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2009年10月16日 (金)

小説木幡記:2009/10/16(金)ドラマ「不毛地帯」と対話した

 実は。
 と告白しよう。10月に入ってからTV三昧にふけりだした。そうではなかった幾年月を考えると、明らかに人生観の変更か、宗旨替えしたのか、……。2009年今秋が、たまたま面白い番組と思う季節だったのだろう。

 日曜の夜はNHK天地人のあと、しらぬまに「江戸の外科医:『JIN仁』」をみていて、どこかで見たような坂本龍馬が実は俳優内野聖陽だと知ってあっけにとられた。内野と言えば思い詰めて年間過ごした「風林火山」の山本勘助軍師だったのに、まるで気付かなかったくらいに、丁寧に徹底的に汚れきった龍馬がTVに写っていた。

 次は一昨日だったか『相棒』。これものめり込んで見ていた。
 そして昨夜は『不毛地帯』。
 『不毛地帯』も『JIN仁』も『相棒』も初めだったせいかどれも2時間~3時間ドラマで堪能した。

 さて、今日のMuBlog話題は『不毛地帯』だ。唐沢さんが演じる主人公壹岐正(いき・ただし)のモデルが故・瀬島龍三だとは知っていた。その瀬島氏がどんな人だったかは知らない。ネットで調べたら自分の記事(瀬島龍三の死)やいろいろな参考図書、そして原作・山崎豊子さんの関係記事など、一杯あった。

不毛地帯・壹岐正のモデル
 まずモデルについて、気持を整理しておく。
 ドラマ不毛地帯の主人公は陸軍大学校五十一期首席で、(ドラマでは壹岐が就職した商社に、五十七期生も出ていた)中佐。大本営作戦参謀。終戦の詔後、満州新京にわたり関東軍の停戦を確認する。ソ連軍に連行され、途中東京裁判にソ連側証人を他の上官とともに求められるが拒否する。ソ連軍により戦犯として25年の重労働刑を受け、流刑地シベリアに送られ、そこで11年間囚人として扱われ、日ソ国交回復で帰国。帰国時推定年齢は45歳前後。2年間静養し47前後で商社に入社する。

 これはほぼ瀬島龍三の人生に近いもので、陸軍大学校を首席で卒業し、大本営参謀を勤め、シベリアに11年間流刑・重労働を科せられて、商社に再就職したというような人物は、そうあるものではない。モデルは瀬島龍三と考えて良かろう。ただし、ドラマでは関東軍の参謀として赴任したとは描かれておらず、また東京裁判には出席した様子もなく、虚構と実在の間には微妙な、虚実皮膜の差があらわれて、さらにドラマの最初に「あらゆる実在の人物や機関とは無関係な虚構である」という断り書きがあった(笑)。

TVドラマ「不毛地帯」
 いくつかひっかかりはあったが、よく出来たドラマだと思った。
 ひっかかりの一番は壹岐のセリフに「あやまちを繰り返さないために、生きて帰国した」というセリフがしきりにでてきた事である。
 先の、70年近く昔の大東亜戦争の開戦と敗戦については、教科書的にも道徳的にも近隣諸国に対しても、まず一声「あやまち」と言わないと、政治も宗教も日常生活も、スムーズに動かないのが21世紀の日本らしい。

 余はこう思っている。
 歴史に対して「過ちを繰り返さない」というような、軟弱な自己弁護はしない方がよい。そんなことをし出したら、世界中は少なくとも明確な有史3000年間くらいの間、お互いに過ちばかりやってきたことに慄然とし、人類が生きることはすなわち過ちを犯すことであるという、至極当たり前の帰結をえて、ついには各民族自滅しなければ世界の平和を保てない、というようになってしまう。

 壹岐「再び過ちを繰り返さぬ為に、故国で頑張りたい」
 Mu「自分のやったことを過ちだなんて言う根性無しだったんか、おい壹岐中佐」
 壹岐「俺のたてた作戦で、数千数万の将兵が死んでいった」
 Mu「軍人は自分の階級に応じて応分の責任を負えばよい。中佐の分際で分不相応のことを言うなよ」
 壹岐「しかし、状況判断を誤った作戦も多々ある。明らかに希望的期待値を作戦にちりばめた場面が多すぎた」
 Mu「まあな。コンピュータが一式揃った現代でも、期待値は往々にして誤差を超える。ソロバンと紙と鉛筆じゃ、手に負えない」
 壹岐「俺の甘さが日本を敗戦に導いた」
 Mu「また言う。日本は貴様の作戦のさじ加減一つで負けたわけではない。正面切っては勝てない戦争に巻き込まれるべく身をさらし、戦い、あっさり負けた。それを貴様のせいだというほど、貴様は一人で祖国を背負っていたのか?」
 壹岐「大東亜戦争は日本が身を潜めるべき戦いだった、……というのか? もしそれなら、参謀部は派手な戦争遂行に加担した失策を免れない」
 Mu「ああ、そうだ。そのことで、根性があって職責を重く思った将が幾人か腹を切った」
 壹岐「だから、俺もそうすべきだった」
 Mu「どんなことでも付和雷同、腹を切るのも一斉にでは、自律心があるとは言えない。一人が自決したなら、その自決の後を背負うのが、貴様の思う日本男児、いやさ帝國陸軍将官のつとめじゃないか。恥かいて生きて生き抜け。それぐらいの後始末をする要員として、11年間シベリアで根性入れ替えたんだろう? え? 壹岐中佐殿」
 壹岐「……」
 Mu「貴様は死に際を逃した、それにすぎない」
 壹岐「俺が、逃げたという奴もいる」
 Mu「そう言えるのは、貴様と同じ立場で戦い、あげくに腹切った者だけだよ。しかし、死んでしまえば何も言えない(笑う)。少なくとも、極寒のシベリアで11年間重労働、囚人として生きたことで、付帯する余罪はすべて禊がれたことになる」
 壹岐「だから、……、過ちを再び起こさないために」
 Mu「まだ、言い逃れするのか、貴様ぁ! 自分のやったことを、過ち、過失と思うのは勝手だが、人前でいう者は日本を正しく再生させない。日本が全員、総懺悔国民になって、貴様ぁ、それで祖国が救われると思うのか」
 壹岐「ああ、君の言いたいことが分かった。俺は、天から授かった能力を、敵味方死んだ者らに供養として差し出す。そうだ、残された俺の能力で、敵味方供養する」
 Mu「そう、それで貴様は帝國軍人を全うしたことになる。まあ、貴様は歴史の教訓だろうな」
 壹岐「そう、なるのか」
 Mu「ああ、……。それと」
 壹岐「なんだ。まだ説教するのか」
 Mu「全部、生きている間の、よしなしごとさ」

