小説木幡記:2009/06/16(火)言葉の好み、真逆にマルムシ
なんでも鈍感に味わう男にみえて、実は余にも好みがあって、特に言葉の好みは強い方だ。好ましくない言葉を他人が使っていたら苦虫つぶして、だんだんその者の人格まで否定しだす。もし相手が知り合いの、年若い人だと、お節介にもそれを注意して、時にはやりこめられる。
一般に嫌いになりがちなのはカタカナ言葉と若者言葉だろうか。なぜなのか分析は終わっていないが、後日のために少し列挙しておく。ただし好んで使う用語も多いから、なにかしら分裂しているようだ。
好ましくない言葉
マスコミ(古語:大衆広域宣伝集団)や、政府や官僚や政党が使うカタカナ言葉。日本および日本国政府なのだから、和語そのものに限定せよとは言わないが、適切な漢字かな混じり文を書いていただきたい。
特に欧米の新しい概念をそのままカタカナにした用語を公的文書に使うは劣悪。その者の日本国籍を剥奪すべきだ、とまで余は苦しむ。ただしもとの用語をそのまま欧米用語で表記し、そこにカタカナを振り語釈をそえるのは見逃すが、基本的に見苦しい脳。
いつの時代にも流行語を安易に使うのは見苦しい。余ですら数ある新語のうち限定して、JKとかJDくらいしか使っては居ない。この自己規制、努力を見よ! 人々はすかすかな心性で劣悪な用語を安易に使いすぎる。この風潮はよくない。
否定的事例
「いまいち」→「いまひとつ」と元にもどすのがよい。
「イケメン」→「馬鹿男」と原義にもどすのがよい。
「ナウイ」←→これはすでに古語死語なので、使うと風情が出る。
「ぶっちゃけ」→「本心を申しますと」と原義にもどし、もともと他人に本心を開示するのはぶしつけなことだから、使う場を充分に選ぶこと。
「真逆(まぎゃく)」→「対称反義」と事の本質を正確に示すこと。真っ逆さまでもないし、逆立ちしているわけでもない。
好ましい言葉
「まるむし」→まるで無視(された、する)、完全無視(された、する)という意味で使われるようだが、無視するしないのと難しい場を婉曲に表現する言葉として気に入った。つまり、大抵は丸虫を想像するので、文脈が乱れ、場を朧にする効果があり、険悪な状況を回避するによい。
「JK、JD、J~」→現代は「女」の一文字は蔑視ないし「公序良俗違反」の意を含むようだ。しかし余の感性では「男」は男であり、「女」は女なのだ。しかるに立場上、不穏当と見なされる用語を使えないので、以後一切の「女」は「J」に置き換えようと決心したら、楽になった。そして、Jってジーザス(キリスト様のこと)をイメージするので、上品だね。どうだい、JD諸君。
となると連想でBは、こりゃ仏陀さまをイメージするから、あらゆる仏や佛の付く用語はBに置き換えようとしたが、……。仏教用語の多い環境なので、やってみたら、当人自身、わけが分からなくなった。やめた。
ということで、最近のヒットは「マルムシ」、こんご折に触れて論文レベルでも使ってみよう。一般に学者は自らの無知を恥じるから、読んだ当初は意味がつかめずに困る事じゃ老、けけけ。そういう人は、これこそマルムシいたしましょう。
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