NHK天地人(35)家康の政治力と前田利家
直江兼続と石田三成とが同年だったとは、数日前に滋賀県湖北・長浜城の「石田三成展」でも確認できました。すると徳川家康は? 前田利家は? と疑問が連なり、調べてみました。基点は1600年の関ヶ原の戦い時としました。すると、直江と石田は男盛りの40歳、それぞれ上杉家の重臣、豊臣家の重臣として意気盛んな年令です。他方、前田利家さんは関ヶ原の戦い時点では亡くなっていましたが(亡くなったから家康が走ったとも言えますね)、徳川家康よりも4歳年上で、加賀百万石の大将(大納言という高位)でしたから、家康も利家さんには、それとなく遠慮があったと思います。
こうして年令表をみてみると、前田さん、徳川さんが最年長で、そりゃ天下を動かす18歳も年下の三成や兼続を可愛がったり、罵倒するのも、ある程度は仕方ないと思いました(笑)。
当然とは思いますが、利家と秀吉とは一歳違いの同年で、前田利家は秀吉の死後一年後に亡くなりました。年令が、同世代の人はなんとなく、ものの考え方や感じ方が似てきますから、馬が合えば、交友も深くなるものです。ドラマでは、あの秀吉が利家に対しては、心から丁寧な接し方をしていました。事実そうだったとしても、違和感はないです。
↓関ヶ原
満40歳 直江兼続 1560-1619 享年(満)59歳
満40歳 石田三成 1560-1600 享年(満)40歳
満58歳 徳川家康 1542-1616 享年(満)74歳
?62歳 前田利家 1538-1599 享年(満)61歳
?63歳 豊臣秀吉 1537-1598 享年(満)61歳
満33歳 淀君 1567-1615 享年(満)48歳
満52歳 北の政所 1548-1624 享年(満)76歳
また、家康さんと北の政所は年令が6歳離れた異性ですから、普通は敵対する要素が少ないです。似たような世界を長い間見つめてきた同期の桜でしょうか。兼続と三成は北の政所がふところの深い姉さんで、淀君が気の強い妹だったような気がしました。
この年表をみていると、兼続と三成が同年の親友だったというドラマの表現もよく分かりました。さて、そんな人間模様の中で、今夜の徳川家康さん、秀吉亡き後、どう出るのでしょうか。
みどころ1 秀吉・利家・家康
ドラマですから、自然に感情移入できるシーンが心に残ります。まず秀吉は末期に近い時期、前田利家に「信長さまに仕えていた頃、草履取りから身をたてたワシのようなものに、親切に付き合ってくれたのは、利家どのだけじゃった。」と言います。
ぐっときました。ここ数回の秀吉は良いのです。
そして「あの頃の本当のワシの姿を知っているのは、利家どのだけになってしまった」と。
私は胸が締め付けられました。どのような栄華をえても死ぬときは一人、その青少年期を共にした者達は、次々とこの世からいなくなる。この当たり前のことを、切実におもいしらされたわけです。名場面でした。
前田利家も秀吉も若い頃は、愚かしく馬鹿馬鹿しく走り回っていたのに、いつのまにか天下を動かす立場になってしまっていた、……。
そして、残されたことは、この世との永遠の別れ。
人の世の定めとは思いますが、むしろ大河ドラマは、やがて主人公にもこの死が訪れることを、予感させながら週を経ていくことに、良さがあるわけです。
一方、家康と利家との関係。家康は秀吉亡き後、利家が邪魔でもあるのですが、利家が数歳上ですから、ないがしろには出来ません。利家の人柄もあったのでしょう。さらに微妙に、織田さまにお仕えしていた頃から、知らぬ仲でもなかったことと思います。もしかしたら、家康自身、老いていく利家を見て、自らの老いに重ねていたのかも知れません。それが、家康の焦りとなって、これからますます家康の態度が露骨になっていくわけですが、……。
みどころ2 治部少輔(じぶしょう)石田三成の涙
秀吉末期(まつご)の茶。
秀吉は、意識朦朧としたなかで、三成に茶を所望し、二杯目くらいから意識が戻ってきて、「うまい」と。そして三杯目を飲んだとき、「お前の淹れる茶はうまいのう。工夫がある。ワシの家来にならぬか」と、しっかりした目で言います。
ここで三成は、少年時、始めて秀吉に見出された頃を思い出すわけです。秀吉は、そのころの秀吉にもどって、あらためて三成を高く評価したわけです。
これが、秀吉の譫妄(せんもう)状態の中で甦った一瞬の正気なのかどうかは分かりません。ただ、私は三成の涙に同調したのです。
(↑写真は、点滴一番隊員撮影)
長浜市には、JR駅前に秀吉と三成とが始めて出会った記念の銅像がありました。三成は少年だったわけです。そのころ市中見回りをしていた長浜城主・秀吉に、茶をこわれた三成(佐吉少年)は、最初はぬるい茶を沢山、次に少し熱めのを半分、最後に求められたときは上等な、熱くて濃いお茶を差し出して、誉められたという逸話・伝承があるわけです。
その想い出を秀吉が末期に再現したことに、三成は落涙したわけです。やはり、泣けましたねぇ。
近いうちに、石田三成の居城、佐和山城跡をみたくなりました。
まとめ
今夜は、往年の大河ドラマと同じく、息を詰めてみておりました。特に、石田三成の秀吉に献じた最後の、末期のお茶の場面は、感動が深かったです。
いやぁ~、大河ドラマって、やっぱり良いですねぇ。また来週が楽しみ。
追伸
そうそう。兼続が、家康を夜襲しようとしたのを止めた場面も迫力がありました。
このごろの天地人、言うことなしの、絶好調です。ふむふむ。
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