20090924の月例会と秋季助勤会:倶楽部組織図
今年は著者・顧問Muが前半不調で、MuBlog掲載の葛野図書倶楽部2001行事記録も薄くなってしまいました。つまり、春先から初夏まで、カメラを持つ気力も、記事を書く気力もなくなり、最悪・顧問行事欠席もあったわけです。
さて小さな組織でも、記念記録に粗密があっては良くないと思い、昨日9月24日に行われた、倶楽部月例会(後期授業の鉢巻き締め)と、夕刻の助勤会についてまとめておきます。
世間でよくあるように、長男長女の記念は山積みされるのに、次男次女以降は、記録さえないという状態はよくないわけです(笑)。
1.月例会
欠席は2名ありました。だから顧問をいれて10名が小さく写っています。それぞれやむをえぬ事情なので、機関誌Truthには枠付き貼り込み写真を合成するようです。
学期始めの月例会なので顧問も出席し、ひとりで大演説をぶっておりました。もちろん、大統領や首相と同じく、話す内容はあらかじめ書記局長へ送付してあります。なかなか、大変緻密な組織です。
顧問演説が終わると、次々と倶楽部新人の紹介や、局長以下、三番隊長までの報告が進みました。司会は書記局長です。
ただ、普通の会議とは違って、毎年行事や運用内容は慣習的に定まっていて、各担当主任(主に長)の専権事項となっており、審議は殆ど無くて報告連絡が主になっています。各長の権限は強化されているので、顧問といえどもおいそれとそれを覆すことはできません。新選組に比較すると、永倉新八・二番隊組長の考えと同じく、局長も顧問も同士であって、主従関係ではないわけです。
ただ情報を扱う組織であることから、顧問の通達メールに関する「復命」は厳守することになっています。主に助勤との授業演習遂行時に、その厳しい(笑)関係は発揮されます。
抗命・違反は即日◎腹でしょうね。
その他のことは、おりおりの局長キャラによって異なりますが、比較的ゆるい運用が慣例となっています。ついでながら、ルールの上では、顧問は局長を叙任する力しかないとも言えます。
月例会は約1時間で終わりました。しかし、書記局長の編集する議事録は毎回A4判で数頁に及ぶ大部なものとなっています。殆どのことは、事前に各担当から報告内容が送付されているわけです。会議に緊張はないのですが、情報の密度は高いです。だから新人達は、議事録を読まないと会議でなされた討論や報告の文脈がつかめなくて、しんどいこともあると、後日耳にします。慣れると、楽になります。
そのあと、一同うちそろて、局長の先導で近所の「めしや」へ行きました。こういう店の選択は圧倒的に局長職の専権事項で、顧問なんかが口出しできないのです。また、どのくらいの品目や量をたべてよいのかは、圧倒的に経理局長の采配下にあって、他の隊員や顧問は四の五の言えないわけです。
ところで。新選組の組織を動かしたのは副長でした。
実は、局長は顧問よりも副長と相談することが多いわけです。今期は知りませんが、倶楽部歴史上では、局長は一般に変人がなります。なぜか分かりません。そして副長は安定した聡明な人がなります。これもなぜか分かりません。ただし、局長が聡明でないなんて、とんでもないことで、ただただ変人が多いわけです。
今期のことは、良く分かりません。多分今期はいつもにまして、局副そろって、安定した聡明な人と思います。それとは対照的に、強いて申せば経理局長や書記局長は、歴代職務遂行の鬼と化します。
これも何故か分かりません。
そしてまた往昔の新選組も、実践力機動力においては、圧倒的に一番、二番、三番組長の実力で維持されてきたわけです。(今年は、一番隊長、二番隊長は経理局長と書記局長とが兼務しています)
なにかしら、見れば見るほど、新選組は小組織のエッセンスを秘めていると、会津中将も感嘆していたことでしょう。
食事の後は、みなさんうちそろって屯所を掃除していたようです(顧問は、はやばやと食堂をでて、自室で午睡にはいっておりましたので、推量)。
2.助勤会
午後は13:30~16:30まで、助勤4名と顧問とは、別室で後期の演習授業に関する打合せを行いました。途中休憩も10分ほどありましたが、夕方には全員くたくたになるほど、緻密な論議が交わされました。顧問は毎年二回、春と秋に招集しているのですが、ほんま、ものすご濃い内容になります。
その間、屯所では、新人達と先任三番隊長とが、あれこれ職務をこなしていたようです。途中の休憩時に覗いてみると、新人二人がすでに傘張りじゃなかった、図書装備や、過去の厖大な演習作品を整理しておりました。
新人達にとっては、慣れない中で早朝9時から打合せ、月例会、食事、掃除、責務、責務、……。夕方まで大変な苦行だったことと想像します。(ひっそり、顧問は手を合わせていたようです)
3.夕べの懇親会
夕方になったので助勤会を切り上げて、助勤4名と一緒に三条木屋町へ出掛けました。残念ながら、屯所の下級生達は呼ばれなかったようです。下級生もやがて自然に上級生になります。継承性のある倶楽部では、多くのことがまた来年のことです。
博多長浜ラーメンを五人でいただきました。一人だけメンマラーメンで、他は顧問もいれて、チャーシューメンでした。そのあと、高瀬川にそって夜の木屋町を北上し、キルフェボンに入りました。赤い季節のフルーツタルト、マンゴー、イチゴ、……。ここはJ達の楽園のようです。
で、いつものように顧問だけこっそり抜け出して帰還の途。夕刻19:30には木幡研に入構して、茶をずびずびとすすっていたようです。残った助勤がどうなったのかは、知りません。
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