53 ブラック・ラグーン(広江礼威)とヨルムンガンド(高橋慶太郎) 41 52 0.3% 0.3%
55 点と線/松本清張:TVで観た「新・点と線」 47 51 0.4% 0.3%
56 邪馬台国はどこか/NHK歴史の選択 41 50 0.3% 0.3%
56 NHK天地人 42 50 0.3% 0.3%
58 新世界より/貴志祐介 (上下):日本のアンチユートピア小説 47 49 0.4% 0.3%
59 二階建て図書館列車考(3)京阪特急ダブルデッカー(8000系) 39 48 0.3% 0.3%
60 NHK天地人(35)家康の政治力と前田利家 34 47 0.3% 0.3%
60 NHK天地人(40)会津120万石から出羽米沢30万石 34 47 0.3% 0.3%
62 NHK天地人(41)出羽米沢での再出発 38 46 0.3% 0.3%
62 「壬申の乱」の関係地図 30 46 0.2% 0.3%
64 新装のジュンク堂BAL店:私の京都・河原町通{四条→三条} 37 45 0.3% 0.3%
64 涼夏2007PCの自作 (7)配線とアクリルケース 28 45 0.2% 0.3%
66 図書館司書採用試験問題概説:県立図書館・関西・200702 43 44 0.3% 0.3%
66 インフルエンザ 44 44 0.3% 0.3%
66 美味しいところ 41 44 0.3% 0.3%
69 最古の前方後円墳(邪馬台国?)東田大塚古墳、矢塚古墳 35 43 0.3% 0.3%
69 読書余香 42 43 0.3% 0.3%
71 涼夏2007PCの自作 (3)マザーボード(GA-G33M-DS2R GIGABYTE社) 29 42 0.2% 0.3%
72 CPU空冷装置・掃除のお勧め 30 41 0.2% 0.3%
73 昭和の鉄道模型をつくる(36)道路パーツ、街灯、電柱(小) 35 40 0.3% 0.2%
73 太陽を曳く馬/髙村薫 殺人:芸術と宗教(読書感想文) 35 40 0.3% 0.2%
75 小説木幡記:2009/10/26(月):仁Jin的点滴作法 31 38 0.2% 0.2%
75 自作PC 32 38 0.2% 0.2%
77 神々の乱心/松本清張<感想文 その2:明瞭な小説視点> 31 37 0.2% 0.2%
77 小説木幡記:2008/06/04(水)年間出版点数8万件 32 37 0.2% 0.2%
77 長浜研修旅行20090827(3)海洋堂フィギュアミュージアム黒壁-Nagahama2009 29 37 0.2% 0.2%
80 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(7)纒向・東田大塚古墳(ひがいだ・おおつか・こふん) 30 36 0.2% 0.2%
80 Blogメモ 31 36 0.2% 0.2%
82 うさじんぐう:宇佐神宮 26 35 0.2% 0.2%
82 昭和の鉄道模型をつくる(17) タクシー営業所 25 35 0.2% 0.2%
82 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(4)纒向石塚古墳 25 35 0.2% 0.2%
82 伊吹山紀行:倭建命・ヤマトタケルノミコト幻視行 28 35 0.2% 0.2%
86 応神天皇陵と二ツ塚古墳の関係 19 34 0.1% 0.2%
86 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(5)纒向勝山古墳 28 34 0.2% 0.2%
88 二階建て図書館列車考(5-1)列車篇:嵯峨野トロッコ列車 28 33 0.2% 0.2%
88 NHK天地人(19)敵は本能寺、是非もなし 33 33 0.3% 0.2%
90 小川珈琲本店 27 32 0.2% 0.2%
90 小説葛野記 30 32 0.2% 0.2%
92 目次:嵯峨野鉄道図書館ジオラマ 14 31 0.1% 0.2%
93 みわやま:三輪山遊行(2)箸墓から檜原神社 21 30 0.2% 0.2%
93 昭和の鉄道模型をつくる(25) 動力ユニット 7 30 0.1% 0.2%
93 遺跡 23 30 0.2% 0.2%
93 葛野図書倶楽部2001 27 30 0.2% 0.2%
97 バックナンバー 18 29 0.1% 0.2%
97 私の京都:四条大橋と三条大橋の美味しいところ 26 29 0.2% 0.2%
97 嵯峨野鉄道図書館ジオラマ(07) 植樹 17 29 0.1% 0.2%
97 NHK天地人(12)兵糧と桑取 25 29 0.2% 0.2%
101 さのとうえもん:佐野藤右衛門邸の桜平成十七年 14 28 0.1% 0.2%
101 嵯峨野鉄道図書館ジオラマ(05) 地面に色粉(パウダー)をまく 13 28 0.1% 0.2%
103 古いノートパソコン・再生のお勧め:SONY-Vaio(2000年)に外付けハードディスク 23 27 0.2% 0.2%

