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2009年10月10日 (土)

小説木幡記:2009/10/10(土)鴨なんばも大覚寺の紅葉もまだでした

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↑大覚寺で見かけた牛車(ぎっしゃ) 秋だから見られたのかな?

 朝から葛野にでかけた。八時頃から一時間ほどかけて「邪馬台国周遊図書館ジオラマ」のHOゲージレール土台をスチレンボードで作った。2枚重ねで1㎝ほどの厚さにして、レールの下に敷いたら安定した走行になった。
 九時ころから、昨日送られてきた仕事メルの添付ファイルを開けて、別のファイルに複製しだした。ただし、単純に複製するのではなく、別のファイルと照合しながら整理していった。
 11時ころ御隠居さん達が来室した。美味しそうなポテト菓子持参だった。
 さっそく機関誌Truthの最新号を手渡した。ごくりごくりと読み出した。直接手渡すと、郵送料が浮いて経理が少しだけ楽になる。

 ともかく、お昼なので近所で蕎麦でも食べようとなった。
 残念ながら鴨なんばの季節には早かった。親子ドンブリ、親子なんば、鳥ナンバ、……。「ナンバって、なんでしょう」「なんば言っちょるね、ナンバは南蛮の略と違うか?」「?」「南蛮仕立ての料理法かな、……」

「天気もよいから食後の運動に、紅葉でも観て帰ろう」
 と、言うわけで近所の嵯峨御所・大覚寺に寄った。
 噂では、京都通が選ぶ一番のお寺らしい。余も実に気に入っている。ただし、このあたり全体は余が小学校のころから遊んだ地域だから、余自身は京都通ではない。単に地元で育っただけだ。なのに思い出してみると大覚寺境内にはいったのはもう足かけ10年以上前のことだった。毎年そばの大沢池で桜を撮るが、中にはなかなか入らないものだ。

 延々と渡り廊下があって、後宇多法王の輿や、玉座や、それはそれは大覚寺統の流れを目の前にみるような不思議なお寺である。密教の雰囲気がそこここにあった。真言宗大覚寺本山、と大きな表札があった。

↓写経(室)前の広い廊下
Akanagaimg2_5336 ところが、鶯貼りの廊下をめぐれどもめぐれども、紅葉はまだだった。般若心経写経の部屋の前にまで来たとき、ついには紅葉を諦めた(笑)。広い廊下というよりも、縁側みたいなところにも、土曜日のせいか人が沢山いた。もちろん写経場の中でも、数名が写経をしていた。
 広い廊下があまりに気に入ったので、人影がわずかに途絶えたところで「廊下の広さ」を写真に撮っておいた。

 その先は、大沢池を一望にできる月見台だった。秋の月をここから眺めれば秋夜も映えるだろうなと思って、数枚写してみた。例年は対岸からこちらを写すわけだが、どちらからみても大覚寺であり、大沢池だなぁと、独り言をつぶやいていた。今年の春の写真や、昔のがあるので引用しておこう。(2008:広沢池&大覚寺裏)、(2007年の大沢池・大覚寺

 喉が渇いたので帰りに珈琲店に寄って、美味しいスコーンを食べて帰った。
 御馳走になった。
 葛野に戻ると御隠居さんたちはそれぞれに、恩師の元に挨拶をしてくると、屯所を出て行った。夕食を御馳走になったと想像しておる(爆)。ご隠居さん達の恩師はみなみな裕福だから、なかなかに真似ができぬのう。

 無人になって、余は大覚寺の寺ショップで入手したお香をたきしめ、しばし瞑想した。(そうか、京都の紅葉は10月では無理なのか? いや、深山に入ればもう色付いているかもしれない。いやはや桜狂いで疲れ果てる毎春だからせめて秋くらいは、心静かに席をあたためよう、……)
 と、その時ノックの音がした。
 ベテラン教授が二人、「ご相談が」と言ってドア前に立っていた。(ついに、余を査問するのかぁ!)と身構えたが、なんのことはない、朝に途中まですませた大学全体の時間割の調整相談だった。それにしても土曜日の昼下がりにまで、ベテラン教授が仕事をしているとは、~。いやはや感心した。

 「まだ途中ですが。両学科おそろいとは、これは珍しいですなぁ、あはは」と、なお不審の解けぬ探り笑い。
 「先生こそ、今日も、御研究ですか?」
 「いえいえ、お求めの仕事をしこしこと」
 と、そこから延々と各学科と熱い熾烈な外交交渉に入った分けじゃない。
 ……。
 肝心なことは「いや、それは後日に決定しましょう」と言って、あとは懐古談に終始した。
 お二人が部屋をでたあと、だんだん夕暮れが近づいてきた。それから延々と午前の続きを始めた。
 気がついたら暗くなっていた。
 土曜の夕暮れ、とぼとぼと葛野を後にした。
 本日これにて、三件落着。

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コメント

牛車

 何と雅な美しい乗り物なんでしょうね。世界に誇れる乗り物ではないだろうか。

 ところで、昔から疑問があるのですが、何で牛に引かせるのですかね。普通、戦車とか乗り物は馬に引かせるのが世界の常識なんですが、何で、牛なのかというのが謎なんです。

 古墳時代から飛鳥時代、奈良時代と権力者は馬を第一と考えていましたね。何で、平安時代になると牛なんでせうか?

 明らかに戦闘の目的では無いですね、何せ、牛は走るのが馬に比べて遅いと思いますね。考えられるのは、牛は仏教と関係が深いという事でしょうか。インドでは牛は聖獣ですよね。平安時代に拡大した密教とか浄土思想と関係があるんでしょうか。

投稿: jo | 2009年10月11日 (日) 08時40分

Joさん、お久しぶりです。
 牛車と馬車の文明論的考証とは、またまた難しい司書(レファレンスライブラリアン)泣かせの質問提案ですことよ。
 横浜のご近所の図書館で、一度確かめてください。あっけなく一冊図書を案内してくれるかも知れない。
 一応ネットには様々な解、憶測がありましたが、どうにも出典、典拠がないので確証を得られませんなぁ。

 牛の聖獣説は補完的解として重要でしょうね。ただし聖獣だから貴族の自家用車に使ったかどうかは、無理がありますなぁ。もっと機能的な問題があったと思います。
 聖だと言ってもたとえば、現代でも聖なる鳥居を搭載した自家用車はないはずだし。聖なる寺院風の霊柩車は近頃あまり見かけませんし。

 牛:馬
 判定表を作ってみても、遅い、速い、比較的おとなしい、比較的荒々しい、ウンチの量、引き具の複雑さ、……。

 やはり、文明論的、交通歴史的、平安時代風俗的嗜好など多次元から考証し論考しないと、なぜに牛車かは、不明としか言いようがないです。

追伸
 それよりも、なぜ当日の大覚寺に牛車があったのか、不思議です。昔、陰陽師の映画の撮影がありましたから、その余韻でしょうか(笑)。新作の映画が出来るのでしょうかねぇ。あるいは、江戸あたりから尊き人が来られていたのかも知れません。しかし京都駅新幹線から牛車が都大路を通り過ぎたの噂も耳にしておりません……。

投稿: Mu→Jo | 2009年10月11日 (日) 19時05分

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