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2009年8月11日 (火)

小説木幡記:2009/08/11(火)日記、鎖国論

 今朝、木幡記はすでに投稿したのだが、帰路、もう一つ書きたくなった。暇をもてあましているようで、世間に顔向けが出来ない脳。

1.日記
 午前中は昨日の校務の後始末、中間締切を熱心に執り行った。いろいろあった。後は、専門委員の方々の返事を待って、次の段階に入る。夏期なので教室秘書さんは大部分休暇に入っておるが、月末にまとまった仕事もあるので、連絡を入れておいたら、回答がすぐにあった。大学教員は家内工業なので、殆どのことは社長自らこなさなければならない。私設秘書を何人も抱えておる裕福な大学教授は特殊例だね(笑)。それで、余の仕事の、前任者の話では、こればっかりは秘書さんにやってもらわないと、発狂するような大仕事なので、安堵して頼んでおいた。快諾あり。

 午後は、『芭蕉』。延々と事項、人物の名寄せをして、夕方になった。二ヶ月ほど前に悩んだ、「あはれ」と「匂ひ、ほそみ、軽み、……」をどうするか、結局悩んで悩んで、今日結論をだした。やはり同一クラス用語とした。前者は、宣長さんの「もののあはれ」で著名なように、日本文学史では通時的に使われてきた言葉。宣長さんの「ものの」あはれは物語を強くさしているが、「あはれ」はあはれで、深い感情の動きをさす。ところが後者は、芭蕉が独自に蕉風(俳諧)世界の美的表現として、種々の相違を切り分けて、使ったようだ(伝聞推量になるのは、芭蕉さんとも向井去来さんとも面識がないのでな)。

 保田先生の考え方からすると、伝統詩(和歌)としての、古今、新古今の世界を芭蕉は俳諧に活かしたのだから、和歌表現の、たとえば中世幽玄の世界表現を、俳諧に新しく使ったとしてもよいだろう。だから、同一クラス用語として扱っても、間違いは無かろう。
 いやいや、実験してみて、思うようにいかなければ、再度考え直そう。
 ……。と、夕方になってしまっていた。

2.開国と鎖国
 このごろ、いろいろな用語、歴史概念、世間の常識を逆様に考えることが多くなった。
 少子化にお困りの人が大勢いるようだが、人口密度が低くなって、うるさくなくて住みよくなるなぁ。とか。

 国際化世界だから、世界とお付き合いして助け合っていきましょうと言う考えにも、疑問を感じている。喧嘩も戦争もする必要はないが、外交官や諜報員を多数養って、付き合いたくもない国と付き合う必要はなかろう、と。
 アメリカも、ロシアも、中国も韓国も、北朝鮮も、言いたいように、やりたいようにやっておる。そんな諸国と付き合うなんて、馬鹿馬鹿しい。

 そもそも140数年前、せっかく260年鎖国して、独立して、ほどほどにやってきた日本に、何故恫喝してまで開国しろ、貿易しろ、食い物よこせ、炭かせ水だせ、と当時の米帝や英帝諸国は強盗まがいの侵入をしてきたのか。理由は単純で、植民地にして、ボロ儲けをしたかったのだろう。西欧を中心としたキリスト教諸国の植民地分捕り合戦の最盛期やったかな。
 飛行機もない時代に、観光目的で開国を迫ったとは、だれも思わない。

 馬鹿馬鹿しい。
 開国したばっかりに、植民地化されないように富国強兵せざるをえなくなり、ついでに逆にボロ儲けのネタまで教えられて、今度は日本がヨーロッパ諸国に伍するため、世界と商売し始めた。戦争もし始めた。原爆も落とされた。
 (日露戦争に敗北していたら、いまごろ日本は、北方四島どころの話ではないな)

 現代日本は、米国や中国や石油資源国と貿易して、しかも安いからといって食糧自給41%になるまで諸国に依存してしまっている。科学技術も学問一般も安っぽい英語の論文読んで、その隙間を埋めようとしている。開国したばっかりに、生活がよくなったと言わんばかりじゃが、1868年の日本に西洋医学が無くても、蒸気機関車がなくても(これは悲しいな(笑))、別にぃ~、みんなやがて死す。生きている間に、中東のガソリン使って走り回っても、コンピュータパーツ沢山輸入できても、フランスのモードが即日東京で装えても、なにが嬉しいのや。それが、仲良くしたり、ヘイコラしたり、人種差別されたり、原爆落とされた結果なんか。

