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2009年7月30日 (木)

小説木幡記:2009/07/30(木)政治とは餓死者の出ぬのが一番

 めずらしく今朝は記事を投稿するモードになってから30分ほど、あれこれ考え事をしてしまった。
 事情は、現今の政治状況について少しはメモを残そうと思った途端、無限ループの世界に嵌りこんでしまった。
 無限ループ、つまり同じ所をぐるぐるぐると回り続けて、つぎへ進まない状態だ。

 思想傾斜として左右政治家達も、官僚達も、朝日新聞社やNHKの高級サラリーマン達も、一体どういう考えで国政を左右し、民意を扇動していこうとしているのか。彼らがどれほど知能明晰、分析力にすぐれた秀才であるにしても、肝心要の歴史観、ないし「国体」について明確な教養ないし「考え」があるのだろうか、と近頃数日おきに考え込んでしまっている。
 おそらくは、日本史も世界史も、まともに考えたことがないのだろう。たとえ、教条的近代史を知っていても、それは有史以来5000年間の一部であり、歪んでおる。

 政治家、黒幕は別として、現今社会は大抵40~50代前後の秀才たちに実効支配されている。その秀才達の脳の底にある考えがあれこれ枝葉を延ばして、それぞれの世界観を脳にイメージし、人にもよるが強烈な欲得感、保身でもって自らの力の源泉を調え(組織内での立場の維持)、渡り歩き宣伝し、企画し、世間を動かしているのだろう。自動車を売るとか、金融資産を高く売るとか、世界を自分の思想信条で塗りつぶすとか、秀才達が立場を操って、自分の思う世の中を作ろうとしてきたし、そうするのだろう。

 特に気になるのは「友愛外交」という言葉つかい。一体どういうつもりでユートピア社会を目指しているのだろうか。人類史5000年を振り返っても、鷹派と鳩派は常に各国歴史にあったとしても、国と国との信頼関係や自立、独立の様態を「友愛」というレベルで宣伝する、その心性にはあっけにとられる。日本はいつの間にか、新興宗教国家になったのか。めまいがした。南の列島を強奪されたら、北の列島も「どうぞ」と、差し出すような恐怖に襲われた。

 政治家はユートピアを標榜してはならない。国政レベルでユートピア世界を宣伝した政治家は、政治屋(つまり、政治を儲けの種にする稼業)か、アホか、どちらかだろう。「豊かさ」とか「友愛」とか「平和」とかを恥ずかしげもなく話し、宣伝し、党是とする人達は、作家もおどろく作話症か、あるいは詐欺師である。悪徳商法と等値といって過言ではない。有史以来「うまい話にのってはならぬ」。

 ここが難しい所だが、
 日本にも世界にも、天国極楽社会なんかこの世にあるわけがない、と国民に言い切れる「政治家」が必要なんだろう。今の贅沢を少し捨て去り足るを知り、欲得損得だけが「人」じゃない、しかし世間は悪鬼に満ちている。だから最低限の護身術を身につけて、生き抜く知恵を持ちましょう~とでもいう政治家がおったなら、余も少しは安心する。

 まるで、冬山なんて素人でも、むつかしい装備がなくても、友愛の心があれば、だれでも登れる~、と。
 凍死しなければ分からない衆生達が可哀想じゃないか。

 天国極楽社会を作るのは宗教教団に任せれば良い。政治とは我執に満ちた衆生を、共食いしないように、檻を破らないように、それでも喰わせて、なんとか国土を耕すようにし向ける。それが政治だと思う。ああ、それと他国からはびた一文金をもらわなくてすむ政治家や実効支配者達が国を先導してこそ、独立国家といえる。有史以来、植民地が世界にはびこってきたのは、支配欲と被支配の快適さがバランスをもっていたからだろう。支配されてぬくぬくと喰っていける危険性も知った方がよい。もちろんバランスが崩れると、独立戦争が始まるが。

