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2009年10月 5日 (月)

NHK天地人(40)会津120万石から出羽米沢30万石

承前:NHK天地人(39)関ヶ原の終戦処理

 なぜ上杉家が取りつぶされることなく、上杉景勝、直江兼続両名が斬首、切腹にならなかったのかは、番組当初から好奇心を持っていました。

 今夜の話では、福島の指示で小早川秀秋が淀君に上杉家の断絶無きように頼み(徳川への拮抗勢力温存)、淀君は秀頼ともども家康に上杉成敗への手心を加えるように伝えました。
 他方、兼続は深夜ひそかに家康の側近・本多正信を訪れ、本多家の男子を直江家に婿とする(つまり、直江家を本多に贈る)算段を相談しました。

 二つが絡まって、上杉家減封・移封が決まったわけです。もちろん徳川家の中でどのような終戦処理にするかの意見は分かれたでしょうが、石田三成やその他が斬首、宇喜多秀家が(伊豆諸島)八丈島への遠流にしては軽かったと考えます。

 直江兼続が、本多正信に言ったセリフと、家康の判断はこうでした。
 つまり、上杉家執政の直江家に、徳川家参謀の本多家から息子が入り婿することで、将来自動的に上杉家の政治は本多の実家を通して、徳川家の制御下に入るという仕組みが作られるわけです。
 本多にとっては名門上杉家の執政職を自家から出すことになり、有利です。
 家康にとっては、上杉家が米沢にいて、徳川の支配下にあるかぎり、北の伊達家への重石となり、有利です。
 兼続にとっては、直江家が他家に奪われても、徳川家参謀本多正信とのパイプによって、上杉家の安泰は計れるわけです。

 兼続が本多正信に言ったセリフとして、もし改易お家断絶となれば、上杉は火の玉となって最後の決戦に立つ。諸国大名にはまだ豊臣に応じるものがいく人か居る。徳川の気持ちとしては、次は「伊達家」が火種になっていたこともあり、兼続の示した外交交渉に、結果として応じたことになります。

 ずっと以前から、家康のそばには常に本多正信がおりました。しかしほとんどセリフらしいものもなくて、どういう立場なのかは、ドラマを観ているだけでは分かりませんでした。しかし、兼続が名門直江家を本多正信に提供するという奇策がはっきりしてくると、本多正信の徳川家における隠然たる力が見えてきました。

 本多正信については、面白い短編小説があって、ドラマを観ながらそれを思い出していました。「かげろう忍法帖—山田風太郎忍法帖〈12〉講談社文庫」このなかの「忍者本多佐渡守」がそれです。

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承前:NHK天地人(40)会津120万石から出羽米沢30万石 米沢  上杉や直江が数年間住み改修した会津若松城から北へ50kmに米沢がありました。近くには山形新幹線(JR奥羽本線)が走り、現代の交通の便はよさそうです。東北自動車道のある福島は、米沢の東南東35kmです。  米沢は東京・江戸からは、白河の関を越えて真北に250kmですから、日本の感覚では遠いですね。京都からだと江戸経由で800kmほ... [続きを読む]

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