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2009年9月13日 (日)

NHK天地人(37)直江状の背景:戦術義と戦略義

承前:NHK天地人(36)石田三成の立場

 昔の大河ドラマ(太平記?)で、足利尊氏(真田広之)と弟の足利直義(ただよし:高嶋政伸)との関係を思い出していました。あくまでドラマの話ですが、尊氏は足利家歴代のなかでも突出して優れた武将でした。戦も上手だし、人々もついてきました。ただ、客観的にみて気鬱が強く、ときどきまるで無能、役立たず、幼児のようになってしまって、これまた実務家として優秀な弟直義はほとほと困るわけです。しかし兄思いの直義は、兄の身代わりになって粉骨砕身、幾度も危機を乗り越えます。つまり、足利の室町幕府は、実質・足利直義の働きで基礎を固め、発展したわけです。
 トラブルがあって、兄尊氏は弟直義を誅(毒殺か?)する結果となりました。もちろん、その張本人の兄尊氏は自分の招いた結果に、号泣したことでしょう。ドラマでは、尊氏もまた弟思いの兄だったのです。

 今夜はいろいろ書かずに要点だけ記録しておきます。
 徳川十万の軍勢に襲われて、襲った側の事情で引き上げるのを、背後から追いかけるのが義にもとるという景勝の理屈は屁理屈です。戦は受けて立とうが、攻めようが、始めた限りは勝たねばなりません。敗北の美学、滅亡の美学は全力を尽くして人事を尽くし、なお敗れるときにうまれるのであって、後の上杉の敗北は、愚劣な敗北と言い切っておきます。徳川に負けて当たり前の上杉景勝でした。

 ただし、伏線として。
 以前景勝は、兼続に「三成に肩入れしすぎるな」と、忠告したことがありました。
 その当時の趨勢として、上杉景勝は豊臣家の天下統一、その成立と維持に、兼続と三成から生まれる関係ほどの深い思いは持っていなかったのかも知れません。
 すなわち、景勝は別の深い所で、徳川がもちまわりで天下を統一してもやむを得ぬと考えた可能性もあります。ならば、家康を討ったところで、天下が静まる分けでもないと、分析していたと想像もできます。
 となると、ここで退却する家康を討つことは、背後からの攻撃という戦術上での不義だけでなく、戦略的にも、天下統一大平天国(笑)確立の義に反するという景勝の「義」が出てきたと(も)、考えられます。

 ヤマトタケルは、出雲のタケルを撃つとき、出雲タケルの太刀を木刀に変えて、共に川遊びし、その後で鉄剣で串刺しにしたという伝説があります。そしてヤマトタケルのミコトは高らかに歌いました。さみなしにあわれ(鉄剣でなくて、残念だったね)、と。すなわち、戦いとは、勝たねばならないものです。逆に、負ける戦いはせぬのが正しい考えです。

 今夜は、ものすごい緊迫感を肌で感じ、そして空虚な思いがしました。
 来週は、関ヶ原の戦です。
 上杉の目でみたこの戦、さてどうなるのでしょう。

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コメント

はじめまして。
景勝が「義に背く」として家康を追撃しなかったというエピソードは聞いたことがあります。いかにも「天地人」で言いそうなことだと思っていました。
でも実際には、「義のために追撃しない」なんてことはなかったのでは、と思います。御館の乱では金蔵をおさえ、勝頼を土地と黄金で釣り、降伏の証の甥と元関東管領を殺し(ドラマでは否定してますが)、相模へ逃れようとした義兄を、その家臣を裏切らせて死においやる。義なんてどこにもない戦でした。
まぁ日本の英雄の戦い方って、だまし討ちが多いんですよね。酒呑童子退治とか…、
会津の上杉は「伊達・最上と徳川の間に楔を打つ」存在と言っていましたが、逆に言えば敵に囲まれている状態。国替えして充分な国力もない時なら、伊達・最上を気にせず徳川追撃は危険でしょう。
それはともかく、兼続は三成との密談を、景勝に全く相談してなかったってことですかね。土壇場で意見の食い違いはイタイですね。

投稿: Tommy | 2009年9月14日 (月) 03時03分

Tommyさん、こんにちわ

 私は、兼続、上杉景勝が秀吉・石田の命にしたがって会津に移ったのが悲劇の始まりと感じています。これはどう考えても挟み撃ちにあいに行くようなものです。

 秀吉が末期で気が弱っていたせいもありましょうが、そこまで上杉に信頼を置くなら、越後はそのままにして会津経営を任せる方法もあったと思います。それだと、上杉は200万石を超えて、逆の脅威もうまれますが(笑)

「兼続は三成との密談を、景勝に全く相談してなかったってことですかね。土壇場で意見の食い違いはイタイですね。」
↑実情はこうだったのだと思っています。

 ドラマを観る限り、兼続が策に溺れた印象もありました。それと、兼続は執政だったようですが、軍師はいなかったのでしょうか?

 こういう場面では往年の風林火山の方がわかりやすくすっきりしています。山本勘助なら、夜討ち朝駆け奇策謀略が当たり前の世界ですから、戦術的・戦いに「義」など持ち込まないでしょう。
 鉄砲なんて、「おのれ、飛び道具とは卑怯なり!」を義と考えたら、戦国武将はやってられなくなりますなぁ。
 ……。
 春秋の筆をつかうなら、景勝の戦略・義によって、徳川を背後から追撃しなかったから、後の上杉は残った、となるのでしょうか。

投稿: Mu→Tommy | 2009年9月14日 (月) 05時33分

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受信: 2009年9月13日 (日) 22時54分

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