(1-2)携帯・ページ別アクセス数:1ヶ月分:携帯MuBlog のみ

携帯MuBlogのみの総数 累計アクセス数: 96892 1日当たりの平均: 46.88 

携帯サイト全体の総数  累計アクセス数: 98836 1日当たりの平均: 103.28 

↓携帯MuBlogのみの1ヶ月分

アクセス数: 6,248
訪問者数: 6,248
解析ページ 訪問者 アクセス
1 ミホミュージアムの秋 549 549 8.8% 8.8%
2 トップページ 519 519 8.3% 8.3%
3 点と線/松本清張(新潮文庫) 149 149 2.4% 2.4%
4 小説木幡記:2009/10/16(金)ドラマ「不毛地帯」と対話した 137 137 2.2% 2.2%
5 丕緒の鳥(ひしょのとり)・十二国記/小野不由美:雪のような音 108 108 1.7% 1.7%
6 NHK篤姫 101 101 1.6% 1.6%
7 小説木幡記 97 97 1.6% 1.6%
8 NHK風林火山 82 82 1.3% 1.3%
9 卑弥呼の墓(011) 卑弥呼の宮殿発掘?:奈良県桜井市纒向遺跡 78 78 1.2% 1.2%
10 NHK天地人 75 75 1.2% 1.2%
11 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(0)はじめに:初期・前方後円墳 63 63 1.0% 1.0%
12 落照の獄・十二国記/小野不由美:柳国のたそがれ 57 57 0.9% 0.9%
13 NHK天地人(43)兼続の弟・大国実頼 56 56 0.9% 0.9%
14 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(1)桜井茶臼山古墳の発掘調査現場 54 54 0.9% 0.9%
15 バックナンバー 51 51 0.8% 0.8%
16 Macでウブントゥ:ubuntu(Linux)、ついでにフラッシュメモリーで軽々 46 46 0.7% 0.7%
17 図書館司書採用試験問題概説:県立図書館・関西・200702 45 45 0.7% 0.7%
18 NHK天地人(27)兄・兼続と弟・実頼 44 44 0.7% 0.7%
19 卑弥呼の墓(009) 卑弥呼の館周辺を発掘開始:奈良県桜井市纒向遺跡 43 43 0.7% 0.7%
20 点と線/松本清張:TVで観た「新・点と線」 39 39 0.6% 0.6%
21 嵯峨野鉄道図書館ジオラマ(04) 塗り、川と池と滝 37 37 0.6% 0.6%
22 新世界より/貴志祐介 (上下):日本のアンチユートピア小説 36 36 0.6% 0.6%
22 NHK天地人(42)上杉(武田)菊姫の死 36 36 0.6% 0.6%
24 登喜和(ときわ)のステーキと春の京北周山町 32 32 0.5% 0.5%
24 源氏物語・大沢本のこと 32 32 0.5% 0.5%
26 NHK篤姫(38)嫁姑よりも勝海舟と坂本龍馬 30 30 0.5% 0.5%
26 美味しいところ 30 30 0.5% 0.5%
28 浦沢直樹の「20世紀少年」は「21世紀少年」で終わったのか 28 28 0.4% 0.4%
28 卑弥呼の墓(008) 箸墓古墳の大規模周濠確認 28 28 0.4% 0.4%
30 卑弥呼の墓(010) 『三輪山と卑弥呼・神武天皇』笠井敏光、金関恕、千田稔、塚口義信、前田晴人、和田萃(あつむ).学生社、2008.8 27 27 0.4% 0.4%
30 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(2)箸墓と三輪山遠望 27 27 0.4% 0.4%
32 博物館 26 26 0.4% 0.4%
33 NHK天地人(28)交渉人・直江兼続は伊達政宗と同時代 25 25 0.4% 0.4%
33 邪馬台国 25 25 0.4% 0.4%
35 北九州の旅:和布刈神社(めかり・じんじゃ) 24 24 0.4% 0.4%
35 二階建て図書館列車考(4)Maxとき、上越新幹線(E1系新塗装) 24 24 0.4% 0.4%
35 若冲の秋:ミホミュージアム200910 24 24 0.4% 0.4%
38 地図の風景 23 23 0.4% 0.4%
39 涼夏2007PCの自作 (8)RAID設定(WindowsXP)とグラフィックスボード 22 22 0.4% 0.4%
40 私の京都:木嶋神社の三柱鳥居(このしまじんじゃ・の・みはしらとりい)魔界巡礼秦氏の謎 21 21 0.3% 0.3%
40 桜井・茶臼山古墳の後円部構造物、結界(玉垣)、神社? 21 21 0.3% 0.3%
40 小説木幡記:2009/10/20(火)コロリと輸液:それ仁なり 21 21 0.3% 0.3%
43 最古の前方後円墳(邪馬台国?)東田大塚古墳、矢塚古墳 20 20 0.3% 0.3%
43 絵葉書:紅葉と四季桜:香嵐渓+小原村 20 20 0.3% 0.3%
45 Prius(日立製ノートパソコン)のハードディスク交換 19 19 0.3% 0.3%
45 私の京都:四条大橋と三条大橋の美味しいところ 19 19 0.3% 0.3%
45 NHK風林火山:後日談→勘助、由布姫、ガクト 19 19 0.3% 0.3%
45 桜井・茶臼山古墳と纒向遺跡紀行(3)ホケノ山古墳 19 19 0.3% 0.3%
49 2004/10/31(日):新撰組:藤堂平助の死 18 18 0.3% 0.3%
49 NHK篤姫(49)さらば大奥 18 18 0.3% 0.3%
49 NHK天地人(19)敵は本能寺、是非もなし 18 18 0.3% 0.3%
49 NHK天地人(35)家康の政治力と前田利家 18 18 0.3% 0.3%
53 オーパーツ大全 : 失われた文明の遺産/クラウス・ドナ、ラインハルト・ハベック共著 17 17 0.3% 0.3%
53 私の京都:蛇塚古墳:魔界巡礼秦氏の謎 17 17 0.3% 0.3%
53 日本・歴史・古代・邪馬台国:まほろばの歌がきこえる/苅谷俊介 17 17 0.3% 0.3%
53 NHK篤姫(06)薩摩の話:島津本家の姫 17 17 0.3% 0.3%
53 二階建て図書館列車考(3)京阪特急ダブルデッカー(8000系) 17 17 0.3% 0.3%
53 NHK篤姫(46)最後の将軍・徳川慶喜 17 17 0.3% 0.3%
53 NHK篤姫(48)西郷隆盛と勝海舟 17 17 0.3% 0.3%
53 巻き寿司:明治屋と京都・百万遍「門」 17 17 0.3% 0.3%
61 葛野図書倶楽部2001組織図:概念の整理 16 16 0.3% 0.3%
61 インフルエンザ 16 16 0.3% 0.3%
61 NHK義経 16 16 0.3% 0.3%
64 ふしみぶぎょうしょ:伏見奉行所跡と魚三楼 15 15 0.2% 0.2%
64 飛鳥の「真弓鑵子塚古墳」(まゆみかんすづか):巨大石室と、南北通り抜け羨道 15 15 0.2% 0.2%
64 二階建て図書館列車考(5-1)列車篇:嵯峨野トロッコ列車 15 15 0.2% 0.2%
64 二階建て図書館列車考(5-2)乗車篇:嵯峨野トロッコ列車 15 15 0.2% 0.2%
64 NHK篤姫(39)薩英戦争と徳川家茂(いえもち) 15 15 0.2% 0.2%
64 自動往復運転の実験:サロ124形「二階建てトロッコ図書館列車・あたご2号(HOゲージ)」 15 15 0.2% 0.2%
64 NHK天地人(45)休講 15 15 0.2% 0.2%
71 長岡京市立図書館の風景 14 14 0.2% 0.2%
71 NHK風林火山(50)川中島・山本勘助の最期(3):放映直後 14 14 0.2% 0.2%
71 0501290・いわふねじんじゃ:磐船神社 14 14 0.2% 0.2%
71 じょうしょうこうじ:常照皇寺 14 14 0.2% 0.2%
71 NHK篤姫(21)愛の理屈--側室お志賀の心 14 14 0.2% 0.2%
71 NHK篤姫(40)篤姫と和宮、家茂を挟んで写真を撮る 14 14 0.2% 0.2%
71 姑獲鳥の夏:うぶめのなつ(映画) 14 14 0.2% 0.2%
71 小説木幡記:2009/10/24(土)EF81:カシオペアの改造:急カーブ対応 14 14 0.2% 0.2%
71 小川珈琲本店 14 14 0.2% 0.2%
80 てらまちどおり:私の京都・寺町通{四条→三条} 13 13 0.2% 0.2%
80 新装のジュンク堂BAL店:私の京都・河原町通{四条→三条} 13 13 0.2% 0.2%
80 うさじんぐう:宇佐神宮 13 13 0.2% 0.2%
80 前方後円墳の航空写真 13 13 0.2% 0.2%
80 勤王志士・古高俊太郎邸跡と、しる幸:私の京都・河原町通{四条→三条} 13 13 0.2% 0.2%
80 ブラック・ラグーン(広江礼威)とヨルムンガンド(高橋慶太郎) 13 13 0.2% 0.2%
80 金印偽造事件:「漢委奴國王」のまぼろし/三浦佑之 13 13 0.2% 0.2%
80 NHK風林火山(32)山本勘助:景虎と宇佐美の思惑 13 13 0.2% 0.2%
80 卑弥呼の墓(007) 纒向遺跡解明への期待 13 13 0.2% 0.2%
80 嵯峨野鉄道図書館ジオラマ(03) 下地作りと下塗り 13 13 0.2% 0.2%
80 目次:嵯峨野鉄道図書館ジオラマ 13 13 0.2% 0.2%
80 NHK天地人(14)上杉・武田、塩を送り黄金を贈る 13 13 0.2% 0.2%
80 NHK天地人(44)治水と伊達政宗 13 13 0.2% 0.2%
80 小説木幡記:2009/11/03(火)文化の日・寒色の秋 13 13 0.2% 0.2%
94 平城京、長岡京、平安京:三都の南北標高差 12 12 0.2% 0.2%
94 私の京都:薮そば(伏見桃山大手筋) 12 12 0.2% 0.2%
94 邪馬台国はどこか/NHK歴史の選択 12 12 0.2% 0.2%
94 NHK風林火山(34)裏切りの真田幸隆 12 12 0.2% 0.2%
94 卑弥呼の墓(006) 邪馬台国がみえてきた/武光誠 12 12 0.2% 0.2%
94 卑弥呼の墓(012) 箸墓築造は240~260年か? 国立歴史民俗博物館の放射性炭素(C14)年代測定 12 12 0.2% 0.2%
94 長浜研修旅行20090827(3)海洋堂フィギュアミュージアム黒壁-Nagahama2009 12 12 0.2% 0.2%
94 ようげんいん:養源院 12 12 0.2% 0.2%
102 石宝殿(石乃宝殿:いしのほうでん)と生石神社(おうしこ) 11 11 0.2% 0.2%
102 神々の乱心/松本清張<感想文 その1:上品な吉屋特高係長> 11 11 0.2% 0.2%
102 昭和の鉄道模型をつくる(19) 喫茶店(ラメール) 11 11 0.2% 0.2%
102 目次:新撰組(新選組!) 11 11 0.2% 0.2%
102 へいあんじんぐう:平安神宮;平成十七年春 11 11 0.2% 0.2%
102 NHK篤姫(22)老中・阿部正弘の死 11 11 0.2% 0.2%
102 NHK天地人(41)出羽米沢での再出発 11 11 0.2% 0.2%
102 小説木幡記:2009/11/05(木)DCC:まったりとした午後 11 11 0.2% 0.2%
102 小説葛野記:2009/11/09(月)狂乱のTVドラマに三本立て読書 11 11 0.2% 0.2%
102 日出処の天子(4)/山岸凉子 11 11 0.2% 0.2%
102 ほづがわくだり:保津川下り 11 11 0.2% 0.2%

