小説木幡記:2009/08/20(木)葛野の空中庭園
一昨日の昼下がり、簡単な昼食のあと葛野の空中庭園に行ってみた。現地では「屋上庭園」と呼ばれているが、余の脳裏には古代世界の七不思議と噂された「バビロンの空中庭園」としか映らない。(まこと便利な脳である)
エレベータに乗る前に、見知った司書さんが外でかたずけをしていたので、「エレベータ動きますかな?」と聞いたが、余の言った意味が通じないのか、笑顔で「はぁ?」と問い返されて、しばらく「暑いね」とかご挨拶。図書館とは別棟の「空中庭園行きエレベータ」は、夏休みなのに動いた。Rを押したら数秒で扉がひらき、そこはバビロン、ネブカドネザル二世の世界! まるでどこでもエレベータの気がしたよ。
陽射しがきつかったが、パーゴラの下にある椅子に腰掛けてやおら洋式庭園を見渡すと、夏らしい雰囲気で一杯だった。風もあって、その日は乾燥していたのか、屋根で日が遮えぎられると、うたた寝しそうな気持よさだった。ふと横を見ると古い様式のポンプと水瓶があって、なにやらしらぬまに少年時代に遡行しておった。どこでもタイムトンネルだね。昔は、もっと不格好で、名前もガッチャン・ポンプとか呼び習わしていたな。長い柄をおすたびにガッチャン、ガッチャンと音をうるさくたてて、そのうち水が湧いてきた。
考えてみると葛野の女子大(というよりも、幼稚園からあるから、学園だね)には、錦鯉と滝と藤と記念樹のある日本庭園、噴水とベンチと石階段のある洋式半地下庭園と、そして学舎の屋上には空中庭園まである。あと鍾乳洞庭園が欲しいところだが、それは無い物ねだり。余はつくずく、ここに十数年以上も居着いてしまった理由が分かった。要するに、目を開けてよく見ると、まるで余のためにしつらえたような庭園女子大学だったんだ。ただ、日頃は学生や同僚の目があるので、研究室と屯所以外には一歩も外を歩かぬ箱入りオトコだったにすぎない。こうして人目が無くなると、学園中を我が物顔で散歩する。
夏だ。屋上庭園には猫も犬もJDも同僚も職員もだれも居ない。極楽(笑)往生しそうな快適さじゃね。しばらくたって、図書館が開いていたから見知った司書さんたちと馬鹿話でもしたくなったが、いやいや、勤務中の司書を何人も屋上に引っ張り上げてビールパーティ、バーベキューをするほど、肝はすわっておらぬ。しかたなくうたた寝した。涼しい。
まどろみの中で、この庭園に、庭園鉄道を敷いたら、それを見付けた職員さんたちはどんな顔をするじゃろうかと半睡の中でニタニタしていた。はっと気がついて「電気のコンセントは?!」と、目を開けて周りを見渡したが見つからない。しばらくしてからようやく気がついた。「庭園鉄道走らせるなら、ライブスチーム(蒸気機関車)で決まりだから、石炭か炭かアルコールがあればそれでよい。電気は照明だけだから、OK」と安心した。
みるみる頭の中が葛野庭園鉄道・図書館列車(かどの号)で一杯になって、立ち上がり、庭園を歩数で数えながら、レールやポイントや鉄橋を考え出した。しかしもしそんなことを学園に頼んだら、許してくれる代わりにきっと、幼稚園や小学校の校長さんから「週一、運転して児童生徒と遊んでくれたら、許す」と、なりそうだ。それでは研究も昼寝も読書も葛野図書倶楽部2001の運営もストップする。だから、やはり庭園鉄道は諦めた。しかし、余生はここでバーベキューしながら夜間鉄道を走らせたら、楽しいだろうな、と夢ばかりが残ってしまった。
うむうむ。
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