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2009年9月 6日 (日)

NHK天地人(36)石田三成の立場

承前:NHK天地人(35)家康の政治力と前田利家

 この時代には、戦に於ける謙信や武田信玄、あるいは源義経のような鬼才、鬼神ぶりが描かれないので、豊太閤逝去後の国内事情が難しく思えました。これは来週も続くわけですが。

 そしてまたドラマの上での解釈が分かりにくいところもあるわけです。
 なぜ三成が豊臣恩顧の福島政則など血気盛んな武将達に屋敷を囲まれ、なぜ家康のもとに三成が逃げ込み、なぜ家康は家臣の本多が言ったように「自害」の決着をつけなかったのでしょうか。おそらく史実としても、分からないことが沢山あるのでしょう。
 三成が上杉景勝屋敷に逃げ込めば、もう少し分かりやすいのですが(笑)。

 わかりにくいのは徳川家康が、松方さんの仁義なき戦い風演技に迫力がありすぎて、家康自身の謀略と方針とが鮮明に出てこないところにもあります。「謀略家」の薬が効きすぎているわけですね。政権簒奪の手順をもう少し分かりやすく説明してあれば、納得できるのですが。
 前田家や上杉家への家康の難癖の付けようも、子供じみていて、もしその通りなら、理由も大義名分もなく、家康は刃向かう諸将を一網打尽にすれば良いようなものですが、……。おそらく、関ヶ原の戦いも、会津上杉の逡巡や、徳川秀忠の遅参や、小早川の変節やと、不定要素が多すぎるわけで、だから今夜の状態も誰にも(秀吉あとの帰趨が)想像出来なかったのかも知れません。
 西国、九国の大大名達の動き、関東の動き、東北の動きが複雑すぎて、現代のような戦略コンピュータを駆使しても、「不定」とでるのでしょう。

 これまで耳にしてきた話では、世界中の作戦将校、参謀たちが関ヶ原の布陣、その他から、勝利は西軍(三成)側と判定予測するわけですが、そういうぎりぎりの結果をまねいた家康も、ドラマのような悪魔的謀略家ではなかったのだと、思いました。
 私は少時から、関ヶ原の戦いのあと(1600)、家康・征夷大将軍任官・江戸幕府開府(1603)、豊臣家滅亡・大坂夏の陣(1615)年までの期間が長すぎるように思ってきたのです。名目的には、関ヶ原は毛利が総大将で、実質石田三成と家康との格闘だったわけですが、その後の15年間の長きにわたり、当時の日本がどうだったのか、分かりにくいです。

 家康は、豊臣家からの簒奪者という悪名を最後まで、避けたかったのでしょうか。
 今夜のドラマ、兼続と三成との作戦がうまく行っていたなら、関ヶ原の戦いは西の勝ちと、なっていたでしょう。それは来週あたりからはっきりしてくることで、どこかに作戦の齟齬があったのだと思います。

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承前:NHK天地人(36)石田三成の立場  昔の大河ドラマ(太平記?)で、足利尊氏(真田広之)と弟の足利直義(ただよし:高嶋政伸)との関係を思い出していました。あくまでドラマの話ですが、尊氏は足利家歴代のなかでも突出して優れた武将でした。戦も上手だし、人々もついてきました。ただ、客観的にみて気鬱が強く、ときどきまるで無能、役立たず、幼児のようになってしまって、これまた実務家として優秀な弟直義はほと... [続きを読む]

受信: 2009年9月13日 (日) 21時35分

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