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1 桜井茶臼山古墳 地図  G Y M 436 4.1%
2 十二国記 丕緒の鳥  G Y M 269 2.5%
3 桜井茶臼山古墳  G Y M 127 1.2%
4 丕緒の鳥  G Y M 87 0.8%
5 実頼  G Y M 63 0.6%
5 勝海舟  G Y M 63 0.6%
7 神々の乱心  G Y M 62 0.6%
8 内野聖陽  G Y M 61 0.6%
9 ubuntu mac  G Y M 59 0.6%
10 茶臼山古墳 見学会  G Y M 51 0.5%
10 桜井茶臼山古墳 見学会  G Y M 51 0.5%
12 源氏物語 大沢本  G Y M 50 0.5%
12 うぶめのなつ  G Y M 50 0.5%
12 大沢本  G Y M 50 0.5%
15 直江兼続 伊達政宗  G Y M 49 0.5%
16 mac ubuntu  G Y M 48 0.5%
17 ウブントゥ  G Y M 47 0.4%
18 天地人 実頼  G Y M 45 0.4%
19 京都 寺町通り 地図  G Y M 41 0.4%
20 時間の習俗  G Y M 39 0.4%
21 まきむく遺跡 地図  G Y M 29 0.3%
22 ubuntu mac インストール  G Y M 28 0.3%
22 ホケノ山古墳  G Y M 28 0.3%
24 纒向遺跡  G Y M 26 0.2%
25 箸墓古墳 地図  G Y M 24 0.2%
26 mac ubuntu インストール  G Y M 23 0.2%
27 実頼 兼続  G Y M 22 0.2%
27 京都 ホットケーキ  G Y M 22 0.2%
29 GA-G33M-D S2R  G Y M 21 0.2%
29 mublog  G Y M 21 0.2%
31 壬申の乱 地図  G Y M 20 0.2%
31 椿井大塚山古墳  G Y M 20 0.2%
31 じょうしょうこうじ  G Y M 20 0.2%
34 櫻井茶臼山古墳  G Y M 19 0.2%
34 桜井茶臼山古墳 被葬者  G Y M 19 0.2%
34 茶臼山古墳 桜井  G Y M 19 0.2%
34 21世紀少年 ネタバレ  G Y M 19 0.2%
38 谷口敏夫  G Y M 18 0.2%
38 纒向遺跡 地図  G Y M 18 0.2%
40 ケースファン 電源  G Y M 17 0.2%
40 内野さん  G Y M 17 0.2%
42 ミホミュージアム  G Y M 16 0.2%
42 点と線 犯人  G Y M 16 0.2%
42 紅鮎  G Y M 16 0.2%
45 天地人 菊姫  G Y M 15 0.1%
45 桜井茶臼山  G Y M 15 0.1%
45 インフルエンザ 熱がでない  G Y M 15 0.1%
45 卑弥呼 巻向  G Y M 15 0.1%
45 甘樫丘  G Y M 15 0.1%
45 windows raid 設定  G Y M 15 0.1%
45 丕緒(ひしょ)の鳥  G Y M 15 0.1%
52 昭和の鉄道模型を作る  G Y M 14 0.1%
52 桜井市 茶臼山古墳  G Y M 14 0.1%
52 しる幸 京都  G Y M 14 0.1%
52 小野不由美 丕緒の鳥  G Y M 14 0.1%
52 マキムク遺跡  G Y M 14 0.1%
52 プチロボ 無線  G Y M 14 0.1%
52 RAID 自作  G Y M 14 0.1%
59 自作PCケース アクリル  G Y M 13 0.1%
59 アクリル pcケース 自作  G Y M 13 0.1%
59 ジオラマ 川  G Y M 13 0.1%
59 桜井茶臼山古墳の研究  G Y M 13 0.1%
59 茶臼山古墳  G Y M 13 0.1%
59 pcケース 自作 アクリル  G Y M 13 0.1%
59 mac ubuntu usb  G Y M 13 0.1%
59 室町和久傳  G Y M 13 0.1%
67 柴本 幸 プロフィール 風林火山  G Y M 12 0.1%
67 ジオラマ パウダー  G Y M 12 0.1%
67 是非もなし  G Y M 12 0.1%
67 Nゲージレイアウト 山と平地のつなぎ目  G Y M 12 0.1%
67 pcケース アクリル 自作  G Y M 12 0.1%
67 セラミックグリス 塗り方  G Y M 12 0.1%
67 神々の乱心 あらすじ  G Y M 12 0.1%
74 京都 母屋  G Y M 11 0.1%
74 応神天皇陵  G Y M 11 0.1%
74 ミホミュージアム 若冲  G Y M 11 0.1%
74 桑取  G Y M 11 0.1%
74 松本清張 時間の習俗  G Y M 11 0.1%
74 大桐駅  G Y M 11 0.1%
74 日立 プリウス HDD交換  G Y M 11 0.1%
74 落飾  G Y M 11 0.1%
74 天地人  G Y M 11 0.1%
74 室町わくでん  G Y M 11 0.1%
74 ヨルムンガンド ココ  G Y M 11 0.1%
74 梅原猛 隠された十字架  G Y M 11 0.1%
74 実頼 上杉  G Y M 11 0.1%
74 asus raid 設定  G Y M 11 0.1%
74 山南敬助 堺雅人  G Y M 11 0.1%
74 samurai z  G Y M 11 0.1%
90 NHK 天地人 菊姫  G Y M 10 0.1%
90 太陽を曳く馬 感想  G Y M 10 0.1%
90 リストランテtvb  G Y M 10 0.1%
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90 東の海神 西の滄海  G Y M 10 0.1%
90 奈良県桜井市纒向遺跡  G Y M 10 0.1%
90 ubuntu usb mac  G Y M 10 0.1%
90 益田の岩船  G Y M 10 0.1%
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1 桜井茶臼山古墳 711 6.7%
2 地図 682 6.5%
3 丕緒の鳥 394 3.7%
4 京都 332 3.1%
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23 桜井 79 0.7%
24 纒向遺跡 75 0.7%
25 直江兼続 74 0.7%
25 勝海舟 74 0.7%
27 内野聖陽 72 0.7%
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29 菊姫 65 0.6%
31 ミホミュージアム 64 0.6%
31 松本清張 64 0.6%
33 ウブントゥ 61 0.6%
33 usb 61 0.6%
35 桜井市 60 0.6%
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38 伊達政宗 54 0.5%
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41 時間の習俗 52 0.5%
42 ネタバレ 51 0.5%
43 箸墓古墳 49 0.5%
44 模型 48 0.5%
45 寺町通り 47 0.4%
45 点と線 47 0.4%
47 windows 46 0.4%
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49 RAID 44 0.4%
50 森博嗣 41 0.4%
50 Nゲージ 41 0.4%
52 TOMIX 39 0.4%
52 NHK 39 0.4%
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57 まきむく遺跡 35 0.3%
57 しる幸 35 0.3%
59 ホットケーキ 34 0.3%
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61 bootcamp 33 0.3%
61 壬申の乱 33 0.3%
63 32 0.3%
63 小野不由美 32 0.3%
65 Ubuntu 31 0.3%
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65 上杉 31 0.3%
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68 ホケノ山古墳 30 0.3%
73 ヨルムンガンド 29 0.3%
73 HDD交換 29 0.3%
73 交換 29 0.3%
76 mublog 28 0.3%
76 改造 28 0.3%
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76 起動 28 0.3%
76 図書館 28 0.3%
81 27 0.3%
81 CPU 27 0.3%
83 不毛地帯 26 0.2%
83 古墳 26 0.2%
83 昭和の鉄道模型 26 0.2%
83 26 0.2%
83 21世紀少年 26 0.2%
83 巻向 26 0.2%
89 tomix 25 0.2%
89 電源 25 0.2%
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92 箸墓 24 0.2%
92 宇佐神宮 24 0.2%
92 プリウス 24 0.2%
92 周山 24 0.2%
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7 千葉 150 3.4%
8 兵庫 147 3.3%
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10 静岡 102 2.3%
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18 宮城 56 1.3%
19 岡山 43 1.0%
19 滋賀 43 1.0%
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22 岐阜 41 0.9%
23 福島 33 0.7%
24 愛媛 32 0.7%
25 栃木 31 0.7%
26 大分 30 0.7%
26 沖縄 30 0.7%
28 富山 28 0.6%
29 徳島 27 0.6%
30 石川 26 0.6%
30 鹿児島 26 0.6%
32 熊本 25 0.6%
33 岩手 24 0.5%
34 福井 21 0.5%
34 長崎 21 0.5%
36 秋田 20 0.5%
36 和歌山 20 0.5%
38 山形 18 0.4%
39 青森 16 0.4%
40 宮崎 15 0.3%
40 香川 15 0.3%
40 鳥取 15 0.3%
43 島根 13 0.3%
44 山口 12 0.3%
45 山梨 8 0.2%
45 高知 8 0.2%
47 佐賀 5 0.1%