 余は、国の練度は、自らの意志によらぬ「餓死者」がどのくらいの比率をもっているかが、その国の政治的練度・達成度を示していると思う。天候、自然災害、侵略などいろいろ条件は変わるが、平均して調べてみると面白い結果がでるだろう。想像だが、日本はこの50年間低い餓死率だと思う。
 だから、現今も未来も、高速道路を無料にするのが政治的中心約束になるような政治状況は、アホくさくて悲しくて、世界に「日本に住んでいます」なんて、恥ずかしくって言えない。
 「恥をしれ!」

皮肉な注釈
 自動車や汽車好きの余の心底は、もともと高速道路や汽車を使うのに、高い金をとったのが間違いの元。関銭とるような政治は、いずれ破綻する(室町時代(笑))。
 それと「愛」の直江兼続。かれの背後には上杉謙信公が錬磨しつくした勇猛果敢な越後の兵が、ちゃんと控えていた。そういう皮肉に気がつかない唐変木が、まさかおるとは思えぬが脳。

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コメント

日本は長寿国

 乳幼児の死亡率が低いと平均寿命は延びるそうですよ。アフリカの一部の国や戦争や内紛がある国では一番弱い子供や女性が犠牲になる。

 日本は60年間戦争が有りませんでした、そして私やMuさんが子供の頃のように乳幼児の死亡率が極端に減少したと思いませんか。

 もともと、人生50年と言われていたのが、今や男性で79歳でしたかね。女性は80歳を越えていますよね。平和な時代です、何時までも続かないのが、歴史ですね。

 平和で安全で暮らせる世界が如何に過去の歴史を見ても困難であるか、この60年は奇跡でしょうね。

投稿: jo | 2009年7月30日 (木) 09時32分

Joさん、お久しぶりです。
 いろいろな現実的責務がひとまず休憩に入った途端、嘘のように心身が軽くなってきました。今度は仮想的責務が押し寄せてくるわけですが、そちらは同じ苦労、汗をかいても、後味がよろしいようでぇ~。

 さて。日本と世界とのことですね。
 日本が長寿国になってきたことの事情を、もっと積極的に考えて、評価しなければなりませんね。基本的に、虚業は抑え気味で実業・ものつくりに励んできた成果でしょう。政治的にはぶれはいろいろありますが、麻生さんのジサマが敷いた路線、うむ、保守本流でやってきた成果でしょう。

 どんな方法も経年変化がありますから、その積もり積もった貝殻や油切れや肥大化が現在の政治状況を招いているのであって、なんでもかんでも太郎が悪い! ちゅうのは、まるでカエルの神様話と一緒で、獰猛な牛が神様になったらみんな食べられてしまうぞ、と私は言いたかったわけです。

 飢餓すくなく長寿になったおかげで、年金問題、医療問題、さらには少子化問題が膨らんできました。これらは、英知を寄せ集めて改善策を考えていけば良いのだと思います。

 少子化については、それでよいと思うのがMuBlogの皮肉でしょうね。子供が少ないなら少ない世界での方法論を模索すべきであって、すぐに生めよ増やせよに走るのは、ものすごい短絡思考です。

 少なければ静かでよいじゃないか。と、本気で思います。
 年金を支える人頭割りに話がいくから悲しい。人口密度が下がって住みやすくなるとは誰も言わない。子供が都市に集中する問題とは別個でしょうね。

 ……

 朝から、ぶつぶつ小言を言うても詮無いこと。いずれ、Joさんの半年の学徒生活をゆっくり聞かせてください。

投稿: Mu→Jo | 2009年7月30日 (木) 10時06分

お怒りのご様子で・・・

 (友愛)ですか。
フランス国旗は(自由 平等 博愛)を表した三色旗だと日本語では言われます。
(博愛)ではなく(友愛)だという説もあります。

 一月ほど前に東京地方のテレビで作詞家なかにし礼がコメンテータとして出ていました。
この作詞家は(石狩挽歌)(今日でお別れ)などなど、いい歌を書いている作家でふうてんなどは好きな人なのです。
その彼が、(友愛)と政治家が唱えるのどう思いますかと聴かれました。
(僕はいいと思いますねえ。政治家はそういう一言を理念として唱えて欲しい。)
というお応えでした。

