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2009年5月27日 (水)

小説木幡記:2009/05/27(水)春の嵐夢

 困った十日間が過ぎた。大学の「先生」してメシを喰っているのに、物を考えたり判断したり読書したり文章を書いたりすると、脳内が真っ白になる激痛に襲われ、そのうち3日間は部屋からも出られず24時間半睡状態で「ぐるしい、いたい」と言い続けたのだから、今こうしてMuBlogを記すのが奇跡に思える。

 一昨日の夕方に、所員の奔走でなんとか小康を得、昨日火曜日は久しぶりに平静な熟睡を得、今朝は午前中に近所の病院に行って、明日は会議と授業を休講し~、来週からは素知らぬ顔して葛野の教室に立つことだろう。この間、インフルエンザ騒動もあって、公式の休校措置と余の別件事情が重なったので、こんな悪夢はだれにも想像付かぬだろう。それでよい。余は原始的な、本能に近い、恐怖と激痛に近代医学無しで戦わざるをえなかった。

 考えてはならない脳内で、断片的に思ったのは、「これほどひ弱で、神経質で、よく今まで生きてこられたなぁ。」だった。おそらく余は今後も数十年は生きるじゃろう。多分、青年期から幾度も原始的な「恐怖と激痛」を味わってきたから、いろいろ用心深くなっておる為、そして知らぬ間に耐性(つまり免疫じゃな)がついてきて、長生きするに違いない。今朝は一週間ぶりに、病院へ行く道すがら、空を見そして外気に触れる。「生」の実感を味わうことになる脳。

 昨日は小康の中でひさしぶりに「芭蕉」を考えていた。今日のお題を「春の嵐夢」としたが、余は新暦で3~5月を春とし、6~8月が夏、9~11月を秋ならば、12~2月を冬と思っておるはずだ。五月の下旬を春と言うのはなにか身にそぐわないが、これが芭蕉の旧暦季節感となると、頭でわかっておっても今だに混乱する。と、考え込むとまた頭の中に白い閃光が走るので、止めておこう。

 そうそう嵐山さんの『悪党芭蕉』は二週間ほど前に読了しておった。芭蕉の晩年は様子がおかしくなって一ヶ月間で亡くなったわけだが、同著にはこの間の伊賀から大坂行きの事情がきっちり記してあった。喧嘩の仲裁と体調不全中での連日の句会。それでも、心中では長崎紀行を望んでいたらしい。

 余はなによりも、なぜ芭蕉が義仲寺に墓をたてるを遺言したかに一番興味があったが、さすがに鋭い嵐山さんの筆もそれには触れていなかった。近江衆と芭蕉の強い関係は、『悪党芭蕉』にきっちり記してあったが。夏の保田『芭蕉』分析にむけて、この点は、専門一般とりまぜて密かにいくつか読んでおいた方が、佳かろう脳。いや、その各論を夏の論文に盛り込む予定はない。それは、保田がどのような結構でどのように芭蕉を表現したか、その彼の思考の流れをきっちり可視化するのが目的じゃから。(あれ? ここまで書いてきてまた痛みが走った! これだから困る脳())

 夜もふけた。眠りましょう、今夜は二度目の快眠。よきかな、人生。生きることは快楽愉悦じゃ~。

夢追伸
 余は眠れぬ三日三晩、夢は枯れ野をかけめぐる、それを実感あらわに体得した。嵐山さんは、その辞世を、芭蕉が直情を吐露した故に採らぬ、と結んでおられたが、余はそうは思わなかった。余は文学とは、死を鎮めるもの、死を言祝ぐものと思ってきた。よって、芭蕉は自らの死を言祝いだと考えておる。

 そうそう。夢の中身にはもちろん、すでに330枚を越えた「湖底宮」のシーンも一杯あったが、なんと、その他は葛野研に置いてあるOn30タイプの市電とか、同じスケールの真鍮模型や、あるいは久しくさわっていなかった「プチロボX」とか、あるいは、完成直前の「前方後円墳が見える高台の図書館ジオラマ」じゃった。なんとも、艶も幽婉もない、テクノ世界でおじゃった。これで来年は「後鳥羽院の歌心」を分析するつもりなんじゃから、~今から新古今和歌集もちゃんと勉強しょう。水無瀬神宮に巨大プチロボXが突然現れて、真鍮製の新幹線や阪急電車を踏みしだき、たからかに「みわたせば、やまもとかすむ水無瀬川ぁ」と叫んで暴れ回った。夢とはそういうとりとめもなさが一杯つまっておるのう。

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コメント

手抜きのすすめ

 人間を含め生き物のしくみは本当に繊細微妙に出来ていますね。
我々人間さまは何万、何億の細胞から出来ているはずなのに、皮膚に一点のキズがあっても痛くてまともな生活が出来ません。

 痛み、痛覚というやつは一種の警報装置なのでしょうか。
生命体は繊細微妙に出来ているが故に、ちょっとでも何かのバランスが崩れると危ない存在でもあるのでしょう。
押したり退いたり、絞めたり弛めたり、感情で言うと喜怒哀楽、それらが適当にバランスよく訪れないと人間という、か弱い精神、肉体の持ち主はどこかが(アラーム)を発するようですね。

 せんせ~のバヤイ、何がどうしてアラームを発しているのでありましょう。
たまには(理科系)であったということも思い出されて、ウン、手抜きが足りんのではなかろうか?などとマジにではなくボンヤリと思いを巡らされてはいかがでしょう。

 当方が現役時代、手下どもはよくチョンボ(設計ミスなど)をやらかします。
そのミスをやってのけた個人は責めませんでした。
ただ強く要求したのはミスの原因を探れ!ということでした。
(ものごとには必ず原因がある)
とね。

