小説木幡記:2009/08/07(金)仏さんと、今日の葛野
昨日は、ミホミュージアムへ行って「仏たちの物語」を見てきた。昼食は「おにぎり定食、1600円」うまかった。いつもは11時半に到着し、そのまま昼食をとるが、9時半に出発したせいか、11時に着いてしまった。だから、昼食は午後になった。レストランほぼ満席だった。中国語が、そこかしこから聞こえてきたので、中国やら台湾のお金持ち家族が、近頃は滋賀県甲賀山中まで来ているのかと、感心しきり。
途中は宇治の天ヶ瀬ダムから大津に向かうルートをとった。もちろん鹿跳橋で右折して信楽からはいる。宇治川沿いはいつ走ってもその景観にみとれる。緑がおりかさなっていた。
以前、信楽の朝宮から、以前522号線がとても気持が良かったので、細い県道に入ったが、途中で道のまんなかにブルトーザやトラックが陣取り、通行止めだった。しかたなく延々とバック走行した。(極細の山道だから、転回できない)。久しぶりのバックに快感が走った(笑:いや、昔はそういう走り方をせざるをえない秘境ばかり、とことこ走り回っていたわけ)
仏さんに、このごろますます心が引かれるのは、人生を苦とみ、その中に病気や死の苦が入っているからだ。若いうちはなかなか分かりにくいが、長く生きてくるとそれを滋味ゆたかに味わえるようになった。病も死も生きているから味わえるワサビ醤油みたいなもので、それが無ければ平板な無味無臭の人生だ。
今日、葛野の日本庭園を散歩した。
キャンパスは無人に近く、庭にはだれもいなくて、日が照っていた。池には中くらいの大きさの錦鯉が何匹も周遊していた。ふと見上げるとプレートが目に入った。平成21年、つまり今年にだれかが記念樹を寄附したようだ。名前をみて一瞬にして記憶が蘇った。昨年晩秋に教え子が急逝した。その子のご両親が日本庭園に植樹したものだ。入院していると耳にして、亡くなったと聞いたのは数週間後のことだった。
病も死も苦なのだ。わずかに22歳だったか。
余は亡くなった若い人のことを思い出して、余の人生に「味」を思い出した。その子の三倍近く生きている余は、葛野の夏の閑散とした日本庭園を何も考えずに散歩していた。そして一瞬にして「生」をはっきり知った。その子のご両親のプレートを見なかったら、余は今年も平板な夏の生を過ごしたことだろう。
博物館の「仏たちの物語」はパンフレットも買ったので、気分が乗れば後日に記録しよう。
最初にみた小さなレリーフ(浮き彫り)に感動した。厚さ4㎝、四方が40㎝程度の小石板に、細密な仏さんの物語が彫られていた。レリーフばかりは、写真ではわからないな。実物を見て吸い込まれそうになった。
紺色の紙に金文字で描かれた法華経、普賢経がよかった。表紙に絵があって、仏さんの目から光がでて、人を照らしているのが分かりやすかった。漢字は読めないが、絵を見て分かった気がしてきた。
橘夫人念持仏の「後屏天人拓本」には驚いた。拓本と言っても、仏さんの表情がものすごく陰影豊かに現れていた。
パンフレットを見ないと名称が分からないが、超超極細密の経を見て声をあげて驚いた。フォントで言うと6ポイント以下の細字で、幅6センチ程度、長さは分からないが巻物に、経典数巻分が書いてあった。虫眼鏡がないと読めないようなお経をなぜ作ったのだろうか~。昔の人もいろいろおらしたのう。
本日は。
午前中は邪馬台国周遊図書館ジオラマを延々と調整した。ジオラマ全体の造形は屯所に運ばないとこれ以上は進まない。ただ、HOゲージとNゲージのレールが相互に交差するので、その高さ調整に延々と試験走行が必要になった。
もう鉄道図書館モデル製作も二年になるから、Nゲージについては相当な急坂急曲をあるていど自由自在に構築できて、少なくともTOMIXとマイクロエース製の車両なら、牽引車、客車ともに走らせることができるようになった(半径14㎝まで)。たとえばTOMIXの「ゆふいん号」だと20m級の3両~4両編成でも「嵯峨野鉄道図書館ジオラマ」を自由自在に走り、かつ自動往復もできる。
しかしKATO製車両については、とくに牽引車はどうやっても最小半径17㎝が限界で、スムーズに走らせるには半径24㎝程度は必要だと、明確になった。わが「邪馬台国」世界では、KATOの静謐な走りと力強さ(たとえば、カシオペアを引っ張るKATOのEF81電気機関車のトルクというか粘りは強烈だ)を保つために、半径24㎝を最小カーブと設定しなおした。
で、ここからが問題なのだ。
HOゲージは、たしかにフライシュマンの35㎝半径レールをKATOもTOMIXも走りはするが、坂道に弱い。つまりNゲージとは別の世界だな。カプラー(車両間の連結器)がすぐに外れる。
要するに、今日の午前は、そのすぐに外れるカプラーの調整に半日使ってしまった。~ああ。
どんな調整をしたかは、もう止めましょう。それだけで記事が数本書ける。
(HOタイプのサロ124改造・二階建て図書館列車は、一番走りにくそうなムカデのようなEF65だと、カプラーを少し調整するだけで、ちゃんと牽引してくれる)
昼は日本庭園を散歩した。
そして午後は、芭蕉に精をこめた。
夕方には、充実感と疲労とが、全身を包んだ。
ではまた明日。
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