小説木幡記:2009/09/15(火)倶楽部の新人会
日曜のNHK天地人で記事を公開したが、その前後が空白になったままだ。いろいろありすぎて脳内が空白状態で、また、PCに端座する時間もなくて、夜は快眠、昼はいろいろあった。隠棲を標榜しているわりには、ときどき、たまりにたまった物事が一挙に集中して、わけがわからなくなる一週間であった。あと、月末までは夏期論文物語が続き、依然として、脳には霧がかかっておる。結局、余の夏期休暇はいつもいつも、一番忙しくなってしまう脳。ともかく、何事も手間暇かかりすぎちゅうか、手が遅いちゅうか、執心しすぎるちゅうか、てんやわんやになってしまう。
新人会
昨日月曜日。
午前は、今後の倶楽部の話を幹部として、昼はコンビニ・ソーメンを食べて、午後からは5人の新人に訓辞をたれて個人面談して、夕方はまた幹部達とあれこれ後期や来年の話をした。しかし帰還は木幡着7時ころだったので、手早い切り上げようだった。疲れておったのじゃ労。
新人達のことを分析しておこう。
出身地は、宮城県、京都市(東西に別れて)2名、兵庫県、大分県。
宮城と大分とでは、随分離れておる。後者はひさしぶりの九州人である。
(夏前までの旧人は、岩手、新潟、愛知、岡山、大阪2名の構成)。遠隔地が多いので旅情が湧いてくる。
身長は目測では155~165の間。
食の好みは不明。
年令は19歳が2名、20~21歳が3名。
学科構成は、日本文学系が2名、心理学系が3名。
家族構成は、聞き取りでは多様。みんな独身の様だ(笑)。
特徴も多様だが、表層的にしか分析できない。そのくらいがお互いに気楽で良いが脳。
今のところでは、重度のアルバイト者が2名、重度の点滴愛好者が1名、重度の読書家が1名、中程度の旅行好きが1名、一見極端に控えめなのが1名。合計6名になるが、重なりが1名おるので計算は合う。
他に、60代社会人の格式を持ったメールを書く者が1名。30代の格式あるメール者が1名。良い意味で執拗に食い下がるメール者が1名。論旨明快あっさりすっきりメールが1名。反応のない者が1名。実に多士済々、多様性はよいことじゃ。
Jという同性、同年齢であっても、総てに個性がある。個性はわざとらしく出す必要はなく、存在するだけで滲み出てくる。旧人と合わせて、葛野図書倶楽部2001の2009年・第九代こばやし少年局長の御宇は、かくのごとき乗組員構成で後期に向けて出帆した。幸あれ。
配属
昨日は、経理局長兼務一番隊長、書記局長兼務二番隊長、副長補佐兼務三番隊長が、午後一杯新規採用者の教育指導にあたった。なかなか、大変なことである。これからも年末までは、定期的にあるようだ。
経理局配属が1名(3年生心理系)、すでに口座通帳などの連絡もしたようだ。
一番隊配属が1名(2年生心理系)、引き継ぎは7月に終わっておるようだ。一番隊長の教育方法を見ておった。
書記局配属が1名(3年生心理系)、PCの前で難しい話をしておった。10月例会から実習見習いらしい。
二番隊配属が1名(3年生日本文学系)、引き継ぎは7月に終わっておるようだ。図書の整備をしておった。
三番隊配属が1名(2年生日本文学系)、概略の説明をうけたようだ。
あと、経理局長兼務一番隊長が、3年生2名と2年生1名とに、メール関係の指導をしておった。そのあと、新人全員にパワーポイントや、さまざまなITC関係(要するにネットやPCの話)の指導があった。
副長補佐兼務三番隊長は、秋の生涯学習概論の3日間演習企画主任なので、その事前説明をしておった。
長いような短いような昨日月曜日であった。
余は自分の責務、面談がおわったあとのひととき、ぼんやりしておった。だから上記は「~のようだ」と、推測が多い(笑)。
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