小説木幡記:2009/06/21(日)朝から煩悶、そして希望
ロートル(高齢者)には無理なお仕事
最近の話題はこの四月から受けざるを得なかった委員会の仕事。一般に他の大学では過酷すぎてロートルに任せる仕事じゃないようだが、種々事情が重なって余が一部引き受けざるを得なくなった、<授業時間割りふり整理担当>、……。人工知能を使わないと整合性が保てないほどの複雑さで、毎日吐息ばかりをもらしてきた。未だに前任の若い先生の助力を得ておる。
それがどんな内容か、現状下にあるのかは、遠い将来に分析してみる。
しかしシステムは毎年ゼロから始めるのじゃないから、大抵は前年の積み上げ変更だから、そして大改正をしても人の思惑は何年も変わらないから(失笑)、行き着くところは前年実績教師・教導タイプのシステムを作れば済む話とは、思っておる。これがゼロ発進ならば、将棋かチェスのプログラムみたいになって、余にはお手上げ。何百の科目名とそれに近い教員名を、文科省などのルールに従って、週22枠への時間割りコマに充当。変更が生じたときも、受講学生が入学した年度の構成を維持するお約束。表が何枚にもなる。
余はこれまで、大抵の小難しい仕事はシステムの極小モデルを自分で作ったときに、始めて全貌を理解してきた経緯があるので、当初はカリキュラムや時間割システムモデルを造ろうと思っていた。解の目途は前述のように過去実績積み上げタイプの一家言教員達(注1)の時間(曜日)と教員毎の性向をそのまま使えば、基本は動く。したが、五月頃に関節の痛みで寝込んで以来、馬鹿馬鹿しくなって造るのを止めた。とすると、新しい仕事をこれまで理解した経験がないから、お手上げ。
だから、苦しんでおる(失笑)。
難しいシステムと再生
多分。
若い人がせっかく仕事に就いても、早くて研修期間中、1年目、3年目に離職するのは、人間関係を理由に持ち出すのは実情50%で、実は仕事が良く分からないからなのだろう。今の余のようだ。辛くって辛くって、頭に霧がかかって、毎朝憂鬱になる。だから、MuBlog 記事投稿が遅れだしたのは体調じゃなくて、自分が理解できないことに腹をたてているのにすぎない。
もともと余が苛立つシステムは、殆どの場合、システム自体に致命的な瑕疵(かし)があって、それを庄屋方式で貼り合わせてきた事例が多い。
とはいうものの、現実世界はそれで動かさざるを得ないのが実情だから、なんかかんかとテクニックが必要になって、テクニック同士で相互矛盾をきたしたら、それを解消する上部テクニックを使うという軽業、アクロバットの集積がこの世を動かしておる。
失敗小説なら原稿を燃やすとかメモリーを消去するとかで、綺麗さっぱりやり直せる。ジオラマならハンマーで打ち砕いて燃やして、またあらたに基盤を造ってレールを敷けばよくなる。しかし、人間が絡むシステムは、そうはならぬ脳。つぎあて方式の洗煉されたテクニックをあみ出すか、あるいはモジュールとして見直し、外科治療のように、患部を切り離して再生医療に任せるか。……、困ったことよのう。
しかし、どんな難事でもやがていつかは解ける。大抵は、余自身が新システムを造ったとき、余が納得したとき、世の中がうまく動くようになる。あるいは崩壊したとき、新生の日が昇る。そういうものだ。だから、今の辛さにも希望がある。
さて今日は日曜日。これから日曜作家に励みましょう。
(注1)やれ「朝は起きられない」、かれ「朝一番じゃないと授業できない(爆)」、「夕方になると眠くなるのでその時間は嫌じゃ()」。
あるいは「一日で担当授業を全部こなすのじゃ~」とか、「○曜日と△曜日は、よその大学で仕事しているので駄目や」とか、……。
まあ、そういう事情もあるし、余なんかは朝一番授業じゃないと脳が動かない。仕方ないなぁ~。
特例で午前7時開始のゼロ講時を打ち出そうとも考えておるが、だれも認めない(学生が誰も来ない時間帯!)。
一番難しいのは、科目というのは連続性があって、まずAを受講してからB、その時は同時にXとYを受講するのが必要。そういう精緻な時間割を、何千名もの学生に当てはまるように造るという、根本的な複雑さがあるのう。
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