昭和の鉄道模型をつくる(37)石畳道パーツ、柵パーツ
承前:昭和の鉄道模型をつくる(36)道路パーツ、街灯、電柱(小)
37:ここまで完成(~37号)
36、37、38号は道路、石畳、電柱整備の工作が連続してあります。写真は先回の36号と変わりなく見えますが、細かな電柱や街灯、それに石畳、踏切付近の道路が整備されています。
作業はそれぞれが細かなもので、気ぜわしいとなかなか手を付けられませんでした。次号の38を掲載するときは、今回できなかった「柵」や「架線柱」を雑誌の指示にしたがって、完成させる予定です。
37:部品と工作(石畳道パーツ、柵パーツ)
今回の工作で注意したのは、踏切周りの道路と、「渡り」と呼ばれるレールの中に納める特殊道路です。今どきは聞きませんが、昔は手動変速の自動車がこの隙間の多い渡りで脱輪したり、エンジンストップで立ち往生したりしていました。
模型の場合も、Nゲージの線路幅は9mmしかないですから、その中に道路を造って、車輪が擦らないように微妙な隙間を左右レールの間に設定するわけですから、緊張しました

もちろん外側の道路もプラスチック板のカーブが微妙で何度か試しました。上手なレイアウト(ジオラマ)ですと、このあたりも板を切り出してカーブを合わせる工程まで、すべて手作りになっていますから、すごい技量だと感心します。(私には出来ません!)
37:鉄道模型の達人/田口秀雄
このNゲージ・レイアウトは取りかかってからすでに10年経過し、まだまだ続くようです。写真で見ても小さく凝り固まった様子とは正反対の、茫洋とした「どこまで続く?」というジオラマでした。
気がついたのは、高速道路やバス、自動車が写真の中心にあって、田口さんが手にしているのも大型トラックでした。そして記事には、鉄道よりも建物をもっと造りたいと書いてありました。高速道路や建物に田口さんの興味が向いているのでしょうか。それは、「都市」を作るのと同義ではなかろうかと、思った次第です。こういう世界は、一律のものではなく個々人によって志向する所がそれぞれ違ったものなのでしょう。
思いがけないヒントは、岩を表現するのに柔らかいバルサを歯で噛みしめて雰囲気を出すというテクニックでした。そういう方法もまた、個々人があみ出していく物なのでしょう。(ただし、田口さんはその為に歯が欠けたので、もう止めた手法だとか)
37:昭和の『鉄道模型』をつくる
途中の山都駅(やまとえき)と野沢駅の間にある、阿賀川(あががわ)の景観が素晴らしいと、著者の小林貞司さんが踊るような筆致で描いていました。「息を呑んだ。阿賀川の渓谷が車窓いっぱいに広がったのだ。」これだと、出不精の私でもつい乗りたくなるじゃないですか。
(ただ。会津も新潟も京都宇治からは、遠国ですね)
37:未来の図書館、過去の図書館
この2009年6月の葛野で、未来の図書館として「二階建てトロッコ図書館列車」つまり「嵯峨野鉄道図書館ジオラマ」について講演をしました。この内容はそれまで学生にも、もちろん一般にも話したことはありません。唯一例外はMuBlogで大量に関係記事を書いてきたことだけです。だからMuBlogの読者は講演を聴かなくても私が何を話したかはご存じのはずです。
春に訪れた若い研究者二人の進言もあり、こういう公の講演内容とか報告書は別のサイトに、記録していこうとも考えています。MuBlog記事は「普請中」のものばかりですから、自分自身の検証が足りないと考えています。「まとめる」と大抵は情報が欠落するわけですが、まとめないと骨と肉と化粧とが混在して、分かりにくいことも多くなります。
さて、講演内容というよりも、話している間中、考えていたことを記録します。それはモデルのモデルたる所以とはどういう事かということでした。
鉄道であれ図書館であれ、実車ないし実体と、模型という二つの区分をするのが一般的です。ここで模型はあくまで実体に従属した形で考えられています。しかしこれはどこかで書いたわけですが、模型は模型として独立した存在だとも言えるわけです。たとえば鉄腕アトムですが、これは人を模したロボットとして漫画が生まれアニメになり、最近では実際に動くアトム(らしい小型ロボット)を造ることもできるようになりました。しかしもしも小さな模型としてのアトムが生まれたなら、それは人を模したという太古の記憶は残るでしょうが、あくまでアトムそのものであって、なにかの模型ではないはずです。アトムロボットは何かの物まねでもモデルでもなく、純粋に独立自立した(被創造)物として生まれるわけです。
二階建てトロッコ鉄道図書館列車もまた模型である必要はなくて、実体をもった新しいコンセプトを身にまとった独立した創造物と考えています。人が乗車してそこで本を読めないから、模型だおもちゃだと言うのは早計にすぎます。ジオラマという一つの世界の中で完結した役割を果たすマシンであり情景であると考えるならば、その大きなものがこの世にあるかどうかよりも、眼前で実際に動くかどうか、そのイメージを人が感知しうるかどうかによって、模型か自立した実体かの分かれ道になるわけです。
と、そんなことを考えていたので、少ない聴衆者にはわかりにくかっただろうと想像しています。
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