(5)検索サイト1ヶ月分:MuBlogのみ

(↓エンジンへのリンクは保守用なので、使えません)

集計対象アクセス数:10,568

検索サイト 割合
1 Google 6,611 62.6%
2 Yahoo 3,261 30.9%
3 goo 350 3.3%
4 BIGLOBE 267 2.5%
5 @nifty 34 0.3%
6 Excite 33 0.3%
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2009年11月12日 (木)

卑弥呼の墓(013) 纒向遺跡の宮殿跡

間接承前:卑弥呼の墓(012) 箸墓築造は240~260年か? 国立歴史民俗博物館の放射性炭素(C14)年代測定
直接承前:卑弥呼の墓(011) 卑弥呼の宮殿発掘?:奈良県桜井市纒向遺跡

Himikomakimuku
地図:纒向の宮殿遺跡と関連地図(地図は「ゼンリン電子地図帳Zi9」を使用しました)

 2009年11月10に、奈良県桜井市教育委員会から纒向遺跡の宮殿跡発掘に関して発表があり、いくつもの新聞やTVニュースで知った。このことは以前から断続的に調査されているので、今回の発表は一つの節目として、大規模建築物跡発掘の中間報告として公開されたのだと思う。

 当MuBlogでは過去の邪馬台国論争の内、「卑弥呼の墓」をシリーズとして、連載してきたが、最近は休みが多く、たまに掲載すると決まって「発掘ニュース」のまとめ記事となってしまっている。それほどここ数年は桜井市の三輪山・北西麓にある纒向遺跡(まきむくいせき)に世間の耳目が集まっているようだ。

1.2009/11/10の発表
 奈良県桜井市の纒向遺跡で、南北約19m、東西約6m(多分、12mあったと想像されている)の建物跡が発掘された。写真や解説では直径32cmの太柱(12本ほど見えた)の上に載った、床面積が約240㎡で高床の「入母屋造り」建物が想像され、高さは10mほどあったらしい。床が72坪もある建物だから、大きい。
 建物配置のポンチ絵を下に書いておいた。要点は、東西はやや(5度)ぶれていることと、しかし、東西南北の方角がきっちりしていて、計画性がよく分かること。現地を見たり調査書を読まないと確定できないが、もし南に5度ぶれているのなら、その行き着く先は「二上山」であり、夕日の没する聖地となる。実に合理的である。

Cocolog_oekaki_2009_11_12_16_36

2.諸説
 いくつもの新聞には、各記事とも諸説あった。おおよそは、今回の建物跡が「邪馬台国の宮殿あと」説に傾いている。しかし九州の巨大遺蹟、吉野ヶ里との比較に至るまでには、纒向全体の発掘の規模が小さく、決定への余地が残っている。
 今回の纒向での発掘床面積が吉野ヶ里に比較して大きいこと、つまり238:156㎡は時代から考えて当時の邪馬台国の中心施設と考える根拠の一つとなっている。
 ここで諸説を繰り返すのは、すでに<直接承前>などで言及しているので、省略する。
 いずれ、研究成果が調査報告書や、諸研究者によってまとめられていくので、それを待つことにする。

3.苅谷氏の20世紀末推論
 私自身は、参考6の著書「まほろばの歌がきこえる/苅谷俊介」を20世紀末に読んでいるので、今回の発掘は自明の理と感じられた。どういうことかというと、前方後円墳のような精密なものを造るにはそれなりの設計を含めた計画性が必要である。纒向遺跡には、時代の確定(断代)はまだ再考の余地もあろうが、要するに「古墳時代」である。となると、宮殿や運河や古墳群を造るにも、相当に細かな計画が練られたと想像できる。苅谷氏の著書は、三輪山や古檜原神社(ひばら)や石塚古墳や箸墓や、纒向一帯のすべてを地図にして、そこから都市をどう造ったのかを推理されていた。そのプロセスが、20世紀末の「古代史非専門家」の私には、分かりやすかったから、その時、宮殿とは言わないが、なんらかの要所がそのあたりにあると、幻視していた。

4.宮殿と卑弥呼の居室は別
 今回の建物跡が祭祀場(古代神社)なのか宮殿なのか、中央政庁なのかは分からないが、纒向・石塚古墳を通る東西線と、箸墓を通る南北線のクロスするところが、今回の発掘場所であったとは、それにしても古代の人達の合理性(特に、東西のぶれによる、二上山志向)にあらためて驚き、現在の位置を20世紀末に推理して図化した苅谷氏の明察にあらためて感激した。
 
 なお、私は、卑弥呼の奥・居室(隠れ家、岩戸:頑丈な家)は、もっと檜原神社にむけての、三輪山北西麓だと想像している。理由は? 政(まつりごと)は平地で男達がする。しかし大巫女さまが神とかたらうのは、三輪山の懐でないと話があわない。ただそれだけの理由だが、私が大巫女さまにかしずくなら、平地に巫女さまを置くわけがない。それこそ当然のことだ。

