小説木幡記:2009/06/13(土)茶臼山古墳や鉄道図書館列車にGoogleと、頭がパンク
朝からJOメルが入って、「読みましたか?」と一行あった。「おーさ、茶臼山古墳、ガッテン承知」と、答えはしたが相手は早稲田の老学生。余の現世(うつしよ)での辛さもしらぬが仏。「今夜は遅くまで学生してるし、明日は早くから北海道へ遊びに行くし~」とまたしてもメル。どうも、早朝の早稲田大学からケータイメルしちょるようだ。あはは、と笑った。
しかし。
どうにも現世のことは次から次へといっぱいあって困り果てる。四の五の言いもせず、書きもせぬが、辛い脳。
なにしろ、講演の間の休憩時間に難しい業務メルがはいっておって、う~む。
おお、講演は無事に終わった。相棒の先生も別途インターネット巨大電子図書館について一時間講演し、余はそこからGoogle電子図書館と、Wikipediaの問題をいろいろ理解できた。
知り合いが数名きていただけで、会場はがらんとしていたが(爆)、余も小一時間「未来の図書館:鉄道図書館列車」について思うところをのべて、それで良かった。終わった後、ご隠居たちが屯所に来てくれて、番茶と上等なプリンをいただいた。至福。
帰宅してさて「桜井茶臼山のことを~」と、新聞やネットを見だしたが、どうにも今回は記事量や内容を、即座に把握することが出来ぬ。また明日にしよう。
つまり、今日は早朝からしかしかと小働きしすぎて、脳がパンク。いや、パンクファッションのような脳内になっておったのじゃ老。
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コメント
先ほど帰還
息子のワイシャツのアイロンや、明日の用意や、洗濯の始末や、台所の始末や、家政婦の仕事を汗をかきながら済ませた。
今日、気になるから図書館で1949年10月と1950年8月に実施された桜井茶臼山古墳の発掘状況を調べましたよ。
目の前に三輪山を望み、大市の箸墓と纏向の古墳群、そして柳本の崇神さん、景行さんの古墳と呼ばれているものが、纏まって解明しないと駄目かも知れませんね。
箸墓の後円部にも基壇があるそうやね、円筒埴輪に連なる底を穿った壺が気になります。吉備との関係が益々気になり始めました。
後ろ髪を引かれつつ、明日は蝦夷地だす。利尻島・礼文島でのんびり考えてきますわ。
投稿: jo | 2009年6月13日 (土) 23時28分
Joさん
肝心の時に指針となる記事をいただかないと、今回の事件に対応できませんなぁ。
桜井茶臼山古墳は、大きさからは200mほどですから、あのあたりの軒並み天皇陵・前方後円墳として小ぶりですね。
しかし玉杖らしきものが1950年発掘時にはあったことだし、なによりもJoさん言うところの丘尾切断タイプで、トビ(外山)に血脈を持ったお墓ですから、軽々しくは思えません。
後円部方壇まわりの構造物は、橿原考古学研では玉垣(結界、柵)と見ているようですが、他の研究者の中には屋根を持った家屋と見ている人もいます。
後者の推論基盤は、柵にしては頑丈すぎるので、中国皇帝陵墳頂に見られる建物とのアナロジーでそうなるようです。
さて。
前方後円墳上の構造物とは、この三月に現地に訪れたときなんとなく気になりましたが、初めてのことなので、後日の報告書を読んだり、後日のまとめを勉強しないと、なんとも言いようがないです。
北海道で知恵をしぼっての、無事の帰還を待ちます。
投稿: Mu→Jo | 2009年6月14日 (日) 02時10分