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2009年9月18日 (金)

小説葛野記:2009/09/18(金)九月の猫ハルキ

9gatuharuki
↑2009年9月の猫ハルキ君

9月も下旬
 感覚として、ここ何日かは、朝昼夕の寒暖差が10度ほどもある。かといって、相変わらず夏の姿のママで、このまま10月に入ってもしばらく半袖でいく気分だ。衣替えの季節と歩いていてもおもうのだが、気持ちが日常になかなか向かない。

 この10日間ほどは、今夏期いちばんの疾風怒濤時間だった。10日前に夏期論文物語初稿を完成して、神戸で研究発表をした。緊張する。その上、発表後に聴衆の同業お二人から、それぞれおひねりまでいただいて、なんか漫画世界にいるようだった(笑)。こういうことは生まれて初めてだったので、帰路しきりに首をひねっておった。大昔の欧州中世大学では、学生達が講義を受けた後、その場で適切なおひねりを篭に入れていたようだが、プロ同業間でもそういうこともあるんだ。(余の生涯の記憶となろう)

父の祖地
 父の祖地に往復300キロ走った。これまた帰路が、日頃味わえないスリリングなドライブだった。つまり、旧北陸線の単線トンネルを11箇所通り、そのなかで信号付きが3箇所。ついにというか、まんまと一箇所で正面向き合ってしまった。結局、おとなしいよそ者の余がRSを数百メートルバックさせた次第。相手が悪いのはわかっていても、地場のおっさんに喧嘩うるほど不用心ではない。余は、入る前に、ハイビームにして警笛を10秒もならして突入したというのにな。その日は晴れていて、大体一箇所1キロあるトンネルはカーブしていて、入ったとたん暗黒になる。蛍光灯がぽつぽつついているだけの、要するに地場者専用道路みたいなものだ。トンネル内走行の事件以外は、だれともいきちがわなかった。

 ああ、父の祖地は、au携帯が圏外だった! あそこから、父が大正時代にはるばる東京へ一族一帯の期待を背にして、遊学したころを想像し、思わず落涙した。関東大震災の頃20代前後だったようだ。下宿の臨月のおばさんを戸板にのせて右往左往していたとの話だけを、父から鮮明に聞いていた。

葛野図書倶楽部2001も動き出した
 倶楽部。いろいろあった。新人会や~、今朝は一番隊長が新人・旧人たちにPC講習会を開催してくれる予定。来週は連休明けに後期大月例会、来週末は副長主催で機関誌の印刷製本、いろいろある。

 そして、余は夏期論文物語、今夏の〆に入る。
 脳がとろける。太陽にとろける葛野研。

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コメント

態度のデカイ猫ちゃん

 父の祖地に往復300キロ
 単線トンネルを11箇所
 父の祖地は、au携帯が圏外だった
 父が大正時代にはるばる東京へ

 いずれもまことに印象的なお話ですなあ。
片道150キロというと近いですねえ、ルーツの地は。
単線トンネル、という言葉の意味が最初は分かりませんでした。
数百メートルバックしたというのは運転が確かな人がやったのでよかったと思います。
当方など、数メートルロシナンテをバックさせて電柱にゴキンとやりバンパーに記録が残っております。
auやソフトバンクはカバー範囲が狭いようですね。
ソフトバンクを使っている沖縄の友人が(何とかして下さいよ)と叫んでいました。
携帯電話はドコモのらくらくふぉんに限ります、です。
大正時代に日本海側から大江戸東京へ。
そりゃあ大変なことだったでしょうねえ。
あの大震災のとき井伏鱒二も下宿していたいいますから、近くにいて右往左往していたのやも。

 ハルキくんはそんなことワシャしらん、でよろしいわけで。

投稿: ふうてん | 2009年9月19日 (土) 11時52分

ふうてんさん、お久しぶりです。
 近頃、blog世界の外遊もせずに、葛野に閉じこもっております。

 さて、片道150キロは近いのですが、途中で田舎道に入るので3時間若かかります。日帰りだと5~6時間乗っていますから、やはり老体にはこたえますなぁ。

 単線トンネルは、ご想像のように旧国鉄・北陸線の単線レールを外して道にしたわけです。行き違いも待避壕も、まったく無くて、電灯もごくわずか、要するに車が走る状態ではないのです。けど、山中ですから行き違いもなく、信号が無いトンネルも、地場の人は気にせんと使っているようです。大体1キロくらいの長さが多いです。

 バックは、若いときは、わざとらしく山道をはしっていたので、「数キロ!のバック」もありました。延々と後ろ向き。左は山、右は深い谷~、人はやはり愚かしいことをするもんですな(笑)。その代わりバックランプも、前照灯並のバケツタイプを付けておりました。

 さて。ふうてんさん、珍しく特定日本メーカーの支援をされますな。ドコモの縁者ですか? そりゃ、ドコモってもともと、何処でも、だろうから、深海から鉱山の奥底、穂高の峰峰、どこでもつながらないと詐欺ですよ。

 auはあうんの呼吸で、「つながらない、田舎だ、あきらめよう」の心ですわな。

 というわけで、大正時代に福井県今庄のそのまた奥の田舎から、江戸までどうやって、何日かけて我が父が上京したのか、……。今秋のNHK坂の上の雲を観れば、想像つくでしょうね。松山も、山越え野越え、ついでに海峡も越えて、やっと大阪でしょう? そこからまた江戸~。気が遠くなりまする。

 ふうてんさんの時代だと、新幹線あったかなぁ~

投稿: Mu→ふうてん | 2009年9月19日 (土) 13時06分

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