参考記事
参考1:(JoBlog)卑弥呼の宮殿発見か
参考2:(JoBlog)纏向遺跡 大型建物跡発掘速報(続編)
参考3:(インターネット:MSN産経ニュース)卑弥呼の居館か 奈良・纒向遺跡から3世紀前半の建物跡が出土
参考4:(インターネット:MSN産経ニュース)“卑弥呼の柱”別の宮殿にリサイクル? 奈良・纒向遺跡
参考5:(インターネット:MSN産経ニュース)「九州説は無理…」新井白石以来の邪馬台国論争ゴール近し 纒向遺跡
参考6:(インターネット:MSN産経ニュース)西部警察でおなじみ俳優・苅谷さん「卑弥呼の宮殿」予言が的中

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2009年11月 9日 (月)

小説葛野記:2009/11/09(月)狂乱のTVドラマに三本立て読書

 最近またMuBlog掲載が滞っている。ついにNHK天地人は休講となった。窮余の策であった。

 しかし心身が疲弊しているわけではなく、入力制御がいつになく混乱し、出力を押さえることで乗り切ったともいえる。勿論平日の葛野物語は雑務の繁忙につぐ繁忙で、ときどき自分を喪失しているのも、まごうかたなき事実也。葛野のことも夢のまた夢と、思い定めるほどには枯れてはいぬ。したが、もみくちゃにされておる自らの姿を記録しても詮無いこと。それは、放念しよう。

 今朝もまた朝から授業が詰まっておる。嘆くよりも、まだまだ役にたっておると喜ばなくちゃ(本当は、いつのまにか役立たずと後ろ指さされているかもしれぬが、そんなこと気にしていては教授はつとまらぬ。無用の要なり)cat

TVはおもろい、ドラマの秋じゃ:茫然自失
 昨日、日曜のことだった。
 夕風呂を終えて一休み。しばらくして夕食、NHK天地人、JIn仁とTV鑑賞が続く。日曜も忙しい。
 ところが伏兵があった。一つは、Jin仁を放映中に、NHKスペシャルで北朝鮮がどうしたという番組があった。これは事情があって脳、どうしても見る必要がある。しかしJin仁と較べたら、どちらがおもしろく、どちらが大切かはわかりきっておる。当然、昨夜9時からは、Jin仁を鑑賞した。北朝鮮のことよりも、わが祖国、江戸物語を知る方がよほど大切じゃ。

 ようやくJin仁が終わって、さて「天地人の感想でも書こうかい」と、思ったとたんにチェンネルが自然に動いて「点と線」が画面にでた。これは以前記録して見たはずだが、ちらりと眺めたとたんに引きずり込まれた。そういえば今年は松本清張生誕100年らしい。映画もでたようだ、……。

 数十分「点と線」を見ていたが、「これじゃ深夜になる(余の深夜は9時以降)、天地人を書かなくちゃ」と思い立ってPCの前に座ったが、北朝鮮の録画は気になるし、Jin仁の江戸時代でのペニシリン精製も頭を走り回り、点と線の見せ場や蒸気機関車の疾走もぐるぐる頭を巡り、……。

 それで決めた。一切忘れよう、と。どうせ他人の造ったTVドラマだもの、なぁ。
 最近は「相棒」と「浅見光彦」との競合時にも、どちらも選べなくなって、両方見るのをすてた。今回は、天地人の感想にJin仁や北朝鮮や清張の影がちらちらして書けなくなった。それで、全部止めて床に入って電気を消したら、朝になっておった。

読書一括三本立て
 昨日日曜の午前から午後のことであった。ひたすら読書した。なめるような読み方なので、20代を思い出していた。忙しいのは無能の証とおもいながらも、さすがわ読書の秋。ついに読書の三本立てを試みていた。仕組みは簡単で、一章ないし一節、ないし一段落毎に読む本を順繰りに取り替えるだけのこと。

 結局、西行の解説本と、司馬遼太郎さんの対談と、犬彦さんのコリアもので、あーこりゃこりゃ。気がついたら、夕風呂の時間になってしまった。ところで、この三冊とも実は余の本じゃない。木幡研をあさっているうちに手にひょっと載ってきた。正確にいうと、西行の解説(白州さんの著書)本、こればっかりは以前余がダブっているにもかかわらず、買ったものだ。

 余は自ら選んで読書することは3割くらいだな。その3割は、何をよんでいるかと人に言うても、とてものこと人の興味をひく代物じゃない。だから、めったにMuBlogにも出てこない。
 だからほとんど、人に勧められての読書である。自立心がないと思いつつ、なに、本来は人の本なんて読む必要はないので、日曜作家らしく自分の作品を延々と読んでおれば、それでよしと思うわけだが、人の脳を刺激した本は、もしかしたら余の脳も刺激するかもしれないと、思って読む。そして、存外それがおもろい。ああ、余は一人でこの世に生きているのじゃないなぁと、一種の共生感を味わって、満足しておる。

 さて、次は5本立て読書でも試してみよう。
 ところで、そろそろ授業に出る時間なので、また今度~。

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2009年11月 8日 (日)

NHK天地人(45)休講

承前:NHK天地人(44)治水と伊達政宗

 本日休講。

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2009年11月 6日 (金)

図書館列車:DE10/ワフ2/キクハ32-501

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↑DE10/ワフ2/キクハ32-501

☆ 観光周遊図書館列車(大歩危タイプ)
 トロッコ列車は、一般に貨物車を改造した簡便な開放型客車を指します。実際に乗ってみると騒音や振動が激しく、読書環境としては良くありません。ただ、台車を現代的なものに変えたりすれば振動は抑えられるでしょう。もちろん開放性についてはトロッコの良い点であり特徴ですから、密閉式に変更する必要はないと考えます。

 モデル仕様は、実車のJR四国・大歩危トロッコ号・キクハ32-501で、この車両は運転席が付いているので、往復運転での機関車の付け替えなどは不用です。「周遊」という呼称を付けましたが、実際の鉄路では往復運行が一般的なので、この運転席機能は意味を持っています。

 この編成(DE10/ワフ2/キクハ32-501)の特徴として、書庫兼司書室をワフ2でモデル化しました。実車は古い緩急車で、この度の調査では正確なデータを得られませんでしたが、要点としては、一定の書庫を持ち司書が図書館列車に同乗するための車両を含むことです。積載量が7t前後ですから、図書一冊を0.5kgとした場合、14000冊前後は可能ですが、書架のスペースや司書の動線を考えると、実際の収容能力は2千冊程度となるでしょう。

 このタイプの編成での使用例としては、風光明媚な箇所に引き込み線を設けて、図書館列車を随時1~2時間留置し、静止した状態で付近の(徒歩)観光、あるいは列車内読書が想定されます。台車を変更すれば時速30キロ前後の速度で、移動列車内読書も可能と考えます。

 なお将来のこととして、ディーゼル機関車はリチウムイオン電池などに改造する必要があります。
 また実車のDE10は1200馬力程度あるので、書庫司書室と図書館列車一両では過剰な動力とは思いますが、モデルとして想定する「島図書館ジオラマ」では急坂急カーブ箇所が多いので、安定した運行にはこのくらいで良いと考えています。

A:モデル編成
 1.牽引車として、機関車DE10青色(N・TOMIX)
 2.書庫兼司書室として、ワフ2緩急車(N・TOMYTEC)
 3.観光・図書列車として、大歩危トロッコ号のキクハ32-501(N・マイクロエース)

B:実車編成
 1.国鉄・ディーゼル機関車DE10
  1200PS前後。
 2.地方・緩急車(車掌車+貨物+ブレーキ装置)ワフ2形
  自重10t、積載量7.26t
 3.大歩危トロッコ号のキクハ32-501
  定員52名。JR四国。

△ モデル参考
 (MuBlog)二階建て図書館列車考(2)大歩危トロッコ号(キクハ32-501)と外国のダブルデッカ
 凸形電機・貨物列車セットA(TOMYTEC)

△ 実車参考
 国鉄DE10形ディーゼル機関車(Wikipedia) 
 キクハ32形[注:トロッコ列車の内部写真が豊富。テーブル付き客席など]
 三岐鉄道 ワフ1形・ニブ1形