 いろいろ根源的に考えると、この世の常識は本当に流行だけで、不易の一つもない!
 馬鹿馬鹿しい世界や!
 そして我が祖国よ、しっかり目をさませ。
 なんとかしなくっちゃ。
 今夜も瞑想して、よい考えを紡ぎだそう。諸国依存度の高い文明は衰亡が早まる。

追伸
 今からでも、鎖国すれば、よくなる世界になるかもしれない。
 しかし、東西南北からミサイルの照準を合わせられると思うと、寒気がする。
 (ミサイルが怖かったら、わしと付き合え! これがホンマのパワハラ)
 痩せられるな。
 そこをふんばってこそ、新たな日本の道が開ける。
 自給自足立国には、少子化が一番かもしれぬ脳ぉ。 

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コメント

鎖国ですか

 このMuBlog記事は最近のヒットですなあ。
ややこしいこと考えんと、さっさと鎖国せんかい。
そういうMuさんのメッセージがストレートに伝わってきます。

 日本が鎖国したのは平安時代と徳川時代(江戸時代)でしたろうか。
確かにその時代、一番日本的な文化やら文明やらが発達しました。
平安時代の(源氏物語)。
江戸時代の(浮世絵)。

 これから日本は鎖国するとして、さてどの手でいきますかねえ。
近代文明と申しますか、産業革命以降のあらゆるテクノロジーは申し訳ないけど全部使わせていただきましょう。
いまさら、車捨てなさい、コンピュータ捨てなさいとは言えませぬ。
そういう今までのテクノロジーは無条件で使うことを許されての上での鎖国です。

 日本の唯一の資源はロケーションであるという説があります。
こういう極東の島国、だからが故の自然環境、それこそが資源だ、と。
自然というのは人間にとって最も大切なものですから、これはかなりのアドバンテージになります。
ですから(鎖国)は可能なはずです。
一つだけ問題があるとするならば(情報)に関する(鎖国)が成り立ち得るかどうかでしょうなあ。
(情報)だけはちゃっかりと世界中からインターネット経由でいただいて、いや食料は自給自足するから(鎖国)をしているんだ、と言い切れますかどうか。

 平安時代、徳川時代とは自ずから(鎖国)の意味も変わってきているのでしょうねえ。
そういう意味では、現代における(鎖国)とは何か?を定義出来れば、いろいろ議論もできるのではないでしょうか。
(鎖国)というのが自己のアイデンティティを確かめる上で、一つのトリガーになることは確かだと思いますので、この議論はやっていいのではないかと思いますです。

投稿: ふうてん | 2009年8月13日 (木) 00時28分

ふうてんさん
 つもりつもった何十年分かの鬱憤がときどき破裂して書いた独り言なので、放念され、見過ごされると無意識に思っていましたが、天網恢々疎にして漏らさず。そういえばblogは世界に公開されているわけで、米国、ヨーロッパ、アラブ、アフリカ、露西亜、中国、韓国、北朝鮮のみなさんも読んでいるかもしれない。むむむ。

1.日本が鎖国して誰か困るか?
 北朝鮮くらいかな。気の良い日本が本気で国を閉ざしたら、困るでしょうね。高句麗以来の友誼が無くなるのは、彼の国も辛いことでしょう。
 米国はもともと、対中国や対(ソビエト)露西亜対策で日本を緩衝地帯にするつもりだったから、それほど困りはしないでしょう。太平洋があるから。
 あと、だれか困るでしょうか?
 困らないから、比較的うまくいくでしょう。

2.日本自身はしばらく困るでしょう。
 なにしろ60数年間も、米帝を傭兵にしてきたのですから。しかも随分お安く買いたたいてきたというより「無い物は払えない」の風でしたから。ただ、基地を貸して駐屯を認めてきたのは、別途出血でした。
 無くなると他の傭兵を雇うか、自前で国軍を作る必要がでてきて、しばらくは資金や訓練、種々困ることでしょう。

 石油関係の産業も困るでしょうね。代替エネルギー開発を促進させないと、現在の人口を養うことができなくなるでしょう。だから、少子化推進がよいです。

 世界に販路を設けてきた大部分の企業、その下請け関連は壊滅的に困るでしょう。鎖国反対の嵐が吹き荒れますね。自動車産業とかだと、小さい会社が一社残るくらいと見当を付けています。(電気自動車を作る零細企業が残るかな)

