NHK天地人(34)国替え:越後→会津
今夜のドラマ終了後、ひとしきりネット地図を眺めていました。内輪話になりますが、私はまるっきり関東の地勢に、もちろん新潟や会津もふくめて、なんら知識がなく、いまだに群馬・栃木・茨城・千葉のあたりのレイアウトがおぼろなわけです。何度も覚えようとしましたが駄目でした。
で、今夜の地図発見は現代新潟の真西に福島があって、そのちょっと北に米澤、さらにちょっと北に仙台があると気付いたことです。東京はその新潟・福島ラインの南約350km以上に位置します。もちろんこんなことは、関東の人から見れば、こちらで平等院が宇治市にあるのと同じくらいに自明のことでしょうが、地図を見ない限り、新潟がずっと京都に近くて、新潟と福島県はロンドンとパリくらいの距離感があって、さらに仙台にいたっては、火星の彼方、米澤はもっと北にあると感じてしまうのです。今夜は、またしても、そういう距離感・方向感の違いというか、誤りに気付かされたわけです。
昔のNHK伊達政宗では、政宗の側室が生んだ子のことで徳川将軍にはかって、四国の宇和島を領地にしたことを思い出しました。この時感じたのは、その側室は宇和島に移ったわけですが、二度と政宗と会えないだろうな、と思いました。~今夜は、上杉景勝のお母さんが越後に残る話となりました。
さて。ドラマでは「山を一つ越えるだけです」と兼続が言いました。たしかに磐越自動車道とか磐越街道、磐越西線とか現代の経路は幾つかあるようです。しかしよく見ると、山が一つどころか、幾山川越えさりゆかば会津の地だったのか、交通事情を想像すると、春日山城のあった上越市から見て本当に遠国になります。仙桃院は謙信公の菩提を弔ってずっと越後におられたのでしょうか? いずれ分かると思います。
秀吉の考えでは、仙台にいた伊達政宗と江戸にいた徳川家康との間に、上杉家というクサビを打ち込みたかったわけです。これはたしかに地勢的には妙案と思いますが、今夜のドラマをみても、これまで育ち育ててきた越後を棄てるという決断は、本当に家臣一同辛いことだったと思います。また、ほいと国を移って、さっと戦力として機能したのでしょうか。戦はいつも地盤、看板でもありますから、不安が残りました。
関ヶ原の戦い(1600年)を軸にすると、会津に移った上杉の、豊臣や徳川にとっての意味というものをもう一度考えたくなりました。歴史ifが好きですから、少し考えてみてもよいと思った次第です。
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