小説葛野記:2009/11/14(土)怒りっぽい爺さまや切れる若者
土曜日で、午前中は買い物と書店に寄ろうと思ったが、時間がもったいなくて昼過ぎには葛野に着いた。
日曜作家は芳しくないが、それでもなんとか休日の極早朝にはこなしている。なかなか完成しないのう()。
(1)高齢者は怖いなぁ
ハードディスクと、無線LANの受信機(Mac用)、フラッシュメモリー、車掌車ワフ28000(500円くらいだった)、と以前から必要と思いながらも、これまで店に行く気力もなくて、今日やっと揃えた。葛野もイーサネットのワイヤーが煩わしくなってきて、その上、無線の転送速度が速くなったと知ったので、買った。まだ、セットしていない。マシンに直に触るほど余力がないのが実情だなぁ。
肝心の書店だが、実は数年後に本職の方の教科内容も大変化するので、そろそろさび付いた脳を活性化しなければならなくなった。手頃な図書を探そうと思っているが、書店へ出向けばきっと最新ミステリやジオラマ関係図書に目移りして、肝心の専門書なんかさがしても「無いなぁ」で、済ませるような悪い予感がして、結局書店には行かなかった。また、ネットで丁寧に探して、入手しよう。えてして、本職が一番おろそかになるのは、どこの世界でも共通じゃわい。
で、やっと本題。
店で支払いを済ませようとしてカウンターに立つと、横から怖い顔した爺さまが突然割り込んできて、単品をカウンターに投げつけるようにして、「これ、なんぼや」とキツク言った。余も店員も驚いた。というのも、余の後ろには何人もいて、その爺さまは、別の角度から足早に来たわけだ。
店員「すみません、こちらの方に並んで下さい」
爺爺「なんや、そうなんか。ちゃんと、並ぶように指示を書いておかんのが悪い」と、叫んで、まあ後ろに回った。
で、じゃ。
それで済んだら、MuBlogには書かない。払い終わろうとしたら、またしても別の似たような爺さまが走り込んできて、買い物籠をドサリとカウンターに置いた。
~
ともかく、二人の爺さまとも、笑顔一つ無くこわばった怖い顔をして、カウンターに走り寄ってきた。そして、似たような捨て台詞をはいて、一人は列にならび、もう一人は離れた別のカウンターに肩を怒らせて去っていった。
このごろの爺さまは、なにか知らぬが、怒りっぽい。それに顔の相も良くない。もともと高齢になると節々が痛くなって、笑顔が少なくなると余も理解しておるが、それにしても、今日の体験は異常だったのう。
(2)切れる若者が多いのは
これは新聞種だ。と、若者と言っても余の目からすると、10代から30代までは若者だから、世間とはちと違う。
しかし、あれこれ書くと胸くそが悪くなるので詳細は省くが。
本当に、めちゃくちゃな、発狂しているような若者が多い。いや、新聞やニュースがそういう猟奇的ともいえる事件を大々的に報じるから、そう感じるとも言えるが。
そういえば。
政府関係の仕分けとかいう、公私どちらかわからないようなTV中継も、なんだか若い(く見える)男女がキーキー声をあげて叫んでおった。衆目の中で、糾弾、つるし上げするのが流行りのようだ。こういう時、鶴田浩二が存命なれば、いい声でぴったりの歌をきかせてくれるのになぁ。
と、半分うなだれて、その一部を目にした。そう、怒りを通り過ぎて、がっくりした。これが、日本なのだ。
ところで。
若者とは関係ないが、科学技術の先端や基礎なんて、無駄と言えば大無駄。数パーセントしか有効にならない。そういう世界に対して、「意味なし。無駄」と切り捨てる日本は、まさしく文化果つる世界となってしもうた。
ああ、嘆かわしい。
新政府がどれほど良い「見かけ」の成果をあげたとしても、この「科学」に対する暴虐は、日本をただの消費国、そして破綻国にしてしまうだろう。
いっそのこと。
マニュフェストにリストした、総ての事項も徹底的に無駄を省き、やめてしまえば、国債を40兆円も出すこともなかろう。そう、お金が無いときは、余のように、じっとしておれば最低限の基礎経費で人生すごせる。なじょう将来「切れる子供」に手当を出して、車を持たない者から税金とって高速道路を無料にするのか。分からぬ。ふむふむ。
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