投稿: ふうてん | 2009年5月27日 (水) 22時03分

ふうてんさん今晩わ
 御日記の米流退職自動車技師の映画について、読みました。木幡では詳細に内容を聞いていて「さすがは、イーストウッド監督!」と思っていた矢先でした。映画館に行く機会は失われましたが、DVDは後日格納されること確実です。

 さて、手抜きして生きること、原因は知っておいた方がよいこと、ごもっともです。
 手抜きについては粗密の幅がありすぎて、数パーセントは手抜きによる失敗も経験してきました。また生活上、意図的手抜きが大胆すぎて、変人呼ばわりされることも多かったです。
 ……。
 つまり手抜きは沢山しております。「世間との付き合いの悪さ」などは極端に走ってきましたね(笑)

 一方、手抜きして稼いだ実時間とか精神的ゆとりとかを、今度は極端に、思想信条上で必要と思うことや好きなことに振り向けて、髪振り乱して生きてきた面もあって、結局、精算するとロボット的精密なことになって、絶息するような状態でもありました。

 早い話がこのMuBlog(笑)。それこそ一文の得にもならぬことに営々と時間を費やして、書いてきました。最近は息切れしたのか、木幡記や葛野記ばかりになってきましたが、これとて「息をするよう書いてきた」とばかり思っていたのに、この一週間は筆とることもあたはず、その時ハッと分かりました。つまりは駄文であっても実は相当な時間や精神力をかけていることに気付き、唖然。

 ……。

 原因究明ですが。
 水曜の朝に最近出来た医院の、若い(と言っても40代半ば)内科医を始めて訪れて、意外な知見も得ました。ちょっと感心しました。余生はその先生の言う処方に従い、こつこつ生きて長生きするつもりです。

 ただ。
 質(たち)と古くからいわれてきた言葉の内容は、いかんともしがたいでしょうな。ふうてんさんだと、ビールと珈琲とプレーンオムレツを食べて漱石を読まないと、どうにも身が持たない質なのです。Joさんだと、年がら年中世界を走り回っていないとかえって病気になるだろうし~。

 Muは、その時々、なにかに埋没融けてしまうほど専念しないと、空虚感に押し込められて消える質なんですなぁ。

 そう言うわけで、バランスとりながら、豊かに生を愉しみましょうぞ、梅安さん!

投稿: Mu→ふうてん | 2009年5月28日 (木) 00時12分

ホッとしました

(最近出来た医院の、若い(と言っても40代半ば)内科医を初めて訪れて)
・・・・
これなんです、大切なのは。

当方はまだ(当方より若い医者)のいる、近くの医院(内科医)を知りません。
唯一知っているのは歯科医の先生です。
この先生のお父さんが地元の古老のせんせ~でして、おふくろもオヤジもお世話になりました。
残念ながらこのせんせ~には内科医の息子さんがいてはりません。
歯医者さんと整形医さん?(昔で言うと骨接ぎ、接骨医)の先生はいらっしゃるのですが・・・。

このお父さん先生が有り難かったのは(往診)をしてくれたことです。
おふくろを国立へ引き取るとき、往診してくれる先生が必要でした。
女房が出産のときお世話になったドクター・宮元に相談すると、それなら僕の知っている中ではこの先生ですね、とその場で電話して紹介してくれたのがこの(お父さん先生)でした。
・・・・
そして、おふくろの時もオヤジの時も、死んだとき、最初に電話したのがこの先生でした。
往診に来てもらっていたとき、絶対に119番に電話しないで私を呼んで下さいと言われていました。
119番すると(司法解剖)を受けますから、と。
夜中の1時とか2時とかに先生に電話して来てもらって、その後、葬儀屋さんに電話したのでした。

何だか妙な話しになりましたが、木幡方面で、若い内科医のせんせ~と知り合うのは悪くないと思います。
いえ、これは(お葬式の話)ではございませぬよ。
あくまでもMuせんせ~の余生に幸せあれ、というお話でございます。

投稿: ふうてん | 2009年5月28日 (木) 01時52分

いやはや、ふうてんさん
 お見通しですねぇ。お話の内容はすべて「○受け」(注:丸投げの反対語として使用。造語かも知れない)します。
 図星です。Muより長生きしそうな国手を密かに探していたのが事実です。

 それにしても長く気付かなかったのですが、その内科医院(循環器系に強いらしい:私はその先生が在学中に、その近辺分野で名教授(後日に某大学総長にならはりました)だった人と仕事上で知り合いでした。時々書庫の片隅でひそひそと、「センセィ、こんな検査結果でました。だいじょうぶやろか?」「ほな、ベロだしてみなさい。目を見せなさい。ふむふむ。大丈夫、まだまだ死なぬ」などと、何度も世話になりました(爆)もちろんそんな話を近所の若い先生に、絶対漏らすことはしませんが、まあ、小縁があるわけですなぁ)も含めて、近所には整形外科(骨粗しょう症なんかに有効だね)とか歯科医とか、介護施設とか一杯できておりました。いずれもバリアフリーだから生涯安心安心。

 灯台もと暗し、近辺の医療の充実に気付いていなかったのです。
 というわけで。
 都会でもない田舎でもない地に住まいしていることの利便性、ありがたさを昨日味わいましたね。

 そうそう「加齢」という経験を積まないと見えてこないことが山のようにあると、最近ひしひしと味わっております。医療などはその一つです。
(他には、芭蕉のことを痛切に味わっております)

投稿: Mu→ふうてん | 2009年5月28日 (木) 02時55分

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