 そういえばオバマは(Change.Yes,we can.)
でしたなあ。

 まあ(友愛)を唱えるお方にやらせてみて(餓死者)が増えるかどうか見てやろうじゃないか、というのが(民主主義=51> 49のゲーム)ととらえている当方の楽しみです。

投稿: ふうてん | 2009年7月30日 (木) 18時50分

ふうてんさん、今晩倭、お久しぶりです。
 ようようMuBlogも破産を食い止められるかと、ここ数日安堵していましたが、保守反動というか、いささか宗教、政治に口を出しすぎました。

 そのけは若い頃からあるにはあったのですが、いまさらMuBlog教初代教祖と言ったり、日本浪曼主義者同盟・塾頭だなんてほのめかした日には、これまでご厚情いただいた親友知古、あるいは卒業生、同僚、学生達から総スカンをくらったりと、引かれて引かれて、逆に太陽系外へ追放されそうな思いをしております。

 ともあれ、Muが日本国の政治にもとめるものは単純素朴でして、一に日本国・建国の本義を忘れぬこと、二に日本国・国体を護持すること、三に日本国・国軍を整備すること。四に独立国であること。五に餓死させぬこと。このくらいです。以上を支えるものは、200年単位の教育にあるでしょう。(みんな長生きになったから、教育100年の計では短い)
 
 どの内容も、ふうてんさんや、現日本国民のすべてが腰をぬかしそうなものでしょう(笑)。かといって街宣車で軍艦マーチを奏でる趣味はまったく御座いません。
 海ゆかばなら、たかだかと鳴らしたいところですが。

 それにしても、アメリカも露西亜も中国も韓国も北朝鮮も、いやはや英国フランスドイツ、アッラー諸国、世界中の独立国なら、上にあげた5つは国是として持っているのに、どうして我が国は、それを政治の場に披瀝し、きっちり国民を納得させられないのでしょうかねぇ。

 その上、大国と言われる国も、ちょっと寒そうなお隣さんも、つい最前までは(いや、今も)、餓死者数は数百万人のオーダーなんですよ。大東亜戦争後の、戦後の話ですよ。

 ……。
 この五十年、餓死者が非常に少ない日本国ならば、胸張って私があげた五項目くらい、国民に見せても良いのに。

 少なくとも、戦後の日本は、左右どちらにも大きく振れず、リベラリズムというのか、保守の道を歩んできました。だから、「保守」であることは経験則的に枯れたシステムなんです。目新しさも、おいしさも、なんにもないけど、「餓死抜き」のそこそこの繁栄をもたらしてきました。麻生さんのお爺さんのおかげでしょうかねぇ~

 それを自覚しての米国流、共和党・民主党の順繰り政権交代ならなにも言うことはないのですが。
 今度の、国民無自覚の政権交代は、速い亡国を招くことでしょう。政治はファッションとは違いますから。

追伸
 ついでながら、Muはフランス革命になんの浪漫もときめきもないです。自由、平等、博愛を唱えたなら、植民地宗主国なんて一日で止めるはずだし、恐怖政治なんか出てくるはずもないですし、ナポレオンの出幕もなかったはず。あれは単なるギロチンの切れ味を試す復讐劇にすぎません。
 単純な歴史に、殆どすべての人類の愚劣さが見えますなぁ。いまさら、繰り返す必要はないです。

再伸
 ……。
 やはり、ふうてんさん、blogサロンで政治談義、宗教談議はよくないなぁ。土瓶蒸しの味が落ちて、大吟醸が酢になりまする。
 今度は、卑弥呼さんか、PCか、満鉄パシナ号の記事にしときます。 

投稿: Mu→ふうてん | 2009年7月30日 (木) 21時46分

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