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2009年10月25日 (日)

NHK天地人(43)兼続の弟・大国実頼

承前:NHK天地人(42)上杉(武田)菊姫の死
参考:NHK天地人(27)兄・兼続と弟・実頼
参考:NHK天地人(37)直江状の背景:戦術義と戦略義

敗戦処理
 今夜ドラマをみていて、関ヶ原以降の直江兼続の人生は、敗戦処理に尽きると思いました。それは、一つは内政において米沢を新たな領国として育て、過去の家臣断を飢えから守ることが兼続の仕事だったからです。幾人かの同輩たちが屯田兵のような形で農業に従事し、兼続の扶持も再建に使われたと想像できます。
 一つは外交として、上杉家当主に代わって直江家の名代を徳川譜代本多家に譲ることでした。このことで太いパイプを徳川と持つことになり、上杉家の未来が確かなものとなります。

 どの場合もドラマを観ている限り、直江兼続の私心をすてた上杉景勝および領民への忠義立て、自らを捧げた姿がうかがえます。このような心情は通常の理解を超える場合もありますし、美談として世間に納得される場合もあって、ひるがえって現代人の大多数がどう感じるかは、Muにもわかりません。

 若年時から執政(筆頭家老)を任されていたのですから、そのような重責、つまり名誉を与えてくれた主君景勝への恩顧の情は疑う余地もありません。また、領民や同輩への気持は、優しい資質を持ち、四書五経を学び過去の歴史的人生訓を理解し立場を得た兼続なら、自然な振る舞いだったと想像します。

何故兼続はそこまで尽くした
 しかし所領が120万石から30万石に減封されたにも関わらず、兼続が旧家臣団六千戸を温存し、自らの扶持を再建に使い、直江家を敵方幕僚だった本多家に譲ることまでしたのは、何故だったのか。今夜はそれを考えながら見ていました。

 単純に言えばそれは兼続の上杉家および領民に対する負い目からでた行為だと想像します。その負い目を兼続がしかたなく晴らすために、尋常ではない敗戦処理をしたとは思いません。重責にある者の責任感の発露だと感じました。その時々の決断の結果や、主君景勝への助言、豊臣や家康政権の中での外交政策、それらのすべてについて、兼続は責任を持ったわけです。

兼続の失政
 過去に遡及し過ぎると焦点がぼやけますから、近いところで思い出してみましょう。まず天佑ともいうような信長の死によって当時の越後上杉は九死に一生を得ました。その後、石田三成と懇意になり豊臣政権に深く関与していきます。それは順調だったわけですが、秀吉の死後、兼続は石田三成に肩入れし、家康の覇権主義を憎み、直江状を残し家康の上杉征伐に口実を与えてしまいました。当時の西軍、東軍の力のバランスを考えれば、ここで喧嘩状をたたきつけ、家康を会津に引き寄せたのは、失敗とは思いません。
 しかし、会津に向かった家康軍が、西軍の宣戦によって西に反転したとき、これを討つべきでした。それは景勝の主命によって機会が失われました。なぜそうなったのかは、種々考えましたが、これは三成と兼続との談合を、兼続が主君景勝によく相談していなかった、あるいは、執政として主君をよくガイド仕切れなかったことの失政だとMuは思いました。

 次に、三成の敗北を兼続が予見しなかったのは、兼続の失政だと思いました。ドラマでは「一日で敗れたのか」と兼続は落涙します。これは近過去の武田と織田・徳川の合戦や、秀吉の天王山の戦いなどを熟知していれば、当然考慮にいれるべきことでした。
 このことで上杉は家康の軍門に下るわけですが、兵を温存しながらも30万石に減封されたのは、現実にもドラマでも危機一髪のこととして描かれましたが、兼続の失政の一つと思いました。何故なら、西国諸国はまだ力を蓄えていたからです。盟友石田三成の死が兼続の政治的判断を鈍らせたのかも知れません。
 つまり、関ヶ原の戦いは局地戦での徳川の一時的勝利に過ぎなかったのに、上杉・直江はそれを誤解したと、歴史の後智慧では言えるわけです。

大国実頼を把握しなかった失政
 今夜の弟・大国実頼の背反によって、ふたたび上杉家に危機が迫りましたが、この時の危機は関ヶ原以上の、後のない危機だったと想像します。徳川の命令一声で上杉家が断絶に追い込まれる正真正銘の土壇場でした。
 これは家臣および弟に理解が無かったと言うよりも、執政として弟の造反を客観的にみなかった兼続の失政だったと断じることができます。

ところで
 これだけ兼続の失政をあげ連ねたあげく、Muは、今夜の兼続が独酌し、杯を地にたたきつけようとした時の姿が忘れられませんでした。俳優の妻夫木さん、名優だと思いました。
 そしてまた、越後の戦国大名が危機に次ぐ危機を乗り越え、そして敗戦処理をする姿、直江兼続の姿になにかしら日本人の佳さをこころから味わいました。義理と人情。こういう言葉が廃れ果てた現時世とは思いますが、なお人々の心底に流れる一筋の川だと言えましょう。そこに感動を味わうわけです。

注記
 義理人情はこういう文脈では一般に用いませんが、兼続は大を合的に守り、人の心に熱く接する人情家であったと、字句の示す直訳として用いました。

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