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2009年11月 5日 (木)

小説木幡記:2009/11/05(木)DCC:まったりとした午後

朝から午後までのお仕事
 午前中は二科目、それぞれのテーマを抱えた班を4つずつ巡回した。助勤たちは、別の4つを診てくれた。
 いろいろあったが、まあよかろう。
 2科目終了と共に、非常勤の先生と来年の打合せをすませた。秘書さんが事前に書類の準備をしてくれていたので、すぐに終わった。

 午後は、夏期論文の一回目の校正を仕上げた。編集者におさめてから一ヶ月強あったが、再読して意味が通っていたのでほっとした。時間がたって、自分の書いた内容が分からないときは、大抵はよその人が読んでも意味不明(笑)。
 小さな間違いがあった。22→23、その程度だが、何故そう言う間違いをしたのかを検証するのに手間取った。要するに重要語項目リストの数え間違いにすぎないが、項目と項目の間に紛れ込んだ項目を、見付けたり、見付けないまま数え上げるから、22になったり23になったりした。まるでお化け煙突みたいだった。
 その後、別の委員会仕事をひとしきりこなした。これは関係者に全員メール送付したら、帰る頃には回答がいくつか入っていた。

DCCは難しそうだ
 その後はしばらく、鉄道図書館列車の自動運転のためにDCC:Digital Command control(デジタル コマンド コントロール)を勉強したが、なかなか難しい。図書館列車が本館や分館を柔軟に行き来し、人を乗せたりおろしたり、引き込み線でカフェしたり読書したりする様子をモデル化、つまり物語化するには、どうしても柔軟な自動運転、(疑似)人工知能搭載風にしないとできないと結論づけたので、いろいろ考えだし、勉強しだしたが、まだ危惧があって機具一式を入手するに至っていない。

 危惧は単純で。
 PCの黎明期以来の歴史でいうと、鉄道模型のディジタル化は、マイクロプロセッサーを直接16進キーで動かしていたような時代の状態に思えた。それを一挙に現代PCで制御できないだろうかと、ネットを探してみたが、どれも難しそうだ。
 つまりまだBASICの無い時代に等しい。ましてCやPASCALで制御できる状態には至っていない。そういうアプリケーションの事例もあるのだが、なんとなく煩雑で、習熟するには根気が必要に思えた。
 むしろロボットのタンサーボーグなどが長足の進歩を遂げている。一般的な二足歩行ロボットだと数年前から、事前に手足を手動で動かして、その流れをプログラムとして内蔵できる状態だ。
 だが鉄道模型列車のDCCは、そこまでするには相当な資源と根気が必要で、今の余には無理だな。

人工知能搭載の鉄道図書館列車は遠い未来
 余も年齢的に根気が続かない。if then elseやswitch命令で、鉄道図書館の進路やポイント変換をプログラミングする程度までなら手間暇の度合いを予測出来るが、それ以上の細かな電圧の高低と時間の関係(列車は動くものだから、時間によって速度が変化する)を充分に制御するようなシステムは、お手上げ。

 なにか良い方法はないかと、この数ヶ月じっと考えている。DCCの基本ハードシステムは5万円以内でほぼ完了しそうだが、思い切りが付かない。つまり。手にしてやってみている自分を想像して、「ふむ、簡単簡単、すぐできる」ならすぐに飛びつくが、ああ、あれもこれも、いちいちキーを一つづつ押して列車を指示して、ポイントを指示して、……。なんとなく、往年のマイコン機種毎の機械語制御入力みたいで、やってられないよう。と、思ってしまう。
 新しい物にはなかなか飛びつけない。

A地点とp1分岐ポイント
 駅図書館A、B、Cがあるとする。余の欲する方法は、位置センサーA、B、Cを駅の付近レールに挟み込むだけで、結線不用、レールからのディジタル信号をうけとめて、そこを図書館列車Xが通過したら、どうするこうする。あるいは、ポイントp1、p2、p3があるとする。p1ポイントを中心にして、図書館列車YとZとが、逆方向で走行しているなら、どちらかの列車がp1の手前20cm(16番ゲージなら16m手前かな?)に達したとき、p1を作動させて衝突を回避する、次にp2、p3が目前にせまる、どうするこうする、……。
 などと夢想するのだが、その夢想を一息で実現させるようなシステムはまだ見つからない。見つかっても、マニアックすぎてとてもじゃないが、Muには運用できない。
 書いていて頭痛がしてきたので、止める。

日が暮れた
 数週間繁忙状態が基準を越えてしまって、葛野机上も部屋中も無駄な書類、重要書類、床におちた図書、ひっくり返った列車群、こぼれた珈琲粉、逆立ちした授業科目box(科目毎にノートや教科書や出席メモをいれた透明100円box)と、手の付けられない状況だった。ひとつひとつ整理しだして、ときどき屯所を覗くと、まだ「授業構成」を若い部員たちがやっていた。司会はだれ、下級生へのアドバイスは誰、どんなセリフを吐く、……。精密な「グループ討論指導プログラミン」をしているような様子だった。そばの上級生達は卒業論文を書いていた。余は部屋を整理しながら、気になって屯所を観に行く。まだ続けている。みんな根気がある(笑)。
 最後は不憫に思うて茶菓子券を寄附して、余は最後の後片付けにもどった。まだやっているかなと、覗いたら屯所は真っ暗だった。すぐに、ケーキでも食べにいったのじゃろう脳。あはは。

 余は最後に、葛野研総てのPC、総ての鉄道模型制御機、暖房などの消灯を確認し、研究室を出た。廊下は真っ暗だった。
 かくして葛野の一日が終わった。7:15-19:00、あっという間だった。

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2009年11月 3日 (火)

小説木幡記:2009/11/03(火)文化の日・寒色の秋

文化の日の朝の非文化的な心の綾錦
 午前五時起床、気分よろし。「今日は休みだ」と思った途端、全身に力がみなぎってきた。振り返れば、毎日が日曜日の生活なんだから、休日とか日曜とか言っても少しも変わりはないのだが、今朝は違った。そうだ、昨夜「明日は休むぞ」と心に誓って床にはいったから、その余波で今朝の脳が滑らかに回転し出したのだろう。
 四条河原町の書店に出向いたり、京都駅八条口でPCパーツを眺めたり、寺町通で「鉄道模型」を眺めたり、京阪電車に乗って近所の山寺を撮しにいったり、……。ともかく葛野近くに立ち寄らなければ「終日休日」の雰囲気に包まれる。
 ああ。
 もちろん、そんなことは夢想であって、結局木幡でゴロゴロして、読書したり島図書館に紙粘土を練り込んだりして、夕風呂入って休日終了となるのだろう。多分午後あたりからは、葛野が恋しくなって、「明日は葛野じゃ」と心に留め置くにちがいない。葛野にいないと仕事ができず、その葛野に休日午後になると出掛けたくなるのは、これは仕事依存症なんだろう。
 実は、
 明日は葛野で重い会議があって、昨日月曜日はそのために数時間も、あれこれと調べ物、まとめ、会議、リハーサルをしておった。それに疲れ果てて、「文化の日こそ休暇にするぞ」と、息巻いておったふしがある。

自作PC
 秋が深まるとともに所持金が減ってきて、PCを自作するゆとりなどどこにもないのだが、「葛野黒マシン2005」がそろそろ危なくなってきた。2005年、このころのHD容量は大体60GBのものが4台セットしてあって、いずれも残量が10%程度になってきておる。撮り貯めたビデオが全体を圧迫し出した。
 その上、紺屋の白袴、なにをどのドライブに入れたかを探すのに手間がかかり、気のせいではなくアクセススピードもとろくさくなり、起動ドライブのHDはパンク寸前で、……。要するにちまちまと手を掛けるよりもマザーボードごと、いやいやCPUごと換装しなくてはならなくなった。あれこれ考えているまに、今どきのHDはテラ単位だろうから、あっさり4台のHDデータを3台のテラ単位RAIDで処理した方が、よかろうと夢想し始めた。

