小説木幡記:2009/06/26(金)空気
今日もたっぷり闇と脳とが融け合った。そうなるには、それだけの事情があるが、くだくだしいので止めておこう。そうだな、仕事で数ヶ月かけてきた方法を棄てた。かえってすっきりしはしたが。
それよりも、世の中の中高年諸氏の日々を思い浮かべて「大変だろうな」と想像した。おそらく毎日、ここ数週間の余のような状態、つまりはストレスに置かれて数十年。余の場合は、職種柄一度仕込みをしっかりしておけば、数年は保つから、いまだけ息をつめておれば、やがて酸素を吸える。知り合いがblogで「人の不幸はヨモギ味」とか書いておったが、その意味は判然とせぬまま、ただ雰囲気として、今の余の気持を表しているな、と思った。
またつまり、加齢とともに自らの楽や苦もなんとなく、ひとごとに見えてきて、1セッションおわるたびに「あはは」と笑える様になってきた。若い頃は笑えないから鬱々しくなる。全部自分で引き受けてしまうから余計に辛くなる。加齢は鈍くなるのじゃなくて、「あはは」と笑えるから鈍感に見られるのじゃ老。余はそういえば昔から大抵機嫌が良かった。苛立ったり機嫌が悪いときは、体調が崩れているにすぎない。
そろそろ眠くなってきた。
筆を置こう。
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