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2009年11月12日 (木)

卑弥呼の墓(013) 纒向遺跡の宮殿跡

間接承前:卑弥呼の墓(012) 箸墓築造は240~260年か? 国立歴史民俗博物館の放射性炭素(C14)年代測定
直接承前:卑弥呼の墓(011) 卑弥呼の宮殿発掘?:奈良県桜井市纒向遺跡

Himikomakimuku
地図:纒向の宮殿遺跡と関連地図(地図は「ゼンリン電子地図帳Zi9」を使用しました)

 2009年11月10に、奈良県桜井市教育委員会から纒向遺跡の宮殿跡発掘に関して発表があり、いくつもの新聞やTVニュースで知った。このことは以前から断続的に調査されているので、今回の発表は一つの節目として、大規模建築物跡発掘の中間報告として公開されたのだと思う。

 当MuBlogでは過去の邪馬台国論争の内、「卑弥呼の墓」をシリーズとして、連載してきたが、最近は休みが多く、たまに掲載すると決まって「発掘ニュース」のまとめ記事となってしまっている。それほどここ数年は桜井市の三輪山・北西麓にある纒向遺跡(まきむくいせき)に世間の耳目が集まっているようだ。

1.2009/11/10の発表
 奈良県桜井市の纒向遺跡で、南北約19m、東西約6m(多分、12mあったと想像されている)の建物跡が発掘された。写真や解説では直径32cmの太柱(12本ほど見えた)の上に載った、床面積が約240㎡で高床の「入母屋造り」建物が想像され、高さは10mほどあったらしい。床が72坪もある建物だから、大きい。
 建物配置のポンチ絵を下に書いておいた。要点は、東西はやや(5度)ぶれていることと、しかし、東西南北の方角がきっちりしていて、計画性がよく分かること。現地を見たり調査書を読まないと確定できないが、もし南に5度ぶれているのなら、その行き着く先は「二上山」であり、夕日の没する聖地となる。実に合理的である。

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2.諸説
 いくつもの新聞には、各記事とも諸説あった。おおよそは、今回の建物跡が「邪馬台国の宮殿あと」説に傾いている。しかし九州の巨大遺蹟、吉野ヶ里との比較に至るまでには、纒向全体の発掘の規模が小さく、決定への余地が残っている。
 今回の纒向での発掘床面積が吉野ヶ里に比較して大きいこと、つまり238:156㎡は時代から考えて当時の邪馬台国の中心施設と考える根拠の一つとなっている。
 ここで諸説を繰り返すのは、すでに<直接承前>などで言及しているので、省略する。
 いずれ、研究成果が調査報告書や、諸研究者によってまとめられていくので、それを待つことにする。

3.苅谷氏の20世紀末推論
 私自身は、参考6の著書「まほろばの歌がきこえる/苅谷俊介」を20世紀末に読んでいるので、今回の発掘は自明の理と感じられた。どういうことかというと、前方後円墳のような精密なものを造るにはそれなりの設計を含めた計画性が必要である。纒向遺跡には、時代の確定(断代)はまだ再考の余地もあろうが、要するに「古墳時代」である。となると、宮殿や運河や古墳群を造るにも、相当に細かな計画が練られたと想像できる。苅谷氏の著書は、三輪山や古檜原神社(ひばら)や石塚古墳や箸墓や、纒向一帯のすべてを地図にして、そこから都市をどう造ったのかを推理されていた。そのプロセスが、20世紀末の「古代史非専門家」の私には、分かりやすかったから、その時、宮殿とは言わないが、なんらかの要所がそのあたりにあると、幻視していた。

4.宮殿と卑弥呼の居室は別
 今回の建物跡が祭祀場(古代神社)なのか宮殿なのか、中央政庁なのかは分からないが、纒向・石塚古墳を通る東西線と、箸墓を通る南北線のクロスするところが、今回の発掘場所であったとは、それにしても古代の人達の合理性(特に、東西のぶれによる、二上山志向)にあらためて驚き、現在の位置を20世紀末に推理して図化した苅谷氏の明察にあらためて感激した。
 
