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2009年9月27日 (日)

NHK天地人(39)関ヶ原の終戦処理

承前:NHK天地人(38)関ヶ原と山形・長谷堂城

終戦処理
 勝っても負けても終戦処理は難しく、誤ると後世への禍根を残します。戦い、勝敗に、正義も悪もなく、勝った者が正義なのです。この理(ことわり)は歴史の事実です。ただ、その経緯をよく理解することによって、後世の者は醜悪な勝利、美しい敗北と判詞をだすのでしょう。それが歴史家の基礎力であり、ひいては文学者の仕事なのです。
 それが出来るから、「人」なのだと思います。野獣の戦いなら、負ければ相手の胃袋におさまり、何も残りません。
 こういうことをこの頃、自分自身の中で温めることが出来るようになりました。

正義と悪
 三成が小早川秀秋を通して残したことに、兼続に向けての「生き抜いて、我らの正義の真実を伝え、残せ」という言葉がありました。
 このことが今年のNHK天地人の強みであり、そして弱点だったと思います。
 戦いに正義も悪もありません。強いてもうせば、暴力をともなった外交の一種に過ぎません。
 三成が言う「豊臣の正義」には、徳川からみた「徳川の正義」があるわけです。
 だから私には、兼続の決めぜりふ「正義」「大義」が今一つよく伝わらず、これまで難渋してきたわけです。

 兼続はもっと、「ぶざまな敗北だった」とか「大坂の三成に呼応したにもかかわらず、景勝大将の頑迷さに邪魔されて、家康を討てなかったのが敗因だった」と、言えばよかったと痛切に思いました。
 いや、兼続がそう分析したとしても、それで景勝を見限る必要はないのであって、極端な謙信公・家訓墨守者と極端な正義派執政という、まるで壊れた鍋に隙間だらけの鍋ぶた関係であっても、それはそれ、人と人との繋がりとして、よいペアなのですから、私の心をうつとおもいました。

 これほど「正義」を「大義」を叫ばねばなりたたない大河ドラマは稀少と思いました。「正義」が人類史に多くの禍根を残してきたことの実証は、優れた歴史家が幾千もの事例を証しております。
 「正義」がうまく行ったのは、日本なら戦後しばらくして、正義の味方「月光仮面」が現れた時くらいだと、思うのです。
 本当は、「勝てる戦を勝てなかった」を嘆き反省すべき一夜だったと思いました。

三成の斬首
 今夜のドラマの見どころは、しかしやはり三成と兼続との関係、そして主に兼続の反応だったと思います。三成の無念は、遠く会津の兼続の血涙によく現れておりました。最上軍の虎口を無事逃げ切り、一人広間に端座した兼続の額からの血が涙にまじり、手の甲に一滴、二滴落ちていきます。よい場面でした。
 これは兼続の気性からして、逃げ切った安堵涙ではなく、遠く関ヶ原を思った涙のはずです。

 三成の死を伝えに来た初音と座敷に対座し、漸く話が終わる頃、廊下の障子にはまだ鎧武者の行き交う影が写っておりました。こういうちょっとした演出に、私は感動したのです。

 そして。
 三者の目からみた三成の最期を、兼続が鎮痛の想いで聞く場面が良かったです。
 会津まで来た初音は「三成様は無念だったと思います」と、六条河原での極刑斬首の有様を伝えます。新選組の近藤勇局長と同じく、名誉ある切腹ではなく、犯罪人としての斬首だったわけです。

 京の上杉屋敷にお忍びで訪れた福島政則は、「自分は間違っていた。三成の考えを理解できなかったワシが馬鹿だった」と、三成と酒を酌み交わした一夜を語って聞かせました。そして最後に「秀秋に会って三成の話を聞いてやってくれ」と伝えました。

 兼続は、裏切り者の秀秋から、三成斬首前の牢での話を聞かされました。
 三成から牢を開けるように言われて秀秋は、
 「ワシは、三成のように、難しいことを決断できる器ではないのじゃ」と叫びました。
 しかし「兼続に頼む、生きて、我らの正義を後世に伝えてくれ」との、三成の遺言には、
 「裏切り者でも、三成の気持ちを兼続に伝えなければ、もう、人ではなくなると思った」と、兼続に告白したわけです。

 三者三様の話は、リアルな心理劇をみているような気持になりました。相互に矛盾はないので、演劇上の面白さは少ないのですが、それぞれがそれぞれの気持を兼続に伝える雰囲気が、それぞれに良かったわけです。

 だから、今夜のドラマも、優にしておきます。

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