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2009年9月20日 (日)

NHK天地人(38)関ヶ原と山形・長谷堂城

承前:NHK天地人(37)直江状の背景:戦術義と戦略義

 時代の趨勢を今夜は充分に味わいました。徳川の世の中になることを多くの武将達が動物的に、肌で感じていたのだと思います。小早川の裏切りも、毛利の戦線放棄も、時代の流れにそった結果だと思いました。

 小早川秀秋(20歳前後)は西軍・三成との約束を破ったわけです。
 二年後には岡山城主50数万石の大大名として、あえなく生を終えました。
 噂では、怨霊にたたられて狂死、あるいは毒殺など、いかにもの死にざまでした。しかし東軍は秀秋(金吾)によって、関ヶ原を勝てたのですから、家康も満足だったことでしょう。

 分かりにくいのは毛利家です。関ヶ原では動かなかったわけですから、これは「静観」どころではなく西軍総大将毛利輝元の優柔不断とすぐに思ってしまいます。しかし、総大将は大坂城にいたのですから、現場毛利軍・指揮官の現場判断だったのでしょう。ケータイや無線があったなら、大坂城から関ヶ原に指示を出せるでしょうが、……。

 いろいろネットを探してみたり、過去の読書を思い出すと、総大将輝元と、関ヶ原担当者の間に食い違いがあったようです。輝元はあくまで西軍の総大将として振る舞った形跡がありますが、現場は最初から東軍家康に加担していた様子。しかし、つまりは輝元が天下分け目の決戦に、陣頭指揮を執らなかったのが西軍敗北の総責任とも言えます。

 これで毛利は後日皮肉なことに家康から冷たくあしらわれ、120万石以上もあった石高が30万石を切ってしまうことになります。小早川秀秋よりも小大名になってしまうのですから、戦はバクチです。その後、俗説ですが、どうにも長州は酷薄というか、かっこよいクールさではなくて忘恩の徒、利己主義者という県民レッテルを貼られてしまいます。なんとなく、関ヶ原以降鬱屈したのでしょうか(笑)。

 三成の盟友、敦賀城主・大谷刑部少輔(ぎょうぶしょうゆ)吉継の姿と声がよかったです。特に声がほんの少し場とズレがあって、それがリアルさを出していました。これは、三成の軍師・島左近も、セリフや所作にほんの少し大時代的なズレがあって、それが何とも言えない律儀さを漂わせ、よかったです。

 一方出羽の長谷堂城ですが、兼続は最上を攻めあぐねた様子です。この戦は、私はまだまだ周辺情報が少なく、全体的な感想を記せません。
 関ヶ原で西軍が敗れたことにより、景勝・兼続は撤退するわけですが、このことが後に評判になったようです。撤退軍の最後尾は殿(しんがり)といって、大抵は追撃軍に殲滅されるわけで、つまり殲滅されている間に、本軍が逃げ切るというトカゲのしっぽ切りみたいで、生還するのは難しいわけです。
 兼続は攻撃(反撃というより、攻撃でしょう)しながら、下がり、また攻撃するという方法だったようで、追撃する最上軍は、ときどき殿軍と戦っているのじゃなくて、本軍と戦っているような印象をもったことでしょう。先に景勝を会津に逃し、殿軍となった兼続も無事生還するわけですから、後世評判になったのだと思います。
 旗指物はそのままにして、炊事煮炊きの煙もあげて、100人単位でこっそり会津にもどれ! という指示が兼続からでましたが、要するに「逃げているのじゃない。鉄砲撃ちながら、戦いながら移動してるんじゃ」という印象を最上軍に与えたから、無事だったのでしょう。

今夜の心残り
1.毛利輝元こそが関ヶ原に出っ張り、石田三成は大坂城にもどって留守居役をしてもよかったですな。
2.二千足らずの兵と山城で、徳川秀忠軍2万以上を釘付けにした真田の役割は重いですね。
3.この1600年の関ヶ原の戦いで300の兵で敗走し、生還100名に満たなかった島津と、結果として優柔不断になった(裏切りの小早川家も一応毛利と親族関係ですから)毛利とが、1868年の江戸城開城の主役になり、以後1945年まで薩長閥として日本を牛耳ってきたのですから、歴史の運命は不思議です。
 今度はJR九州とJR長州とが独立宣言をだすかもしれませんなぁ。
4.出羽合戦は、上杉家としては力をだしつくせなかったわけです。伊達と最上に北を押さえられ、江戸には徳川。本当に上杉家の苦難の始まりでした。

 今夜は、そんなところでした。

↓地図・関ヶ原:岐阜県不破郡関ヶ原町

参考地図:長谷堂城跡:山形県山形市大字長谷堂
参考記事:山形・長谷堂城合戦

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とうとう関ヶ原の戦いが始まりました。このドラマは関ヶ原の戦いがメインではないので、重要なポイントとしては小早川秀秋の寝返り以外の部分以外は完全に割愛されてしまいましたね。例えば、真田親子がどのように徳川秀忠の軍勢を足止めしたのか、毛利はなぜ軍を進めることをしなかったのか等知りたいことは色々あるのですが、ここで重要なのは直江兼続と仲間である石田三成の動きが中心であるがゆえなんですよね。 一方の東北の関ヶ原の戦いである最上軍と上杉軍の戦いについても、具体的にどのような戦いをしていたのかも知ることなく... [続きを読む]

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