 ドラマの間中、壹岐中佐と話し合っていた。だから、よいドラマだったのだと、今思う。来週からもあるのなら、見ることにしよう。たしか、木曜日の夜の9時だったか、……。TVドラマにうつつを抜かす余生も、悪くはない脳。

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コメント

日本がやった戦争のこと

 今年の夏、このところ少なくなった戦争記念番組の一つに海軍(水軍?)のOBたちの証言というのがNHKでありました。
殆どの人たちが海軍の上官だった人たち。

 一番印象に残ったのは(やましき沈黙)という一言でしたね。
誰もが、こりゃあまずいな、こんなことやっちゃあいけないよな、と思っていたそうです。
しかし、それを言い出せなくて、流れに従ってついやってしまった。
60年間も殆どの人は、特に軍の上官だった人たちは沈黙を守り続けてきているのですね。

(やましき沈黙)
へそくりなんかして、家庭の中でだんまりを決め込む、なんてのはよろしいでしょう。
でも、国家の重責を負う立場で、権力を持ったピーブルが(やましき沈黙)の中、外国へ攻め入ったり、自国民を被害に会わせたりしてくれたら困ります。
番組を見ていて(やましき沈黙)を続けた人たちは一体何を守りたかったのだろう?と思いました。
簡単に言うとテメ~のことだけではなかったのか?
とね。
大和民族がどうだとかアジアの独立のためにとか・・・ではなかったような。

 ともかく武器を持って外国へ出向いちゃあいけません。
(お前何しにきたんや?)
に対する正統的な答えはあり得ないと思いますねえ。

投稿: ふうてん | 2009年10月17日 (土) 10時38分

ふうてんさん
「ともかく武器を持って外国へ出向いちゃあいけません。」
 このことに異論はないです。

 ただ、世界史、人類史の中では他国へ侵攻することが日常茶飯事だったのと、第一次世界大戦と大東亜戦争の間には、まだ欧米列強の覇権主義、植民地主義とが普通の外交観だったことを思い出していました。
 また、当時のソ連やプレ中共軍の動きに対する孤島日本の焦燥や不安も、現代では想像を絶していたことでしょう。

 さて、NHKの海軍OBの話ですが、未見です。事情は、その前後台湾問題でNHKディレクターの姿勢が日本の国益を著しく害するものと感じたからです。しばらくは、NHKの夏の終戦論評映像は見ない予定です。フィルム、映像によるプロパガンダの強烈さや恐ろしさは、ふうてんさんの方がよくご存じと思います。

 お話を伺うかぎり「やましき沈黙」が敗戦後の旧海軍上層部にはびこっていたわけですね? まるで近頃の西日本JRの事故隠しに似ています。まいどまいど、同じことが繰り返されるわけでしょう。

 ただ、沈黙するか告白するかの、東京裁判関係については、沈黙しようが、告白しようが、てめぇーに都合のよい証言をしようが、裁判自体が、まるで人民裁判、欠席裁判みたいなもので、こういう裁判は茶番劇にしか思えず、それに沈黙して逃れた者がいて、絞首刑に処せられた者がいて、さまざまですが、その意味は本人たちの気持とは縁遠いことに思えます。

 ただし。軍人とは敗北すれば敵国によって斬首される覚悟が必要なのは、軍が官僚化していないかぎり、未来永劫普遍の事実と考えています。軍はあくまで文民・官僚とは別の属性を国や民族から付与された存在だと思います。単純に、栄誉か慙死の世界観が普通です。

 さて大東亜戦争を裁ける欧米列強はいないと思います。
 米国なんか原爆で非戦闘員を20万レベルで虐殺殺傷したのですから、数の大小はありますがナチに近いですね。
 ふうてんさん、この世に正義の原爆と悪の原爆という分類があるのですか? あるなら、正義の侵攻侵略と悪の侵攻侵略とが大手をふって、今後の世界標準に強化されます。

 中国や朝鮮・韓国に関しては、日本は個々応分の保障を精一杯やってきました。しかしそれを超えて、当時縁のない敗戦後の私が「謝罪」するなんてトンデモないことです。そんなことを繰り返したなら、覇権国家中国は過去の歴代王朝の残虐行為を周辺諸国に向けて未来永劫保障し謝罪しなければなりません。王朝が変われば、責任は終わるのですか?

 まとめ
 海軍軍人にも陸軍軍人にも凡才や秀才や卑怯者や犯罪人や、いろいろいたと思います。組織で動く限り、組織の保身や上昇志向は、しかたないですね。
 たとえば過去の政権も今度の政権も、同じに見えます。

 それを美しいか醜悪か、おろかか先見があったとみるのかどうかは、まだまだ過去史を評価するほどには熟していないと感じています。

投稿: Mu→ふうてん | 2009年10月17日 (土) 13時09分

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