 ソロバンをはじくと、高価なアクリルケースは自作も購入もやめて、最低限の鉄板ものにしたとしても現代標準高速仕様だと10万円はかかる。化粧ケースを木製にして、アクリル水性塗料でカシオペアの牽引車EF81のように塗り分けても良いが、これは無理無理だから、RAIDやビデオボードを諦めて並のインテルCPUにすれば5万円くらいに押さえられるが、あこがれの超ドキュウ・ビデオボードを諦めるのはうむむのむ。
 ここのところは宗旨替えして在庫一掃処分の2万円程度のネットPCを買った方が賢い買い物かな? などど、心にもない心に自らを欺き、夢想し始めた。

 一番の問題はネット接続が実に不安定で、一旦電源を切ると、次に起動しても大抵数回は「ネットに接続できません」表示がでてくることだ。そういえば、近頃の無線LANは100MBPS程度の速度は出そうだから、まっさらでそうしてもよかろうが、また資金不足に直面する。
 とつおいつよくよく考えると結局今秋は、自作PCを諦めた方がよいのだろうか。
 あるいはPCもどきの携帯に変えた方が安く上がるのか。
 あるいは、PC世界にサヨナラするのが人生か。
 悩みは深まるばかり秋の朝。

マンガ話
 数日前に、森薫さんのマンガ「乙嫁語り」の一巻目を読んだ。独特の異世界雰囲気に堪能。舞台はユーラシア、カスピ海近くの村、……。日本の漫画はよいねぇ。
 同時に島田荘司さんの小説「龍臥亭幻想」上下も無事完読。死人が鎧兜で雪の中を歩き正義の一剣を振るうなんて、やっぱり岡山県・山人はすごいなぁ。いやいや作者の力業にも感心。
 
 昨夕葛野で三番隊長と授業構成を相談していたら、初代三番隊長がきてくれた。手みやげに盛りだくさんのマンガを2冊ずつ5種類。
 「なんで、2冊ずつなんだね?」
 「いえいえ、先生にもお好みがあろうかと~」
 で、余はさっそく読書順を言ってみたら、初代もまったく「そうなるでしょうね」と予測していたとのこと。やはり、こういう世界は以心伝心、理屈じゃないなぁ。
 で、余のマンガ読み順番をメモしておく。

 1.屍鬼
 2.鋼の錬金術師
 3.Dの魔王
 4.チェーザレ(ボルジアだね。重いので葛野に置いてきた)
 5.忘れた(重いので葛野大学に置いてきた)

 余もお礼に、「アキラ」大型判の数冊、「沈黙の艦隊」を5冊、下げ渡した(とは言葉の綾で、返してもらう!)。
 そうそう、いま手元においてぱらぱら眺めていて思った。作画からすると、Dの魔王がすっきりしていて読みやすそう。鋼はちょっと少年漫画的、屍鬼は少女漫画的。しかし読んでみないと分からぬ。あはは、当たり前か。

ところでTVドラマ。
 日曜、Jin仁、またもみて感動の嵐。このドラマ、余程気に入る要素が多い。音楽だが、毎週だとそのうち飽きるかも知れないが、ものすご良い。また、望遠で遠くに主役級が映り、手前をぼけた映像で人が通り過ぎる。この人は一瞬飛脚かなと思った。飛脚だと、タイムパトロールと相場が決まっておるので、仁や龍馬を監視している者が時々画面を横切る趣向になり、もしそうなら、表現が上々。いや、もしかして龍馬が超未来から江戸に降り立った時間監視員なのか、……。
 吉原の花魁(おいらん)が綺麗に見えた。ふむふむ。ドラマ中の話では、花魁はすべての男性がひれ伏す菩薩様扱いされていたようだ。花魁を調査している学生達の発表が先週あった。その時の話では、当時の花魁級とお付き合いすると(一応、祝言があるらしい)、あうたびに150万円くらいの出費らしい。それだけ貢いでも、あっけなく振られるとのこと。傾城(けいせい)という言葉があるが、城がかたむくほどの女性が、有史以来存在していた。もちろん傾城の意味には金がかかるというよりも、男性が魂を抜かれてしまって、国政も経営も立ちゆかなくなる世界を指す。いやはや、恐ろしい。

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2009年11月 1日 (日)

NHK天地人(44)治水と伊達政宗

承前:NHK天地人(43)兼続の弟・大国実頼

 あまり気にしたことがない政宗の治水について、百科事典(小学館)を見てみると、仙台の貞山堀(運河)、北上川の石巻流出などがリストにあがりました。つまり伊達政宗は運河を開いたり、河川の流れを変えて、水運、灌漑、治水などを積極的に治世に取り入れたのでしょう。

 今どきは土建業やダム工事がものすごく評判悪いですが、昔の名君は「水を制御」することが政治の根本にあったのだと思います。よく制御された宇治川沿いに住む現代人のMuには水の恐ろしさが想像付かないのですが、水を侮ると文明・そして生活が根こそぎ流されてしまいます。死者も出、家屋も流され、田畑も収穫できないことになって、再建に手間取り、それが毎年のようになると、人が住めなくなりますね。そのかわり、運河や河川の流れや、灌漑池をきちんと調えると、産業や農業が栄えたのだと想像できます。

 今夜の最後にその政宗が米沢まで出向いてきます。兼続が婿(政重=勝吉)をつれて政宗に会いに行ったとき、政宗は「後日に、治水に手慣れた者を送るかもしれぬ」と伏線がありました。治水に詳しい男とは、米沢で育った伊達政宗のことだったのでしょう。その政宗は、「米沢は小さいながらも、一つの天下と言える。」と兼続にいいました。川の流れ、寺社仏閣、武家屋敷、道の配置などを見ただけで、政宗には優れた都市造りとわかったのでしょう。

 さてドラマの中心は婿の本多政重と流行病で亡くなった娘の話になります。
 この婿殿は自分自身明確に「徳川、その重臣である父・本多正信の意向を受けた上杉監視人」であると自覚していました。しかし兼続はその婿殿に上杉の内情を次々と漏らしていきます。娘が死んだ後、勝吉が「自分は無用の者となったから、実子に家督を譲ってくれればよい」と言った時、兼続はわざわざ鉄砲を造っている所まで見せます。政重=勝吉の方が面食らっておりました。兼続は「身内だから、見せた。正信殿にはなんと伝えてくれても良い。ただ、上杉は自国を守り、他の誰とも組まないことだけは、覚えておくように」と言ったのです。

 この本多政重=直江勝吉のことは、ネットで少し調べました。父親の本多正信に焦点があって、次男の政重情報は多少曖昧でした。一般的な百科事典では徳川幕府を初期に支えた本多正信は詳しく項目にありましたが、次男になると情報が無かったです。
 ドラマに限って言うと、婚礼の酒さえ毒殺を用心して断るくらいですから、上杉や直江が対応に苦慮した以上に、本人は親父の命令で、決死の覚悟で米沢に婿入りしたとも言えます。なんとなく、アメリカの日本駐在大使が「自分はCIAである」と名乗って日本政府と懇談するような、いやいや一昔前なら、「自分はKGBだ」と名乗ってソ連大使が首相官邸でご飯をたべるような、……。なんとも難しい局面を味わいました。