 大学も巨大大学は困るでしょう。世界と競争したり、競争的学問をするのが、ばからしくなって、ノーベル賞科学者も、当面は生まれなくなります。巨大・世界志向大学はどんどん潰れます。
 よいではないですか。競争する学問だけが国是ではありません。

 むしろ、予算配分の少ない国文学とか国史なんかが人気を取り戻して、英語なんかも大昔のフランス語のように「知的アクセサリー」として価値を高めるでしょう。ただし、実際に使うのは下品なことと思う文化体制になると思いますがね。

3.鎖国して日本がよくなる点
 外国語は出島(今なら、関空跡地でしょうか)だけで役にたちますから、初等教育や中等・高等教育で無駄な労力を強いる必要がなくなるから、若者はその分、物のあはれを味わうゆとりが出来ます。
 ただ、国史学とか国文学とか神道の勉強とか、農業実習が増えますから、負担はかわらないでしょうか。

 国風文化が栄えることでしょう。国民の自己同一性が強固になって、だれがどこから見ても、あっぱれ日本人、が輩出します。

 食料に対してもっと繊細になります。気を抜くと餓死しますから。お米や畑作、水産農林、それぞれが工夫して、命がけで日々の仕事をこなし、水田や畑や漁港が甦り、各地が豊かになることでしょう。
 ただし、当面、今の人口のままだと各地で餓死者もでることでしょう。自給自足で現在の日本住民を養うのは無理ですから。経過的痛みですね。

 世界に対する依存心が少なくなりますから、奴隷根性、植民地根性が払拭されて、一皮むけた日本列島及び日本人が生まれ、本当の「生」を確認できますね。一時的にたとえ人生50年に逆戻りしても、「おお、日本に生まれ育って、よかった」と、思う人が増えることでしょう。

4.鎖国の論理
 私に一番大きな影響をもたらしたのは、小松左京の日本沈没です。特に、数年前に続編がでて、世界を流れ歩くさまよえる日本人のイメージを持って、「現代日本は、日本国建国の尊さを忘れている。それを振り返り思い出すには、沈没するより、鎖国がまだ楽。」

5.現代の鎖国
 平安時代や江戸時代とは違ってくるでしょう。
 観光の往来は、日本国民にも諸外国にも許可すればよいです。日本の四季は豊かで、伝統芸能や構造物も多数あります。高額の見学料をいただいて国営にすればよいでしょうな。観光は日本料理供応とともに、国策です。
 時代がら、信教も自由にせざるをえません。今さらキリシタンバテレンの、踏み絵、磔のは実情から遠いですから。

 貿易輸出入禁止品目は増えるでしょうが、交易地は関空跡地だけですから、次第に趣味的になるでしょう。インテルのCPU一個が1千万円もするなら、衰退せざるをえません。あるいは、ガソリンが1リットル100万円もするなら、ごくまれにエンジンを、趣味的に動かす金持ちしか使いませんね。キャメロのタバコなんか、一本数十万円にもなるねぇ。
 闇市場は増えるでしょうが、それは人類史以来のことですから、闇市取締官公務員を増員するのは、必要経費。

 インターネットは、まず象徴的にアメリカと日本を結ぶ海底ケーブルを破壊することで、それを血祭りにあげて、鎖国革命開始です。
 近隣諸国が船だして移動・無線基地局を繰り出してくるのは、よいでしょう。
 結局、海底ケーブルが無くなるだけで、ネット・インフラは、ますます国内を、毛細血管のように浸透していきます。
 鎖国しても、ネット情報は世界共通慣例として、見るのも見せるのも、勝手な世界だから、不都合はないでしょう。

6.鎖国の痛み
 日本国憲法を改正します。
 60数年たってやっと、自力で作るわけです。
 諸国から飛来する核ミサイルを無効化する科学技術はなんとしてでも開発せざるを得ません。
 もちろん国土と海域と生命を「自衛」するための優秀な国軍が必要です。建軍の本義、真意を薩摩や長州閥に任せず、日本国民の総意に基づいて新たに考えねばならいでしょう。武装なしで鎖国しては、一瞬にして米国、露西亜、中国らの、旧弊覇権国家によって植民地化されることでしょう。

 そして、食料自給自足国家。農林水産が核になります。多少、バイオ科学の力で模擬食(つまり、宇宙食のような、最低減餓死に備える、栄養食)も必要でしょうね。

以上、大切な案件だと思うので、余生あるかぎり折々に考えるつもりです。

投稿: Mu→ふうてんさん  | 2009年8月13日 (木) 02時17分

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