 なお、私は、卑弥呼の奥・居室(隠れ家、岩戸:頑丈な家)は、もっと檜原神社にむけての、三輪山北西麓だと想像している。理由は? 政(まつりごと)は平地で男達がする。しかし大巫女さまが神とかたらうのは、三輪山の懐でないと話があわない。ただそれだけの理由だが、私が大巫女さまにかしずくなら、平地に巫女さまを置くわけがない。それこそ当然のことだ。

参考記事
参考1:(JoBlog)卑弥呼の宮殿発見か
参考2:(JoBlog)纏向遺跡 大型建物跡発掘速報(続編)
参考3:(インターネット:MSN産経ニュース)卑弥呼の居館か 奈良・纒向遺跡から3世紀前半の建物跡が出土
参考4:(インターネット:MSN産経ニュース)“卑弥呼の柱”別の宮殿にリサイクル? 奈良・纒向遺跡
参考5:(インターネット:MSN産経ニュース)「九州説は無理…」新井白石以来の邪馬台国論争ゴール近し 纒向遺跡
参考6:(インターネット:MSN産経ニュース)西部警察でおなじみ俳優・苅谷さん「卑弥呼の宮殿」予言が的中

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コメント

Muさん 

 今回の発掘現場は線路に接しているのですね。本当に遺跡が破壊されていなくて良かったと思いました。

 弥生時代の唐古・鍵遺跡はもっと低い場所でした、段々と三輪山近くに登ってきたのですね。卑弥呼さんがこの建物に居られたかどうかは不明です。

 此れからの研究課題はJoBlogでも書きましたが、当時のヤマト王権の萌芽となる政治の『かたち』なんですね。継体天皇の今城塚古墳の造り出し部で発掘された巨大な埴輪祭祀場の埴輪の配置の検討と今回の建物の比較研究でしょうね。

 建物が4区画で区切られているのが同じなんですね、東西に一直線に並ぶのも同じなんです。

 大事なのは、もっと広範囲に纏向遺跡を発掘できる環境を作って欲しいです。本当に纏向地域は日本国家起源に迫る重要な場所だと思いますがね。

投稿: jo | 2009年11月12日 (木) 20時02分

Joさん
 現場を経験的に、想像すると、JR線は明らかに遺跡の真ん中をぶっちぎっています。しかしそれだけでなく、多数の民家、建築物、道路が遺跡の上に立っています。

 現代都市の真ん中に遺跡がある京都やローマやメキシコがどのよな対策をし、遺跡を保存再現したかを、じっくり勉強しないとならないなぁ、と近頃そればかり考えています。
(京都は平安以降が中心ですが、纒向は弥生以降ですから、もっと難しい!)

 道路やダムや原子力発電所や空港を作る以上の、話し合いや予算が必要となるでしょう。

 まず地元の人達と相談する必要がありますね。
 国有公園化が中心になるでしょう。

 これだけの規模ですから、現代人が父祖の地に住みながら、観光だけない、実生活を営みながら、なお日本国の始原を尊び、その資源を未来永劫活性化するという、まことに困難極まる問題が、昨年あたりから明確に現れてきました。

 日本の自己確認、自己同一性確認のためには、外交・国防・民政のすべてを束にした、まさに中核となる課題です。

 なんとなく、市民の草の根的な力がないと、うまく行かない予感もします。

以上
 纒向遺跡は、JoさんもMuも、もうはっきり見えています。次は、そこをどうするかですね。

投稿: Mu→Jo | 2009年11月13日 (金) 09時27分

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» 卑弥呼の墓(014) 水の都・水上宮殿:纒向遺跡の全貌 [MuBlog]
承前:卑弥呼の墓(013) 纒向遺跡の宮殿跡 1.の古代都市は邪馬台国か  2009年11月16(月)の午後7:30~8:00に放映されたNHKクローズアップ現代「謎の古代都市は邪馬台国か?」(参考1)はおもしろく、特に現地を未見の人々には纒向遺跡の全体像がCGで容易に分かるようになっていた。一番の特徴は、纒向遺跡の全体および今回発表された宮殿跡や、280mの巨大前方後円墳「箸墓」の周りが、河川と... [続きを読む]

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受信: 2010年3月18日 (木) 22時30分

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