小説木幡記:2009/09/30(水)眠ることも惜しまず、日々生きておる
昨日火曜日葛野行状記
1.ラーメン
久しぶりに「天下一品ラーメン」をいただいた。京都発祥のチェーン店だが、比較的気に入っている。チェーン店といえば、他に横綱ラーメンとかタカハシラーメンとか来来とか、ある。どれもそれなりに入りやすいので使うことがある。
純粋のラーメン専門・有名店も、京都市内に数カ所行きつけがあるが、自動車でないと行きにくかったり、駐車場がなかったり、あっても満席で、行く回数は年単位に減少する。
それに、ラーメン店は「週に一回以上入らぬ」と言う、国是、いやちがった家訓、いやなんというか掟があるので、せいぜい昼食の「月三」程度の割合だな。
2.大学図書館と釋迢空x釈超空
暇だったので(笑)、大学図書館にも行って「鉄道図書館(移動図書館)」関係図書を返却。替わりに昭和初期の歌関係を数冊。OPACでなかなか釈迢空が出なくて困った。なんのことはない、「釋」といれれば良いのだ。ついでに、しらぬまに「迢空」を「超空」としていたことに気付いた。折口信夫だと厖大すぎて、釋さんに変えると求めるものがすぐに出てきた。
新旧漢字によって出るの出ないのは、まあ、いたしかたなかろう。と、そのことに寛容なのは新旧漢字の対応表を昔自製システムに組み込んだ時、いやはや1対1対応じゃなくてな、1対nでもなくて、要するに「n:n」関係の複雑さに青ざめた経験がある。……、まあよろしいでしょう。
3.連結器(カプラー)調整三昧
ドイツのフライシュマン製HOゲージのディーゼル機関車に、日本製の車掌車やサロ124形図書館列車を曳かせることに小一時間かけた。要するに日独では、カプラー(連結器)の形状がまるっきり異なるし、おまけにレールの上からの高さが違っているので、単純に標準的カプラー(ケーディーの5番?)を付け替えるだけではすまなかった。
さらにフライシュマンの機関車はカプラーを取り付けるところが金属製で、ビス穴を開けるのにも工具がなくて、こまった。単純にピンバイスを使ったが、折れそうになった! まだまだ工作未熟だねぇ~あはは。
で、結局ごまかした。
プラスティック製のフライシュマン無蓋車の、片方のカプラーだけ取り替えて、もう一方はそのままにして機関車に接続させた。標準的なカプラーを取り付けた方に、日本製の車掌車とか図書館列車を接続したわけである。なんとも、工夫ちゅうか、姑息というか。だが、無蓋車は実車「嵯峨野観光鉄道」でもトロッコ車の原型だから、HO模型でも椅子を付けたり屋根をつければ、立派なトロッコ車両に将来変身する。
なお、プラスチック製だと、なんとかヤスリとかピンバイス(錐じゃね)とかニッパーで、カプラー取り付け位置のレールからの高さを調整できた。まあ、それなりに荒仕事はこなせるようになったのじゃ。
4.授業準備
講義内容が十年一日であっても、実は毎週毎週、一科目あたり最低1時間は予習にあてておる。標準的には、その科目が終わった午後か翌日に、まず次週の準備をする。次に当日の早朝二科目分で90分くらいは時間をかける。
年令の割りには時間をかけているのは、単純なことで、余が度はずれた神経症というか、心配性だからにすぎない。余は、一科目あたり90分授業を、約10分単位で切り刻んで、スケジュルを立てないと、途方にくれるタイプなのじゃ。これはもう仕方ないのう。
で、毎回それをメモするわけでもなく(昨日午後はメモしたが)、じっと座って講義時間を想像するわけ。その時に、必要となる小道具もついでにイメージされてくる。その準備にもいちいち時間を取られる。
たとえば、
プロジェクターを使う時には、Macは充電されておるか、プレゼンテーションソフト(Mac専用とか、MSパワポとか、別種とか、……)は動くか、文字がずれておらぬか、ショートカット(エイリアス:プログラム起動の身代わり表示)が機能するかとか、なんとか。
文章にすればたいそうなことやが、まあ、システム系はこの道40年以上なので、汗は出ない。
さらに、
配布用紙を調達したり、用紙のフォーマットを全科目統一させたり、チョークを用意したり、唯一板書するキーワードが漢字なら、ちゃんと書けるかどうか(20年以上もPC入力で済ませていると、自分の住所氏名くらいしか、書けなくなった能~)。
教科書やハンドブックの言及所定位置に付箋を付けたかどうか~、などと一科目90分という劇場を運営するには、なかなか大変なのじゃ。
だから、他の教授連がしゃかしゃかと、無理なく授業講義運営をしているのをみて、「さすがわ、大学教授!」と、いつも感心しておるでのう(爆)。
ところが、演習授業は、これは楽々。ぜんぶ、助勤さんたちが運用してくれる。余は左団扇で居眠りしている。気がついたら半年すぎて、よい作品が眼前に現れてくる。実に、よいシステム運用や。
人は、どこかでプラス、マイナス、足してゼロにしておるのじゃろう。
*.というわけで
今朝は早朝1限目から「生涯学習」。青年は一年先も霧に包まれているらしい。少なくとも、30過ぎくらいまでの人生をまず想定してもらおう。でないと、話が進まぬ。十年先に、おのおのが鬼ママ、鬼嫁だろうが鬼お局だろうが、それは余にはあずかり知らぬこと。
要は、脳と身体を使って、活き活きと、充実できるようにするには~。そういう社会を作るには、生涯学習というコンセプトを社会や個々人に組み込まないとな。
それこそが、「人」として生まれた輪廻の一環、合掌。
さて。珈琲でも飲んで眠りましょう。(ケッタイナ話じゃが、余にカフェインは誘眠剤のようじゃ)
ふと時計を見ると午前3時。1時間ほど安眠すれば、睡眠時間は十分過ぎる(昨夜は9時すぎに眠った)。
そういえば、昼寝もしたかのう、忘れた。
毎日が、夢のように過ぎていく。
| 固定リンク
「小説木幡記」カテゴリの記事
- 小説木幡記:楠木正成のこと(2013.06.07)
- 小説木幡記:腰痛と信長(2013.05.28)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント