小説葛野記:2009/08/14(金)夏の葛野キャンパス
そろそろ夕方になってきた。外はまだ明るいが、なんとなく「一日終了」の気分である。あまりに無人で、午前7時過ぎから誰とも話していないし、電話もないし、……。急に思い立って午後の中頃に葛野キャンパスの写真を撮った。キャノンのデジカメで古いIXYを使った。
今日は噴水のそばにデンと座ってカメラを夏空に向けた。滅多に、まるでこの位置に座ったことはない。なんとなく、人がいるときは、見苦しい姿を見せたくないという、そういう気持だな。だから無人の夏は気分がとても楽になる。心の奥底まで、石の階段や噴水や、木々や青空に溶け込んでいく。
指折り数えていた。
平成五年の春にこの葛野キャンパスに来た。まだ、若かったんだぁ~。いろんなことがありましたなぁ。ふてくされたり、怒髪冠をさしたり、大笑いしたり。そして結局居着いてしまった(笑)。そもそも、懇意にしていた若い同僚から一年も経たぬ間に、「Mu先生は、もう10年以上ここにいるような雰囲気です」と、言われてしまった。だから今や、計算するなら100年以上も、居座っている雰囲気なんじゃろう。
どうしてそれほど、馴染んでしまったのか。
今日の三時ごろ、小岩井農場の缶入り珈琲牛乳を飲みながら熟考したところ、解が出た。つまりこの、いと小さきキャンパスに翠があって、噴水があって、金魚じゃなかった錦鯉が泳いでいて、百万遍とはちょっと違うが立派な時計台があって、そして夏とか冬、春休みになると完全な無人状態になるから気分が爽快になる。余は学生や同僚の中で結構元気に授業をしておるが、まるっきり無人状態になると、まるで水を得た魚になって心を飛ばし、キャンパス全体に急速に溶け込んでしまう。ふむふむ。
実は、~。
今日は午前7時過ぎから夕方5時まで、ひたすら夏期論文に専念した。昼食にサンドイッチを食べた後、ものすごい鬱に襲われて、結局写真を撮ったことで、約30分後に回復した。鬱の中身は単純そのもの。「こんな、だれも読まない、役にもたたない論文を一夏かけて書いて、余は一体何を人生の目的としておるのじゃ」という、だれしも襲われる空虚な、虚無的な(おおげさじゃ)、目的喪失感じゃね。毎年のことだ。
そして。
その後はまた急速に回復し、論文の骨組みをすべて完了した。PC自作もジオラマ自作も、ありとあらゆる創作においては、もちろん論文も、ある局面で一気呵成にフレーム(枠組・骨組み)を作ってしまわないと、全くなにも進まないことがある。どうも、今日はその日にあたっていたようだ。息をつめて、ほぼ終日潜水した。
あとは、じっくり延々と肉付けモードに入る。そしてまた8月末頃に、多くの「やりなおし」が発生する。どんなことも、何十回、何百回経験しても、一筋縄ではいかないものだ。
だから、日々、おもしろい()。
追伸
PCに向かっているとき、今度猫ハルキ君を葛野キャンパスに連れてきて放してやろうと思ったが、あの子はものすごくかくれんぼが好きだし上手だから、一旦放すと、行き場所・隠れ場所が絶対に分からないだろうと想像して、止めにした。
狭い木幡研なのに、時々家捜しすることがある(笑)。本箱の裏とか、ちょっとした隙間~。ミステリーだね。
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