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2009年7月11日 (土)

小説木幡記:2009/07/11(土)今朝の芭蕉で、余も考えた

 例年になく定例の「夏期論文」を早めてきた。昨日も『芭蕉/保田與重郎』に現れた用語の分析と、その荒い分類を考えていた。
 その結論はおくとしても、速度を上げてきた事情がいろいろある。それをメモして後の世に、今の姿を思い出す手引きとしよう。

夏期論文ができるまで
 基本的に、夏期論文は年度末のうちに方針を定め、必要な準備はしておく。新年度が始まった春先から連休明けには対象テキストを熟読してしまう。これは年次によって負荷がことなる。たとえば2006年の場合、『萬葉集の精神』は原稿用紙1000枚の長編評論だったので相当に難渋した。現代人の余には、サンスクリット語で記された経典を読むような趣だった。

 そのあと例年、6~7月の間はメモを造る程度で、8~9月の二ヶ月かけて一挙に本文の詳細な分析、解釈、意味づけを考え、同時に可視化するための(プログラミングを伴う)操作をし、草稿80枚程度をかき上げて約一週間放置する(寝かせる)。そして9月末の最後の一週間で一気呵成に論文の体裁に仕上げる。
 論文書きに夏の二ヶ月が長いのか短いのかは、他と比較したことがないので良く分からぬ。ただし、この二ヶ月は週に4~5日間、閑散とした葛野にでかけ、日々実質8時間を費やしている。その間キャンパスは無人に近いから、ほとんど人とは話しせず、夕方になると大抵ひとりごとを言っている。(もちろん、電話など鳴ったためしがない)

 「なんか、おかしい」
 「ほぉ、そうなんかぁ」
 「わかった!」
 「いや、やはりこれじゃ駄目だ」
 「しまった。やり直しだ」
 「しかたない」
 ~
 テキストを分析し、可視化し、解釈するのは「小説」のように空想ではできないから、一つの問題が発生するとその意味を考え、再試行に時間がかかる。
 夏期論文は、この十五年程度そうやって仕上げてきた。夏の間だけでも、こういう時間が取れてきたのは、終日論文書きの生活をしていても咎められないという、職業上の性格がある。

 ただし、文学とはもともと夏炉冬扇(かろとうせん:夏の暖房、冬の冷房)と言って、世間一般の用不用、儲かる儲からない、社会に寄与するのか、という直接的利害関係を持ち込むと、立場が非常に弱くなる。だから二ヶ月の間、間歇的に強鬱に落ち込むことがある。
 「論文書いていて、世間から咎められないとは言っても、余は一体何をしておるのじゃろう。一体、何の益を余や大学や世間にもたらすのだろうか?」という、深い深い内省に襲われてきて青ざめるわけだ。

なぜ、速度をあげたのか。
 今年は、表だって咎められなくとも、これまでのような夏の桃源郷は望めないと、カン働きがあった。世間の風潮としては「船が沈みかけ、家が燃えているのに、論文書きでもないだろう!」という、古来からの言い伝えが一段と激しさをましてきておる。その中で例年のように豊かな学究生活をするのは無理というものだ。

 しかし、夏炉冬扇とはもうしても、それが生きる支えになってしまっておるので、早々に退却しては、今度は生きる屍になってしまうのは、論理的帰結としてまざまざとイメージできる。おそらく生きる支えを無くすと、別の支えを求めるものじゃ。それは負に傾く。ひたすら攻撃し、人の粗を見付け論破し、建設の装いもって破壊の快感に走ってしまう。すなわち精神的荒廃をもたらす。もちろん今の日本、世間一般がそうなのだから、それに身をそわせることで収支決算、帳尻を合わせる衝動なんじゃろう。長いものに巻かれる、付和雷同、バスに乗り遅れるな、とまるで時代が遡る。

 それではならじ! と余のかすかな理性がつぶやいた。
 不易流行。この不易をみつけなくては。
 そして。
 工夫しなくては。
 ~

もう一つの道
 と考える間に、別の思惑がもたげてきた。
 夏期論文を早めに仕上げて、「二階建て鉄道図書館列車」世界をもっと充実させよう。特に「邪馬台国周遊図書館列車ジオラマ」は、一年たってもまだ発泡スチロールのままである。しかし、これを完成させるには夏期しかない。広い部屋(屯所capricornus)に持ち込んで、水性アクリルの華やかな色を飛び散らかして、石膏液やボンドをそこらじゅうにぽたぽたふりまいて、ついには、色粉が空気中にとびかい、発泡スチロールを焼き切る異臭がする、そんな重度の開発は、無人の夏しかできない脳。
 ~
 そうそう。
 新しい委員会仕事も、世間が海外旅行や温泉や、昼寝で休んでいる暇に、しっかりこつこつ整理しておこう。怠け者の節句働きなり也。

 夏の工夫なのか、別の地獄招来なのか、よくわからぬが、今朝芭蕉の生涯を考えていて、そんな風に思った。
 今年ほど、芭蕉の偉さやすごさが余の内奥まで降りてきたことは、かつてなかった。

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