 ところで。NHKのサイトを見ると、次の回を含めてあと3回で天地人も終わりになります。そろそろMuBlogでも最終章への心構えをたてる時期になりました。
 今夜言えることは、政宗が「小さいながら、一つの天下」と誉めたところに、上杉謙信公の気持を引き継いだ景勝や直江兼続の気持ちがよく通じてきました。天下取りや権勢争いからは身を引いて、自分の領国を丁寧に仕上げていく、侵略しない、義は曲げない、そういう謙信公の遺訓が、越後から会津、出羽米沢に移っても生きていると感じました。信長、秀吉、家康の強欲派手さは無いのですが、日本の一つの良い性質を表した物語だと思ってきました。

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若冲の秋:ミホミュージアム200910

承前:小説木幡記:2008/05/06(火)与謝蕪村展:MIHO MUSEUM(ミホ・ミュージアム)

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↑MIHO MUSEUM前ののぼり

 秋になったので、恒例の滋賀県山中「MIHO MUSEUM」に出掛けた。今秋は、「若冲:ワンダーランド」だった。途中の山道で不思議な祠にも出くわしたが、それは後日に記事を載せる。今日は、若冲の新しい屏風「象と鯨」の感動をまとめておく。

 平成18年の昔、京都国立近代美術館で「若冲(じゃくちゅう)と江戸絵画展」があって、行けなかった替わりに後日<若冲の象>が綺麗に印刷されたカード大の飾り磁石板(紙留め?)を知人からもらった。今も葛野で使っている。
 その後のことだったか、「花はさくら木/辻原登」を読んで、18世紀の江戸中期の関西、京都にはそろいもそろってぶっ飛んだ芸術家が沢山いて、その中に伊藤若冲も生きていたという情景を味わった。「与謝野蕪村とか、上田秋成とか、円山主水(もんど)とか、大雅とか、伊藤若冲、不夜庵(炭太祇)、売茶翁(まいさおう)、ともかくそうそうたるメンバーがおもしろおかしく登場する。」小説だとMuBlogに録していた。

 そのころから伊藤若冲、京都錦の八百屋の息子、象が大好きというイメージだけが頭に残った。だから、遡って「江戸絵画展」って、江戸とあっても、京都の話なんだなぁとぼんやり思い返していた。そういえば、この夏芭蕉のことをいろいろ読んでみて、長い間芭蕉を江戸で活躍した人と、誤認していたことにも気付いた。芭蕉は関西、近江や京都が好きだったのだ。それから百年、蕪村も若冲も上方で活躍した人と、今になって思う。当時の京都や大阪は、現代の東京とは比較できないほど活き活きとした文化的な地域だったと、はっきり言える。

Jyakue
↑若冲ワンダーランド・展示会図版目録の表紙

 この図版には「「象と鯨図屏風」各159.4x354.0、 六曲一双」とあり、向かって左隻に鯨、右隻に象が描かれていた。実は、私が葛野で使っている飾り磁石板はモザイク画「鳥獣花木図屏風」の右隻だったと気がついた(笑)。だから、現実の屏風に立つまでは、今回の第一の展示作品「象」を誤認していたことになる。

 二次元表現、絵画にまったくうとい没美意識の私だが、このたびは度肝を抜かれた。巨大な屏風を前にして、まるで目が点になった。しばらくの間動かなかった、動けなくなった。こんな屏風にかこまれて生活したら、楽しいだろうなぁと、本気で思った。威圧感がまったくない、ただおっとりしていた。「おーい、クジラ君、僕もおよげるかなぁ~」と耳に聞こえてきた。
 そして象をみているのに、木幡に置いて出掛けた、猫ハルキ君を思い出してしまった。

二つの衝撃を味わった。
 第一に、巨大な象がしっぽをまいて足を折って、猫が香箱を造っているような雰囲気に陶然とした。愛猫ハルキそっくりの雰囲気だった。それと象の目。この目は若冲目と言ってもよいが、鳥や竜やカエルや猫や猿で、同質のものをいくつも見かけた。この目があるから私は左隻の、目のない鯨よりも象に気持が移った。
 第二に、ようやく落ち着いて「これは何? 飾り磁石板象とは違う」と思い、そばの案内表示を見た。私はそれを見て愕然とした。「2008年、北陸の某家で発見」という趣旨があった。何度も見直した。たしかに2008年とあった。昨年のことなのだ。こんな素晴らしい屏風が、1年前までは世間に無かった! 本当に驚いた。美術の世界の奥深さに気持がシーンとなった。(そういえば、源氏物語の解釈を変えるような大沢本も、昨年世にでた)

図版を買ってよかった。
 重い図版だった。午後早くに木幡にもどり、ひとしきり眺めた。そして巻頭の論文「伊藤若冲のワンダーランド/辻惟雄(MIHO MUSEUM館長)」で、この「ミホ本」と名付けられた「象と鯨」の数奇な運命を知ってしばし時を忘れた。このミホ本は若冲82歳画らしい。となると別に異本があったのか? (このあたりは源氏物語の異本発見と似ている)。あったらしい、昭和3年(1928)に神戸の川崎男爵家からオークションに出された「売立目録」に載った写真だけの幻の川崎本「象と鯨」。そこには写真を拡大したとき、若冲80歳画と読めた。川崎本の行方は未だに分からない、……。
 それにしてもこんなでっかい屏風を数年ごとに、80にもなって描いた伊藤若冲。東の北斎もすごいが、西の若冲もぶっとんだ存在だと、心から味わった。

象印だけじゃない。
 「鳥獣花木図屏風」の左右、鳥やけものが色鮮やかで、古代エジプトの壁画を思い出していた。若冲は鶏で有名らしいが、私は竜とか猿とか、犬の様な顔をした寒山拾得、頭頂がカソリック司祭のように○ハゲの寒山拾得が気に入った。総じて現代のマンガに通じる、心の中がほんわりとする優しい楽しさに満ちあふれていた。
 売茶翁図(Baisaoと読みがあった)は本当に気に入った。いかにも一癖ありそうな爺さんが、水桶(壷)と煎茶道具を両天秤で肩に掛けていた。若冲の友達だったのか? 今で言う歩くカフェ坊主(禅僧)らしいcat
 あと、伏見人形の布袋さん図がよかった。
 どれもこれも、見ていて楽しくなった。
 京都伏見・深草の石峰寺図、五百羅漢図などはご近所だから現地を確かめてみたくなった。若冲は晩年、妹とこの門前に住み、自らのデザインで石像羅漢像による仏国世界を創ろうとしたらしい。その図のいくつかは、ジオラマに見えた(笑)


↑京都府京都市伏見区深草石峰寺山町

Miho200910
↑紅葉や博物館や天ぷら蕎麦やモンブラン

 今回の博物館紀行(ミホミュージアム)は盛りだくさんの感慨を残した。紅葉も観た、天ぷら蕎麦もモンブランも、毎年食べているのに、今秋も本当に美味しかった。平日なのに混んでいた。しかし博物館自体や敷地が巨大なこともあり、町中の博物館や、正倉院展のように長い行列を待つことはなかった。
 空いてはいたが、美味しい昼食はそれを目当ての人が多かった。レストランには11時に着いたが開店11:30まで20人ほどが待合い席に並んでいたから、食事と重なって若冲人気や紅葉の影響はあったのだろう。団体で中国語や韓流語も飛び交っていた。こんな山の中にツアーを組んで訪ねてくるのが不思議だった。

 うむ。
 今回の博物館紀行は、美術絵画部門で年次最高の収穫だった。
 
参考:
1.若冲ワンダーランド=JAKUCHU Wonderland/MIHO MUSEUM、2009.09 [展示会図版・目録 3000円]
2.MIHO MUSEUM
3.MuBlog 小説木幡記:2009/08/07(金)仏さんと、今日の葛野
4.MuBlog ミホミュージアムの秋
5.石峰寺(せきほうじ)京都市観光文化情報システム

地図とアクセス:ミホミュージアム

☆自動車だと新名神高速道路の「信楽IC」から30分程度
☆バスだと、JR石山駅から50分程度(1時間に1本)

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